9.模擬任務と模擬戦
視界が戻ると、アッシュは狭い部屋の中に立っていた。
「ふーん、これがエーテル体かー。少しくらい違うところあるのかと思ってたけど、ほんと何も変わらないね」
後ろを振り向くと、アイリが軽く跳躍をしながらエーテル体の確認をしていた。レイは相変わらずの無表情のまま立っており、その後ろにはニーナもいる。
アッシュも意味があるかはわからなかったが、屈伸運動をしてエーテル体の状態を確認する。
「こちらはエレーネク郊外にあるレンジャー用の練習場となっております。実際に武器を使った練習にレンジャーが使う他、ランク昇格試験なども行われます」
ニーナの説明を聞きつつ窓の外を見ると一面に芝生が拡がっていたが、壁と天井が見えることから屋内であることがわかる。
「皆さんレンジャー資格をお持ちですので詳細はご存知かと思いますので、"ベース"についてのみ説明させていただきます」
ベース —— つまりは依頼における拠点である。
「ギルドで依頼を受注後に現地へと向かう際は基本的にエーテル体の転送機能を利用していただいており、その転送の制御を行っているのがこちらの機械です。このためベースの場所は行き先によってある程度決まっています」
そう言ってニーナは、部屋の中央の机に置かれた黒い機械を指す。
高さは養成所の資料保管庫にあった分厚い辞書程度、縦横は端末画面と同じくらいの機械は、広く一般に出回っている固定型の通信機器のように見える。
ただしニーナの言葉から、おそらく何かしらの改造を加えて転送の制御も出来るようにしてあることは推測出来た。
「こちらの機械ではギルドのオペレーターと通信が可能ですが、殆どは依頼の完了やリタイアなどの申請のための使用になります。遂行中はベースから離れて様々な場所に赴くことになりますが、ベースから始まってベースで終わる、これが基本です」
つまりはベースにあるこの機械が要になる、ということだ。
おそらく行き先でも比較的安全な場所に置かれてはいるのだろうが、万が一にもこれが壊れてしまえば依頼の遂行に大きな支障が出ることが想像出来る。
「またお渡しした武器端末とも繋がっておりまして、メッセージでしたら離れた場所からでも武器端末経由でオペレーターとやり取りができます。ホーム画面のメッセージから、試しに『テスト』と送ってみてください」
アッシュ達はそれぞれの武器端末を操作してメッセージを送る。すると即座に『テストOK』という返信が来る。
「依頼遂行中に何かオペレーターと連絡を取りたい場合には、こちらをご活用くださいね。皆さんレンジャーとしての基礎知識はお持ちでしょうし、以上で概要の説明は終わります。実際に受注していただく中で疑問がありましたら、いつでもご質問ください。……さて、それでは始めましょうか」
「……?」
「アッシュさんとレイさんの模擬戦ですよ。こちらに用意がありますので、専用装備を付けてください」
「あっ……」
先程のことだと言うのにすっかり忘れていたアッシュだが、たしかに今ほど適した状況も無い。
寧ろ今の説明をするだけならば本部のどこかの部屋でもいいわけで、敢えてエーテル体による転送を利用したのはこのためだったとすら言える。
後ろから視線を感じて振り向くと「まさか今更降りないよね」と言わんばかりに、レイがジッとアッシュを見つめていた。
「……わかったよ。やるって。でも期待はしないでよ」
「ん。負けるとは思ってない」
そうハッキリと言われてしまうとアッシュとしても少しはやってやろうという気になってしまうが、現実問題として文字通りの格違いであるレイに勝てる見込みは無い。
無理をしない程度にやってみようと考えつつ、アッシュはレイと共にニーナに付いていった。
***
「それでは、レイ・クロノ対アッシュ・ノーマンの模擬戦を始めます。構えてください」
レイとアッシュはそれぞれ太刀と剣を持って向き合った。
武器は模擬戦用の少し柔らかい樹脂で出来た物である。当たっても斬れることは無い。防具も衝撃を吸収して当たった際の威力などから有効打になったかを割り出すシステムに対応したものとなっている。
養成所に通っていた2人にとっては使い慣れたものである。
「……」
「……」
「……始め!」
ニーナの合図と共にレイが飛び出して来る。
「っ!!」
レイの速さに、カウンターを狙っていたアッシュは怯んで動けなくなる。上段から振り下ろされた太刀を盾で防ぎ、後ろに跳躍して距離を取る。
だがレイはアッシュの動きに合わせ、ピタリと寄せてくる。
(そう来るの!?)
続いてレイの横振り。なんとか剣の腹で受けるが、思っていた以上の威力に身体を支えきれず、諦めて大きく弾き飛ばされる。しかしレイは、振りの動きを最小限に抑えてアッシュを追ってくる。
三度目のレイの振り。だがアッシュも、ただやられるだけでは無い。
2回の受けで腕の動きと衝撃が来るタイミングを大凡割り出し、タイミングを敢えてずらして盾で受けながら着地した右足を軸に残威力を返すように剣を振る。
「!」
綺麗に決まったように思えたカウンターだったが、レイはまるで動きを予見していたかのように身体を後ろに反らして避けると、1回転しながら素早く後ろに跳躍した。
その上、着地した勢いをバネのように利用して一度目を上回る速度でアッシュに突っ込んでくる。
「うっ!」
カウンターを回避されて姿勢が崩れていたアッシュに、レイは勢いよく太刀を振る。アッシュはなんとか盾を間に合わせ、無理をせずに後方に盛大に飛ばされる。
背中から着地しながらアッシュはレイを見る。さすがのレイもアッシュが抵抗無く簡単に飛ばされたせいでバランスが少し崩れたのか、2人の間に距離が出来る。
(イチかバチか!)
すぐに体勢を立て直して追ってきたレイに向かって、アッシュは剣をナイフの要領で投擲した。
「!!」
全く予想していなかったのか、レイは驚いた表情を浮かべて左胸に剣の直撃を受ける。そしてそのまま突っ込んで来て、アッシュの胴に一撃を入れた。
「勝負有り! ですがこれは……」
ニーナが模擬戦の終わりを告げながら、手元の端末を見ている。
「レイさんの最後の一撃でアッシュさんは即死の傷を受けているので、模擬戦はレイさんの勝ちです。ですがレイさんも、アッシュさんが投げた剣が心臓に達しているので致命傷ですね。……実戦ならばもって3分といったところでしょうか」
「……やられた。まさか投げてくるとは思わなかった」
レイは無表情ながらも、その言葉尻には悔しさが滲んでいるように思えた。
実際、その直前までアッシュは一方的にやられていただけであり、実力差を考えればレイはそのまま圧勝して当然と言えた。それが機転によって刺し違えるところまでいけているので、結果は上々である。
「剣は投擲するには重いし大きいしだから、負け覚悟でぎりぎりまで引き付けないといけなかったけどね。勝ちを諦めたという意味では、僕のマナー違反ではあったかもしれない。ごめん」
「……構わない。実戦では、そんなことは言ってられない。だからこれは引き分け」
そう言ってレイはアッシュに手を差し伸べる。アッシュは上体を起こして、その手を取る。
「……スカウトがアッシュのチームに入れって書いた理由、わかった気がする」
「ん? 何か言った?」
「……」
レイが何か呟いたようだったが上手く聞き取れず、アッシュは聞き返す。だがレイは歩いてきたニーナとアイリの方を向いてしまい、言い直すことは無かった。
「お疲れ様でした。レイさん、これで問題ないですか?」
「ん。私はアッシュが受けた時点で、チームに加わることに決めてた」
「そうでしたね。では最後に依頼の完了方法をお伝えいたします」
アッシュ達はニーナに連れられて、最初の部屋へと戻って来る。そこでアッシュとレイは棚に借り物の武器と防具をしまった。
片付けを終えて3人が揃ったところで、ニーナはアッシュに機器を操作するように促す。
「依頼終了はこちらの機器のここを押していただいて、出てきた『完了確認』を押してください」
「はい。えーとじゃあ……押します」
アッシュが表示を押すと、その視界が再び暗転した。




