96.【C-掃討】旧・狼王の森①
ランクアップ試験から数日経った日、アッシュ達は何時も通り依頼リストの前にいた。
「私とアッシュとレイの3人がBランクになったから、A難易度の依頼は受注出来るようになったし、せっかくだから選んでみたいよね」
「ガラルドより難しいやつか? 僕はまだ辞めた方がいいと思うぞ」
アイリの提案に対してダンが少し不安そうな表情で反対する。
「あれ、意外。ダンがそう言うとは思わなかった」
「僕達モンク族にとって、狩猟は生活の中心だったからな。強いやつと戦うのは好きだけど、大怪我するかもしれないやつには、どうしようもない時じゃ無ければ絶対に挑まないぞ」
狩猟は生活の中心 —— つまりは目の前にいる相手を狩りつつ、その後を常に見据えていなければならないということだ。
エーテル体を用いるレンジャーの中には、考える必要の無いことと思う者もいるだろう。
だが一度だけとは言え格違いの相手に”死亡体験”をさせられたアッシュであるからこそ、その意味の大きさはよく理解出来た。
「大丈夫。さすがに私もわかってるって。大物狩りはまだ辞めておいた方がいいと思うから、受けるなら調査とか採取とかかなー」
「そうだね。狩猟はB難易度を限度にしておこう」
「ならいいと思うぞ」
それを聞いてダンも安心したように応える。
「ということで……あ、これなんかどう? A難易度で、ヤエン山の凍花採取だって」
「ヤエン山ってことはケラン大陸西部の雪山だけど……」
そう言いつつアッシュはキアラの方を見る。当然ながらキアラは心底嫌そうな顔をしている。
「嫌よ。もうしばらくの間は寒くない所にして」
絶対に嫌とは言わないんだと思いつつ、アッシュもこの依頼を受ける事には同意できなかった。
ケラン大陸西部はガラルドの狩猟を行った東部とは違い、ほぼ山に覆われている。そのため天候の変化も激しく、吹雪や雪崩といった自然の脅威に真正面から挑まなくてはいけないのだ。
区分が採取とは言え、気軽に受けることはできない —— それ故にA難易度なのだが —— のである。
休日を使って雪山対策をしつつ、天候の情報などから頃合いを見計らって受ける程度の準備はするべきであろうとアッシュは考えた。
「僕もそれを受けるにはもっと準備が必要かなと思う」
「りょーかい。じゃあ……レイはどっか行きたい所ある?」
アイリが振り返ってレイに問い掛ける。
「……ん。私はどこでも構わない」
若干ながらレイの返事が遅れる。
やはりランクアップ試験で言われた”足りないものがある”というのは、少なからずレイを惑わせているのだろう。
依頼遂行中は危険もあるため集中していてもらいたいが、試験に受かっている自分が今言うのは気が引けるところであった。
依頼中の様子を見て集中できていないようなら言おうとアッシュは考える。
その時、レイの背中越しに見えていた窓口の自動扉が開いて、左目に黒い眼帯を付けた青毛の狼が中に入って来たのがアッシュの目に入る。
気を取られたアッシュに気付いて、他の4人もそちらに目を向ける。
若干前のめりに屈んだ状態でも、天井に頭が付きそうな程の巨体。幾つか種族かいる狼の魔族の中でも、それだけのサイズがあるのはライカンスロープ種しか該当しない。
入って来たライカンスロープは通路幅ギリギリの巨体を揺らして、ニーナがいる受付へと歩いて行く。
ニーナも気付いたようで、慌てたように席から立ち上がる。
「ようこそお越しくださいました、オロバス様。本日はどのようなご用件でしょうか?」
“狼臣”オロバス。セードル大陸の支配者である”猫王”グシオンの副官で、ここエレーネクを含む北部を管轄する魔将である。
アッシュ達レンジャーはニーナをトップとするギルドという組織に身を置いており、そのニーナはオロバスの配下ということになっている。
つまりオロバスは組織の立て付け上は、アッシュ達の上役ということになるのだ。
「ああ。なんてことはない。いつもの依頼だ」
「また出ましたか……わかりました。引き受けさせていただきます」
そう言ってニーナはカウンター上のパソコンを操作し始めるが、途中でその手が止まる。
「……オロバス様、それでしたら端末でご連絡いただければよかったのでは?」
「要はそれだけじゃ無いってことだ。この前の魔将会議の時にセーレが今年の新人共を甚く気に入っている様子だったんで、ついでに覗きつつアレの狩猟依頼を振ろうかと考えてたところだ」
「狩猟をですか!? 偶々そちらにおりますが、それは些か早いかと……」
会話が耳に入って来たアッシュは、無理難題が振られることを察した。内容は狩猟のようだが、ニーナの反応からしてかなり難しい依頼なのだろう。
「少しくらい待とうかと思っていたが、どうやら俺の運もまだ捨てたもんじゃねえみたいだな。……名はなんという?」
オロバスはアッシュ達の方に顔を向けながら言う。
「は、初めまして。アッシュといいます」
「私はアイリ」
「僕はダンだ」
「レイ」
そして最後のキアラへと顔を向けたところで、オロバスが眉根を釣り上げる。
「お前だけ魔族か。……ん? どこかで見たことがあるような……」
「おそらくお会いしたことは無いかと。お初お目にかかります。私はキアラ。第二魔界の魔将、フォルネウスの三女でございます」
突然のキアラの慇懃な口調に、全員が驚いたようにキアラを見る。
だが改めて考えてみると、キアラは今言った通り魔将の娘 —— 種の王族の家系である。今のこの態度は、普段の高圧的で我儘な態度とは表裏一体のものなのだ。
「フォルネウス……そ、そうか……」
オロバスはフォルネウスを知っているようだが、あまり良い思い出は無いのかキアラを見ながら少したじろいだ様子を見せる。当然ながら、その手の反応を見逃すキアラではない。
「それでオロバス様は私達に何か御用がお有りのようですが……まさか魔将ともあろうお方が、無理難題をふっかけるようなことはなさいませんよね?」
「うぐっ……ま、まさか! 俺はそんなことはしない! そ、そうだ。掃討の依頼を持ち掛けようと思っていたんだ」
先程と言っていることが違う。完全にキアラ —— とフォルネウスの影 —— に押されているのは明らかであった。
「依頼も済んだし、新人の腕試しの依頼も出来た。用事は終わったから俺は戻る!」
そう言ってオロバスは足早に窓口から出て行った。
「ありがとう。助かったよ」
「別に大したことは無いわよ。オロバス様は権威に弱いと聞いてたけど、あそこまでとは思わなかったわ。はぁ……でもだからと言ってお母様を持ち出す辺り、私もまだまだよね」
咄嗟の事とは言え、今のやり方にはキアラ自身が納得していないようである。
「でも難しい方もちょっと気になるよね。ニーナさん、教えてもらうことって出来ますか?」
「ええ。すぐに反映するつもりですし、掃討依頼の方にも関わる内容ですので。……端的に言ってしまうと、オロバス様がまだ狼王と呼ばれていた頃の後始末のようなものです」
アッシュはそれを聞いて思わず苦笑してしまう。
「オロバス様はグシオン様の配下となって北部を任されるまでヨヌ一帯を支配しておりまして、特にヨヌ近郊にある森を気に入って配下と共に縄張りとされていました。そのため森にはオロバス様を中心とするライカンスロープ種のエーテル残滓が濃く残りました」
「シェーンの森みたいですね」
「その通りです。ただ元々いたのがオロバス様だった分シェーンの森よりも格段に影響が大きく、偶にその影響を受けた非常に巨大かつ強力なウォーウルフが発生するのです。ギルドではその個体をグレートウォーウルフと名付けて、A難易度相当の危険指定生物に設定しております」
ちょうど先程、受注はしないと話をしたばかりの内容である。キアラが上手いこと逸してくれたのは正解だったようだ。
「わかりました。やっぱりまだ受けるには早いと思いますので、遠慮しておきます」
「それがよいかと思います。そして掃討の方ですが、グレートウォーウルフが現れると周囲のウォーウルフ達も活発になる傾向があるため、同じ森でのウォーウルフの掃討依頼が同時に発生します。そちらは狩猟対象との遭遇リスクを考慮して、C難易度になっております」
通常であればウォーウルフを中心とする掃討依頼はD難易度だが、危険度が高いためC難易度に上げられているということのようだ。
「それなら受注してもいいかも。A難易度の依頼にしようかと思ってたけど、指名依頼ならそっちを優先した方がいいもんね」
「遭遇しないことが一番ですが、もし遭遇してしまった場合でも追い払うまででよいので、A難易度の狩猟対象の体験にはなりますよ」
たしかに狩猟の必要が無いのであれば良い体験となり得るだろう。ニーナの言う通り、遭遇しないことがベストではあるのだが。
「むぅ……僕はちょっと怖いと思うけど、追い払うだけでいいならやってみてもいいぞ」
「レイとキアラはどう?」
アッシュは2人の方を向いて訊ねる。
「私はいいわよ。ヨヌの近郊なら暖かいでしょうし」
「……私も構わない」
全員の了承が得てアッシュは頷く。
依頼の選択は毎度のことなので大体どこでもリーダーの一存で決めることが多いとは聞く。
だがアッシュとしては出来れば全員が納得した上で依頼は決めたいため、このように少しだけでも時間を掛けて相談はするようにしている。
「よし。じゃあ決まりだね。ニーナさん、それでお願いします」
「はい。ではC難易度の掃討『旧・狼王の森』で手続き致しました。クラス選択をどうぞ」
ニーナがカウンターのパソコン画面を向ける。アッシュは入力しようとしてから、ふといつもと状況が違うことに気付く。
「あ、そうだ。クラスどうしよう。レイとダンとキアラは決まってるとして……」
「いつもの掃討なら私はグラディエーターだけど、今回はちょっと違うしね」
万が一遭遇した時を考えればメイジの方が保険にはなり得る。だが少ない可能性のために戦力を削る —— 森のような狭い空間では、小物相手に法術は不向きである —— のは得策とは言えなかった。
「でもやっぱり……」
「そうだ。こういう時こそスティック試してみればいいじゃん」
「ああ、そう言えばまだ試してなかったね」
アイリに言われてアッシュはギルドに加入してすぐの頃にスティックを勧めたことを思い出す。
—— メイジの持つ3種類の武器の基本機能はいずれも、増幅器である。発熱の法術のような軽いものであれば不要だが、戦闘に用いる程の出力となると少なくともヒト族では発動することは不可能なため、武器を用いて出力を上げる必要があるのだ。
だが当然ながら3種類の武器は、各々違った特徴も持つ。
最もスタンダードな武器であるロッドは、単純に増幅率が一番高い。
一方オーブは増幅率はロッドに及ばないものの、エーテル効率が高いため継続発動が必要な法術を使用する際に用いられる。
そしてスティックは増幅率とエーテル効率のどちらも両者に劣るが、代わりに硬質素材を用いて剣やメイスの形状で製造されているため、近接戦闘も可能な仕様になっているのだ。
もっともスティックは法術の出力を上げる構造の都合で近接武器としても本物には劣るため、良く言えば多用途だが悪く言えば中途半端な武器である。
それでも”メイジが持つ3つ目の武器”としては意外と有用な場面が多いと語る者は多い。
今回想定する敵は格下のウォーウルフであるため、近接武器としてもスティックで十分足りる。
そして万が一グレートウォーウルフと遭遇した場合のためのメイジという保険も掛けられるため、これ以上に無い程の機会と言えた。
「最初の時に言われてから気にはなってたんだけど、いざクラスを選ぶって時にはすっかり忘れてたんだよねー。思い出せてよかった」
アイリは嬉しそうに言いながら、画面にクラスを入力した。
「そしたら僕は、小回りと火力を両立出来るファイターにしようかな……。クラス選択終わりました」
「ありがとうございます。では変換機へどうぞ」
依頼内容自体は簡単ではあるが、万が一の時の危険度は高い。油断せず気を引き締めて行こうと考えながら、アッシュは奥の部屋へと進んだ。