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第三章 十三話

 ミルトはトーマ達がミラーの家にいた頃は、かなり順調に外界を探検出来ていた。

 見飽きる事のない外界の風景、歩を進めるたびに見つける新しい発見、穏やかな性質の獣との出会いと獰猛な危険な野獣の気配からの逃走、全てがうまいこといっていた。

 それにポムがいるという丘までもうあと少しの所まで来ていた。

 ミルトにはもう確信があった。あそこまで行けばもうすぐポムに会えると。

 歩き初めの、まだ距離がだいぶ離れている時はかなり不安だったが、次第にその場所に近づくにつれて段々と自信が湧いてきたのだった。

 これは実は風の精霊を使った精霊探査術の一種なのであった。

 今までの様々な危険を嫌な予感として避けてこられたのと同様に、ミルトが精霊を無意識の内に使役をしていて、色々な情報を精霊がおぼろげに教えてくれているのである。

 だがミルトは、これが精霊の力に因るものだとは全く分かっていなかった。

 ミルトは、ポムと出会えると確信した時になって、ようやくポムに合流した時の言い分を考え始めていた。

 ポムと会って初めは驚くだろう。しかしその次は絶対に怒り出すに違いなかった。

 ミルトは冷静になって、自分が今現在、どんなに無鉄砲な事をしでかしているかと理解したからであった。  

 ミルトは何とかうまい言い訳が出来ないものかと考え込み、それでついこの一瞬だけ周囲の警戒を怠ってしまった。

 今までは周囲に背の高い緑の茂みがあって、ずっと自分の姿を完全に隠せていたから安心しきっていたのだが、ちょうど左のその茂みが岩で途切れて、その奥に小高い丘が見えている事にまるで気を配っていなかった。

 ミルトは突如襲ってきた悪寒に身を震わせた。

 そして、慌ててその元凶となった物がいると感じた方向に目を向ける。

 すると遠くにあるその高い丘の上に、しなやかな四肢で立つ灰色っぽい毛皮を身に纏う大型の獣の姿が見えた。

 ミルトはそれが目に入るなり、身体が一瞬で硬直し、一気に血の気が引いてきた。

「……しまった……」ミルトは呟いた。

 その丘の獣はすぐに姿が見えなくなったが、代わりにいつもの危険を知らせる警報が頭の中を駆け巡ってきた。向こうのほうから嫌なものが急速に迫ってくるような感じがする。

 まずい……。これはまずい。どうしよう!何かに見つかってしまった。

 ミルトは慌てふためき、まずはこの場所から離れなければと思った。

 前に進むより後ろに戻ったほうが良いと感じて、そのとおりに全力で駆け出した。

 この場所から遠ざかれば、いつものように危機を避けられるのではないかという希望的観測が頭をよぎったが、どれだけ走ってもこの物凄い嫌な予感はまるでなくならない。

 ミルトは獣道のような一本道を必死に駆けていて、ちょうど曲がり角にさしかかった時に振り返って一瞬後ろを見てみた。

 するとこの道の奥に、さっき丘の上で見た黒い獣が、こちらに向かって走って来ているのが見えた。その獣が走る速度はもの凄い速さに思えた。

 ミルトはこのままでは追いつかれると確信して、角を曲がって見えなくなってから脇の草むらの中に一気に飛び込んで、そこで腹ばいになって隠れた。

 そして息を潜めて意識を集中すると風の精霊に願いかけて、離れた場所の草むらを直線的に風を吹かせてなびかせてもらった。

 そう、まるでそこで誰かが駆けているかのように。

 追ってきた黒い獣は隠れているミルトには気が付かずに、ミルトの横を風のような勢いで駆け抜けていき、その動いている草むら目がけて突っ込んで行った。

 そしてそのまま姿が見えなくなった。

 ミルトの危険を知らせる警報もいつの間にかやんでいた。

 ミルトはとりあえず助かったと安堵の深い溜め息をつき、吹き出た汗をぬぐいながらまた移動を始めた。今度は慎重に身を潜めながらの移動である。

 もう同じ道は使わずに、少し遠回りをして行くことにした。

 しかし途中で、背の高い草が茂る湿地帯を抜けてしまい、岩と草原が広がる草原地帯に入ってしまった。道を変えたくても、引き返そうとすると、あのとても嫌な感じが再び湧き起こるので前に進むしかなかった。

 しばらく慎重に草原を進んでいると、今度は左前方からまた別の嫌な感じがしたので、道を変えて進んだ。

 ミルトはもう自分がどっちに向かえば良いのか分からなくなってきていた。

 お日様の方向と何となくの感覚でポムのいる方角は分かるのだが、そっちにまっすぐ向かって行けないと言うもどかしさが頭を混乱させる。

 憔悴してきたミルトにさらに追い打ちをかけるように、さっきのあの物凄い嫌な感覚が後方から迫って来るのを感じた。たぶん丘の上で見た灰色の獣だろう。速度はそんなに速くはないが、こっちに向かって来ているのは明らかだった。

 ミルトはこの遮蔽物の少ない地帯にいるのはまずいと考え、奥にある林へと駆け出した。

 途中前方から別の嫌な気配がしたが、もうこの際それは無視する事にした。と言うのも後ろから迫る気配が段違いに嫌な感じがするからだった。

 前方に大きな獣が歩いているのが見えてきた。巨大な体躯と固そうな毛皮そして鋭い牙と大きな両角を持つ肉食の野獣でこの地域では〈暴乱の突牙牛〉と呼ばれるものだった。

 ミルトは一応避ける方向に進んだが、その野獣はミルトを見つけて襲いかかろうと身構えてきた。

 しかしその牙牛はミルトの後方からせまる一匹の獣の姿を見るや、慌てて林の中に駆け込むように逃げていった。

 ミルトの危険を告げる感覚がもう最大限鳴り響いている。もう警報ではなく警告だ。確認しなくても、何かが後ろから迫って来ているのが感じられた。

 ミルトは相手が真後ろに来て、一気に飛びかかって来たのを風の流れで察知すると、横っ飛びに飛んで間一髪でそれを躱した。

 地面に転がりながらも、うまく受け身を取って、すぐに起き上がりその相手のほうを確認した。

 飛びかかってきたその獣は、勢い余ってそのままだいぶ行き過ぎてから反転してゆっくりと戻ってきた。

 それは黒と白の縞模様の艶やかな毛皮を持つ大柄な山猫のような獣だった。

 その獣は四肢は太いが強靱でしなやかそうな体躯をしている。ぴんと張った白い髭がぴくぴくと動き、ぺろりと舌舐めずりをすると鋭い牙がちらりと口元から見えた。

 その獣は一歩一歩ミルトに近づきながら、緑の瞳でミルトをじっと見つめている。

 その獣の長い尾が小刻みに左右に揺れていた。上等な獲物に興奮しているかのようだ。その表情は何か愉しげと言っても良いかもしれない。

 ミルトはその獣から目を離さずに後退していった。急激に動くとそれが呼び水になって襲ってきそうだったからだ。

 ふと風の精霊の気配が騒ぎだしたのが感じられた。見てみると、あの獣の足元の草だけが風になびくようにざわめいている。

 ミルトが何だろうと思っていると、その獣の歩みがだんだんと速くなってきて、駆け出したと分かったその一瞬で、すぐにもう目の前まで来ていた。

 ミルトはその獣の前足で薙ぎ払われて、横に吹き飛ばされた。

 とっさに身構えたのと、爪に当たらなかったおかげで大きな怪我はなかったが、その衝撃は凄まじく勢い良く地面を転がされた。

 ミルトは痛みをこらえて何とかすぐに起き上がって身構えたが、前とまるで同じ様な状況になっている。

 どうやらあの獣は、駆け出すとすぐには止まれないらしく、かなり行き過ぎたところで立ち止まって振り返っていた。

 ミルトの混乱しきった頭でもすぐに分かった。

 あいつ……僕で遊んでる……。徐々に弱らせる気だ。

 しかしもうどうしようもなかった。まるで歯の立つ相手ではない。逃げる事も立ち向かう事も何も出来ない。ただ向こうが飽きて見逃してくれるのを祈る他なかった。


 何度吹き飛ばされて地面に叩き付けられ、何度攻撃を躱す為に地面を転がったのだろう。

 ミルトは未だ諦めずに、何とか助かるべくあがいていた。

 相手が飛びかかって来る度に体のどこかに傷を負う。深い傷はまだないが、もうミルトの身体は泥だらけで満身創痍であった。

 相手の獣は愉しげにミルトという活きの良いおもちゃを満喫しているようだ。

 しかしミルトは、この絶体絶命な状況にありながらも相手の事を観察し続けて、ずっと感じていたその違和感の正体にやっと気が付く事が出来た。

 あの獣のあの動きは普通じゃない……。あの一瞬で加速するあの走りは何かあるはずだ。

 ミルトは疲労と全身の痛みで鈍りがちな思考を何とか保たせて必死に考えていたのだった。

 あの攻撃を受けるたびに感じる風、あの獣が歩くたびにざわめく草花、この一帯にいる風の精霊がずっと騒いでいる事実……。風の精霊が僕を心配しているのかもと思ったけど、そうじゃなくてあの獣が風を操っているのだとしたら……?

 ミルトはそこまで考えてはっと気が付いた。

 そうか、そうなんだ……。あいつはただの野獣じゃない……。

 精霊の力を借りる事の出来る高位の存在の〈魔獣〉ってやつか。

 あの人間にとって脅威の存在の!

 次にきた獣の一撃がミルトを吹き飛ばし、ついに左腕が切り裂かれて辺りに鮮血がほとばしった。

 ぐうっ……!くそっ、ついに飽きてきて殺しにかかりにきたか……?

 ミルトは左手の傷を押さえて立ち上がり再び獣と対峙した。振り返ったあの獣の目が前とは違い、何か冷酷な光を宿しているような感じがする。

 左腕からだらだらとたれる血を見ながらミルトは懸命に考えていた。

 あいつは風を足に宿すようにして操って自分の駆ける速度を上げている。

 あいつに出来るのなら僕にだって出来るんじゃないか……?

 僕だって風の精霊術はちゃんと使えるんだ。

 そう、前にミラーから聞いた事がある。精霊術は想像力次第で無限の可能性があるって……。

 やり方が分からないから出来ないんじゃない!

 とにかくもう僕もそれをやるしかないんだ!

 ミルトは再び襲いかかってくる獣を目で捉えて強く願った。

 ―風の精霊達よ!僕に力を!両足に宿り風のように駆け生き抜く為の力を!どうか僕にその力を貸してくれっ!―

 その瞬間、ミルトの両足にもの凄い力が一気に流れ込んで来た。

 そしてミルトは、このまま両足が弾け飛ぶのではないかという程の激痛に襲われて、立ったまま絶叫した。

 ミルトは獣の爪が目の前に迫って来ているのを霞む目で捉え、その攻撃を避けるべく地面を蹴って横に向かって一気に跳んだ。

 獣の一撃は何とか躱せたのが分かり、ミルトは次に来る地面との衝突の衝撃に備えた。

 だがしかし、どうもいつもと様子がおかしい事に気がついた。いつまで経ってもその衝撃が来ないのだ。

 ミルトはついに自分の気でもおかしくなったかと思って、閉じていた目を開けると、すぐ目の前で猛烈な勢いで地面が後方に流れているのが見えた。

 ミルトは自分がまだ宙を跳んでいると気が付いて驚いたが、次第に近づく地面を見て急いで身体をひねって何とか足から着地をした。

 後ろ向きの状態で土埃をあげながら滑走していき、ずいぶんと地面を滑ってからようやく止まった。

 今はもう、あの物凄かった両足の激痛は無くなっているが、その代わり何か両足の感覚がおかしい。何かこう希薄な感じがするのだ。しかし今はその事を考えている時間はない。

 ミルトは急いであの獣の姿を探した。

 するとかなりの距離をおいてあの獣を見つけた。あの一瞬のひとっ飛びでかなりの距離を稼いだようだ。

 あの獣も驚いたようにミルトを見ていたが、苛立たしげな唸り声をあげて再びミルトのほうへ向かって来た。あの風のように駆ける本気の走りである。

 ミルトもそれを見て反対方向に走り出した。

 一歩地面を蹴る毎に景色が跳ぶように過ぎていき、遠くのものがすぐに近づいて来る。

 ミルトは想像以上の速さで走る事が出来ていたのだった。

 しかしこの速度にまるで慣れていないので、体勢を崩すとすぐに失速してしまう。そしてあの獣に追いつかれては攻撃をされる。

 そのたびに一気に跳躍して逃げるのだが、この跳躍の動きだけはこちらに分があるようで、ミルトはうまくやれば何とか全ての攻撃が躱せそうだと思うようになった。

 ミルトは一縷の希望を見いだして、絶対に諦めるもんかと強く思いながら必死に逃げ続けたのだった。


 ミルトが丘の上から初めて魔獣に発見されるその少し前、ポムは街を見下ろす小高い丘の上にいた。

 ポムがふと、遠くが見える筒型の観測機を目から外して辺りを見回した。

 何者かに見られたような感じがしたのだが、周囲に変わったところは特にない。

 ポムはそれならばと目を閉じ、意識を集中して周囲の気配を探った。

 するとどうやら水の精霊が働いた形跡があるのが分かった。さらにもう少し詳しく探るとミラーの力の痕跡があることまで分かった。

 ポムは首を傾げた。

 ふむ……?ミラーの探査術か。何じゃろうな。何か儂に用でもあったのかのう……。

 ポムは少し気にはなったが、気を取り直して観測機をまた目の前に構えた。そして宙に向かって話しかけた。

「よし、ナマスよ。その綻びは城の東、キロイの森の上で間違いないな?」

 ポムの斜め上に浮いているナマスは自信を持って答えてきた。

「はい。間違いありません」

 ポムはよしと頷くと、今度は横に立たせてある三脚が付いた装置に向かった。その装置の天板には動かせる透明な半円板が二枚あり、その板の照準を対象物に向ける事で対象と対象との角度が求められるようになっていた。

 ポムは角度を読み取ると、今度は地面に置いてある大きな図面に、その角度に対する直線を引いた。その直線は以前に描いた二本の直線の交点と綺麗に交わった。

 この図面はこの都市全体を周囲の地形と一緒に精緻に描かれた物で、いわば都市の設計図とも言えるかなり貴重なものであった。

 ポムはこの図面と観測機で、都市の上空にある結界の綻びを特定するための測量術をしているのであった。

 ポムはこの図面とにらめっこをしながら次の手順を考えていた。

 ふむ、これで大まかな場所の特定は出来たと。もう少し場所を絞るために市街地の地図を用いて街なかからナマスに確認作業をしてもらえばあとは仕上げに入れる。まずは城の役人にこの事実を知らせて……。

 ポムのこの思索は突然のナマスの驚き声で妨げられた。

「……何です、あれは?ポム様!ポム様!あれを見て下さい」

 ポムはナマスの指を差す方向を見て、少し驚くように目を見張った。

 街の南側から立ち上った光がきらめく尾ひれをつけて、こちらに向かってもの凄い勢いで跳んで来るではないか。

 ナマスは慌てふためいて右往左往していたが、ポムはあれが何かを知っていたので落ち着いてその光が来るのを待った。

 その光の球はポム達の手前で急制動して空中で止まり、光輝く小鳥の姿に変わった。

 するとその小鳥からミラーの声が聞こえてきた。

(ポムお爺様!ミラーです……)

 ミラーの話を聞くにつれ、ポムは次第に血の気が引いてきた。

 今まで、これ程までに焦って混乱したことがあっただろうか。

 ミラーの最後の涙声での言葉が聞こえ、光の鳥が消え去った後もしばらくぼう然としていた。あまりにも衝撃的な事実を聞かされ頭の整理がまるで追いつかないのだ。

 ……何じゃと。ミルトが外界に出ている……?

 もしやこの儂を追ってか……?

 しかも一人で!

 ポムはしまったと悔やんだ。

 ミルト達にきちんと事情を説明して、厳しく釘を刺しておくべきだった。もしくは少年達に黙って行くならば周囲にそれなりの箝口令を敷くか、自分の動きの痕跡を残さないようにするべきだったのだ。

 ミルトの外への憧れは尋常ではないところがあった。儂が街のすぐ外をうろついているとミルトが知ったらどう思うかなど考えるまでもない。追いかけようとするのではないか。

 いまのミルトほどの才覚があれば門の突破くらいは出来るだろうし、外界に出ても短時間なら問題なく過ごせるだろう。

 まだ子どもだからそんな事は出来ないだろうと、見くびっていた部分もあって油断したことは事実……。

 だがミルトはもうそんな冒険を考え、それを実際に実行出来る年頃なのだった……!

 よく考えればすぐ分かる事なのに、結界のことに気を取られていて忘れてしまっていた。

 ポムがぼう然と突っ立っているところにナマスが恐る恐る声をかけてきた。

「あのう、ポム様。それでどうなさるおつもりで?」

 ポムは、はっと我に返り、急いで考えを巡らしナマスに指示を与えた。

「ナマスよ。お主も聞いた通りじゃ。儂の教え子が外界に一人で出てしまっている。場所は街の南東の湿原地帯方面じゃろう。急いで向かって居場所を見つけて儂を誘導してくれ。どうやら危機が迫っているらしい。頼むぞ!」

 ナマスはかしこまりましたと頷き、宙を飛んでいった。

 ポムは自分の周りに散らばっている大事な道具類を見回したが、それらはすぐに諦めて図面だけを拾い上げて無造作に折りたたんで懐にしまうと、勢い良く走り出したのだった。

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