第五章 二話
その日はポムの家でミルトとトーマとキルチェが集まって勉強会を開いていた。
ミルト達は日に日に寡黙になり何やら深く心を悩めているポムの事が心配だったが、自分達にはどうする事も出来ずに歯がゆい日々を送っていた。
ミルト達がいつもより静かに勉強していると、突然玄関の扉が強く叩かれて返事も待たずにミラーが家に入って来たのであった。
それはもう飛び込んできたと言っても良い位で、かなり息を切らした様子でとても苦しそうだった。
みんなはいつもとまるで様子が違うミラーに驚いて、何て声をかければ良いのか分からず、黙って彼女を遠巻きに見つめているだけだった。
ミラーが胸に手を当てて、乱れた息を整えながら言い出した。
「……はあ、はあ……、うくっ、ご、ごめんなさい……。いきなり入って来てしまって……。でも……もういても……たってもいられなくて……。でも、どうしたら……良いか……ぜんぜん分からなくてっ……」
ミラーの涙声ではっと我に返ったミルトが急いでミラーのそばへ駆け寄った。
「一体どうしたの。ミラー?大丈夫だよ、僕らがついているじゃないか」
ミラーはそばに来てくれたミルトに思いっきり抱き付いて泣き始めた。ミルトの言葉で心の帯が緩んだのだろう。
ミルトはミラーの背中をそのままの姿勢で、あやすようによしよしと優しくさすってあげていた。
ミラーはひとしきり泣いて落ち着きを取り戻すと、ミルトにお礼を言って離れて、少し顔を洗ってくると言い残して浴場に向かった。しばらくして身支度を整えたミラーが居間に戻ってきたが、彼女のその目は赤く充血していて何かとても痛々しかった。
ミラーはいつもの自分の席に座って、目の前に出されたお茶を一口飲んでから話し出した。
「取り乱してしまってごめんなさい……。でも……でも、どうしたら良いか……」
ポムはまた泣き出しそうになるミラーを励ますように言った。
「さあ、まずは順を追って話してみなさい。それから皆で問題の箇所を見つけて、一つ一つ対策を考えて出来る事から順にやっていけば良い。とても難しそうに思える事でも、出来る事からやりだしてしまえばいつの間にか何とかなるものじゃよ」
ミラーは小さく頷いて涙声で話し出した。
「はい……。今朝の事なのですが、家のほうにお城の役人さん達が来ました。外界調査院の方々で私とも顔見知りなのですが、何故か今朝はやけによそよそしくて私と目も合わしてくれませんでした。それで私は何か嫌な予感がしたので、……いけない事とは分かってはいたのですが、お茶を出して退出する時に、扉を少し開けておいてお母様との会話を盗み聞きをしたのです」
ミラーは俯いて食卓の上で両手を組み合わせて懺悔をするかのような姿勢だった。
「扉の隙間からかすかに聞こえる話しの内容はとても怖ろしいものでした。お父様の同行している調査隊の帰りが予定よりだいぶ遅れていて、今現在は外界で消息不明になっていると。そして何とか調査隊と連絡を取ろうと色々模索しているがどれもうまくいっていないとの事でした。そしてまた、その調査隊に対する捜索隊を今はもう、そしてこれから先も出す事は出来ないので現在の状況は最悪だとも言ってました」
ミラーの頬に涙が伝わり何滴も手に落ちていた。
「お母様は何故、捜索隊が出せないのかを院の方々に問い詰めました。最悪の狂月期が近づいているとは言え、まだその時期に差しかかってはいないからです。母の迫力に負けて院の方々はしぶしぶといった感じで話し始めました。ですが絶対に他に漏らしてはならないと厳しく釘を刺してからです。院の方々は声を低めてこう言いました。……実は今この地域にラビリオンが北から近づいて来ていると。すでにこの辺一帯も微少ながらラビリオン大禍時の影響下に入っているので、いま外界に出るのは誰であろうと自殺行為であると……」
ミラーはそこまで話して我慢出来ずに食卓に顔を伏せて泣き出した。自殺行為だと言われた状況下に取り残されているかもしれない父親と調査隊の隊員達の事を思うととてもつらく、自分の無力さと運命の残酷さを思い知らされたのだった。
ミルトはそっとミラーの組んだ両手に手を添えた。ミラーは顔を伏せたままその手を強く握り返していた。
トーマとキルチェがミラーの話しの中で分からなかった事をポムに声を低めて訊ねた。
「……ねえ、ポム爺さん。狂月期がやばいのは知ってるけど、あのラビリオンが飛んでくるのもやばいの?」とトーマ。
「それと〈ラビリオンおおまがとき〉って何ですか?」キルチェも訊ねてきた。
ポムは案じていた事が現実に起きてしまい何か良い策はないものかと考えていたが、取りあえず少年達の疑問に答える事にした。
「……ふむ。浮遊大陸ラビリオンは未だ謎だらけの神秘の浮き島でな。そこは神聖な場所であるとも考えられておるが、実は多くの凶兆をもたらす象徴とも言えるのじゃよ」
ポムはお茶を飲んでまた続けた。
「その凶兆というのがラビリオン禍と言う現象じゃ。正確にはそれをラビリオン大禍時と呼び、ラビリオンが上空を通るとその下の地域では大きな災いが起こりやすくなると言う不吉な時期をさす。では何故災いが起きやすくなるのかと言うと、その要因で大きなものは精霊の加護や精霊への支配力の低下に因るものなのじゃ。特に精霊親和力が低い者は魔法自体が使えなくなるか、魔法の強度いわゆる範囲や威力じゃな、これらが低下してしてしまう現象が多く見られるようになる。その他にはラビリオンが現れた地域では獣の目撃例が増加する傾向があると言うのもある。野獣だけではなく、魔獣や化獣、そして幻獣などじゃ。大禍時は時には〈逢魔が時〉と書く事もあってな魔に逢いやすい危険な時期と言う訳じゃ。この時期の人間はほとんど無力であると言っても良いじゃろうな」
キルチェが重ねて質問した。
「……何で魔法が使えなくなるんですか?」
ポムは肩をすくめて諦めるように答えた。
「それは未だにはっきりとは分かってはおらん。その時期は精霊があまり協力してくれなくなると言う事までは分かっておるのだが、どうしてそうなるのか、あの島に何か精霊に影響を及ぼすものが存在するのか等と色々な推論はあるのじゃが、答えは未だに闇の中じゃ」
トーマは分かったような分からないような曖昧な表情だ。
「う~ん?魔法が使えなくなるんだったら確かに魔法使いはやばいけど、普通の兵士ならその時期でもそれほど問題ないんでしょ?」
「ふむ……。それが純粋な武具のみで戦える兵士ならばな。厳しい訓練を自分に課してその身に焼きつけた自分の技量のみで戦う戦士と言うのなら問題なかろう。しかし最近の兵士達はいずれも何かしらの魔法を帯びた武具を使っていてのう、それに頼り切っておる面があるのじゃ。普通の魔法具ではやはりラビリオン禍での弱体化が起きてしまい、兵士達も魔法使いと同様に弱くなってしまう」
「それじゃあポム爺さんもやばいって事?」トーマが不安顔で訊いてきた。
ポムは皆を安心させるようにおどけた口調で言った。
「なんの!儂なら大丈夫じゃよ。人並み外れた魔力と誰しもが羨む高い精霊親和力を有しておるからの。ラビリオン大禍時と言えどもそれ程問題はないぞい」
ポムの言葉にやっと少しその場の空気が和んだ。
ミラーも手で涙を拭いて顔を上げた。しかしミラーのポムを見る目が助けを求めるような感じだったのでポムはつらかった。まだ良い策は思いついていない。
ポムは目を閉じて黙考し始めた。
……さて、助けには行ってやりたいが問題が多すぎるな。安否の確認、場所の特定、救援物資の運搬、護衛の編成、それらの準備にかけられる時間など……考え出すとほんとに切りがないのう。むう、ミラーに偉そうに言っておいて自分はこのざまか。何とかせねばな……!
ポムが眉をしかめて本格的に考え出したので、子ども達は邪魔をしないように食卓のはじに椅子を動かして話し合う事にした。
まずキルチェがミラーに訊ねた。
「お父さんがどこに向かったか少しは分かるのですか?」
ミラーは小さく頷きか細い声で答えた。
「うん……。街の北側を探索するって言うのは聞いたのだけど……」
トーマが思いつき小さく指を鳴らした。
「あれはどうだ?ミラーの精霊探査術。あれでお父さんの居場所が分からないかな」
ミラーは哀しそうに首を横に振った。
「私もそう考えてみて、何度も試してみたけど……まるで無理だったわ。探す範囲が広すぎるのかもしれないし、それにあの辺りは水脈が少ないのかもしれないの」
「お……。そう言えば北のほうに流れる川はなかったか」トーマはがっかりした。
今度はキルチェが案を出した。
「ならばあれはどうです?あの時使った魔法具の伝心鳥珠。あれを飛ばして……って、あれ?そう言えばあれは言葉を伝えるだけでしたっけ……」
しかしミラーは頷いた。
「うん……、そうなのだけど何回かそれも試してみたの。心配をしてるから返事を下さいって……。でも返事はなかったわ。もしかしたら先程ポムお爺様が仰っていたラビリオン禍の影響もあるのかもしれない」
そしてミルトが自信なさげに取りあえず思いついた事を言ってみた。
「じゃあさ、とにかく出かけてみて北の方角を探すとかは……」
「あほか」
「無謀です」
「無理よ……」
三人が一斉に駄目出しをした。ミルトはだよねと呟いてその場で小さくなっていた。
子ども達は皆で知恵を出し合って何か他に手はないかと話し合いを続けた。しかしあまり良い案は出てきそうになかった。
キルチェがまず結論付けた。
「とにかく居場所の特定が必要ですね。街の北のどの辺りにいるかですか……。その漠然とした情報だけで探しに向かうのは無理なのは分かってますからね。時間もありませんし。……ミラーのお父さんは龍精調査官でしたっけ?それならば龍精の流れる龍脈のそばにいる可能性が高いと思われます。……どうでしょうか?」
子ども達はどうなのだろうと揃って首を傾げていた。キルチェは話しを続けた。
「もしそうであるのなら、龍脈上を優先して探せば見つけ出すのが早くなると思います。しかしその龍脈の場所は何かしらの文献に載っているものなのでしょうか。それともう一つ思いついた事ですがミラーの精霊探査術は水脈を利用していますが何か他のものを代用して出来ないものでしょうか。地脈とか龍脈とかですが。どうですか?」キルチェはミラーを見た。
ミラーは困った様に眉を寄せて考えていたが無理だと首を横に振った。
「……どちらも無理だと思うわ。龍脈の道筋の事を書かれている本があるかどうかは私には分からないけど、龍脈自体が神秘の事柄に属しているからたぶん無いと思うわ。あと水脈の代用の件だけど……。完全に無理ね。あれは水の精霊術なのだから水の精霊を介さないと術が作りようがないのよ。地脈はおろか龍脈なんて想像すらも出来ないわ。……でも地精使いとか龍精使いとかなら出来るのかしら?でもそんな龍精を操る事が出来るのは、超古代の英雄の精霊王くらいのものじゃないかしら。それこそもう伝説級よ」
キルチェが精霊王の単語に反応した。
「精霊王ってこの大陸に国を興した人物でしたよね。今の僕たちがこんなに平和に暮らせているのはその人のおかげだとか」
「へえ、そうなんだ。何でなん?」トーマも興味深げに訊いてきた。
それにはミラーが答えた。
「例えば、そうね……。龍脈から湧き出る龍精を用いて大規模な隔護結界を作り出したのもその人だと言われているし、いま使われている様々な魔法や術、色々な技術や道具などを人々に広めて、今の社会基盤である基本的な決まり事を制定したのもその人らしいの」
ミラーの話しを引き継いで、キルチェが身を乗り出して興奮気味に言い出した。
「それに精霊王の武人としての逸話も多くてさ、一人で黒翼竜と闘って勝っちゃうんだよ!あの天災とも謂われる翼竜にだよ。凄いよなあ……。他には幻獣とすら対等に渡り合えて会話も出来たとか。そういった話が古代の文献にたくさん残っているんだって。壁画にもその姿が描かれているんだよ。四種の精霊を身に纏って黄金に輝く姿とかがね」
トーマは感心するように聞いていたが、ふと何か気づいたようだ。
「んん?でも四種の精霊を身にまといって……実は今のミルトもそうなんじゃないか?右手に火だろ。左手に水か。腹に土で足に風」
ミルトは皆から何か不思議なものを見るような目で見られて居心地が悪そうにしていた。
ミラーはそんなミルトをじっと見つめて思った。
……確かにそうなのよね。非常時でとても緊急な事態だったからとは言え精霊を身体に宿す事など普通出来る事ではないわ。しかも四種類の精霊全てを身に宿して何の影響もなく普通に過ごしていられるなんて……。でも私の視た限り身体のどこにも異常なんて見られないし。
トーマはミルトを何か面白い物を見つけたとでも言うような表情で見て皆に訊ねた。
「なあ、その大昔の英雄様と同じ様な力を持つミルトが何か出来ないかな?」
キルチェとミラーは何が出来るのだろうかと首を傾げて考えていて、ミルトは自分の事ながらまるでお手上げだった。
その時ずっと黙って考えていたポムが、突然その話しに入ってきた。
「ふむ、それは確かに試してみる価値はありそうじゃの」