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第三章 九話

 ミルトは寝そべりながら見上げていた夜空に、一羽の鳥が飛んでいるのに気が付いた。

 そしてがばっと身を起こすと窓辺に行き、お日様が出る方向を眺めて、その空がうっすらと明るくなっている事を確認した。

 ミルトは忍び足で狩人ごっこ用の装備を身につけて革鞄を背負うと、台所に忍び込んで食べ物を少し多めに鞄に詰め込んでから、物音を立てないようにそっと扉を開けて家を出た。

 まだ家の前の通りはしんとしていて、まだ夜の気配を漂わせている。いつも早起きだなと思うおばさんの家もまだ明かりさえ点いていなかった。

 ミルトは足音をたてないように気を配って通りを走り、目的の場所まで急いだ。

 もしもそこに人がいたらこれからの計画は全て水の泡になってしまう。

 ミルトは誰に見とがめられる事もなくまずは馬車溜まりまで辿り着いた。

 そこにはまだ誰もいなくて、馬車群の配置も昨日見たまんまであった。

 ミルトはほっと胸をなで下ろした。

 ミルトはこそこそと馬車群のほうに近寄り、馬車の陰に隠れながら身を低くして目当ての馬車を目指した。

 だが、少し離れた場所から物音が聞こえ、ミルトは慌てて姿勢を低くした。

 しばらくそのままの姿勢でいて、そっと音が聞こえたほうに目を向けると、それはどうやら馬小屋からだと分かった。

 早起きの馬が起き出してきたのだろう。

 ミルトは先頭の馬車まで来ると後ろに回り込んで荷台を確認した。

 その荷台には木箱が何個か載せられて、その上に薄い布と厚い防雨布が掛けられている。

 ミルトは意を決して計画の要の秘策を実行するべく馬車の中に潜んだ。

 かなり疲れる体勢だがとりあえず何とかなると思えた。

 あとは馬車が動き出すのを待つだけである。

 ミルトはこの馬車が今朝の内に出発するものと確信していた。商隊の出発は日の出と同時だし、出発の前の日に馬車を綺麗に掃除をして荷積みも済ませておくものなのだ。これはミルトが長年馬車溜まりを観察して学んだものであった。

 ミルトは馬車に潜んで息を殺しながらその時を待った。

 隠れ場所の隙間から見える外の様子が少し明るくなり始めた頃、遠くから何人かの足音が近づいてきた。

 ちらりと覗き見ると、それは二人の大人達であった。

 その大人達は始めに馬小屋のほうに回り、そこで二頭の馬を引き連れて、ミルトの潜む馬車へとやって来た。

 その者達は鼻歌まじりに馬と馬車を繋ぎ、一人が馬車の運転席に飛び乗った。

 ミルトはすぐに動き出すのかと身構えたが、どうやらまだその気配はない。

 ミルトが不審に思っていると、通りの向こうから三人の騎馬がやって来るのが見えた。男達は馬上で会話を交わしてやっと門の手前へと馬車を動かし始めた。ミルトは隠れているその場所で、更に身を強ばらせて見つからないようにと祈っていた。

 大手門に差しかかり馬車が止まった。馬車の周囲に護衛の騎馬隊以外の複数人の気配がする。門を警備している護人だろうと分かった。

 ミルトは頭上の会話に耳をすませた。

 馬車上の男の声がする。

「ご苦労様です。もう出発することにしますよ。」

 違う声が答えた。「はい、では門を開けます。少しお待ち下さい。お供の方は三名ですか、気を付けて行って下さい」

 門を開く重く軋むような音が響いてきた。

 また違う野太い声が聞こえてきた。昨日散々聞いた声…小隊長のゾクトの声だ。 

「それでは、馬車の荷台のほうを少し見させてもらっても良いですか?」

「ああ、どうぞ。物品表はこちらになります。」馬車上の男は愛想良く答えていた。

 門で通例となっている簡単な荷物検査である。ミルトは息を殺して無事にやり過ごせることを祈った。

 ゾクトが間近にいるのが気配で分かる。

 ゾクトの手が防雨布をめくりその下の薄布を見て手を止めた。木箱と荷物の隙間の陰に人の頭のような丸いものがあるような気がしたのだ。ゾルトは無造作に手を伸ばすとその布を更にめくった。

 だが、そこにあったのはただの野菜の瓜の一種だった。他に気になる所は特に何もない。

 ゾクトはふんと息を吐き出して言った。「ではお通り下さい。気を付けて」

 ゾクトの愛嬌のない声が聞こえ、ミルトはほっと息を吐き出した。

 馬車がまたゆっくりと動き出したので、ミルトは四肢に力を込めて踏ん張った。そうしているとやがて馬車と地面との隙間から門の扉が見えて、その先に広大な外界の風景が見えてきた。

 外界へ出たのだ。

 ミルトは興奮して叫び出しそうだった。

 この胸の鼓動の高鳴りは疲労だけのせいではない。

 今まさに夢にまで見た外の世界に出るという夢が叶った瞬間だからだろう。

 ミルトは落ちそうになる身体を何とか必死に支えていた。そうミルトは馬車の荷台の上ではなく、その裏側にへばりついて隠れていたのだった。

 これが馬車の型式と形状を昔に皆で研究して編み出した秘策だった。車軸と車軸の間に手と足をかけて突っ張り、地面と向かい合わせの状態で身体を浮かしているのだった。これを長時間実践したのは今回が初めてだったがかなり上手くいった。たぶんあの考え出した小さい頃では体力が持たなかっただろうし、もっと大きくなったらこれは体格的に無理だろうと思えた。

 商隊は国を紡ぐ道を並足で進み、ミルトの行きたい方向へと進んでいく。

 しかし次第に街道は蛇行していき、ポムがいるというミルトが行きたい丘のほうからは逸れてきているのが分かってきた。

 それに身体のほうの限界もそろそろ近い。手足がぷるぷる震えてきている。

 ミルトは次の作戦に移る事にした。

 坂を下ってこちらから門が見えなくなる位置で、さらに道端に背の高い茂みが多そうな場所が最適である。

 ミルトはしばらくそんな場所が来るまで必死に我慢して、ようやく条件が叶う光景が見えてきたのですぐに計画を実行することにした。

 まずは、馬車が止まらないとどうしようもない。このまま飛び降りれば物音を立てるし怪我もするかもしれない。それに無事に降りれたとしても馬車が頭上を通り過ぎて後ろにいる護衛の人達に姿が丸見えになってしまう。 

 ミルトは前方にある大人の背丈ほどの茂みをちらりと確認すると、その場所に意識を集中して精霊に願った。

 ―風の精霊達よ、あそこの茂みだけを揺らしておくれ―

 すると風の精霊は願いを聞き入れその場所に風を巻き起こしてくれた。茂みの奥の一点だけが大きく揺れ動いてざわざわと音を立てる。それはまるでその場所に大きな獣が潜んでいるかのような感じになっていた。

 商隊の護衛達もその箇所の異変を察知して、馬車を三角に取り囲む通常の陣形から馬車の前方に一列に並ぶ陣形を取り始めた。全員が武器を取り出し大声で指示を出し合い、馬を激しく操りながら前方を威嚇している。

 ミルトは馬車が止まるとすぐに手を離し地面に降りた。うまく受け身を取って音もなく降りるとそのままの格好で馬車の後方から外に転がり出る。

 すると抜けるような青い空と大自然の風景が目に飛び込んできた。ミルトは感動して、一瞬見とれてしまったがすぐに我に返り、身をひるがえして近くの茂みに音もなく隠れた。緊張と興奮と疲労のせいで息が荒い。周りが静かなので気づかれないかとひやひやしていた。

 商隊のほうでは動かなくなったその茂みにまだ警戒と威嚇を続けていたが、やがて商隊は警戒態勢を続けながらその場を立ち去っていった。

 この騒ぎに乗じたミルトの動きには誰も気が付かなかったようである。

 茂みに身を隠していたミルトは蹄の音が聞こえなくなるまで時をおいて、そっとこわばった体を伸ばしながら立ち上がった。商隊はもうどこにも見えなくなっていた。

 ミルトは安堵の溜め息をつき振り返って街のほうを見た。

 街からはもうだいぶ離れていて高い塀に囲われた巨大な都市が一望出来る。ポムがいるという場所はここからだと少し街道を後戻りをして丘を一つ越えた辺りになるはずだと見当をつけた。

 ミルトは慎重に周囲を見渡すと意を決して街道を戻らずに更に茂みの奥に分け入った。外界の探検がてら、ここから原野を突っ切って目的地に向かう気なのである。

 ミルトは興奮で胸が躍り、初めは跳ねるようにして歩いていたが、途中で外界の危険性を思い出して背を低くして用心しながら忍び足で歩くことにした。


 その頃、ファルメルトの門のそばでは、ふらりと外の様子を窺いに出た護人が遠くの茂みで動く物を見つけていた。実はそれはミルトの姿なのだが、かなり距離が離れているのと背の高い茂みや途中の木々のせいではっきりとは見えてはいなかった。その護人は少し気になったので塔の見張り台にいる仲間に知らせて確認させようとした時に、後ろから声をかけられた。

「やあ、お早う。テッド。」

 声の主はポムで丁度門から出ようとしているところだった。いつもの穏やかな口調だが少し疲れが感じ取れる。

「あっ、お早うございます。ポムさん」テッドは意表をつかれて驚いたように言う。

 それを見てポムが訊ねた。「ん?どうかしたのかの」

「それが……」そう言ってテッドは先程の場所をもう一度確認したが、もうそこには何も不審な物は見えなかった。

「いえ、何でもありません。さっき何か見えたような気がしたのですが……。たぶん気のせいでしょう」

「そうか、邪魔をしてしまったかもしれんな。すまん」ポムは申し訳なさそうに言った。

 テッドは気を取り直して言った。「いえ、そんな。出発ですね、お気を付けて行って下さい」

 ポムはうむと頷くと誰にともなく「行くか」と言って歩き出した。

 テッドはポムの後ろ姿と先程の場所を見ながら、相変わらず別の方向を見張っている塔の上の仲間に声をかけようかと悩んでいたが、まあ遠い場所だったからと、とりあえず気にしない事にした。


 ポムが大手門から街を出た丁度その頃、下層街のまだ暗い裏道を走る二人の少年の姿があった。

 キルチェとトーマである。

 今日は珍しくキルチェが先頭に立って歩いている。

 キルチェはトーマを急かしながら歩を進めていた。目的地はもちろんミルトの家だ。

 キルチェは昨日ミルトと別れてから、どうにも胸騒ぎがしてならなかった。あの別れ際に見せたミルトの表情が今までに見た事がないほど鬼気迫るものだったからだ。

 キルチェはあれはかなりやばいと直感していた。早くなだめておかないと、何か無謀な事をしでかしそうで気が気じゃなかった。

 それで意を決して朝になるとすぐに、トーマを揺り起こして朝食も食べずに出てきたのだ。しかしあまり物事を深く考えない質のトーマはそのことでずっと文句を言っていたのであった。


「あ~あ、食べたかったなあ…。食べ損ねたよ、あの匂いは牛の乳の煮込み汁だぜ。たまにしか出ないのに何で食べれんかなあ……?」

 キルチェはうんざりしたような声で答えた。

「あ~もう何度も説明したでしょう?ミルトの様子がおかしかったって。あの昨日の去り際の顔は普通じゃありませんでしたよ」

 キルチェのせかせかした足取りに対してトーマは気乗りのしないような大股で歩いている。

「そうかあ~?」声までもだれている。

 キルチェはいい加減に我慢の限界が来て、急に足を止めトーマに詰め寄った。

「ではトーマは昨日のミルトの様子を見て本当に少しも何とも思わなかったのですか?」

 キルチェはびしりと人差し指をトーマの眼前に突きつけた。

 トーマはキルチェの剣幕におされて少し弱腰になって答えてきた。

「いや、まあ、確かにあの時は変っちゃあ変だったよ。でもよ、誰でもへそを曲げる事くらいあるだろう?ましてやあの時は、好きな子にまでけちをつけられてたからなあ」

 キルチェは静かに諭すように話し出した。

「そうですね。僕も何か他の事でミルトがへそを曲げたって言うのならそんなに心配はしませんよ。たいてい二日やそこらでけろっとしてますからね。しかし今回の場合は違いますよ。なにしろその原因は〈外の世界〉が絡んでいますからね。ミルトの外の世界の執着心は異常といっても良いくらいですからね。トーマだって知っているでしょう?」

 トーマもそう言われてやっと真剣になって考え出したようだ。

「うん。確かにそうだなあ……。外界の事を何か見たり聞いたりしては大騒ぎをしていたもんな」

  トーマもキルチェが心配している事にやっと考えが及んだ。「……でも、大丈夫だろ?あれは俺たちが幼くて無知な頃に考えた事だぜ。あんな計画を本気で実行する訳ないって。今はもう外の恐ろしさは知っているし、一人で外に出ればどうなるか分からないような子どもじゃないぜ」

 キルチェは残念そうに首を横に振った。「そう……、そんな子どもじゃないからこそ危ないのです。いつもの狩人ごっこを見ても分かるようにミルトの身体能力はずば抜けています。力や体格はまだ子どもの域を出ませんが、素早さや身のこなしは大人顔負けです。それに何と言ってもミルトは精霊の力も借りれますし、ついでにあの不思議な危機察知能力です。それらがあれば外の世界でもなんとかやっていけると考えてもおかしくないのではないでしょうか。」

 キルチェは更にその結論を後押しする考えを重々しく口に出した。

「それに何より、今の外の世界にはポム爺さんがいるという事実もあります」

 トーマはそこまで聞いてやっと本気で心配になってきたようだ。

「……おう、そうだな、それは確かにやばいな。確かにキルチェの言う通りだ。それだけの条件が重なればミルトはやりかねないよ。……しかも今はあの計画を実行するのに最適な時期じゃないか!」

「だから一刻も早くミルトのとこに行こうって言っているんですよ」キルチェは溜め息まじりに言った。

「何をもたもたしてるんだよ!こんなところで立ち話してる場合じゃないだろ。行くぞ、キルチェ!」トーマは走り出した。

 キルチェはころりと態度を変えたトーマに文句の一つでも言いたいところだったが、急ぐ事に異論はないのでとにかくトーマの背を追って走りだしたのであった。

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