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始まりの物語③

 真っ暗な道場の中、一つの影が神棚に向かって正座をしている。


 その佇まいと気迫の鋭さ、多少なりともその道を歩む者なら思わず身構えるだろう。そしてすぐに、その影の小ささに驚愕するに違いない。


 ヒタリヒタリと廊下を誰かが歩く音が聞こえる。だが影はピクリとも動かない。


 足音は道場の前で止まる。扉が開かれて明かりが付いて、初老の男性が入ってくる。


 男性は何も言わずに、少し離れた位置で神棚に向かって正座をする。そして男性が頭を下げると同時に、道場にいた影 —— 少女も頭を下げる。


「ではレイ、本日の稽古を始める」


「……」


 レイと呼ばれた少女は、何も言わずに脇に置いていた木刀を持って立ち上がった。


***


 レイの家、クロノ家はアースで五十代以上続く一族の分家である。


 本家であるシラカワ家は、D0のとある地域で代々剣道場を営んでいる。シラカワ道場は界隈では有名であり、大きな大会では出身者が表彰台に上がれないことは無いとまで言われている。地元でも名家として知られる『陽』の家系。


 一方で分家であるクロノ家が修めていたのは実戦流剣術であった。使うのは竹刀だけではなく、太刀を模した金属芯入りの木刀、脇差、更には蹴りや投げなどの体術も含まれていた。


 だが剣を用いた実戦など遥か昔に置き忘れ去られ、競技としてすら存在しない剣術を習いに来る者などおらず、家の者でひっそりと受け継がれるのみ。稀にクロノへ移る者がいるためにシラカワの分家であることを知っている者がいる程度の『陰』の家系。


 そんなクロノの家であったが、現在はアースのギルド『次元開発機構』直属でレンジャーへの剣術指導という大役を任され、それに伴い家はD1へと移っている。これにはこのような経緯がある。


 まだレンジャーがアース出身者 —— ヒト族のみで構成されていた頃、新地における探索でレンジャーが持つ武器と言えば銃器類に限られていた。ヒト族の身体能力では銃器類を捨てて剣などで近接戦闘を行うメリットは少ない。相手が野生動物であれば尚更だ。


 だがここにパンデム出身者 —— 魔族が加わり始めたことで、流れは大きく変わる。そもそも銃器を知らなかった魔族達は、剣に槍にと当時のアース出身者からすれば逆に珍しい武器を手にレンジャーの活動に参加していた。


 そして単純な身体能力がヒト族よりも遥かに高い魔族のレンジャー達は、ヒト族のレンジャー達が銃を撃っている間に接近して一撃で決めてしまうというようなことをしてのけたのだ。


 しかしそんな魔族の無双もすぐに終わることとなった。魔族の身体能力の高さの一端が、エーテルというアースには無かった概念によって成されていること、そしてそれはヒト族であってもできるはずであることがわかったのだ。


 ヒト族のレンジャー達は当然のように魔族に教えを請い、魔族も応えるように指導を行った。その結果ヒト族のレンジャーでもエーテルによる身体能力強化を収め、近接武器を用いる者が次第に増えていき、魔族とヒト族は肩を並べて戦闘を行えるようになった。


 そしてその流れに乗るかのように、大手武器メーカーが相次いで最新技術を取り入れた近接武器を発売し始めたことで、ヒト族のレンジャーの間でも近接武器は急速に広まっていくこととなった。


 そんな中、とあるレンジャーがクロノの門を叩いた。彼はシラカワ道場の出身であり、記憶の片隅にあったクロノの実戦流剣術に辿り着いたのだ。彼はまずエーテルによる身体能力の強化、そしてこれによって近接戦闘が復権していくことを説いた。


 当時のクロノの当主は柔軟な思考の持ち主だったこともあり、その話を受け入れてエーテルによる身体能力強化方法を授業料に、彼にクロノの技を伝授することを決めた。


 数年がかりで技を磨いた彼はレンジャー活動へと戻っていった。そして太刀使いのレンジャーとして大きな功績を上げると共に、クロノの名を高らかに掲げたのであった。


 その結果、クロノの実戦流剣術は多くのレンジャーが知ることとなり、ついにはギルドから声が掛かるに至ったというわけだ。


 このような経緯でギルドの剣術指導という大役を頂戴したクロノ家だが、現在もシラカワ家とは本家と分家の関係を継続している。


 レンジャーにこそ知られているものの一般向けには有名になりづらいクロノにとって、そちら側の顔役になれるシラカワの存在は必要不可欠であったためだ。


 もっとも元々シラカワ家の支援あったからこそ実戦流剣術を受け継いでいくことができていたことはクロノの当主は常に理解しており、またシラカワも分家であるクロノを軽んじるようなことは決してしなかったため非常に良好な関係であったことにも起因する。


 このため現在のクロノの道場では、日が出ている間はシラカワのD1における道場として看板を掲げ、日が落ちると現役のレンジャー向けの実戦流剣術道場に変わるという形態を取っている。そして夜になると、家の者のみによる稽古が始まるのだ。


***


「……」


 レイは体勢を低く構える。脚に力を込めると、数メートルはあった距離を一気に縮めて木刀を振る。


 男性は筋を見切り、あっさりと片手持ちの木刀で防いで斬り返す。


 レイは素早く後ろに身を引く。木刀は長く伸ばした黒い髪を分けるだけとなった。そして引いた際の力を片足に乗せて、先程よりも速く更にもう一打。


 だが二打目も筋を見切られ、今度は軽く避けられてしまう。防がれるのと避けられるのとでは、攻め手側の隙が大きく変化する。避けられた時こそ、体勢の立て直しなどよりも相手からの斬り返しを全力で回避しなければならない。


 その切れ長の瞳に相手の剣を握る手を映しながら、踏み込んでしまった脚でどちらに回避するべきかを、刹那の間に思考し身体を動かす。


 脚に乗った体重のベクトルを無理やり変えて横へ跳ぶ。しかしその脚が何かに引っ掛けられ、レイは大きく体勢を崩して転倒する。


「ぐっ……」


 自身で付けた勢いも相まって、一度跳ねて道場の端の床に背中から落ちる。エーテルで強化された身体はこの程度でダメージは追わないが、衝撃で反射的に息を吐き出してしまう。


 だがまだ終わっていない。レイが転がったところに木刀が振り下ろされる。もっともレイは背中から落ちたのも束の間、それを予測していたように横に転がりながら体勢を立て直す。


 実戦とは即ち相手を殺すまで続くものである。それを想定した稽古であれば、転がされた程度では終わらないのだ。


 と、男性が木刀を下ろす。


「一手目がフェイント3回、二手目は短い間ながらも2回。……以前の直線的な剣筋はだいぶ直ったな」


 それらを全て見切った上での言葉だけに重いものがある。


「だが二手目の後、回避に注力し過ぎたな。踏み込んだ脚は取りやすい。回避の時は尚更な」


 回避すること、そして方向も読まれて脚を置かれた。それに見事にかかり転倒したわけだ。当主である祖父が相手とは言え、そこまで読まれてしまったとなると些か悔しいものがある。レイは思わず顔を伏せる。


「なに、そう落ち込むことは無い。転がされてから即座に立て直したところは、だいぶ良い動きだったぞ。読まれようが立て直せれば良い」


 クロノの実戦流剣術は多くの型があるが、それらはいずれも”回避”までを含んでいる。中には回避のみの型も存在するほどだ。実戦においては攻撃に当たらないことが何よりも大事であるというのが、クロノの初代の教えらしい。


(それにしても……この歳で皆伝まで見えているのは、ほんとに大したものだ)


 レイは端的に言うと”天才”という部類であった。これだけの動きをしていながら、まだ8歳である。


 クロノでは3歳で木刀を持たされ、エーテルによる身体能力強化の訓練を始めさせられるが、そこから5年でこのレベルに到達したのはレイが初めてであろう。


 レンジャー達から剣鬼とまで言われる当主も、8歳と言えば素振りに足捌きにと基礎を身に着けている頃であり、試合形式の稽古に辿り着いてすらいなかった。


 感情をほとんどを見せずにただ黙々と稽古に励み、気が付けば求められたレベルの一歩先に到達している。既に道場に来る並のレンジャーでは相手にならないため、短い時間ながら終わった後に、こうして当主自ら稽古相手をしているのだ。


 だがやはり歳若く経験が少ないため、先程のような読み合いでは甘さが拭えなかった。また天才であるが故にレンジャー相手では単調な動きでも勝ててしまうため、直りつつはあるが動きが直線的過ぎるといった課題もあった。


 とは言え経験は歳と共に蓄積されていく。加えて経験で付けられる差というのも限度はある。もう後数年もすれば、当主にさえ追くだろうと予想できた。


 ただ、レイは感情が薄く考えていることが分かりづらい。人から外れた強さも相まって、そんな彼女に心から寄り添ってくれる相手がいるのか。幸は多いほどいいが、せめて人並みの幸せは手に入れて欲しい。


 そう思いがらレイを見る目は、”当主”ではなく”祖父”のものであった。


***


 薄暗い道場の中でレイは目を開ける。試験に向けた追い込みの鍛錬の途中だったが、休憩のために壁に背を預けたまま寝てしまったようだ。


 もっとも剣を握って数年で道場に訓練に来る現役レンジャーであれば勝てるようになっていたレイに、今いる養成所で勝てる者など存在しない。


 レイの目標は、スカウトにできるだけアピールをしてディーバ全体でも極稀とされるBランクスタートの紹介状を得ることだ。


 幼い頃からレイの指南を務めていた祖父はもういない。歳も相応だったこともあって5年前に他界したのだ。祖父は1本の太刀をレイに遺した。それはクロノの家に伝わる宝刀では無く、祖父の私物であった。


 —— 本家であるシラカワの家は歴史が古いこともあって、未だに”長男が優先的に家を継ぐ”という風習が残っていた。それは分家であるクロノも含めての話で、過去には子に恵まれなかったシラカワの家にクロノの男子が養子として入り跡を継いだこともあったという。


 そして今代はその逆。レイしか子がいなかったクロノの家にシラカワの弟が養子として入り、レイの代わりに次期当主となることが決まっていた。


 運が良いか悪いかは本人しか知らないところではあるが、自由となったレイはレンジャーを目指した。周りからは理由を問われたこともあったが、レイがそれに答えることは無かった。


 太刀を強く、そして完全なものにする。一切の迷いは無い。


 刀を貰ったあの日から、レイの歩むべき道は決まっていた。

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