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『姫』を敬称として用いるならば周王朝による支配を確立しなければならない、という話

作者: 谷村真哉

『姫』という漢字があります。現在では名前にも用いられる漢字ですが、元々は貴人の娘に対する敬称として用いられていました。


 例えば、筆者の性癖の暴露になりますが、良家の子女キャラに対しては「お嬢様」と呼ぶよりも「お姫様(ひいさま)」と呼ばれる方が、それっぽい感じを受ける気がします。


 ですが『姫』という漢字は本来そういった意味を持っていませんでした。


 『姫』の一字で貴人の娘を示すようになったのは、古代中国の王朝と歴史書、そして当時の習俗に対する誤解が原因だったのです。


 さて、誤解を生んだ背景には古代中国における一大事件、殷周革命がありました。日本では封神演義の舞台となった出来事として有名な殷周革命です。


 殷は当時の首都の名称であって国名としては商だとか、殷と周は臣従関係ではなくむしろ同盟国同士だったから革命はおかしくないかとか、そもそも革命とは王朝の交代を意味しているからクーデターの訳語とするのが変じゃないかとか、色々と突っ込みはありますが、本題から外れるので触れません。


 革命によって王朝が交代し、新たに王となった周王朝の姓が『姫』だったのが、誤解を生じさせる一因となったのです。


 周王朝を実際に開いたのは周の武王ですが、当時から建前として武王の父親である文王を開祖、すなわち初代王としていました。


 この文王、殷の支配下では西伯候姫昌と呼ばれた人物には百人の子供がいた、との伝説が残っています。


 実際に百人の子供がいたかは定かではありません。現在の中国では薄れてきていますが、かつては「多子多福」との言葉があったように、子供が多いことを善いこととする価値観がありました。


 また歴史的な事実として周は中国の西方、騎馬部族が多く住まう地域を支配していため、支配政策の一環として各部族から妻を娶っていた可能性もあります。


 要は、百人は多すぎるが二桁を越える数の子供が居ても可笑しくはない、程度の可能性はありえると考えてください。


 文王の多くの子供達は武王にとっては兄弟姉妹であり、つまりは王族です。先代王朝を滅ぼし、権力基盤に乏しい周王朝はこの王族を最大限に利用することにしました。


 つまり婚姻外交を目一杯に展開しまくった、という訳です。


 その結果として、各国の歴史書には当時の王または王太子と姫ナントカさんが結婚したという記事が氾濫することになりました。


(以下、周王朝なのに各国の歴史書とは何か、と疑問に思われた方のために簡単な説明を記載します。周王朝の政治体制に関する余談なので、読み跳ばしてもらっても構いません。


 周王朝が歴史上初めて封建制という政治体制を採ったのですが、より具体的なモデルとしては江戸幕府における幕藩体制に近いものがありました。


 周王は諸侯の上位に位置していましたが、全国を一元的に管理してのではなく、各地を自治権を持つ諸侯に任せていました。それこそ江戸幕府における藩のようにです。


 その自治権を持つ各土地が時代が下るにつれて権力を増し、国という形で周王朝から独立を果たします。


 また各地の貴族が残していた文書は、各国家における正式な歴史書となりました。なので周の王族との婚姻が各国の歴史書に残ったのです)


 一方、当時の中国の文化的習俗として、個人を呼び表す際には職業や社会的地位に名前を組み合わせた形で表記する、というものがありました。


 具体的な例としては、包丁が挙げられるでしょう。


 包丁が元々、料理人として名高い人物の名前を由来としていることをご存知の方は多いと思いますが、個人の名前が「包丁」なのではなく、「包(料理人)」である「丁」さんだったろうと考えられています(「丁」の字が個人名かどうかは一旦脇に置いてください)。


 他の例を挙げると、司馬遷が「天道是か非か」と嘆く原因となった盗跖(古代中国における伝説的な盗賊。数千人の配下を持ち、諸国を荒らし回ったが天寿を全うしたとされる」)も、「盗跖」という名前ではなく、「盗賊」の「跖」であろうと言われています。


 因みにですが、殷周時代の有名人である太公望も、「太公望」という固有名詞なのではなく、「太公」である「望」さんではないかと言われているとか。


 この習俗と、上に書いた歴史書の記述が悪魔合体したのが「貴人の娘に対する敬称としての『姫』」になります。


 歴史書が書かれた当時、あるいは後代になっても解っている人はいたのだろうと思います。


 ですが少なくない数の人間が、歴史書に出てくる「姫ナントカ」さんのことを「姫」である「ナントカ」さんであると誤解してしまったため、『姫』を敬称とする文化が成立してしまいました。


 間抜けな、と言えば間違いなく間抜けな話ではあるのですが、文化とは少なからずそういった側面があることも事実なのでしょう。


 なので作者の結論としては、貴人の娘に対する敬称を『姫』とする作品を読まれた際には、人様の姓を称号として勘違いした歴史があったんだろうなと、頭の片隅ででも思って頂ければ幸甚です。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 大変面白いお話でした。 ところで、『性癖』とは「性質上のかたより。くせ。「大言壮語する性癖がある」[補説]「性」を性質の意ではなく性交の意ととらえ、誤って、性的まじわりの際に現れるくせ・…
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