第三章 七話
澄んだ鐘の音が三度を三回余韻を含んで校舎に響き渡る。
その鐘の音の後、しばらくすると校舎の出入り口から複数の足音が聞こえてきた。
本日のこの校舎からの帰宅者一番乗りは少年三人と少女一人の集団であった。もちろんミルト達である。
ミルト達一行は急いで学校から抜け出ると、そのままの勢いで、とにかくこの学士域から遠ざかる為に駆けていた。
それは放課後に、こちらに来るであろうと思われるカデ達と出会いたくないという理由もあったが、ミルト達が学校に忍び込んだ本来の目的も思い出したからであった。
少年達は早いところミラーとその目的の話しをしたかったので、とにかく落ち着ける場所へと向かう事にしたのである。
ミルトはここに来る時には見なかった空色の肩下げ鞄を持って走っていた。
それはミラーが学校の道具を持ってくる為の鞄であった。女の子には少し大きい鞄で、ミラーが何か走りにくそうにしていたので代わりに持ってあげたのだった。
鞄を渡したミラーは、手ぶらで下校するのが何か新鮮らしく、少し嬉しそうな顔をして、彼らと共に走っていた。
緩い下り坂の並木道を通り抜けて、城の正門前の中央広場にまで辿り着くと、少年達はやっと立ち止まり一息ついた。
息を切らしたミラーが頬に張り付いた髪をたくし上げながら皆に訊ねた。
「……ねえ。それで用事っていったい何なの?」
来た道をうかがっていたミルトがそれに答える。
「うん、それはね、ミラーにポム爺さんの居場所を見つけてもらおうと思ってさ」
ミラーは目を丸くした。「ポムお爺様の居場所?」
「そう、ミラーお得意のあの精霊術でね」とトーマが言う。
「僕達、もう十日もポム爺さんに会ってないんですよ。何度行っても家にいないから、どこに行ったか知りたいんです」珍しいキルチェの懇願口調であった。
ミルトもトーマもどうかお願いと手を合わせて頭を下げてきた。
ミラーは困惑した様子で口ごもった。「……でも」
少年達は拝み倒すようにじりじりとミラーに迫っていく。
ミラーは後ずさりながら、学校とは逆の立場ねと思った。サラとトーマのあのやり取りを笑ったむくいなのかもしれない。
ミラーはしぶしぶながら承諾した。しかし一言付け加えておいた。
「……分かりました。だからそれ止めてちょうだい。とにかくやってはみるけど、……たぶん無理だと思うわ」
ミラーは少年達から湧き起こる抗議の声を手で押さえて、説明を始める。
「いい?私があの森であなた達を見つけた精霊探査術はいくつかの条件が合わさる事で成功していたの。まずは場所が限定されていた事が最も大きいわ。マレスさんからあらかじめ大まかな居場所が聞けたから。次に探し出す対象がミルトだった事ね。……何と言うか、ミルトは私にとってとても見つけ易いというか……」
ミラーは恥ずかしそうにうつむき、最後の言葉はつぶやくようだった。
それを見たミルトも同様に気恥ずかしそうに耳を赤くしてそっぽを向き、トーマとキルチェは二人を冷やかすように熱い熱いと手で顔を扇いでいた。
ミラーはそんな空気を打ち消すように強い調子で言い足した。
「それに、あの時は皆が水辺にいてくれてたっていうのも良かったの。はっきりと確信する事が出来たもの」
ミラーの話をきちんと聞いて理解していたキルチェが話をまとめた。
「ということは、あの時はかなり限定されていたんですね。それだと今僕らが頼もうとしているポム爺さん捜しは難しいでしょうか。まず、あの森にいるかどうか、それともこの街にいるかどうかも分からないのですから……」
「うん、まあそうだな」トーマも一応理解したようだ。
ミルトは一縷の望みを込めてミラーに訊ねた。「ポム爺さんは捜しやすいほう?」
「……どうかしら?」ミラーは口元に手を当てて考え込んだ。
「試したことはないけど、難しいほうだと思うわ。私もポムお爺様に師事していて、あの方の気の質は良く分かっているつもりだけど、広範囲を捜そうとしたらたぶん無理ね。なんというか普段のあの方はとても穏やかで捉えるのが難しいのよ。そうね、例えるなら大地に溶け込んでいるとか一体化しているような感じといえば良いのかしら……?力を使ってくれているなら別だけど」
キルチェはミラーの今の話を聞いていて違うところに興味を持ったようだ。
「それじゃあ、ミルトは例えるとどんな感じなの?」
「ミルト?そうね感じたままを言うと、その場に巻き起こる赤い風……、活発で暖かくて優しさを持つ……」
ミラーはミルトを何か愛おしそうに見つめて言う。
ミルトは恥ずかしくてミラーをまともに見られず、トーマとキルチェも冷やかすのが後ろめたくなるくらいの雰囲気になってしまっていたので、黙り込むしかなかった。
ミラーはふと我に返り、恥ずかしさで頬を染める。
しばらく四人の間で気まずい沈黙が続いた。
ミルトは咳払いをすると、この空気を変えるべく話し出した。
「んんっ、さてどうしようか」
キルチェも気を取り直して答えた。
「そうですね、ミラーの話で精霊術によるポム爺さん捜しの困難さは理解出来ましたし、どれだけミラーがミルトの事を好きかということも改めて分かりました」
トーマも力強く頷いた。
ミルトはまたそっち方面に話を持っていかれてはたまらないので、強い口調で言い放った。
「だから、それはもういいっての!これからどうするかを考えないと」
しかしミルトにそう言われても少年達はもうあてがなくなってしまって困り果てていた。
取りあえずミラーに頼めば何とかなると思っていたので、駄目だった時の事はまるで考えてなかったのだ。
少年達は途方に暮れたようにうなだれていた。
ミラーはそんな少年達を見かねて前から思っていた事を訊ねた。
「ねえ、まずはポムお爺様がこの街にいる事は確かめたの?」
少年達は怪訝そうな顔でミラーを見つめた。何を言ってるの?それが出来れば苦労しないよと言わんばかりだ。
ミラーはやれやれと首を振り、諭すように話し始めた。
「いい?この街の緊急時以外の出入りは、原則として南の大手門だけでしょう。もしポムお爺様がこの街にいないという事になるとしたら必ずその門を通っているはずよ。それならば門にいる護人さんに尋ねれば分かるはず。密かに出入りすることなんて出来ないのだから」
少年達は目から鱗が落ちたような気がした。
「そうだよ!なんで気が付かなかったんだろう」ミルトは地団駄を踏んでいた。
キルチェは暗い顔で眼鏡をかけ直した。
「はい……、失態でした。始めにそこをあたるべきでしたね」
トーマは感心した様子でミラーを見ていた。「なるほどなあ」
「もしポム爺さんが街を出ているのだとしたら、家に行ったり探し回ったりするのは意味がない事になりますからね」キルチェが結論付けた。
ミルトはそうと分かれば、いてもたってもいられなかった。
「ねえ、早く行こうよ。大手門にさ!」
「よし!行こう!」
少年達はすぐに意気投合して走り出したのだった。
その時ミラーは一人ぽつんと取り残されたような感じになってしまっていた。
除け者扱いをされた様なミラーは頬を膨らまして、遠ざかる少年達の背中を睨んだ。
ミラーはこのまま彼らについて行こうか、それともこのまま帰ってしまおうかを悩み始めたが、自分の鞄の事に気が付いた。
そう言えばこの場に来るまではミルトに持って貰ってたのだけど、今この周りを見渡してもどこにもない。
ミラーは慌てて目を凝らして、遠ざかるミルトの背中を見た。
そこにはミルトの動きに合わせて元気に飛び跳ねている自分の空色の鞄が見える。
ミラーはこれは楽をした報いなのかもと大きな溜め息をついて、自分も大手門に向かって歩き出したのだった。
彼らがむかった大手門というのは、都市を取り囲う外壁の南側に位置する都市の玄関口の事で、その門の扉は分厚く固い木を何層にも貼り合わせて、さらに鉄板を帯のように組み込んでいてかなり頑丈に造られている門である。
その門の構造的には開き戸になっていて、大きさとしては幅が馬車の二台分が通れる広さで、高さは横幅と同じくらいの巨大な物であった。
この門は都市と外界を隔てる重要な施設であり、さらには大陸内の流通を担う主要幹線道である〈国を紡ぐ道〉と繋がっていて、毎日沢山の人や資材が行き交うので特に警備が厳重になっている。
ここで警備をしている者は護人と呼ばれる民間の警備兵で、常時十人前後の護人が門の内と外に目を光らせていた。
門のそばには広い馬車溜まりがあり、そこは地方からの旅人や商隊が行き来しているので大概は混雑しているが、時たま簡易的な市場が開催されることもあり、そうなるとそこは多種多様な人でごった返す。人が多ければいざこざはつきものであり、彼らはそれを取り締まる役目もあるのであった。
しかし彼らの本当の役割は、外界の獣が都市の内部に入らないようにする事だ。
都市には隔護結界という防護膜が儀式魔法により張り巡らされているのだが、実はその結界は普通の獣には効果がなく、その結界が反応し通行を遮断するのはある一定の魔の力が使える獣、いわゆる精霊力を行使できる獣に限定されている。という事は、その結界の特性上、普通の人間の手に負えない魔獣等は都市内に入り込めないが、獰猛なただの野獣は入って来られてしまうのだ。この都市のある地域で危険な野獣の例を挙げると、肉食の暴れ牙牛や痩猟犬などがそうであり、これらが群れをなすと厄介なので特に注意が必要になる。
ちなみにそう言った精霊力のないまたは極めて低い獣の事を野獣と呼び、精霊力の使える獣の事を魔獣と呼んでいる。また、魔獣の中でも普通の獣の姿から逸脱しているものを化獣〈ばけもの〉と呼ぶ事もある。
護人達は、狂迎節の時期は一時的に赤い月が優勢になり、獣達が好戦的になりだすのを知っているので、物見台にいる見張りはもちろん、いつもは門のそばで暇そうにしている門番も外界に目を光らせて、いつも以上に警戒をしていたのだった。
ミルト達は馬車溜まりへと辿り着いた。
この大広場には狂来祭のために来た旅人や商人達の荷馬車が並んでいる。この馬車達はあと数日中にはいなくなるはずだった。狂月期の赤い月の力の乱れの収まる時期がもう来るからである。
ミルト達は馬の脇をすり抜けるように駆け抜けていき、馬達の驚きの抗議を聞き流して門のそばまでやって来た。しかし護人達は皆忙しそうにしていてミルト達に構ってくれなかった。
ミルトはきょろきょろ見回して、一番仲の良い護人のゾクトを見つけた。彼は隊長格である十統長の革鎧を着ていて、仲間に指示を出し終えたところだった。
ミルトはすぐそばまで行って声をかけた。「ゾクトさん!」
いきなり背後から声をかけられて驚ろかされたゾクトは、なんじゃいと険しい顔で振り向いたが、誰もいないので拍子抜けした顔つきになった。
しかし自分の腰の下あたりにある頭に気がついて、それがミルトだと分かると今度は表情を和ませた。
「おう、ミルトか」
ゾクトはミルトの頭に手を置き、くしゃくしゃとなで回した。口の周りに髭を生やした無骨な中年の護人だがミルト達とは仲が良かった。
あいたた……。
ミルトは密かにしかめ面をしていた。
ゾクトは子どもの頭を撫でるのが好きなのだが、力がやけに強くてしかもその手が硬くささくれだっているので髪が引っ張られて痛いのだ。
ミルトは露骨にならないようにそっと頭を逃がした。
この逃げかたにもこつがあって、大げさにすると獣が逃げる獲物にじゃれつくような感じになり、一歩間違えるとえらい目に遭ってしまう。
取りあえずミルトは無事に逃げおおせる事が出来た。
そうしている内にトーマとキルチェが追いついてきた。二人はあまり近づかずにゾクトに挨拶をしている。あれに警戒しているのが目に見えるようだ。
しかし、ゾクトは二人を見て楽しげに挨拶を返してずんずん二人に近づいていった。やはりあれをやりにいくのだろう。ゾクトのあの頭撫では彼にとっては、友好的な挨拶の一環なのだ。
トーマ達は少し後ずさりしたが、逃げ出す訳にもいかずに観念して頭を撫でられていた。
キルチェは辛抱強く嵐が過ぎ去るのを待っていたが、トーマは我慢出来ずにその手を振り払おうと派手に抵抗をしてしまった。
ゾクトは生きの良い相手に巡り会えて愉しそうに笑うと、トーマに狙いを絞ってちょっかいを出し始めた。
相手の頬を両手で挟んだり脇をくすぐったりする基本的にはたわいもないおふざけなのだが、ゾクトの力が強いので時たまえらく痛いのだ。
トーマはもう本気で逃げ出そうとしているのだが、ゾクトはあんな大きな体格の割には動きがとても機敏で、トーマをあっさり捕まえて抱きかかえていた。
難を逃れたキルチェがミルトのそばにやって来て、騒ぐトーマ達を見て溜め息をついた。
「まったく、トーマも刺激しなければいいのに……」
ミルトは頷いたが、思い返して言った。
「うん。あ、でもトーマもああなる事を楽しんでるってのもあるんじゃない?」
「う~ん……どうですかねえ?」キルチェはトーマの必死になっている顔に目を凝らした。
「あの表情からしてそうとは思えませんが……」
ミルトとキルチェは、もうだいぶ背が高くなってきているトーマが、ゾクトに赤ん坊のようにあやされているのを遠くから離れて見ていたが、ついにトーマの自分達に助けを求める声が真剣味を帯びてきているのを感じ取った。この辺で助けておかないと後が怖い。
ミルトはゾクトの気を逸らすべく話しかけた。
「ゾクトさんゾクトさん!そう言えば僕らは聞きたい事があってここにきたんだよ!」
ゾクトはミルト達のほうに振り返り、トーマをうっかり手放していた。
トーマは転がるように逃げて、急いでミルト達の背に隠れる。
ミルトとキルチェはそれを見て少しひやっとした。二人はそういう動きをするから目をつけられるんだよと心で忠告しておいた。
しかしゾクトはもう満足したのかトーマの動きを目で追っただけであった。
ゾクトは両手を腰に当てて少年達に尋ねた。
「それで、俺に訊きたい事ってなんだ?…ん、あれか?この前頼んできた外界の珍しい草花の事か。それならまだ採ってきてないぞ。」ゾクトはミルトを見て言い出した。
ミルトは慌てて前へ出て違う違うと手をぶんぶんと振って否定したが、後ろの少年達の視線が痛いほど感じられた。
そうなのだ。実はミルトは草花が好きなミラーを喜ばそうと仲間には内緒でゾクトにある頼み事をしていたのだった。
それは街の外に出る機会が多くあるゾクトに珍しい草花があったら摘んできて欲しいというものである。この季節は外界の原野に色々な花が咲く季節なので何か珍しい物があるかもしれないと期待していたのだ。
しかしこの事は秘密裏に事を進めなければいけないものであった。ミラーに対しては驚かしたかったし、そして仲間の二人に対しては……これはもう考えるまでもないだろう。
あんなに口止めしておいたのにとミルトは少し恨みのこもった目でゾクトを見つめが、もう後の祭りである。
ミルトはこの窮地を脱するにはどうするかを一瞬悩んだが、すぐに結論を出した。これはもう彼らの興味を上書きするしかない。
早急に仲間の興味を逸らすべく、ミルトは唐突に本題に入った。
「ねえ、ゾクトさん。最近ポム爺さん見なかった?」