表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
102/130

始まりの物語②

 少女の朝は早い。


 目が覚めて早々に寝袋から出ると、テントの垂れ幕から頭を出して外を見回す。陽がようやく昇り始めたくらいの時間のため、辺りはまだ薄暗い上にそのままの格好で出るには躊躇われる程に冷い。



 少女は頭をテントの中に引っ込めると、寝袋の周りをゴソゴソと探り始める。そして先程まで足を置いていた辺りで手にぶつかった硬い物を引っ張り上げる。


 手に握られたエーテルランプの“分解”と書かれたつまみを捻って、灯芯に繋がる金属部に指先で触れて”発熱”(ヒート)の法術を使う。するとランプがゆっくりと明かるさを増していき、数秒でテントの隅々まではっきり見えるようになった。


 少女はエーテルランプを天井のフックに吊るすと、朝の日課となっている盾磨きを始めた。昨日洗濯したばかりの白い布を手に、目立つ汚れから丁寧に落としていく。


 一通り磨き終わった少女が満足げに盾を眺めていると、テントの入り口に取り付けた呼び鈴が鳴る。少女が振り返ると同時に、テントの垂れ幕が空いて髭面の男が顔を見せる。


「アイリちゃんは早いね。そろそろ朝飯の準備を始めるよ」


「はーい」


 アイリと呼ばれた少女は盾を背中に背負うと、男の後を追いかけるようにテントから出ていった。


***


 アース・D18・アンスイ草原。ここが『コーデッド傭兵団』の現在の拠点である。


 もっとも傭兵団と言っても、どこかに雇われて戦争をするわけではない。大昔はそういった集団のことを指す名称であったこともあるが、現在の傭兵団は”ギルドに所属しないレンジャーの集まり”を指す名称となっている。


 変わらないのは雇われて仕事をする戦闘力を持つ集団という点だけで、時代と共に求められることが変化していき名前だけが残っているのだ。


 傭兵団がギルドと違う点は、5年から10年ほどの単位で場所を移動するためにエーテル体を作り出すような大きな設備を持つことが出来ないなどが挙げられるが、一番大きな点は”利益を出さないといけないこと”である。


 公共事業の一環として領域ごとの税が投入されているギルドとは違い、採算が取れる仕事を選んで受けなくてはいけないのだ。このため結果的にであはあるが、雇い主は国や大規模な組織などと戦争屋の頃と変わらない。


 その一方でクラスなどの制限はほとんど無く、また逆にエーテル体ではないため戦いのスリルが味わえるなどギルドには無い特徴もあるため、それらを求めて毎年一定数のレンジャーが傭兵団の門を叩くのだ。


 傭兵団の主な仕事場は開拓を進めている新地である。新しい土地に街を造る際に、周辺の警戒や木材の調達などを行うのである。そして街がある程度造り上がりギルド支部が出来たところで仕事を引き渡し、傭兵団は新しい土地に移動していくのだ。


 このように拠点を置いた地域に密接して活動できるといった特徴から、傭兵団とギルドとは役割上の差別化も出来ているのである。


 コーデッド傭兵団も現在はD18における新地開拓に力を貸している。ただしその役割は街周辺の警備ではなく、警備エリアの更に遠方を移動しながらの狩猟である。


 アンスイ草原の近辺は大型の竜種こそいないが、小型の肉食竜が群れで生息しているため、街に近付く前に狩ってしまう”予防”は必要不可欠なのだ。


 そして数ある傭兵団の中でも指折りの実力派として知られているコーデッド傭兵団は、このような場合に戦闘中心で報酬の多い仕事を任されやすいのである。


 そんなコーデッド傭兵団の一日が始まろうとしていた。


 テントに囲われた広場の中央に大きな鍋とテーブルが並ぶ。その前で置いた木組みの台に、アイリがお気に入りの盾と貰った剣 —— 使い古して刃が完全に潰れてしまったものだが —— を持って登る。まだ小さなアイリに取って剣はまるで大剣、盾はランスのシールドのようである。


「ご飯ができたよー!!」


 アイリはそれらを左右の手に持つと、剣の腹で盾を叩きながら大声を上げる。台の上でピョンピョンと跳ねる度に、肩で切り揃えた金の髪が一緒になって跳ねる。


「ん……もうそんな時間か……」


 最初に開いたのは、アイリのテントのすぐ隣。周囲でも一際の大きなテントから、至って普通そうな男が出てくる。


 ともすればスーツを来て会社勤務でもしていそうな雰囲気だが、何を隠そうこの男こそがコーデッド傭兵団の団長であるガイル・コーデッド、そしてアイリの父親なのである。ガイルの後ろからは副団長である母親のメイアが頭を掻きながら出てくる。


 ようやく学校に通い始めるくらいの年齢のアイリが、こうして傭兵団に混ざって生活しているのは、この2人がいるからに他ならない。


 ガイルに続いて他のテントからも団員達が出てくる。そして各々食器を手に取って鍋の前に列を作り、食べ物を取った者から席に座って食べ始める。


 ふと団員の一人が、テーブル横の一番綺麗なテントの垂れ幕が開いていないことに気付く。


「おい、ジャックはまた寝坊か」


「あいつの分まで食っちまえ」


「寝坊野郎に残しておく飯は無えな!」


 このテントは団に最近入ってきた、ジャックという男のものである。寝坊癖があり、よく飯抜きにされては弄られているのだ。今日もまた寝坊をしているようで、他の団員達はそれを話のネタにしながら笑い合う。


 傭兵団は大食いが多いため人数の割にかなりの量を作るが、それでも鍋の中身は凄まじい勢いで減っていく。


「アイリちゃん4杯目か。さすがだな」


「お寝坊さんに残しておくご飯は……無い!」


 口元に米粒を付けておかわりに向かうアイリは、満面の笑みで先程団員が言った言葉を繰り返す。


 その時、その綺麗なテントが開いてジャックが飛び出して来た。


「ようやく起きてきたか。けどもうお前の分は無えぞ」


 鍋には最後の一杯。そしてその前には空の器を持ったアイリ。


 ジャックとアイリが対峙する。


「……うん。自分で起きたからね。これはあげる」


 そう言ってアイリは鍋の前から一歩横にズレる。


 ジャックはアイリに譲ってもらった最後の一杯を申し訳なさそうに食器に盛って、仲間たちにバシバシと背中を叩かれながら食べるのであった。


 草原には今日も威勢のいい笑い声が響く。


***


 傭兵団のキャンプ地から数十メートルほどの場所を流れる川に、アイリは団員達の食器を持って1人で来ていた。


「〜♪」


 アイリは鼻歌交じりに、腕に付けた小物収納用端末からスポンジと洗剤を取り出して、食器を洗い始める。


 キャンプの周囲は肉食竜もおらず、比較的平穏である。生息しているのはせいぜい団員達の飯になる野ウサギなどの野生動物程度であり、わざわざ襲いかかってくるようなことをする動物はいなかった。


 それ故にアイリも安心しきって周囲への警戒など全くしておらず、洗剤が汚れを分解して出てきた有機物を求めて集まってきた魚に夢中になっていた。その後ろから飢えた狼が寄ってきていることなど知らずに。


 石を踏みつけた音にアイリが気付いた時には、狼は既に3メートル程の位置まで近づいていた。アイリが振り向くと同時に狼が飛び掛かる。


 アイリは団長の娘として幼いながらも一応の訓練は受けていたが、咄嗟のことに身体が全く動かず、ただ目をギュッと閉じることしか出来なかった。


 だが、アイリが狼に噛み付かれることは無かった。


「危ねえ!!」


 何者かが横からが猛ダッシュで駆け寄って跳ぶと、右の手首を狼に噛みつかせつつアイリを抱きかかえてへて転がった。


 それは、先程まで寝坊して仲間たちに弄られていたジャックであった。


 急な乱入者に慌てて距離を取った狼に対して、ジャックは落ち着いてライフルを構えて引き金を引く。弾は正確に狼の眉間を撃ち抜いた。


「やー『お前は寝坊したんだから皿洗い手伝って来い』て言われて来たんですが、まさかこんなところに狼が出るなんて。ほんと危ないところでしたね」


「ありがとう……。でもジャック、噛まれて……」


「エーテルの防護があればこのくらい……って、御守りが壊れちまってる……」


 見ればジャックが腕に付けていたブローチのような物の表面が、噛み付かれた衝撃で砕かれてしまっていた。


「あ……ごめんね……」


「……いいっすよ、このくらい。これはギルドにいた時の思い出の物なんですが、いい加減に忘れろってことなんでしょうね」


「ギルド……?」


 聞き慣れない言葉にアイリは首を傾げる。


「傭兵団みたいな楽しいところです。……そうだ。これ壊れちゃったけど、アイリちゃんいる?」


 幼いアイリには壊れた物を渡そうとするジャックの気持ちは理解出来なかったが、それ以上にその壊れた物が欲しいと思った自分の気持ちが理解できず、無言で頷きながら両手を差し出す。


 ジャックはニコリと笑うと、アイリに手にブローチを置いた。


「さ、一旦戻りましょう。狼が出るんじゃ、1人でいちゃダメだ」


「……うん」


 ジャックはブローチを渡した手で、そのままアイリの手を握って立ち上がる。


 2人の手に握られたブローチの感触を確かめながら、アイリはジャックがいたギルドという場所に思いを馳せた。


***


 アイリは椅子の後ろ足でバランスを取って前後に揺れながら、誕生日に買ってもらった通信機能付きの収納端末でファッショントレンドをチェックしていた。


 最近はシックな色合いが流行っているようだが、アイリはこの色合いがあまり好きになれなかった。やはり女子ならば王道のピンクで攻めるべきでしょと考えながら、アイリは宙に作られた画面をスワイプしていく。


 その途中でガイルによく似た男性モデルが出ている広告が目に入る。


「……お父さんってどこに行ってるの?」


 アイリは今日の仕事の事後処理のためにデスクに置いたパソコンで作業をしていたメイアに訊ねる。


 ガイルはここ1ヶ月ほど傭兵団を空けており、その間は母親のメイアが団長の代理を務めている。毎年この時期になると傭兵団を空けるガイルが何をしているのか、アイリはふと気になったのだ。


 メイアはスクリーンから目を離して、少しアイリの方をチラリと見てから視線を戻す。


「……ガイルは今頃、どこか別の次元でレンジャー養成所の卒業試験を見て回ってるな」


「養成所の卒業試験……?」


 アイリは端末の画面から目を離してメイアの方を見る。


「あいつは”フリーのスカウト”としての顔も持ってて、卒業試験の時期にはスカウトの仕事をしているんだ。そこで優秀なやつをギルドに紹介状付きで送り込んで、場合によってはうちへの勧誘もしている」


 そう言われて思い返すと、たしかに毎年ガイルが帰って来てから1ヶ月ほどすると、新しい仲間が入ってくることが多かった。おそらくガイルが勧誘して来た者達だったのだろう。


「ふーん……」


 そう言ってアイリは1つ背伸びをした後、立ち上がって両親のテントを出る。


 テントに囲われた中央の広場では、火の灯りを囲んで団員達がトランプに興じていた。


 団員達はほとんどが酒を片手にしているが、その中でただ一人、コップに茶を注いで飲んでいる男がいた。


「あれ。ジャックはお酒飲まないんだ」


 後ろから唐突に話しかけられたジャックは、驚いてゴホゴホとむせ返る。


「隊長はこの前酒呑んで寝坊したから、1ヶ月禁酒って言われてるんすよ」


 代わりに傭兵団に入ってもう少しで1年経つ —— ちょうど去年ガイルが勧誘したのであろう ——男がニヤニヤと笑いながら応える。


「余計なこと言うんじゃねえ」


 ジャックが男の頭を叩く。傭兵団に入ってすぐに自身の隊に配属された男を、ジャックは腕が立つとよく褒めていた。一方の男はノリは軽いが時間には厳しく、よく時間に遅れそうになるジャックとはいいコンビになっていた。


「へぇ……また寝坊したんだ……」


「いや、その、まあ……はい、そうです……」


 アイリの冷たい視線にジャックがたじろぐ。アイリはそこでふと、以前ジャックが話していたことを思い出す。


「ねえジャック。ジャックってここ来る前はギルドにいたんだよね」


 ジャックは振り返りつつ、怪訝そうな表情を浮かべる。


「そうですけど、どうしたんですか突然」


「んーちょっとどんな所か興味が湧いただけ」


 ジャックは今度は驚いたようにアイリを見つめた後、何かを思い出すように視線を上に向ける。


「……良い所ですよ。傭兵団とは全然違うところですけど」


「じゃあなんでギルド辞めて傭兵団に来ようと思ったの?」


 そこでジャックは、アイリと反対側の空へと目を遣る。アイリも連られて空を見る。まだ草原の多いこの地域の夜空は星が綺麗に見える。もっともアイリに取っては、これが当たり前の風景ではあるのだが。


「……仲間と狩猟をやった時、俺が寝不足でぼんやりしてたせいで、そのうちの1人が酷い傷を負っちゃいましてね。ギルドのシステムで傷自体はすぐに治ったんですが、精神的なダメージが治らなくて、結局レンジャーを引退したんですよ」


 アイリは悪い事を聞いてしまったような気がした。


「ギルドのシステムに甘えてたんですわ。それで新しい仲間を探す気にもなれなかったのもあって、俺はギルドを辞めて傭兵団に来たってわけです」


「……」


 黙ってしまったアイリに対し、ジャックは慌てて振り返ると戯けたような表情を見せる。


「だから俺は、寝不足になるくらいなら寝坊した方が良いと思うんですよね」


 反省も何も無いジャックの言いっぷりに、アイリは目を丸くしてジャックを見つめる。


「それとこれとは話が別。早く寝ないとダメ」


「いやーそれが出来れば苦労しないんすけどねー。まあでもギルドは良い所ですよ。色々な場所に行けますし、色々な人……だけじゃないっすね。ともかく出会いは多いっすよ。……そう言えば俺がギルド入ったのは、今のアイリちゃんの歳の時だったな!」


 そう言ってジャックは他の団員達に「便所行ってくる」と言いながら立ち上がる。


「ギルド……行くなら良いタイミングですよ」


 ジャックはアイリにだけ聞こえるように囁きながら、アイリの横を歩いていった。


 アイリはジャックの後ろを少し歩いた後、自分のテントへと戻る。


(ギルド……ギルドかぁ……)


 ジャックの言ったギルドの魅力は、アイリの心を的確に捉えていた。勿論、傭兵団という居場所が嫌なわけではない。だがそれ以上にギルドという場所に魅力を感じたのだ。そしてそれとは別にもう一つ、アイリがギルドに唆られる理由があった。


 傭兵団でギルドと関わることがあるのは、団長であるガイルを中心とした傭兵団の運営に携わるごく一部である。当時の最年少でレンジャー資格を取り、現在では隊長並の実力があるとは言え、ただの戦闘員であるアイリではギルドという名前を聞くことすらほとんど無かった。


 そのためギルドという言葉を聞くと、未だにジャックに助けられた時の光景が思い浮かぶのだ。そしてその時のギルドという場所に感じた思いは、今でもアイリの心を熱くするものであった。


 アイリは思案した。周辺防衛の依頼を受けていた街の主要部の工事が終わったのが2週間前。ガイルが帰って来次第、次の場所へと移動することになるだろう。たしかにジャックの言う通り、傭兵団を離れてギルドに行くには良いタイミングであった。


(……迷ってても仕方がないし、言うだけ言ってみよう)


 アイリはポケットから、ジャックから貰ったブローチを取り出して眺める。表は壊れてしまっているが、裏側はそこまでダメージは無い。その裏側には、6つのギルドがそれぞれ持っているマークのうちの1つが彫り込まれていた。


 そのマークを指でなぞりつつ、アイリはブローチを再びポケットにしまった。


***


 数日後、帰って来たガイルにアイリはギルドに入りたい旨を打ち明けた。


「……今年くらいには言うと思っていたよ。わかった。好きなところに行ってみなさい」


 反対されると思っていたアイリに対し、ガイルはあっさりと了承した。


 これによりアイリは、幼少期から慣れ親しんだ傭兵団を離れ、ギルド所属のレンジャーとして歩むこととなった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ