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第四章 十話

 ミラーはしばらく家事をして時間をつぶし、マレスから預かっていたミルトの下着と寝間着を持って寝室に戻った。

 部屋に入るとさっぱりとした様子のミルトがミラーを待っていた。

 ミラーはミルトにきちんと体の隅々まで拭いたかを訊ねたかったが、それはぐっと我慢した。

 ミラーは着替えをミルトに差し出した。

「はいこれ。もうちゃんと寝間着を着たほうが良さそう。夜は少し冷えるし、マレスさんからミルトの普段の寝相も聞いているしね。それに今夜からはもう、私が隣に寝ている訳じゃないから……!!」

 ミラーは慌てて口を閉じる。

 そして耳まで真っ赤にして失言を悔やみミルトのほうを窺うと、ミルトは何か思う事があるかのようにじっとミラーを見つめてきた。

「と、とにかくこれね」ミラーは枕元に着替えを置くとそそくさと部屋から出ようとした。

「おやすみっ」ミラーは後ろを向いたまま言った。

 ミルトは慌ててそのミラーの後ろ姿に声をかける。

「ちょっと待った、ミラー。さっきも思ったんだけどさ。もう寝る時間だって言っていたけど、ミラーは今夜どこで寝るんだい?もう今日は家に帰らないんだろ?ポム爺さんの家って他に寝られるところがあるんだっけ」

 ミラーはそう言えばと考えて立ち止まった。

「……そうね。居間にある長椅子かしら?……ん~駄目ね。ポムお爺様が疲れたらそこで休むはずですもの。となると今夜は食卓の椅子で寝る事になるかな」

 ミルトは即座にそのミラーの考えを打ち消した。

「だめだよ、だめ。絶対だめ!女の子にそんな事させられないよ。僕がここからどくよ」

 ミラーは起き出そうとするミルトを慌てて止める。

「待って!それこそ駄目よ。まだ病み上がりのミルトにそんな事をさせられないわ」

 ミルトは一応ミラーの言う事を聞いて、思いとどまったかのように動きを止めたが、半身の状態でいつでも起き出せる姿勢になっている。

 ミルトの掛け布団が下腹部近くまでずれていて、ミラーは慌てて目を逸らした。

 ミルトの説得が続いた。

「それに食卓の椅子で寝るなんて考えポム爺さんが許すと思うかい?絶対意地でもミラーにその長椅子をゆずって、自分が食卓の椅子のほうにいるようにするはずなんだ。そんなの分かりきってるよ」

 ミラーはしぶしぶ頷いた。

「う……確かにそれはそうね。でもポムお爺様は何か研究されて疲れてらっしゃるのに、椅子の雑魚寝なんてさせられないわ」

「そうだね。ならもう道は一つしかない。それは……今夜はミラーもこの布団で寝る事だよ」

 ミルトは言いづらそうだったが勇気を持ってずばりと言った。

 ミラーは言葉につまり即座に反論出来なかった。

 何という甘い誘惑だろう。

 ミラーはミルトが目を覚まして治療のためという体裁がなくなってからは、もうミルトと一緒に寝るという考えは捨て去り、一切考えないようにしていたのだ。だが心の奥底ではこれからの自室での独り寝はきっと寂しいだろうなと一人で危惧していて、本当はまだまだ未練たっぷりであったのだ。 

 何やら一人で悶々と思い悩んでいるミラーにミルトは説得をさらに続けた。

「もうこれはしょうがないんだよ、ミラー。それしか丸く収まる方法はないと思うし、それに一緒に寝るのだって一応これまでと同じ様な事なんだし……。ああ、でもこれまでは治療のためっていう理由はあるけど、今は他に寝る場所がないっていう特殊な理由があるんだし、……まあでも前と違うのは僕の意識があるというのが大きな違いっちゃあ違いだけど、大丈夫!絶対、何もしないから!ミラーが安心して眠れるように布団のこっちから向こうに行かないように努力するから。だから、ね、お願い!僕を信じて!」

 ミルトは身振り手振りを交えて一生懸命に語り、最後には両手を合わせてミラーを拝んですらいた。

 ミラーは少し呆気に取られてそれを見ていたが、やがてくすりと笑って呟いた。

「……ふふっ。そんな事は少しも心配してないのに」

 ミラーは思い切ったように言った。

「うん。それじゃあ今夜は貴方のお布団にお邪魔する事にするわ。ともかく私も寝る支度をしてくるわね。……あと出来れば、ちょっと恥ずかしいから、ミルトにはもう先に寝ててもらえると嬉しいのだけど」

「あ、うん大丈夫。知ってるでしょ?僕は寝るのは得意なんだ」ミルトは請け負った。

 ミラーは苦笑しながら部屋を出ると浴室に向かいお風呂に入った。そしてとても長いこと湯船に浸かり丁寧に体を洗った。

 着替えの寝間着は出来れば新品が良かったが、さすがにないので洗いたての一番のお気に入りである青の花柄模様のを着る事にした。

 ミラーは居間に入って、食卓の机で何やら図面を広げて難しそうな顔をしているポムに就寝の挨拶をした。だが集中して本を読んでいるポムからは生返事も返ってこなかった。

 ミラーは邪魔をしないようにそっとその場を立ち去って、火の元と戸締まりを確認してからミルトのいる寝室に向かった。

 ミラーはミルトのいる寝室の扉の前で立ち止まり大きく深呼吸をする。

 そして取っ手に手をかけてから、ふと扉を叩くべきかミラーは一瞬悩んだが、そっと開ける事にした。

 寝室に入ったミラーがミルトの様子を確認すると、ミルトはかなり布団の端に寄って外側を向くような横向きの姿勢で寝ているのが見えた。

 ミラーはそこまでしなくても良いのにと微笑み、壁の洋灯の灯りを消して回って最後の枕元の灯りを吹き消してから掛け布団の中に入った。

 ミラーが布団の中に入って感じた第一印象は、何かいつもと少し違う、だった。

 以前なら布団に入ってから少し奥に体をずらせばミルトの体がいつも温かく出迎えてくれていたし、丁度良い高さと柔らかさの枕もあった。それはミラーが勝手に借りていたミルトの腕枕なのだが。以前と同じなのは匂いくらいのものだった。

 ミラーはやっぱり寂しいなと思いながらも眠りについた。 

 ミルトはと言うとやはり全く眠れていなかった。

 ミルトはミラーが安心できるように出来るだけ端によって、わざと呼吸をゆっくりにして寝ている感じを醸し出していたのだった。

 ミラーが部屋に、そして布団に入って来た時はかなりどきどきしたが、すぐにミラーが隣ですやすやとした寝息をたてて眠ったようなので、少し安心してそして少々拍子抜けもした。

 僕が意識しすぎなのかな…?

 ミルトはあえて取っていた横向きの姿勢をやめて仰向けになり、布団の端は少し居心地が悪いので少しだけ内側に寄らせてもらった。触れ合うことはないが存在が感じられる距離だ。ミルトはミラーを意識しながらも幸せな気持ちでまどろんでいった。

 そしてそんな眠りについた時の二人の体の距離感は、朝を迎えるとやはりいつもと変わらず抱き合うような密着度になっていた。


 ミルトの目覚めから数日が過ぎた。

 ミルトは順調に回復していき、もう外で走り回れるまでになっていた。

 それで今日は、ポムの家でミルトの全快の祝いの会を催すことになり、ミルト家とミラー家からご馳走を持ち寄る手はずとなっていたのだった。

 その日の朝、ミラー親子が並んでロニール通りを歩いていた。

  二人とも両手に大きな荷物を持っている。

 ミレーヌが大きな籐籠を持ち替えてぼやき始めた。

「うんしょ。けっこう重たいわね。やっぱりあの子達に頼めば良かったわ」

 ミラーも片手で抱えた大きな紙袋の持ち直して答えた。

「よっ……。あの子達って、たぶん全員無理よ。ミルトは会の前にポムお爺様から何かお話があるって呼ばれてたし、トーマとキルチェはポムお爺様の買い出し組で朝から街中を駆け回っているみたいだしね」

「でも、こんなに作って食べきれるのかしら?」ミレーヌは自分達の荷物の量を見て言った。

「大丈夫よ。ミルト達は育ち盛りなのか本当に気持ち良いくらいたくさん食べるの。今回もたくさん作ったこのお肉の料理もみんな好きみたいで、この前なんか作り置きとして残しておこうとした分までみんなでぺろりと……、ああっ!」

 ミラーは思い出したように唐突に声を上げた。

「なに?」とミレーヌ。

「……いっけない。最後の仕上げの香辛料が切らしていたんだった。忘れてたわ……。ごめんなさいお母様、先に行っておいてもらえるかしら。商店街に寄って買ってから向かうから」

「分かったわ。でもあなたも気を付けてね。両手がふさがっているのだから」

「うん、お母様もね。それじゃあ」

 二人は途中の道で別れてそれぞれの目的地に向かって歩き出した。


 一方、ポムの家では全快の祝いの会の準備があらかた終わり、ポムと少年三人が庭の中央に出てきていた。

 ポムとミルトが向かい合うようにして立ち、トーマとキルチェは少し離れてその二人を見守るようにして並んで立っている。

 ポムが厳しい顔つきでミルトに語りかけた。

「では覚悟は良いな。ミルトよ。お主はこの全快の祝いを受ける前に、皆からの叱責を受けねばならぬ」

 ポムは低い迫力のある声で続けた。

「まずは問おう。お主は後先を考えぬ軽はずみな行動を起こし自分の命を危険にさらし、あまつさえ大怪我をして帰る事になった。その事でお主は周りの者に多大な心配と迷惑をかけたと言う事実を真摯に受け止める事が出来たのだろうか。儂達が見たところ大いに反省し後悔し、もうそんな馬鹿げたことは絶対に考えたりはしないと思っているのだが、どうであろうか?」

 ミルトは直立不動の姿勢でそれを聞き、真剣な声で勢いよく深く頭を下げて答えた。

「はい!もう絶対にしません!本当に申し訳ありませんでした」

 ポムは重々しく頷いた。

「うむよろしい。ではその過ちはもう過去のものであり、お主も心から深く反省しているようだから、儂からの長々とした説教はもう不要であると思う。しかしお主はけじめとして、やはり一度は罰を受けねばならぬ。しかし皆から同じ様に許しを得て罰を受けるのでは、お主の心労も多大なものがあろうと推測出来る。よって皆からの慈悲の心により、儂が代表をして各々の権利を預かりそれを合わせてただ一度の叱責をする事で、その罰を全て済まそうという事になった」

 ポムはトーマとキルチェに目を向けた。

「それでよろしいですかな?友人代表諸君」

「はい賛成です」

「異議はありません」二人はきびきびとした声で答える。

「よし、では儂が男衆を代表して権利を合わせて行使する事にする。この男衆の内訳は儂とトーマとキルチェ、門番のゾクトとテッド、それとミラーの父親である。ゆえにこの件に関してはこれらの者からのお咎めは一切なしとする。良いな」

「はい!ありがとうございます」ミルトはびしっと答えた。

「よろしい。ではこれより男の叱責の儀〈お尻ぺんぺん〉を執り行う。これは尻を二回だけ叩かれるという古来からある単純な罰である。ではミルトよ、後ろを向き尻を突き出して歯を食いしばるがよい!」ポムは高らかに言い放った。

「はいっ!」

 ミルトは素早く回れ右をして後ろを向くとぐっと中腰になり尻をポムのほうに突き出して言った。

  「お願いしますっ!」

 ポムは頷いてミルトに近寄り所定の位置につくと腰を少し落とし右手を高々と振り上げた。

「ではいくぞい!」

 ミルトはポムのこの大仰な口調に内心くすりと笑っていた。ミルトは大袈裟に尻を突き出す姿勢を取ってはいたが、前もって叱責の儀の内容を聞いていて、今の今までこの儀式をかなり甘く見ていたのだった。いわばこれをただの通過儀礼としての演出のようなものだと思っていたのである。ポムは老人としてはがっしりしているがたかが尻を叩かれるくらいの事なら、いくらでも我慢出来ると高をくくっていた。

 しかしそんなミルトの余裕も背後から聞こえるポムの呟きを耳にするまでの事だった。ポムは片手を上げたまま何やらぶつぶつと呟いている。

「……大地に集いし土の精霊達よ。我が声を聞き我が願いに応えよ。過ちを犯した我が愛弟子に愛の鞭を与えるべく、非力なるこの老骨に変わる強靱な力をこの手に与え給え。大地に満ちる土の精霊達よ!いざ、この手に最硬度たる金剛石の力を授け給え!」

 ポムの振り上げた右手が次第に透明に輝く宝石のように変わりお日様の光を反射して煌々と輝きだした。

「えっ?ちょっと……」

 ポムの呟きを耳にしたミルトは焦りだした。どうやらポムの怒りの深さを甘く見積もりすぎていたようだ。

 トーマがぽかんと口を開けてポムの右腕を見上げている。

「……なんだありゃ。すげえ……!」

 キルチェが眼鏡をかけ直し身を乗り出した。

「ポム爺さんの土の精霊術だ!」

 ポムが周りで見守っているトーマとキルチェを見て声をかけた。

「それではご唱和下され!いくぞい!せ~~のっ!……おし~り……!」

  少年達は慌てて声を合わせた。「……おし~り……」

 ミルトは後ろから漂うただならぬ気配を察して、あれはかなりやばいと直感した。

 ミルトはこれ以上ないほど臀部の筋肉を固く引き締めて、その衝撃に備えて歯を思いっきり食いしばった。

「ぺ~ん!……」

 ポムのかけ声と共に神々しく輝いた右手がミルトの尻の中央に見事に命中し、その時人体を叩いた時には出ないような〈ズン〉という重低音が響いて聞こえた。

「……うっっぎゃあああ~~!」

 ミルトは耐えかねて叫び声をあげた。

 怖ろしい程の衝撃と痛みが尻から駆け抜けて、一発で意識を持って行かれそうになった。もうその一撃で足ががくがくと震えて全く尻に力が入らない。

 背後ではポムが息を吸い込み更にもう一発叩こうと手を振り上げているのが感覚で分かった。

 ミルトの危険を知らせる警告音が頭の中でかつてないほどの大音量で鳴り響いている。

 ミルトは思った。

 まずい。死ぬ!?

 ミルトは頭の中で駆け巡る走馬燈を見た気がした。

 だがもうどうしようもない。万事休すである。

 しかし、その時ミルトの身体の中に宿った精霊達が、宿主の命の危機を察して自動的に活性状態になった。

 腹部に宿っていた土の精霊が臀部の硬度を即座に引き上げて防御力を高めてくれた。しかしまだミルトとの親和度と経験値が足りないのでせいぜい鉄の鍋ていどの硬度しかなかったが。

 そして土の精霊の活性化と連動して、風の精霊も起き出してきた。風の精霊はミルトの状況を察して臀部の表層付近に圧縮空気の塊を作り出していた。いわゆる風の障壁であった。

 ミルトはこの無意識の状態で、窮地に陥った超高等な術者が行使するような防御機構を一瞬で作り出していた。

 そしてポムが力を込めてまたかけ声と共に手を振り下ろした。

「……ぺ~ん!!」

 ポムの右の手の平が見事直撃すると思いきや、ミルトの尻に当たる寸前でぴたりと止まっていた。

 その瞬間猛烈な突風がこの二人の周囲から巻き起こった。そうあの空気の塊が防いだのだった。

 しかしポムの右手はその障壁をあっさり突き破りミルトの尻を叩いた。

 〈カイーン!!!〉

 今度は人体を叩いても絶対に出る事はないと断言出来る高音が周囲に響き渡った。

 そして辺りに静寂が戻ってきた。ポムとミルトは初めの立ち位置から微動だにしていない。ポムが先に動いた。

「よし、これで男の叱責の儀は終了じゃ。よく頑張ったの。」

 ポムはそう言い残すと、静かに家のほうへと歩いて行ったのだった。

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