表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/68

第四章 一話 癒しの奇跡

「〈堅き土なる盾〉!」

 ミルトの周囲の四方の地面が一瞬の内にせり上がり、その土壁がミルトの姿を完全に覆い隠していた。

 それはまさに獣が襲いかかろうとした瞬間であった。

 ポムは遠くでほっと胸をなで下ろした。

 これでもう一安心じゃわい……。

 ポムは遠くからミルトの姿を見つけると、即座に精霊術を使ってミルトを守ったのだった。

 ポムは膝に手をつき、荒くなった呼吸を整える。

 こんなに長距離を一生懸命に走ったのはいつぶりだろうか。あったとしても、それは覚えていないほどの昔の事なので、年老いたポムの心臓は猛抗議をするかのように激しく飛び跳ねている。

 ポムはナマスを偵察に出してミルトとの最短距離を調べさせ、そしてそれを駆け抜ける事でいち早くミルトの元に辿り着いたのだった。

 少し息を落ち着けたポムがミルトの元に近づいて行くと、まだ土壁の周りをうろついていた獣がポムを新手の敵と認めて身構えてきた。

 しかしポムは特に気にせず、平然として歩み寄って行く。

 ナマスがミルトのところから、ふわりと宙を舞って戻ってきた。

「ポム様ご報告致します。あの中の少年はかなり酷い傷を負っていますが、何とか生きているようです。それともう一つ、あそこにいる獣なのですが、何とあれは〈風豹〉でありますよ」

 それを聞いたポムは驚いて足を止め、不用意に近づくのをやめた。

「何じゃと?!あの魔獣のか」

 ポムは警戒するまなざしを前の獣に向けたが、どうも腑に落ちなかった。

 魔獣の風豹と言うものは風を自在に操り、まさに風のように駆けると言われているのだが、今その面影は全くなかったからだ。

 ナマスは怪訝そうな顔のポムに説明を始めた。

「ポム様、そんなに警戒しなくても大丈夫かと思われます。何故ならあの獣はかなりの傷を負っているからです」

 ポムはそれを聞いてさらに不審そうな顔になった。

 ……あの魔獣が負傷じゃと?

 風豹はとにかく動きが素早くて、しかも風の防御壁を持っているせいで、一流の狩人でさえも仕留めるのはかなり困難だというのに。

 ナマスは報告を続ける。

「あと、あの一帯が異様な光景になってますね。辺り一面焼け野原ですよ。たぶんあの時見た大爆発の影響かと思われますが」

 ポムはここに向かう途中で見た爆発の光景を思い出した。かなり奇妙な爆発で前方に火炎を一気に放射したかのような感じの爆炎だったのだ。

 ポムはその事を考えながら、慎重な歩みでその獣に近づいて行った。

 果たして、あの爆発は一体何だったのじゃろうか。あの威力と範囲を考えるとかなり高度な術だと思われるがのう。だがしかし、あれをミルトがやったとしたらそれはもう精霊術としか考えられんが……。

 むむ。嫌な予感がしてならんわい。

 風豹は、威嚇に全く動じない新手の敵に怖じ気づき、ついに後ろを向いて逃げ出していた。

 ポムはふと迷ったが、その魔獣にとどめを刺しておく事にした。今は弱っているとはいえ力のある魔獣がこの都市の周りをうろついているというのはあまり好ましい事ではない。

 ポムは呪文を唱えて魔獣の真下の地面から土の槍を突き出させて、風豹の胴体を串刺しにした。

 獣の動きがかなり鈍かったので狙いをつけるのは容易であった。

 風豹は断末魔のうめき声を上げるとその場で動かなくなった。

 ポムはナマスにその獣の生死の確認に行かせて、ミルトを覆い隠している土壁の前に来ると、土壁の術を解いた。

 土の壁が下がっていき、元の地面に戻るとミルトの姿が現れた。

 ミルトはまだあの時見た、立ち膝の姿勢のままであった。

 ポムはミルトの姿を間近で見て、息を呑んだ。

 着ている服は至る所が破けて血や泥で汚れ、見えている素肌も泥だらけで、更には痛々しい擦り傷だらけだった。

 それに左の腕には深い切り傷があり、赤い鮮血が止まらず滲んできている。そして右の腕はどういう訳か真っ黒に煤けてひび割れているではないか。顔はもう憔悴しきっていて、砂埃で汚れた頬に涙の跡がはっきり残っている。瞳は開いているが何も見てはいないような感じだった。

 ポムは急いで駆け寄り呼び掛けた。

「おい!ミルト。大丈夫か?」

 ミルトはしばらくすると、その声でゆっくりと顔を上げてきた。虚ろだったその瞳に生気が戻ったと同時に、その瞳から大粒の涙が溢れ出てくる。

「……ポム……爺さん……」

 ミルトはそのポムの姿を認めると、弱々しい安堵の表情を浮かべて前のめりに倒れ込み、そのまま意識を失ったのだった。



 そのころ街の大手門のそばではちょっとした騒ぎになっていた。

 門塔の見張り台から外界を見張っていた護人の一人が、あの爆発の光景を目撃したからだ。

 その見張り台に登っていた護人は興奮した様子で地上の仲間に報告していた。護人達は外界での爆発など滅多にないので、何人かで集まって協議を始めている。

 その緊張しだした門から少し離れた垣根の影で、その様子を不安げに見守る三人の子ども達の姿があった。

「……なあ、爆発だってよ」トーマが仲間に向かって言った。

「はい。……何が起こったのでしょう?」キルチェは小声で答えた。

 ミラーはそれには答えずに、見張り台の護人が発する言葉を、一言も聞き漏らさないように耳を澄ませている。しかし門番達の話を聞くにつれて、ミラーの顔色は次第に蒼白になっていった。

 そんなミラーを心配したキルチェが話しかけた。

「大丈夫ですか?顔色が悪いですよ」

 はっと我に返ったミラーはキルチェを見て小さく息をついた。息を詰めて聞いていて呼吸すら忘れていたのだった。

「うん……。私なら大丈夫。ただ気になったのがあの護人さんが言っていた場所がミルトのいた方向だって分かったら……」

「ああ、やっぱりそうなんだ……」キルチェも暗い顔になった。

 二人のやり取りを見てたトーマが面白くなさそうに言い出した。

「なんだいなんだい!二人して。さっきの知らせはそう悪いものでもないかもしれないじゃんか。たぶんその爆発ってのはポム爺さんのしわざなんじゃないか?たぶん魔法でミルトを助けたんだよ!」

 二人はトーマの話を聞き終わると揃って大きな溜め息をついた。

「それはそうなんだけど……」とミラー。

「それが問題なんですよ……」とキルチェが言う。

 二人は互いの呟きが聞こえて見つめ合い、どうやら同じ考えを巡らしていると分かると、また溜め息をついた。

「な、なんだよ……。また二人して。俺の何が間違っているってんだ?」トーマは不満顔だ。

 ミラーとキルチェはどっちが説明するか見合っていたが、ミラーがキルチェにどうぞと手を差し出した。

 キルチェは頷いて話始めた。

「僕も……、いえ僕達もさっきの爆発はポム爺さんの魔法だと思いました。そしてミルトを助けるためと言うのも多分そうなのでしょう。ですがその事でいくつかの不安要素が出てくるのです。とにかく爆発の魔法であると言う事が解せません。あの見張りの護人さんが言うにはかなり大きな炎が上がったと言ってましたが、果たしてポム爺さんがただの獣を追い払うのにそんな魔法を使うでしょうか?ポム爺さんの得意は地属性なのにです。もっと効率の良い方法があると思いますが……。そこで考えられるのが不測の事態です。ポム爺さんは何かの理由で爆発の魔法を使わざるを得なかった。そこで考えられるのが相手の特性で爆発が有効だからとか、火系の攻撃しか通用しない相手だからとかですが、その時点でもうその相手は普通の獣ではありません。魔獣か化獣か……。そしてそんな相手のそばにいたミルトは果たして無事なのだろうか?……と色々考えた訳です」

 トーマは感心したような呆れたような感じだった。

「は~、なるほどねえ。それでミラーもそう思ったんだ?」

 ミラーもこくんと頷いた。

「ええそうなの。ポムお爺様がなんで火の術を使ったのかが分からないの。どう考えても納得出来なくて、もう不安になるばかりだわ」

  馬車溜まりの生け垣で隠れるようにして門を見守っていた三人に、一人の護人が近づいてきた。三人が門の近くに現れてからずっとちらちらと、子ども達を気にしていたゾクトだった。

 いつの間にか門の前での協議が終わり、ゾクト達はすでに厳重な装備を身につけている。

 ゾクトは三人の前に立ち、すまなそうな困った様な顔をしていた。

「さあお前達、悪いが今日はもう帰るんだ。街のそばの異変のせいで特殊な警戒態勢をとることになった。ここら一帯はもう立ち入り禁止だ」

 追い込むように両腕を広げて向かってくるゾクトにトーマが立ち向かった。

「ちょっと待ってよ!俺たち人を待ってるんだ」

「そうです!もうすぐポム爺さんが帰ってくるはずなんです」キルチェも続いた。

 ゾクトは、ああそうかという顔になった。

「お前らもポムさん待ちか。まあ実は俺たちもそうなんだがな。あれはあの人がやった公算が高いし、もし違ったとしても何かしら情報は持っているだろうからな。」

 ゾクトはそう言いながらも、子ども達を門から遠ざけていった。

 子ども達も諦めて、もう少し遠くで待っていようと背を向けて歩き出した時に、見張り台に登っている護人が地上の仲間達に向かって叫んできた。

「誰か歩いて来たぞ!……あの姿はポムさんだな」

 ゾクトと子ども達も門のほうを向いて護人達のやり取りを聞いていたが、その会話の中で一切ミルトの事が触れられないので、子ども達は次第に焦り出し始めた。

「おいおいおい!なんでミルトの事が何も出てこないんだ?」トーマは小声で苛ついた様な口調でキルチェに言った。

「何ででしょう……。本当にポム爺さんだけなのかな……?」キルチェは不安そうな目で門を見つめている。

「……まさか、そんなはずは……ないわ。ミルトは絶対に一緒なはずっ!」

 ミラーは青ざめた表情で、両手を胸の前で組み合わせて祈りをする様な姿勢になっている。

 そんな子ども達の会話を耳にしたゾクトは、怪訝そうな顔で子ども達に向き直った。

「……お前達、今日は何かおかしいな?ポムさんとミルトが一緒な訳ないじゃないか。それに今日に限ってミルト抜きでしつこく門の所に来るし。……ん、待てよ。そういやお前ら今朝もえらい早くに来てたな……?そん時も何か妙な質問を……」

 ゾクトのまさかそんなはずはないという気持ちが、子ども達の怯えるように真剣に心配している様子を見て、次第に崩れ始めた。

「……おい。それじゃあ何か?まさか本当にミルトが外界に出ていたって事か?そんな……信じられん!一体どうやって?いやいや、それよりもそれは確かなのか!おい!」

 ゾクトは顔を青くしたり赤くしたりひどく動揺していたが、最後に子ども達に向けた顔は鬼気迫るものがあった。

 子ども達はその鬼のような視線に射すくめられ、観念して何度も頷いた。

「おまえら……こんの馬っ鹿やろう~!!何でそれを早くに言わねえんだ!!」

 ゾクトは辺り一帯の空気を震わせる程の怒声を出した。

 少年達は何とか涙をこらえていたが、ミラーは我慢出来ずに泣き出してしまっていた。大粒の涙がぽろぽろ頬に伝って落ちていく。

 ミラーが堰を切ったように話し出した。

「うえっ、ひっく……ごめ、ごめんなさい。……ミ、ミルトが外に出ちゃったのが本当に分かったのが昼頃……だったし、それで……その時、何とかポムお爺様に連絡する事が出来たから……大丈夫だと思って。それに……護人さん達に言ったら……大事になっちゃうし……」

 ゾクトは苦い顔でミラーの話を聞いていたが、ここで怒っていてもしょうがないと気を取り直した。

「まったく、そりゃあ大事にもなるぜ。……それでこれからどうすりゃいいんだ?まずは装備を整えた捜索隊を編成して……」

 キルチェが恐る恐る鼻声で進言した。

「あのう、今はもうポム爺さんと一緒だと思うのですが……」

「んん?ああそうか。だが見張りの奴が何も言ってこないってのはどういうこった?」

 ゾクトも不安でどうにもならないようだ。

「ちっ、まずは確認しないとどうしようもねえ」

 ゾクトが門に向かおうとした時に、トーマがずっと気になっていた事を訊ねた。

「ねえっ、ミルトは罰を受ける事になるかな?」

 ゾクトは足を止めて振り向いた。

「うん?そうだな……、最近はこんな事などなかったからな。もしかしたら見せしめとして重い罰があるかもしれんな」

 ゾクトは考えながら言っていたが、すぐにトーマが言った言葉の含みを感じ取った。

「ちっ、そういう事かよ。内輪で済ませられれば、それにこした事はないってか。……しょうがねえ、捜索隊を出すとかいう事態にならなかったら、何とかしてみらあ」

 ゾクトはそう言い放つと門に向かって走り出した。


 ゾクトが門のそばにまで戻ると、普段はあまり見かけない城の衛兵達がうろうろしていた。異変を聞きつけて調べに来たのだろう。ざっと数えても五人やそこらはいる。しかもまだ増えそうだった。

 ゾクトはこの衛兵達からミルトの事を隠し通すのは、もう無理なんじゃないかと心配になった。

 ゾクトは衛兵の隊長格を見つけ出すと、異変のあった外界に街の者がいるのは危険だからと何やら理由をつけて話して、気心の知れた仲間のテッドを連れてポムの所に向かった。その隊長格の衛兵は何か言っていたようだが、それはもう聞こえない振りをした。

 ゾクトとテッドは重い装備を揺らして、出来る限りの速度で走っている。

 状況も分からずに連れ出されたテッドはついに文句を言い出した。

「ちょ、ちょっと隊長!何をそんなに急いでいるんです?」

「うっせい!黙って走れい!」ゾクトは喚くように言う。

 テッドはゾクトのその剣幕に驚いて、しばらく黙って後に付いて行ったが、どうにも納得がいかなくてまた訊ねた。

「だから、何を、そんなに急いでいるんです?ポムさんですよ?あの人だったら何が来ても大丈夫じゃないですか。獣の大群が押し寄せてきても、あっさりと退治できるんですぜ」

 ゾクトは、いらいらしながら答えた。

「うるせえ奴だなあ。あれは建前だ!衛兵達が怪しむからな。俺はポムさんが心配で急いでいる訳じゃあねえ」

「だから、何でなんですって?俺っちの脇腹はもう限界……」

 ゾクトは弱音など聞きたくないと言うように、テッドの言葉を遮った。

「分かった分かった。もう言っても大丈夫だから言うが、俺が心配しているのはミルトの事なんだよ!ポムさんとミルトが今一緒にいるはずなんだ」

 テッドは呆気にとられて間の抜けた顔になった。何か聞き間違いだと思ってもう一度訊ねる。

「……は。何て言いました?」

 ゾクトは苛立たしく舌打ちをした。

「ちっ。だからミルトだっての!どうやらあいつがどうやったか、街から抜け出したらしいんだ」

 ゾクトの言葉がどうしても信用出来ないテッドは引きつった笑い声をたてた。

「ふっ、ふひひ……またあ、そんな事ある訳ないでしょう。今日はおいらもずっと朝から門のそばにいたし、そんな抜け出る機会なんてまるでありませんでしたぜ。あ!隊長、いつもの冗談でしょう。まったく今回のはまるで洒落になってませんぜ」

 ゾクトは黙って走る速度を落としてテッドに並ぶと、氷の様な視線でテッドを見据えて声を低めささやくように言った。

「……なぁお前、なんでこの俺様がこんなにも一生懸命に走っているんだと思う……?」

 テッドは疲労から来る汗とは別の、何か嫌な感じの汗が背中から滲み出て来るのを感じた。

 また走る速度を上げたゾクトに、テッドはもう何も文句は言わずに神妙な面持ちで従って付いて行ったのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ