第五章 五話
ミルトはすぐに精神を集中して龍精の錬成を始めた。
両手を円の形に動かして腰を落として手を合わせる。しばらくすると黄金色の陽炎がミルトの全身から漂ってきた。初めの頃よりだいぶ早い。ミルトは更に体内の活力の流れを操作してそれを安定化させた。
見た目が普通になり時々火花が弾ける状態に落ち着いたところでミルトはポムに訊ねた。
「ふう。それでこれからどうすればいいの?」
「よし。ではこの地下を流れる龍脈を探し出して、それとの回路を繋げるのじゃ。しかし意識を地下に潜らせてただ普通の感覚で探るのでは龍脈には辿り着けん。何故なら龍脈は現実世界に実際にある訳ではなく言わば精神世界にある様な物だからじゃ。そこで必要になるのがお主の生み出した龍精じゃ。それを触媒として使って目に見えない龍脈内の龍精と呼応させてそれを認識する。そうすれば精神世界の龍脈の存在を現実の物として知覚する事が出来るじゃろう。そこまで出来れば次はミラーの出番じゃな」
ポムにちらりと見つめられたミラーは緊張した面持ちで頷いた。
ミルトはまずはやってみようと両手を地面につけて目を閉じて精神を集中する。
しかしミルトはすぐに難しそうな顔をして首をひねりだした。地下に意識を持っていっているつもりなのだが、全くやった事がない事なので何か良く分からないのだ。
それに探っているのが地下という事もあり自分の意識がどの辺りにあるのかすら想像も出来ない。
しばらくミルトは黙ってやり続けていたが、もう早々に諦めて集中を解いてしまった。
ミルトは地面に尻をつけてお手上げの格好をして言う。
「駄目だ~。僕には全く分からないよ……」
ポムはそんなミルトの姿を見て考え込んだ。
……ふむ。これはいくらミルトと言えども無理かもしれんな。龍脈の探索というかなり特殊なものとは言えこれは立派な探査術。やはりそれ相応の知識や修練がないと探る取っかかりすら掴めないという事じゃろうな。ではどうするかの。今からミルトに教え込むとしても……。いや、それともこうなったら儂自らが……。
ポムは目を閉じてしばらく考えていたが、横で呼び掛けられているのに気が付いた。
「……お爺様。ポムお爺様!」ミラーが少し遠慮しながらも懸命に声をかけていた。
「うむ?ミラー、何じゃな」
ミラーは気づいてもらいほっとしながら思っていた事を話し始めた。
「私がやってみます。今ミルトがやろうとしていた事は探知系の術になるはずです。私のほうがそれに向いていますし、それに今はミルトばかりに苦労をかけさせているので何か申し訳なくて……」
ミラーは地面にあぐらをかいてうなだれて座っているミルトを見ていた。
ポムもその視線を追ってミルトを見て言う。
「……ふむ、そうじゃな。少し予定より早いがミラーの出番か。とにかくミルトの力を借りる手順は前言った通りにすれば良い。……とは言え龍脈探査のほうはミルトに説明した程度の事しか言えんのじゃがな」ポムはすまなそうに言った。
ミラーは首を横に小さく振り笑顔で答えた。
「いいえ。『やってみないと分からない。とにかく出来る事から』です。私は探査系は得意ですし、どうすれば良いかの雰囲気くらいは掴めると思います。私に任せて下さい」
ミラーはポムに一礼をすると座り込んでこちらを見ているミルトのほうに向かった。
ミラーは毅然とした足取りであったが、内心は緊張で胸が高まり何だか少し息苦しく感じていた。ミラーはこれから未知だが困難だと分かりきっている術に挑戦しなくてはならないのだから、この湧き上がる不安はどうにも抑えようがなかった。
しかもこの自分の挑戦の結果次第では自分の父親を含む調査隊の隊員達の生死にも関わるのだから重圧のほうもかなり大きい。
思い詰めているような厳しい顔のミラーが地面に座り込んでいるミルトの元にやって来た。
ミルトはそんなミラーの心を敏感に察知して気持ちを和らげるように笑顔を作って話しかける。
「ミラー、僕にはちょっと無理だったよ。もしかしたらミラーにしても難しいのかもしれない。でも僕たち二人で力を合わせたらどうかな。僕らならたぶん何とかなるよ。そう思わない?」
ミラーはミルトの爽やかな笑顔につられて表情を和ませた。その途端に心がふと軽くなり落ち着く事が出来た。
「……うん。貴方と一緒ならどんな困難でさえも乗り越えられる気がするわ。よろしくね」
ミラーはミルトの後ろに回り座り込んでいるミルトの背に両手を当てた。
この姿勢を選んだのはミルトを通して世界を見渡すにはこの格好が一番自分なりに想像しやすいと思ったからであった。
ミラーとミルトは瞳を閉じてお互い意識集中状態を作り上げた。
ミラーはミルトの体内に意識を潜らせてすぐにあの巨大な龍精のある場所までやってきた。そこであの初めて龍精を見た時と同じ様にその場の精神的世界を視覚化する。
そうする事でお互いの状況が把握出来て術の構築もかなりし易くなるのと考えての事だった。
ミラーはしばらくこの迫り来るような超巨大な球体を前にしてどうする事も出来なかったが、まずは視界を確保する為に、高い足場を想像で創る事にした。
ミラーが強く念じると、ミラーを乗せたまま足元の地面がみるみるうちに盛り上がり、細長い超高層の構造物になっていった。
ミラーはこれでやっと真横から龍精に触れる事が出来るようになった。
この世界は想像力次第で何でも出来るのだが、自分が宙に浮かんだり自分の姿を巨大化させるなどの現実からかけ離れたことはとても困難なのだ。
ミラーは自分が知っている街のどんな高所よりも高い足場の上で若干の恐怖心を感じながら、龍精を包む水の皮膜に手を伸ばした。水の皮膜は甘えるようにミラーの手にまとわりついてくる。
そしてミラーの手が龍精の力に触れた。
それはやはり恐ろしい程の大きな力の塊であった。しかしミルトの持つ力を自分の意のままに操る方法はあの癒やしの期間中に習得していたので、今回扱うのが龍精という巨大な力の塊ではあったが、ミラーはすぐにミルトの力の指揮権を得る事が出来た。
これはミルトの力の自制と水の精霊の協力があったからだろう。
ミラーはミルトの力を操れるようにはなったが、この強大な力が自分の元にあるのがとても怖く感じていた。
とてもじゃないがこれの全てを使いこなす自信は到底持てない。
ミラーは心底困ってミルトに相談してみた。
「ねえ、ミルト。お願いがあるの。力が大きすぎてとても扱いづらいのだけど、もう少しどうにかならないかしら。私の使う術はこんなに大きな力は必要ないの」
ミルトの声が空から響いてきた。
「え?う~ん、これでもかなり少ない量の精霊を混ぜたものだからなあ。これ以上小さく錬成してくれって言われても無理かも……」
「そう……、でも困ったわ。私が探査術とか治癒の術で使う力の量とはだいぶかけ離れているから」
「ん~……、それなら少しそこからもげないかな?」
ミラーは驚くように目を見張った。「もぐ?……もぐってこれを?」
「うん。自分の好きな力の大きさだけをさ」
「まあ確かにこれは精神的なものだから理論上は出来なくはないと思うけど」
「じゃあ一度やってみよう。僕が今から力の流れを操作して小さな支流を作るから、それをミラーが水の精の皮膜を使って、それをくるんで分離するってのはどう?」
「なるほど……うん。分かったわ。やってみる」
ミラーは取りあえず目の前の球体の変化を待つ事にした。
しばらくすると目の前の巨大な球体が身を一瞬震わせた。
するとミラーの頭上に別の球体がいきなりぼよんと突き出てきた。
ミラーは突然の事に驚いてきゃあと悲鳴をあげた。頭上に出現した球体はかなり小さくなったとは言え、ミラーが通っている学校の校舎がすっぽり入るほどの大きさがあったのだ。
ミルトの声が響いてきた。「どう?ミラー。この位で」
ミラーは申し訳なさそうに首を横に振って答えた。
「ごめんなさい。まだ全然私には大きすぎるわ」
「そう?かなり小さめに作ったつもりだったけど。よし、じゃあ……これでどうかな」
今度はその頭上の球体が更に別の小さめの球体を生み出した。だいぶ小さくなってはきたが、これでやっと家一軒分の大きさだろうか。
ミラーはまだ眉を寄せている。「何となく想像出来る大きさになってきたけど、私の操る力はもっともっと小さくて良いの。申し訳ないけどもっと小さく出来る?」
「もっともっとか。ようし!ええいっ!!」
ミルトのかけ声と共に球体がどんどん小さくなりながらぽこぽこ数珠繋ぎのように連なっていく。
そしてミラーの目の高さで球技用の大きめな球くらいの球体が生まれた。それはちょうどミラーが思い描いていたような大きさだった。
「あっ!これくらい。今ちょうど良いのが出来たわ」
「良かった。それじゃあ、それをもいじゃって。後は元通りにしちゃうから」
「うん。えと、水の精霊達よ。この力の球体を包み込み私の元へ届けておくれ」
その球体はその上の球体から水滴が落ちるように伸びながらちぎれて、ミラーの手元に落ちてきた。ミラーは優しくそれを両腕で受け止めた。それは柔らかくて反発力のあるそしてほんのり温かい不思議な感触の球だった。この球の中心にも巨大な球と同じ∞の模様が黄金色に輝いている。
その他の数珠繋ぎだった球体は次々と戻っていき元の状態になっていった。
ミルトの声が響いてきた。
「これで良いかな。ミラー、頑張って。僕はもうあまり手伝える事はないけど応援してるよ」
ミラーはその球を大事そうに胸に抱いて宙に向かって答えた。
「うん、ありがとう。やってみるわ」
ミラーは改めて龍精の力の球に意識を向けてまずはこの地下を流れる龍脈を探す事にした。
ミラーは霊的視覚を地下へと潜らせたが、すぐにこの作業の難しさを理解した。
地が得意でない者が、光の届かない不可視の地下の闇の中を手探りの状態で捜し物をするというのはもうほとんど不可能に近い。
何も見えないので現実世界に対しての想像がしにくく深さなどの位置関係がすぐに分からなくなってしまうのだ。
しかも今回探している龍脈は精神世界にあるような霊的な物だから、もうなおさら難しい。今手元にあるミルトの龍精と呼応する場所にあるはずと言われても、それはかなり漠然としすぎている。
ミラーはくじけそうになる気持ちを何とか奮い立たせて何度も根気強く挑戦し続けた。しかしいくら続けても何の手応えも得られないので、取りあえず一度中断する事にした。
ミラーは大きく溜め息をつくと、もう初めからの考えを改めたのだった。
これは……ミルトが早々に投げ出す訳だわ。たぶん今の状態で何度試してみても時間の無駄になってしまいそうね。物質的にか、もしくは精神的な何かしらの取っかかりがないとどうにもならないわ。もう龍脈のことは一度忘れましょう。まずはこの地下を探る術を確立しないとどうしようもない。でも地下の位置の把握か……どうすれば良いのかしら。あのポムお爺様とキルチェの話の中での地脈の綻びか地層のずれでも分かれば何か目印になりそうなのだけど……。
ミラーは眉を寄せて考え始める。その時ミラーをずっと見守っていたミルトが声をかけてきた
「ねえ、ミラー。そう言えば僕思ったんだけど、土の精霊に何かをお願いするってのはどうかな?龍精は地も含んでいるから願えば何とかなると思うんだ。でも僕の頭じゃ何をどうお願いしたら良いのか分からないんだけどね」
ミルトのその言葉がミラーの思考の闇にある一筋の光をもたらした。
「え?……ああ!そうね。〈お願い〉か……!いつもと勝手が違うから忘れていたけど、これはちゃんとした精霊術だものね」
「うん。ポム爺さんが前に言っていたよ。精霊術は魔法とは違っていつでもどこでも臨機応変に変化させて対応する事が出来るって。そしてそれも術者の想像力次第で無限の可能性があるって」
ミラーはミルトの言葉を聞いている内にある一つの考えが浮かんできた。
確かにミルトの言う通り精霊の手助けを得られるのならばまだ手はある。自分で地下の状況を感じ取れないならば精霊に教えてもらえば良い。でもそれは難しくしたら駄目。龍精があるとはいえ自分やミルトの地の精霊との精霊親和力はそう高いほうではない。明確に教えてもらおうとしたら上手くはいかないはず。でも地層の変化だけを合図や信号みたいな方法で簡単に教えてもらうだけならば……。
ミラーは即座に考えをまとめ上げミルトに向かって言った。
「ありがとう!何とかなりそうよ。見ててね」
現実世界でミラーは片手を地面につけて地の精霊に語りかけた。
―地の精霊達よ、どうか私に教えたまえ。貴方の住まうこの土地の地下の変化を私は知りたい。私の意識を向けたこの先の地下の様子を光の加減で示して欲しい。地表と同じ岩なれば明るく光りそれ以外ならば暗くする。どうか私の願いを聞きたまえ―。
土の精霊はミラーの願いを聞き届けて岩だけを淡く光らせ地下の様子を示した。ミラーの霊的視覚には地下深くに複雑に曲がりながら伸びる何本もの亀裂が白黒の絵のように見えてきた。
ミラーは一番地下深くまで伸びている亀裂を道しるべにして、それに沿って意識を地下に向かって下ろしていき、今まで挑戦した数倍の深さまで一気に自分の意識を潜らせる事に成功した。
かなりの深さまで意識を潜らせているとついに龍精が活性化してきて騒ぎ出す地点まで到達する事が出来た。
ここが別次元に存在するという龍脈が通っている場所なのだろうとすぐ察しが付いた。
ミラーは胸に抱いた龍精の珠を頭上に掲げて願った。
―龍精よ。我が声を聞き我が願いに応えよ。この場に流れる龍精の流れる様をどうか私に見せ給え―
龍精の珠は眩い光を放つとミラーの視界を一瞬の内に塗り替えた。
その光景を見たミラーは息を呑んだ。
暗黒の世界から一転して、目の前に黄金色の液体が流れる全体的に靄がかかった様に見える大空洞が出現したのだった。それは完全なる円柱状の洞穴でとてつもなく大きくて先が全く見えない。自らを淡く光り輝かせている岩肌が世界の果てと果てを繋ぐように一直線に伸びている。靄がかかっているせいで底のほうが良く見えないが、底を流れる黄金の液体は少し頼りない感じで流れているように感じた。
ミラーはこの大空洞に対しての底を流れる液体の流量に何か不思議な違和感を憶えて、少し不安げにこの光景を眺めていた。
そんなミラーにミルトが呼び掛けた。
「……ミラー?どうしたの」
ミラーはミルトの呼びかけでやっと我に返った。
「……え?ああ、うん。ごめんなさい。少し考え事しちゃってたわ」
「いや、いいんだけど。でも凄いね、この光景。この空洞が龍脈なんだね。あの底を流れている物が龍精なのかな?ん~……でも、なんか少ない気がするけど……」
「貴方もそう思った?でも、これが当たり前なのか何か原因があってこうなっているのか考えても私達には分かりようもないわね。取りあえず今は私達の当初の目的を果たしましょう。これで龍脈との回路は繋げられたはずだから、次はこの龍脈に沿っての地上における精霊探査術ね。これはもう何度も前もって考えておいたからすぐに出来ると思うわ」
ミラーは前もって想像して訓練しておいた通りに術を構築すると、意外と簡単に視覚を地表に現す事が出来た。
そしてこの龍脈に沿っての視覚の移動のほうもすんなりといって、初めは上手くいきそうと安心していたが、困った事が一つだけあった。どうやってもなかなか視界が良くならないのだ。
目の前に厚い霧が立ちこめているような感じで遠くの方はほとんど見通せない。それにそのせいなのか集中力の消耗がひどく激しい感じで、すぐにかなり疲れてしまう。
ミラーは何度術の構築をし直してみても、他には術の言霊を変えてみても一向に視界は良くならないので、そのまま探索に行くかどうするかを決めかねて、とにかく一度休憩をとる事にした。
ミラーとミルトは同時に集中を解き現実に戻ると二人とも地面に倒れ込んでしまった。
ミラーが姿勢を崩しミルトにもたれ掛かるように倒れ、ミルトがそれを支えきれなかったのだ。
二人はポム達に助け起こされたが、ミラーのほうはすぐには身動き出来ないほど疲れ切っていた。
そこでポム達一行は休憩がてらに、少し昼には早いが持ってきたお弁当で昼食をとる事にしたのだった。