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第五章 十二話

 ミラーはぼう然とキルチェの長口上に聞き入っていたが、自分がやらされかねない事に上手く誘導されたと気がついた。これはもうはめられたと言ってもよいだろう。

 ミルトとトーマは天才かというような目でキルチェを見つめ、そして今度はミラーのほうに熱い期待のまなざしを向けてきた。

 ミラーは笑ってごまかそうとしたが、キルチェがすっと近寄り先手を打ってきた。

「たぶんこうなってしまっては、僕らももう後には引けないでしょう。ミラーからそんな感じの激励の言葉をもらうまでは、何だかんだ駄々をこねて長時間粘る事になりかねません。その事がこれからの訓練の士気に悪影響を及ぼす可能性もあります。……何かミラーには無理強いをしているようで、本当に申し訳ありませんが、僕もミラーのそれがどうしても見たいのです。見てみたいのです!何とかお願いします。どうかやっちゃって下さい」

 ミラーはキルチェを睨んだが、キルチェが何か本当に心から済まなそうな顔をしているので、気が削がれてしまった。

 ミラーはため息をついた。

 そんな顔をするくらいなら初めから言わなければ良いのに。

 ミラーがふと視線を感じてその方を見渡すと、それは少年達(特にミルト)からの期待の籠もった熱い視線であった。

 ミラーはそれに気がついて少し後ずさった。確かにこれは、もうやらずにすませられる時期はとうに過ぎていると分かる。

 窮地に追いやられたミラーは崖から飛び降りるような気持ちで覚悟を決めたのだった。

 もうやけだわ!やってあげようじゃないの!

 でもどうせやるならば彼らの期待以上の事をやらなければ。もし中途半端に事をなそうとしたら逆にもっと恥ずかしくなってしまう。

 ……キルチェは何をして欲しいと言ってたっけ?え~と、そう。この頭の道具を猫の耳に見立てた猫手と猫語だったわね。

 まったくもう。変なこと思い付くんだから。

 えと、まずは身体で全体的にしなやかな感じを出して声は少し高めな可愛い感じで……。

 ミラーは瞳を閉じて頭の中でその立ち姿を想像すると、決意の籠もった瞳をかっと開いた。 

 ミラーは頭の上の耳を少し前のほうにずらした。それは前屈みになった時に最も可愛く見えると思われる場所であった。

 そしてキルチェの指示通りに両手を軽く握り胸元に引きつけた。これも自分なりに考えて胸の少し下程度にしておいた。これはたぶんこの辺が一番似合うだろうとの判断である。

 そしてキルチェには言われてはいなかったが、猫っぽさを出す為に片足を後ろに引いて少し半身になるように身体を捻ると、更にお尻を軽く突き出して全身でしなやかさを表現した。

 これだけでもかなり可愛くなってきているのに、妥協をまるでしないミラーは小首を傾げて、皆のほうにこれでもかと言わんばかりの輝くような笑顔を向けるのだった。 

 少年達は固唾を呑んでその光景を見守り、ミラーから声をかけられるその瞬間を待っている。

 ミラーがいつもの声より少し高めの愛らしい声で皆に話かける。

「みんな。これからの訓練も頑張ってにゃ。私も心から応援してるにゃん」

 ミラーは微笑んで片目を可愛くつむって見せたのだった。


 少年達はそんな素晴らしいミラーの姿に見とれた後に、身体の奥底から湧き上がってくるとてつもない衝動を感じ始めていた。

 ミラーのまるで照れを感じさせない本気の演技が皆の心を揺さぶり感動を巻き起こしたのだ。心が震え高揚し、興奮さえしてきて何かやる気がみなぎって仕方がない。

 朝からの訓練は慣れてない事ばかりで、失敗も多くやる気を失い腐っていたところもあったが、もうそんな事はどこか遠くに吹き飛んでしまっていた。

 今ならば何でも例えどんな難しい事でも出来そうな気がする。

「うおおお~!」

  ミルトは雄叫びを上げて立ち上がると広場のほうへ駆け出して行った。そしてしばらく全力で駆けた後に、いやっほ~の掛け声で飛び上がり滑走術で軽やかに、そうまるで風のように地表を滑っていった。

 トーマは静かに立ち上がりミラーを横目で一瞥してこちらも広場に向かって歩き出した。一見冷静そうなトーマだったが、ずっと何かを考え込みながらぶつぶつと呟いていた。

「ミラーはすげえ……かなりすげえ……」

 キルチェはまだその場にぼうっと座り込んでいてミラーを眺めていたが、素に戻ったミラーと目が合うと、今度は涙を浮かべながら拍手をし始めた。

 ミラーは手を腰に当てて、キルチェを呆れたようなまなざしで見つめ返した。

 ミラーはやれやれと小さく首を振り大きな溜め息をつくと、服の裾を掴んで腰をかがめて優雅にお辞儀をしたのだった。


 そんな事もあって昼からの各自の訓練はかなり順調に進んだ。それと皆での集団としての戦術訓練も始まったが、これは元々のミルト達の狩人ごっこの経験が大きく役立ちなかなか上手くいっていた。

 しばしの休憩となりミルトがミラーの元に歩み寄って行った。

「疲れた?」とミルトが訊ねる。

 額に汗をかいているミラーは、ミルトに笑顔を向けて答えた。

「ううん。まだ平気よ。ミルトのほうこそあんなに駆け回っているのだもの。私はもっと頑張らないと。……あっ、そうだ。忘れてた。私の役割で言われた索敵と治癒はどちらも頑張るんだけど、皆に一つだけ言っておきたかった事があったの。索敵はこれからもっと訓練してどんな小さな異変でも探せるようになってみせる。でも治癒のほうはいくらでも治すからどんどん怪我をしても良いとは絶対に言わないからね。本当に、出来るだけ怪我はしないで欲しいの……」

 ミラーは心配そうな顔を見せたがすぐに続けて言った。

「でもね、もし少しでも怪我をしたらすぐに私の元に帰ってきて。どんな怪我でも何とか治してみせるから」

 ミルトは頼もしげな表情をして答える。

「うん、分かったよ。でも大丈夫さ。ポム爺さん考案の戦闘方法ならそう簡単に窮地には陥らないよ。今の訓練でも皆とうまく連携とれてて自信もついてきたし」

 ミラーは微笑んだが、自分の訓練時の事を思い返して気落ちしたように言った。

「でも私はまだまだだったわ。あなた達の足を引っ張ってばかり……」

「いやいや。ミラーは飲み込み良いほうだと思うよ」ミルトは本心から励ますように言った。

「ううん。全然駄目よ……十二方位法と歩数測法があまり早く頭に浮かんでこないもの」ミラーは小さく首を横に振っている。

「う~ん……戦闘術における〈標的視差の口授法〉だよね。あれはもう慣れだよ。まあ僕らは狩人ごっこをしながら毎日練習してきたようなもんだからさ。でも僕らも初めは全然だったよ。早く上達するにはとにかく反復練習して慣れるしかないかな。でもね上達のこつは、なるべく早くって自分で自分の思考に負荷をかける事なんだ」

 ミラーは真剣な表情でミルトの話を頷きながら聞いている。ミルトは妹弟子に教えるようにして言った。

「よし。じゃあ試しに僕に教えてみてよ。そうだなあ、トーマの位置でも。おっと、まだ見ちゃ駄目だよ。いい?なるべく早く正確にね。……では始めっ!」

 ミラーは急いで立ち上がり目を閉じて毛摸乃耳に意識を集中させた。

 ミラーは仲間のそれぞれが出す音を予め記憶しておいたので、すぐにトーマのいる方向に見当をつける事が出来た。しかしこの毛摸乃耳の情報だけではまだここからトーマのいる場所までの距離は掴みきれない。

 ミラーはすぐにトーマのいる方向に目を向けてその位置を確認した。そして距離と位置関係を把握し素早く計算するとミルトに向かって早口で告げた。

「えと、まずは私の方位を零点固定!トーマはあなたの位置から〈七〉の方向、約三百歩の位置です!」

 ミルトはそれを聞き、ミラーのいるほうに一度体を真っ直ぐに向けてから真後ろ気味の左後方に視線を向けて、その先を見つめた。そこには木々に隠れて見つけにくいが確かにトーマの姿があった。離れている距離のほうもミラーが言っていた位の距離数だと分かった。

 この〈標的視差の口授法〉と言うのは索敵者が仲間に敵の位置を素早く適確に伝える為の方法で、集団戦闘ではよく用いられる方法である。

 これは十二方位法と歩数測法で成り立っている戦闘技法の表現法であった。

 初めに十二方位法の使い方を説明すると、まず索敵者の周囲に円を想定し、それを十二等分してそれぞれに一から十二までの数字を順番に割り振っていく。そして使用者の真正面に〈十二〉を配置して右の真横方向を〈三〉としてその間に入る方位に〈一〉と〈二〉を割り振る。続けて真後ろは〈六〉で左の真横方向は〈九〉と言った風に数字を並ばせていき最後にまた正面の〈十二〉に戻ると言った感じだ。こう各方向に数字を割り振ると言った決め事をすることで相手に伝えたい方向がかなり明確になる。例えば右の少し後ろ寄りをみて欲しい時にただ〈四〉とだけ言えば正確にそして瞬時に相手に方向を伝える事が出来るのだ。しかしこれは相手がその時点に向いている方向が重要になってくる。相手の正面を決めないとこちらが伝えたい方向が定まらないからだ。この事から〈零点固定〉と言う課程が必要になる。それが相手が見る方位を始めにこちらから指定しておくと言うもので言わば基準を作りだす作業である。しかし十二方位法は相手の立場に自分を置き換えて物事を考えなくてはならないので、慣れるまではなかなか難しい技法でもあるのだ。

 次に歩数測法と言うのは、相手に対象がどの程度離れているかを伝える為の方法で、相手が歩いた時にだいたい何歩位歩けばそこに辿り着くかを想像して伝える方法である。これも相手の体格を加味して伝えると言う難しさがある技法だ。


 ミルトはミラーにぐっと親指を立てて笑顔を見せた。

「うん、ばっちりだよ。ミラー。その調子でどんどん数をこなしていけばミラーならすぐにもっと素早く出来る様になるよ。あ、でも一つだけ注意点。零点固定する場合、基本的に相手が見て分かりやすい物にするのが大前提。あと出来ればその時相手が向いている方向を基準にしたほうが良いんだ。相手が移動中だったら特にね」

 ミラーは得心がいったように頷いた。

「あっ、なるほど。確かにそうよね。分かりにくい物を指定して混乱させたりしたら大変だし、それにわざわざ移動中に後ろとか向かさせて基準を探させていたら危ないし、時間の無駄にもなっちゃうわね。うん、ありがとう。これらの事はちゃんと心に留めて気を付けておくわ」


 この子ども達の戦術訓練は日が暮れるまで続き、子ども達は必死に修練を重ねていった。

 ポムは何とか様になってきた子ども達の動きを見て、密かに安堵の溜め息をついていた。決して楽観視は出来ないが外界でも何とかなるところまではこぎ着けたと思ったのだ。

  あとはもう明日からの実戦の場で何とかもっと成長させるしかない。


 ポムは夜が更ける前に子ども達に明日の準備を万端にして良く寝るようにと言いつけてから帰した。ポム自身もこれから色々と旅の準備をしなければならない。たぶん夜更けまでかかるだろう。

  ポムにも今夜こそ休息は必要だが、それをきちんと取る暇はあまりなさそうだった。

 

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