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第四章 三話

 ポムはすぐさま自分の寝室に入り、ミルトをそっと寝具の上に横たえた。

 ポムはミルトの弱々しいながらまだある呼吸と脈を確かめて安堵の溜め息をつき、自分の固くこわばっていた身体をほぐした。

 部屋の中央の寝具の周りでは、子ども達がこわごわとミルトの様子を確かめている。

 皆一様にかなり心配そうな顔つきだが、特にミラーは今にも自分が倒れそうな顔色であった。

 ポムはミルトに掛け布団を静かにかけ、子ども達に向き直って言った。

「よし、取りあえずはミルトは外の世界から生きて戻ってきた。これから儂はミルトの身体を治すため治癒の術をこころみる。ミラーにも手伝ってもらいたいが……出来るかの?」

 ミラーは姿勢を正して決意の籠もった固い声ではいと返事をした。

 ミラーは心の奥底で強い決意を固めていた。ミルトを絶対に死なせはしないと。

 ポムは複雑な魔方陣を宙に描き、長大な呪文を詠唱して何度も癒やしの魔法を試みていた。

 ポムの寝室は宙に描かれた魔方陣の輝きで、辺りが神々しい光で照らし出されてまぶしいほどだ。

 大賢樹とも言われた大魔法使いのポムの癒やしの魔法は、生命を司る水の精霊に愛されているミラーの助力により、更に威力を増して正確にそして確実に発動している。

 ポムがいま唱えている呪文は、どんな重傷者でも瞬時に回復することが出来るという超高度な魔法であった。

 しかしその魔法でも、ミルトの傷は治る兆しすら見えない。頬にある小さな引っ掻き傷でさえもまるで変わらなかった。

 魔法は失敗に終わり、ポムは深い溜め息をついて、もう何度目ともなる呪文の詠唱を終えた。

 だが、ポムの不審げに曇っていた顔が次第に確信めいた表情になってきていた。

 細かく術式を変えて何度も治癒を試みていて、何故まるで手応えを感じないのかその理由がやっと分かってきたのだ。

 ミラーには、何度治癒の魔法をかけてもミルトにはまったく効いていないと言う状況しか分からないので、ポムの詠唱が終わると祈りの姿勢を解き、不安と困惑のまなざしでポムを見つめたのだった。

「……ポムお爺様、これは一体……」

「……うむ」ポムはミラーに目を向けて話し出した。

「ミルトの置かれている状況じゃが、かなりまずい状況じゃな。まずミルトの身体はいま体内の活力が全て枯渇してしまっているような状態になっておる。それを一般的に〈体力精神力欠乏症〉と呼んでいるのじゃがな。この状態になるとまったく治癒の術が効かなくなってしまうのじゃよ。ゆえに儂は治癒の術の前に、その活力を補充する術をかけていたのじゃが……、実はそれまでもまるで効いていないようでな。それで儂はある結論に至った。ミルトの場合は普通の欠乏症ではなく、もっと身体の深い部分にこそ異常があるのだとな」

「深い部分に……ですか?」

 部屋の隅でおとなしく成り行きを見守っていたキルチェが訊ねてきた。

 ポムはキルチェを見て頷くと、改めて説明を始めた。

「詳しい話はここでは省くが、生き物の身体は三つの次元の存在に分けられるのじゃ。それは〈肉体〉と〈霊体〉と〈魂体〉と呼ばれる三つでな。これらは繋がっていて互いに干渉しあっているのじゃ。魂体は霊体に活力を供給し、霊体は肉体の隅々までにその活力を循環させて、肉体はその活力によって活動をしている。特に魂体は身体を構成する要素のなかで最も高次元の存在とされ、この魂体に不調をきたすと即命に関わってしまう」

 ミラーは命に関わると聞いて取り乱すように言った。

「えっ!ではミルトは一体どうなるのですか?」

 ポムはミラーを落ち着かせるようにわざとのんびり言った。

「まあ落ち着きなさい。儂も同じ術ばかりを繰り返しやっていた訳ではない。どこに問題があるかを細かく探りながら色々な術をかけていたのじゃ。そして得た結論はミルトの魂体は無事で、そこから供給される活力も霊体には届いているが、何故かその活力が肉体のほうにまったく行き渡っていないという事じゃ」

「……どういう事でしょう?」難しすぎて自分にはまだあまり理解の及ばない理論にミラーは泣きそうだった。

「ふむ、簡単に言うと、先ほど儂らの施していた癒やしの術は、霊体の活力を増大させて肉体の自己修復機能を極限にまで促進させるという方法をとっているのじゃが、ミルトにはまったく効果が得られなかったじゃろう。それは何故かと言うと、ミルトの肉体に活力がほとんどないからなのじゃ。魂体から湧き出て霊体内を循環するはずの活力が、いつの間にかどこかに消えてしまっている」

「それはどこへ……?」ミラーは困惑顔だ。

 ポムは部屋の傍らで寄り添いながらこちらを見つめる少年二人と、寝具のそばのミルトから離れない少女を見て、逆にこちらから問いかけた。

「なにゆえ、この部屋は家の中なのにこんなに風が感じられるのか。窓は開けてあるが、ここから外に見える枝葉はぴくりともしていないのに。そしてなにゆえ、この部屋の中はこんなに暖かいのか。もうすでに夕方から夜になってきていると言うのに。これは狭い部屋に人が集まっているからではないぞ」

 ポムは確信したような口調で続けた。

「この現象は精霊の力によるものじゃ。実はこの家付近の精霊がずっと騒いでいてな。精霊に愛されたミルトを心配しての事か、もしくは儂やミラーが立て続けに術を行使しているゆえに、精霊が騒いでいるのかと思っていたのだが実はそうではない。先程から行っていた癒やしの術を通して活力の流れの有り様を見てみると、ある一定の方向に吸い寄せられる様な不思議な活力の流れがある事が分かったのじゃ」

 ポムはその場所を指で示した。

「それはミルトの両足と右腕じゃ」

 トーマはそれを聞いて足のほうへ回って足に手をかざして驚いた。

「おっ!ほんとだ。あのすきま風だと思ってた風の発生源はここら辺だぞ!」

 そして、ミラーは煤けて黒くなった右腕をしっかりと触ってみた。実は怖ろしくて一度も触れていなかったのだ。

「あっ!」

 ミラーはあまりの熱さに驚いて、その手をすぐ引っ込めてしまった。ミルトの右腕は人の身体ではあり得ないほどの熱を持っていたのだ。

 何故こうなっているのか理由がまったく分からない子ども達は、答えを求めるかのようにポムを見つめたのだった。

「ふむ。それはのう、ミルトがその箇所に精霊を宿しておるからなのじゃよ」

 ポムは考えながら説明を続けた。

「じゃが、二種類の精霊を一つの個体に同時にとはな……。右腕には火の精霊、両足には風の精霊が大量に入り込んでおる。そしてそれらはいまだに活性化状態なのだ。この風や暑さはこの精霊達がミルトの活力を使って作り出しているのじゃよ。しかもたちが悪い事にこの両者は競争原理を持っておるから、互いに奪い合うようにミルトの少ない活力を浪費しているのじゃ」  

 ミラーはこの部屋の暖かさに少し居心地が悪くなり、そしてこの風の吹く音が何か不気味なものに聞こえてきた。

 ミラーはミルトを心配そうに見つめてからポムに質問をした。

「では、ミルトはこの気を失った状態で、ずっと精霊術を使い続けていると言う事ですか?」

 ポムは痛ましい顔で黙って深く頷いた。

 精霊術を使った後の疲労感はかなりのものであり、ミラーはもし自分が無理矢理にずっと術を使わされる状態になってしまったらと想像するだけでぞっとした。

 ポムはそのまま黙って思索を始めていた。

 ミラー達はポムの考えがまとまるのをじっと待つしかなかった。刻々と時だけが過ぎていくのがつらい。風で揺れる洋灯に照らされた青白い顔のミルトを見て、無事を祈る事しか出来なかった。

 日が完全に暮れた頃になってポムは決心を固めたような声で皆に宣言した。

「よし。ではこれからある儀式を行う。その名を〈輸精の儀〉と言う」

 子ども達は、ほっとしたような、もしくはすがるような目でポムを見つめた。

 ミラーがいち早く気を取り直して返事を返した。

「はいっ!私にも手伝える事があるでしょうか?」

「俺も!」

「僕にも!」 トーマとキルチェも即座にそれに続いた。

 ポムは頷くと即座にみんなに指示を与え始めた。トーマとキルチェには儀式の触媒素材として、裏の林から土を採ってくる事と、そこを流れる小川から水を汲んで持ってくる事を言いつけた。そしてミラーにはすぐに浴場にて沐浴をしてくるようにと言い渡した。

 ミラーはすぐに浴場に行き、手早く冷水にて身体を清めてポムの元へと戻ってきた。

 ポムは準備が整うまでの間、ミラーにこれからする儀式の説明をすることにした。

「よし、ではこれから何をするかじゃが……。まずミラーよ、お主はミルトが身体に精霊を宿していると聞かされて何か思わなかったか?」

「……はい。あの時、私は精霊術の奥義とも禁術とも言われた〈精霊融合法〉を思い浮かべました。故郷の賢樹様からは、今はもう失われた技術だと教わりましたが……」

 ミラーは眉を寄せて怖ろしげに説明を始めた。

 それはミラーがまだ幼い頃に、精霊術の指導を本格的にレドリードの賢樹ナラから受ける際に戒めとして教わったものだった。

 精霊術が本来どんなに強大で怖ろしいものかを賢樹ナラは融合法という技術で例えて説いていた。それの内容は触り程度でそこまで詳しくは教えてもらわなかったが、幼いミラーは怖さで全身を震わせながらその話を聞いていたのだった。

 ミラーは思い出した内容にぶるっと身を震わせた。

「私はその話を聞いてから、怖くて三日ほど眠れなくなりました。精霊に身体と精神を侵食されて、次第に正常な人間ではなくなっていった兵士の話が頭の中に残り、目を閉じるとどうしてもその惨状を思い浮かべてしまうのです。土を取り込んだ兵士の皮膚が土のように変色して崩れていったり、水を取り込んだ者の顔の一部分だけが飴状に溶けていくような悲惨な光景を……」

 ミラーはミルトの右腕を怖ろしそうに凝視していた。ミルトのその腕をその話に絡めて考えているのが分かる。

 ポムはミラーの話が一段落するのを見計らってから話始めた。

「ふむ、確かにその技法〈精霊融合法〉は怖ろしい結果をもたらしていた。精霊を体内に取り込む事で多大な恩恵を得られるのは確かなのじゃが、反面に多くの危険を伴うのも事実だったのじゃな。だから禁じ手として封印され次第に廃れていったのじゃ」

 ポムはミルトを心配そうに見つめるミラーに安心させるように言った。

「大丈夫じゃよ。ミルトは精霊を取り込んではいるが、その腕の損傷は内部からの精霊侵食によるものではない」

 ミラーは救われたようにポムを見つめた。

 ポムは話を続けた。「では材料を採りに行ったあやつらが戻るまでに、少しばかり講義をする事にしようかの。ミルトの今の状態を知っていたほうが、これからする儀式の助けにもなるしのう。まず、第一に精霊融合と言っても幾つかの段階がある。ミルトが行った術は精霊融合の初歩〈付加〉と呼ばれるものだ。これは精霊を肉体の外部にくっつけるか、もしくは体内に取り込んでいるだけの状態をさす。こうして術者は精霊を己のそばに常備しておくことで、安定して素早く術を行使する事が可能になる。ただこの状態では精霊の力を自分の意のまま自由自在に使いこなす事が出来るというまでにはいかないのう。せいぜい使い勝手の良い道具をいつも手元に持っていると言うのが関の山じゃろう。このように付加は、ただ精霊をそばにいさせると言う事だけなので、肉体侵食や精神汚染は起こらない。では、これだけでもかなり便利な技術ではないかと思われるが実は欠点もある。それはこの付加という段階は術者の精霊親和度がもろに影響するので使える人間は極めて限られてしまい、そしてもし使えたとしても活力の消費が激しすぎるという欠点もあるのじゃ」

 ミラーはミルトの陥った状態が少し把握出来てきて、いくぶん気持ちが楽になってきた。

 ポムはミラーの様子を確認してから次の話に移った。

「さて、かなり簡単だがこれで〈付加〉については終わろう。……ついでだから次の段階の事も少し話しておこうかの。それが〈置換〉と呼ばれる技法じゃ。この段階に進むと昔ミラーが怖れていた事の可能性が出てくる。置換とは、肉体よりも高次元の存在である霊体の一部分を精霊と置き換えてしまうという技法でな。言わば自分の一部分が精霊になると言う事で、自由自在にその精霊の力を幾らでも揮えるようになり、まさにとんでもない力を得る事になる。だがしかしその反面危険は大きい。霊体は自分の精神と直結している様なものだから、精霊という異物が混ざる事で精神状態が正常ではいられなくなる可能性が出てくる。更に霊体は肉体を形成しているものだから、力を行使している内に精霊の力の影響を受けて、肉体が次第に変質していく事もありえる訳じゃ」

 ミラーはどこかから物音がしてびくりと大きく身を震わせた。それはトーマとキルチェが用事を済まして戻ってきただけなのだったが、ちょうど兵士が変異して怪物に成り代わってしまった様子を思い描いていた所だったのでかなり驚いてしまった。

 ポムはトーマ達を出迎えるために話をまとめた。

「ではこの位にしておこう。〈精霊融合法〉の真髄は更に次の段階である〈憑依〉とその次の〈召喚憑依〉なのだが、話が難解で長くなるし、それに今は講義をしている場合でもないしの」

 ポムはトーマ達に採ってきた素材を儀式に相応しくするために、精製させて器に盛りつけさせた。

 土はふるいにかけて均一な粒子にして茶褐色の皿に盛りつけ、川の水は濾紙で濾してから口の広い浅めな花瓶に注ぎ込んだ。

 そしてミラーにはこれから行う儀式の心構えと手順を教え込んだ。

 子ども達は真剣な顔でそれらにのぞんだのだった

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