第五章 一話 救出の誓い
ミルトは今夜もうなされて目を覚ました。
「う、うう……、うわっ!」
布団の中ではっと目を開ける。
ミルトは溜め息をつきながら身を起こした。
額にかいた汗で髪がまとわりついてきて何だか気持ちが悪い。
ミルトは額の汗を寝間着の袖口で拭いて窓の外を見た。
「ふう……まだ夜中か」
天空の真ん中には青い月と赤い月が寄り添うようにして煌々と輝いている。
ミルトは布団の上で俯きながら考えていた。
まったく、あの夢は何なのだろう……?最近は毎日のように見るぞ。
あれは夢……だよな?でも毎回全く同じ光景なんだけどな。
あり得ない事なんだけど何だかあの光景はすごい現実味が強すぎる。
ならあれは本当の景色?
……はあ。分からないな。あと分からないのが、この何か不気味ですごい嫌な感じだ。いったい何でそう感じるんだ?
ミルトはしばらく考えていたが、何も思いつかないので考えるのをやめた。
やっぱり早くポム爺さんに相談しよう。今はポム爺さんが忙しそうで会えてないけど何とかして……。
ミルトはポムと会う方法を考えながら何度も寝返りを打ち、何とかまた眠りについた。
ミルトはこの日はかなり朝早くに家を出ると、仲間二人を誘い出してポムの家へと向かった。
しかしまたしてもポムは留守だった。それでもミルトは今日こそはとポムの帰りを待ちながら、ポムの家の周辺でずっと遊んでいたが、日が暮れかかってもまだ帰って来ないので、もうその日は諦める事にした。
次の日は学校が休みのミラーと遊びに出かけた。
この頃になると、ミルトとミラーはお互いに二人きりで会う事について、周囲をあまり気にしなくなっていた。
ミラーは好きな人に会うのになんで遠慮しなければならないのと半ば開き直り、ミルトは命の恩人のミラーの誘いだからあまり断れないと言う立派な建前を貰ったことで、堂々と会う事が出来ていた。
一応この日もポムの家を二人で訪れたがまたしてもポムは留守であった。
その次の日はミラーの女友達のサラとミクも交えてトーマとキルチェと一緒に出かけた。
サラとトーマは何やら強い口調で言い合いながらも二人で一緒にいる時間が多かった。ミクとキルチェも静かに本を片手に語り合う場面が多かった。そしてミラーは誰にも邪魔をされずにミルトを独占できてとても嬉しそうだった。
もちろんこの日も皆でポムの家を見に行ったが、やはりポムには会えなかった。
ミルトの周囲ではポムになかなか会えないと言うことを除けば、いつも通りの平穏な日々が続いていたが、街の入り口の大手門では護人がいつもより厳重な装備を着けて警備をしていたり、狩人の集団が街を何度も出入りをしていたりと妙な緊張感があった。
だがミルト達はあの件以来、なるべく門のそばには近寄らないという暗黙の決まりを作ってそれを守っていたので、そのような変化には全く気が付かなかった。
ポムに会えない日がまた更に何日も続き、ミルトはミラーの提案でポムの家の扉に手紙を差し込んでおくことにした。
〈ポムじいさんへ。さいきんへんなゆめを見ます。そうだんしたいです。ミルト〉
ミルトはポムが毎日家に帰って来ているかどうかも分からないが取りあえず一度試してみて、また翌朝様子を見に来る事にした。
その日は皆用事があったのでミルトだけがポムの家にやって来ていた。
ミルトがポムの家にやって来て玄関の扉を見ると、あの差し込んでおいた手紙がなくなっているのに気が付いた。床や地面に落ちている事もない。一応風に飛ばされないようにと深く差し込んでおいたからそれはないだろう。
ミルトはポムがそれを読んでくれて、今は家にいるのかもしれないと期待に胸を膨らませて扉を叩いた。
「ポム爺さんいますか~?」
すると嬉しい事に家の中で人の動く気配があり、足音が近づいて来て目の前の扉が開いた。
顔を出したポムがミルトを見て微笑みながら言った。
「おお、ミルトか。さあお入り」
ミルトは大きく開かれた戸からおじゃましますのかけ声と共に入り、いつもの居間の食卓の椅子に座った。何かすごく久し振りな感じがする。
ポムがお茶の入った湯飲みを目の前に出してくれた。
「ほれ、お茶じゃ」
ポムも席につき自分の分のお茶を注ぎながら話し始めた。
「いやいや、すまんのう。このところ相手してやれんでな。色々と立て込んでおっていてな、儂ものんびりと隠居してはおれんような状況じゃ」
「ごめんなさい。忙しいのに……」ミルトはしょげたように言った。
ポムはそれを聞いてきっぱりと否定した。
「いや、ちょうど良かったわい。そろそろ儂も体を休めたほうが良いと思っていたところじゃったし、それにお主達の面倒を見るのは儂の唯一の生き甲斐みたいなものじゃからのう。ほっほ……」
おどけたように笑いながら話すポムにミルトもほっと心が軽くなった。ミルトはまずは自分や仲間の近況報告をしてから本題に入った。
「それでポム爺さん。あの手紙の事なんだけど」
ポムは黙って頷いて話を促した。
「なんか僕、最近夢を見るんだ。でも夢にしてはやけにはっきりと見えて、しかも目が覚めてもちゃんと細かいところまで憶えている夢なんだよ。それでその夢の内容なんだけど、空を浮かぶ島の夢なんだ。たぶんあれが話に聞く浮遊大陸ラビリオンなんじゃないかと思うんだけど」
ポムはラビリオンと聞いて眉を興味深げに持ち上げて言った。
「ほう。ラビリオンとな。……ふむ、単純に夢物語診断で吉か凶かと問われたら凶じゃな。それでその島はどんな姿でどんな様子じゃった?」
ミルトは出来るだけ詳しく、その島の荘厳な様子やそれを上空から見下ろすように見ていた事、更にはその夢を見た後の嫌な印象も出来るだけ感じたままに説明をした。
ポムは話を聞き終えて腕を組みながら考え始めた。
「……ふむ、それはもう夢と言うよりある種の幻視に近いな。もしくはそれの更に高位なものであるお告げや天啓と言うものの類いであると言っても良いかも知れん。運命の何かがミルトに何事かを伝えようとしておるのやも……」
ポムはミルトの話を聞いていてラビリオンの事を何かの象徴であると仮定して難しく考えていたが、少し考え方を変えてみて単純にそのラビリオンが現実に飛ぶ様子をただミルトに見せているのだとしたらどういう事になるかと考えた。
ポムはその事を考えている内に、次第に予想出来てきた結果に心が騒ぎ出した。
「む……?むむっ、時期と位置か。なるほど……そういう事か?……これは……まずいのう……。うむ!これはいかん!!」
ポムは珍しく慌てた様子で立ち上がり書斎へと駆け込んでいった。
ミルトは呆気に取られてそれを見送っていたが、ポムは何やら胸に抱えてすぐに戻ってきた。それは何本もの長細い紙の筒だった。
ポムは一本を選び出しそれを食卓の上に広げた。
それは大きく精巧な地図であった。この都市を中心とした地図で、都市の内部を詳細に描いた物ではなく都市の周囲の地形や地勢までもがかなり細かく書かれた地図だ。丘陵地帯から森林地帯、山岳地帯はもちろん草原や荒れ地なども描かれ大小の河川や街道の曲線部までが正確に分かるようになっている。
ミルトは目を輝かせて地図に見入っていた。あの不思議な空間で見下ろした世界の光景とまるで一緒だったからだ。
ポムは地図の真ん中を指差してミルトに訊ねた。
「ミルトよ。ここが儂らの住むファルメルトじゃ。お主が見たと言うラビリオンがどの方角にあるかこれで分かるか?」
ミルトは見た光景を思い出し地図の上の方に視線を移していった。ポムはミルトの視線を追って方角が分かるとやはりかと暗い気持ちになった。ミルトは地図の終わりまで目をやってポムに言った。
「まだまだ先のほうだよ。もう紙が終わっちゃったけど」
ポムはまた紙の筒の中から一つを選び出して、その地図の続きとなるようにして広げた。ミルトはこの地図の精巧さに驚きながら懸命に記憶を辿り目で追っていった。
……えと、この二つの山地があって、岩場が続いていて、深い谷を越えたところに湖があって……。うんそうだ。今朝はこの辺りにラビリオンの先端がかかっていたんだ。
「ポム爺さん、この辺りだよ」ミルトは地図を指差した。
ポムは静かに頷いた。そこはデクレール山地と呼ばれる場所だった。まだこの都市からはだいぶ離れてはいる。
ポムはミルトの毎日見たという夢の記憶を詳しく聞き出して、このラビリオンの進む方向と速度を計算していきこの地域に差しかかる可能性とその時期を予測した。
ポムは先程直感で予想した通りの結果に表情を曇らせていた。
……ふむ、やはりこの感じで飛んで来るとなると……。これから急に大きく曲がるかもなどと言う楽観的な予測は立てないほうが良かろうな。多少の誤差は出ると思うが確実にこの地域の上空を通過することになろう。到達日時はおおよそ二十日前後、そしてその頃は丁度この地域は狂迎節の最盛期、狂月期の真っ最中か……。
しかもこの地域一帯があと十日もするとラビリオンの影響下に入ってしまうとなると、もはや手の打ちようがほとんどないのう。予測出来うる天災と言われるラビリオン禍だが、今回は真北から来たのが痛かったわい。北には街や村もないから先行してくるはずの警戒を知らせる情報が一切なかったからな。それにたぶんこの今の龍精の大きな乱れでラビリオンの感知魔法も使い物にならなかったのじゃろう。
ポムは大きな溜め息をついた。
……とは言え、この都市の結界不順の状況下で狂月期を迎えねばならないと国の偉いさん連中がやっと理解して、ようやく焦りだしてきていると言うのに、この上更にラビリオン禍か……。これは下手すると詰むかもしれんのう。ラビリオン禍で結界が弱まったと言う事例もあるし、このまま魔獣を含んだ獣達に襲撃されると、この都市は一気に大獣災に見舞われるかもしれん。それを避ける為にとれる策は……街の防衛力の強化と一般人の他の都市への避難か。いやそれらも時期的にもう遅いな。強化と言っても人員の限界はあるじゃろうし、避難にしてもその旅路の途中でラビリオン禍に捕まるじゃろう。外界でそんなことになったらお終いじゃ。
ポムは俯いて額に手を当てて考え込んだ。このポムですらこの先の事を考えると息苦しくなってくるような大問題であった。
……うむ。どちらにせよ、この事を全て公表するとこの都市は未曾有の大混乱に見舞われるじゃろう。ならば密かに策を練り、知り合いや要人達だけでも安全な場所に隔離する準備をするか……?いや、それは出来ん。それでは誠実さに欠ける。……ならばどうする?都市の結界機能さえ大丈夫ならもし襲撃を受けても何とかなると思うのじゃが。むむう、とにかく問題解決の情報と時間が少なすぎる……!
ポムは大きな溜め息をつくと、今度は憂いのこもった瞳で宙を睨みつけた。
ミルトがそんなポムにおそるおそる声をかけてきた。
「あの、ポム爺さん……?」
ポムはミルトの存在を思い出してミルトを優しく見つめた。ポムはミルトを見て何とかしなければと強く思った。
「うむ。状況は分かった。ミルトが今もたらしてくれた情報はとても有益なものじゃったよ。ありがとう。おそらくミルトの見た夢は危険を知らせるお告げの類いだったのじゃろう。儂も……とにかく何とかするべく色々と努力をしてみよう」
ミルトはポムに自分の気になっていた事を全部話す事が出来てだいぶ気が楽になった。難しい顔で考え込むポムが少し気がかりだったが、それはいつもの事だと思って気にしないでおくことにした。
ミルトはポムと一緒に広げた地図を片付け始めたが、ふと地図の一点に目がとまった。
あの上空から地上を見下ろした景色で、何か光が見えた地点を思い出したのだ。その場所はこの地図上では変な記号と書き込みがあった。そこには山の標高線の頂点に凸の印が書いてあった。
ミルトは片付けをやめてポムに訊ねた。
「ポム爺さん、これは何?」ミルトはその場所を指差した。
ポムはそれを覗き込んで答えた。
「……ふむ?それはビス=マークスの砦じゃな。前に話したじゃろう?その昔ある山賊が結界付きの砦を作り出しそこに居座ったと。……そこがどうかしたのかの?」
ミルトは何でもない事を訊ねたというように答えた。
「ううん。そう言えば、あのミラーに目を覚まさしてもらった時に見た景色で、何かこの辺がきらきらしていたなと思ってさ」
ミルトは何気なしに言ったがポムは何かを感じ取った。
「む!?……ミルトよ、少し待て。その光とはどのようなものじゃ?色や形は?」
ミルトはポムに詰め寄られ少し後ずさった。
「え?どうだろう。昼間の光景だったからさ。う~ん……、確かこの丘の周辺一帯がうっすらときらきらしてて……色は金色だったかな。……あ、でもそう言えばこの街の中心も光ってたよ確か。おんなじ色できらきらと」
ポムはこれは何か重要な手掛かりではないかと直感で思った。
今この場でミルトからもたらされた情報は、たとえ一語一句たりとも決して無下にしてはならないと感じたのだった。
ポムはミルトに他に気が付いた事や言い忘れている事はないかしつこく確認してから解放してあげた。
ポムは書斎に籠もると、今ミルトから聞き出した事柄をあらゆる角度から何度も考察を重ねてから、城で秘密裏に唯一交流がある魔法省の高官に手紙をしたためた。
ラビリオンがこれから北より到来するという可能性があると言う事をまず書き、それが到来する時期と方角を予測しておいて、それがかなりの高確率で来ると自分がどれ程信じているかを力説して、そしてそれが現実のものになった時の重大性とその対応策を細かく書き記した。
そして別の紙に自分の勘だがと前置きをしてから、ビス=マークスの丘の周辺に何か感じるものがあるので龍脈読みと共に早めにその地域を探索するようにと進言しておいた。しかしラビリオン禍の影響を考えて、今日から十日を過ぎての探索はもう止めるようにとも書いておいた。何とかしなければならないのは重々分かっているが危なすぎるのだ。
ポムは緊急時にしか使わない配達鳥の魔法で手紙を送った。
その日の内に魔法省から返事があり数刻の内に何通も手紙が行き交った。その文面から城内の混乱が伝わってきて心配になったが、どうやらその地域への調査隊の派遣はすぐに決まったようだった。その調査隊には龍脈読みであるミラーの父親も同行すると書かれていたが、それ以外は他にあまり特筆する進展はなさそうだった。
それから数日が過ぎてじりじりとした時間だけが経過していった。
そしてついに城の展望台から遠く北の空に浮かぶ巨大な暗雲が望遠魔法で観測された。それを知った城内の動揺は凄まじく、ポムの元への連絡も次第に途絶えるようになってしまっていた。
それから数日の間、城からの情報がまるで来なくなってポムは内心やきもきとしていたのだが、とても意外なところからポムが欲しがっていた重大な情報が舞い込んできたのであった。