99.【C-掃討】旧・狼王の森④
アッシュは走りながら背後を確認する。今のところグレートウォーウルフの姿も、それらしい音も無い。
マップを開いて位置を確認すると、ちょうど道半ばのチェックポイントを過ぎた辺りまで来たようである。
「そろそろいいかな?」
スピードを緩めながら、アッシュはアイリに訊ねる。
「まあ匂いで追って来られちゃったらどうしようも無いかもしれないけど、とりあえず距離は稼げたんじゃないかな」
「ならここからはまた歩こう」
そう言ってアッシュは歩きに切り替えつつ、レイの方をチラリと見る。
少なくとも先程見た限りでは、戦闘面における問題は無さそうだ。
だがそれはあくまでも格下相手における事なので、引き続き気に掛けておこうと考える。
「アイリとキアラはまた周辺の警戒もお願いするね。……と、そうだ。スティックはどうだった?」
端末から水筒とコップを取り出してお茶を注いで4人に渡していきながら、アッシュはアイリに訊ねる。
「すごい良い感じだった! 法術と剣をどっちも使えるから、組み合わせれば色々出来そう」
アイリは手に持ったスティックをクルリと回して満足げに応える。
「それはよかった」
「でね、相談なんだけど……。やっぱり剣として使うとちょっとだけ振り心地が悪い感じがしたから、カスタマイズ出来るように買いたいなぁって」
そう言いつつ少し俯いて上目遣いになりながら、アイリがアッシュに視線を送る。
スティックは武器の中では小さい部類ではあるが、法術を使えるようにするための加工もされているため、少し古いモデルでも1本5万ディル程 —— 今回のC難易度掃討依頼の目安報酬と同程度 —— の値段にはなる。
買い替えならば古いモデルを手放すことで出費を落とす事が可能だが、新しく購入するのは若干ハードルが高いのだ。
とは言えアッシュ達も、そこそこの数と難易度の依頼をこなしてきている。生活に困っているわけでも無いのだから、もう少し堂々と頼めばいいのにとアッシュは感じる。
「僕はいいよ。お金なら十分あるし」
「ん。構わない」
アイリは続いてダンとキアラの方を見る。
「新しい武器か? いいと思うぞ」
「私も。……というかアッシュ。あなたがリーダーなんだから、こういうことはあなた一人が判断するようにしなさいな」
全員がいいと言ってくれたことに安堵しかけたところで、思わぬ飛び火が来たことにアッシュは驚いてキアラの方を振り向く。
「依頼選択の時もそう。ちょっとしたことでも何か決める時に全員に確認してたら、キリがないわよ。気持ちはわからなくはないけれど、リーダーを任されたのに役割を果たさないのは、責任放棄と同じよ」
「……ごめん」
「ほら、なんでそこで私に謝るの。そういう話じゃないでしょ。アイリに言いなさい」
そう言われてアッシュは、アイリに目を向ける。
「えっと……じゃあスティックを使って更に強くなれる見込みもあるみたいだし、買うのは僕が許可するよ」
「……あ、うん。ありがと。後でランダさんの所行こ」
アイリは少し返事に困ったような様子を見せたが、すぐにいつもの表情で本部の武器ショップに行くことを提案する。
「そうだね。僕もテスターの定期報告に……」
「ちょっと待ちなさい。そのランダって、ミノタウロス種かしら?」
アッシュが返事を仕掛けたところで、キアラが割り込むように訊ねてくる。
「うん、そうだよ。たしか前はレンジャーやってたとか言ってたっけ」
「そうそう。その時に旦那さんと知り合ったんだよね」
「……間違いないわ。まさかこんなすぐ近くにいたなんて……」
キアラは口元に手を当てて呟く。
「キアラはランダさんのこと知ってるの?」
「ええ。”バスター”ランダ、凄まじい衝撃を生み出す鉄槌で暴れまわった破壊の権化。ウルフベアを一撃で仕留めたなんて話もある元Sランクレンジャーよ。……私が強くなる手段にレンジャーを選んだのは、彼女の影響が大きいわ」
「そうだったんだ……」
確かに渡されたハンマーは、レプリカですら扱うだけでも精一杯な代物であった。
現役時はあれの本物を振り回していたということからランクは高かったのであろうことは推測していたが、まさかSランクだったとはとアッシュは考える。
「それが30年くらい前に突然、身を固めるとか言って引退しちゃったものだから、正直もう会うことも無いと思っていたのだけど……」
「まさかの本部で武器ショップをやっていた、と」
「……」
キアラは黙って頷く。
30年前ということはアッシュ達が知らないのは当然ではあるが、キアラからしてみれば憧れのレンジャーということなのだろう。
「ならアイリのスティックを買いに行くついでに会ってこようよ。と、そうだ。キアラもさっきは新しい武器使ってたんだよね。どうだった?」
「ナックルは腕にしか付けられなかったけど、トンファーなら髪でも扱えるからいいわね。格闘術の新しい道を開けちゃいそう」
キアラは口元を吊り上げてニヤリと笑い、髪先の蛇が鎌首をもたげて手に持ったトンファーの柄に巻き付いた。
自在に長さを伸ばせる髪でトンファーを操れるということは、単純なリーチだけでなく振る速度も腕に比べて大幅に向上するのだ。
更に身体を支えられる程の膂力もあるため、威力は絶大であろう。
「いいなぁー、髪が使えるって」
「じゃあキアラも買う?」
「せっかくだけど遠慮しておくわ。トンファーはカスタマイズの意味が薄いから、貸出で十分。それに私の場合、トンファーでも蹴り主体になりそうなのよね」
そう言いながらキアラは、左の踵で右の脛当てを軽く蹴る。
アッシュは驚き半分、感心半分の表情でそれを見る。キアラなら当然買うと思っていたため、必要無い物は買わないという選択が出来るという事が意外だったのだ。
「買うなら私よりも先にダンよね。……どうしたいかしら?」
「うぐ……」
キアラが目を細めて意地悪そうな表情でチラリと見ると、ダンは気まずそうに目を伏せた。
「そういえばダンも棒を使ってみたんだよね」
「……」
「観念なさいな。誰だって失敗はあるものよ」
ダンは少しの間迷うように目を泳がせていたが、やがて溜息を付いて口を開く。
「はぁ……キアラの言う通りだな。棒は全然戦い方がわからなかったぞ」
「結局7匹中6匹は私。最後の1匹が体力切れを起こしかけてたところでなんとかって感じだったわね」
「うん……だから棒はまだ買えない」
悔しそうに呟くダン。ある程度は戦えるかのように自信満々に構えていたのは、決してハッタリでは無かったはずだ。それが全く話にならなかったともなれば、アッシュでも落ち込む。
「ランスと棒って戦い方がかなり違うからね。今度の特訓の時に立ち回り方とかを教えてあげるよ」
「ほんとか!」
ダンは顔を上げて、嬉しそうにアッシュの方を見る。
「大物相手ばかりじゃないのは間違いないし、ダンがランスと棒の両立が出来れば心強いしね。僕も完璧に使いこなせてるわけではないけど、基礎を教えるくらいなら出来ると思う」
「任せろ! 必ず使いこなしてやるからな!」
「期待してるよ」
他者に教えるという機会は今まで無かったが、リーダーとしてメンバーを導くことは今後も必要になる。
アッシュ自身、教えるということを学ぶつもりでやってみようと考えるのであった。