第三章 五話
街の中心であるファルメルト城の東側には緑地帯が広がっていて、この区画には低学年から高学年まである一般階級の子どもが通う普通科学校、金持ちや権力者の子息が通う上流階級校や、王立図書館や魔導研究施設などが建てられている。
この区画の建物はひとつひとつが離れて建っているので、とても開放感が感じられる。
そしてこの地区は学問に関わる建物が多く建っているので、街の者からは通称〈学士域〉と呼ばれていた。
この区画の南側にミラーの通っている普通科の中等学校がある。
豊かな緑に囲われたその校舎は、壁は真っ白に塗られた板貼りで屋根は真っ赤な洋瓦を敷き詰めたなかなかお洒落な建物だ。また校舎の端には高い塔が組み込まれていて、その上部に設置された鐘が時の経過を軽やかな音色で知らせてくれて、塔の屋根の真っ赤な風見鶏が風でくるくる回り辺りを見張っているかのようだった。この学校には敷地を囲うような大げさな塀はなく、雑木林と子ども位の背丈の垣根で境界線として区切られているだけだった。
ミルト達三人は学士域に入り中等学校の赤い屋根が見えるところまでやって来たが、一人の少年が嫌そうな深い溜め息とともに立ち止まった。もちろんトーマである。
「学校かあ。な~んかあんまり近寄りたくないんだよなあ……」トーマはぼやきだした。
キルチェがそんなトーマの背を押して何とか歩かせていた。
「またそんなこと言って。まあ本当ならトーマとミルトは、もうすでに通ってないといけないんですけどね」
「だからだよ……」
トーマ達は教会預かりの身なので、その教会にある学舎で基礎的な勉強はしていてこの学士域にある低学年校には通っていなかった。しかし中等学校は出来るだけこの学士域の学校に通うように周りから言われていたのだ。キルチェは年齢にまだで、トーマは本来すでに通っていないといけないはずであった。ミルトもトーマ達と同様に教会の学舎に通い、本当ならば今年度からここに通うはずであった。
トーマの足取りは何か石のように重い。ミルトはそんなに嫌がらなくてもと内心思いながらトーマを励ました。
「まあ、その気持ちが分からないでもないけど。でもそんなにつまらないものばかりでもないらしいよ。体を動かす授業とか、あと剣術とかの授業もあるみたいだし」
実はミルトはすでにミラーにより学校の楽しさや面白さを頭に刷り込まれ済みだったのだ。
キルチェも元気づけようと加わってきた。キルチェは勉強好きだったので別に学校は嫌ではない。
「そうですよ。狩人の知識として必要な〈獣学〉とか〈外界学〉とかも学べるし、それにたぶん僕らは今通っている同年代の生徒より勝っている知識もありますよ。それは僕らがポム爺さんのとこでも結構学んでいるからですね。ポム爺さんの話は難しく理論的ですからね」
仲間に勇気づけられて、少しずつトーマの学校恐怖症も治まってきたようだ。
それを察したミルトはすかさず皆を盛りたてるために学校を指差して芝居がかったような口調で言った。
「それに僕らは今回あの白い建物に勉強をするために来たんじゃない!あの中に囚われているミラーを救う為にやって来たんだ。敵に見つからないように密かに、そして速やかに捜索し、確実に目的を達しなければならない!」
トーマとキルチェもミルトの設定にすかさず乗ってびしっと敬礼をして言った。
「了解っっ!」
少年達はにんまりと顔を見合わせて、背を丸めてこそこそと校舎へと近づいていった。
それは傍から見ると怪しさ満点の姿であった。
少年達は木立の陰に素早く隠れながら、目標の建物に近づいていった。
一番素早さに自信があるミルトが先頭に立ち、小走りで前方の木の陰に隠れて周囲を確認すると、後方の仲間に手招きで合図を送る。それを見た仲間も無言で頷き慎重に歩を進めて身を隠す。
そうして接近していきやがて学校の敷地を区切っている垣根にまで辿り着くと、三人で息を殺して垣根の木の葉の隙間から校舎の中を窺った。
学校の中庭にも廊下にも全く人影は見えず、辺りは静寂に包まれていた。
今いるこの場所は学校の正面で、この位置では廊下しか見えないと気づき裏に回ろうとしたその瞬間に、少年達の頭上を軽やかな鐘の音が鳴り響いてきた。
少年達は突然の音に驚きとっさに地面に身を伏せる。
だが、これが授業の区切りに鳴る鐘の音だと気づくのにそんなに時間はかからなかった。それと言うのもその鐘の音を皮切りに次第に校舎が活気づいてきたからだ。
廊下を走る少年や、廊下で仲良く並んで喋っている少女達の姿が見えてきて、校舎から出てきて庭で遊ぶ子ども達までいた。
ミルト達は慌てて校舎の裏手側のほうに人目をさけて、出来るだけ静かに出来るだけ急いで向かった。
彼らは臆病な小動物の動きを見習って、少し動いては回りを見回して安全を確認しながら進んだ。
そしてようやく教室の内部がのぞき見られる位置までやって来た。
頭だけ垣根の隙間に突っ込んでいるトーマが仲間を呼んだ。
「なあなあ、あの子そうじゃないか?青い服着ているし」
キルチェがこそこそ近づいてきてトーマの横で同じ様に垣根に顔を突っ込んだ。
「どれどれ……?あっ、ん…?違いますよトーマ。あの子の髪は肩くらいまでしかないじゃないですか」
ミルトも見ようとトーマ達のほうに向かっていたが、キルチェの言葉を聞いて次の教室を覗ける位置まで進んだ。
少年達は一階だけを注意して誰にも見られないようにと細心の注意をはらっていたのだが、二階から上、特に三階から下を見ると、自分達の姿が丸わかりだという事にまったく気がついていなかった。
その頃その真上では、一人の男性が授業を終えて三階の自室に休憩をしに帰ってきていた。
彼は小柄な老人で、麻地の着物を涼やかに着こなしていて、髪はなくつるっぱげだった。見た感じは威厳の中にどことなく愛嬌のある雰囲気を醸し出している様な不思議な人物であった。
その老人は疲れをほぐすように肩を揉みながら空気を入れ換えようと窓辺に近づいた。
そして窓に手をかけたその時に、庭の林のそばの垣根でこそこそ何やら怪しい動きをしている人影に気づいたのだった。
その老人は眉を不審げに寄せて呟く。
「何奴じゃ……?」
しかし、すぐにその正体がまだ年端のいかない男の子達だと分かると表情が温和に和らいだ。
そして老人はしばらくその少年達を眺めていたが、少年達の素性に気づくと口の端に笑みを浮かべた。
「む。あの三人組じゃったか……」楽しそうに独りごちる。
老人は一人の少年が上を向きそうな気配に気がつくと急いで身を隠した。見かけの割に動きは軽やかである。
老人は一瞬迷った後、急いで部屋を出て階下に向かって早足で歩き出した。
すれ違った女性の教員が目を丸くして話しかけてきた。
「あら、校長先生。そんなに急いでどちらに?」
その校長と呼ばれた老人は、いたずらを隠している子どもの様な含み笑いを見せた。
「うむ、ちょっとな」
楽しげな足取りで去る校長の姿を、女性教員は呆気に取られた様子で見送っていた。
あれ?誰かいたような気がしたんだけどな。
ミルトは三階の窓を見ながら思った。とそこへ二人が向こうで手招きをして呼んでいるのに気がついた。
「お~い、ミルト。こっち来いってば。それっぽいの見つけたぞ」
ミルトは気を取り直してトーマ達の元へすばやく走り寄った。
「どれ?」ミルトは垣根の中に頭を突っ込んだ。
ミルトの隣で覗いていたキルチェが答えた。「ほら、あそこです。教室の後ろのほう。サラとミクも一緒にいますね」
教室の後ろで三人仲良く集まって楽しそうに話している女の子達の姿が見えた。
確かにミラー達だ。こちらに気づく様子もない。まあ、庭の垣根の裏に自分達が潜んでいることなど夢にも思わないだろう。
少年達はどうやったら気がついて貰えるかを、ひたいを寄せて相談し始めた。
「それで、どうするんだ?」とまずトーマ。
「近づいてこっそり声をかけてみますか?」とキルチェが提案する。
ミルトは同意できないと首を横に振る。「無理だよ。他のやつらに気づかれる」
「じゃあどうするんだ?」トーマは相変わらず考える気はないようだ。
ミルトはすぐに思いつき近くの地面を見渡して、手頃な小枝をひょいと取り上げて皆に示した。
「これを投げてみよう。ミラーは窓辺にいるからたぶん気がつくよ」
キルチェはその小枝を見て疑問を口にした。
「それであそこまで届きますかね?軽すぎるような気もしますが」
「そうかな?」ミルトは手にした小枝の重さを確かめるように手でもてあそんでみた。
トーマはその様子を見て林の中に入ると、すぐに大きな枯れ枝を見つけてきた。
「これならどうだ?絶対届くぜ」
ミルトとキルチェは自分達の二の腕の大きさほどの枯れ枝を見て残念そうに首を横に振った。
「だめだよ。それならあの窓まで届くけど……」とミルト。
「……絶対あの窓壊しますよね。」とキルチェ。
トーマはむっとして言い返した。「じゃあ、どれくらいがいいんだよ?」
少年達は最適な枝を見つける為に林のほうから様々な枝を持ち寄って話し合った。
真っ直ぐなのが良いとか、枝が分かれているのが良いとか、長いの短いの細いの太いの色々な案が出て議論は白熱した。まあ途中で鎌持ち虫の卵を見つけて話がわき道にそれる事もあったが。
少年達は議論と虫の卵に夢中になっていたので、垣根の反対側から近づいてくる人物にまるで気がつかなかった。その人物はつるっぱげの頭を低くして少年達の潜む垣根の真向かいまで忍び寄ってきている。
中庭の垣根のすぐそばを、腰をかがめて進むあからさまに怪しいその人物に教室にいたミラー達はすぐに気がついていた。
「あら、何をなさっているのかしら?校長先生……」
教室からミラー達の視線を感じた校長が、こちらを見ないでおいてくれと身振りで頼んできたので、ミラー達は素直に気づかない振りをした。
そして視界の片隅でそこの光景を捉えながら仲間とお喋りをしながら、事の成り行きを見守っている。
その頃やっと垣根の裏に潜む少年達の間で結論が出たようだ。
「これだな」とトーマは指差した。
「これが一番良いでしょう」キルチェも太鼓判を押す。
ミルトは自分も納得して、意見が一致した枯れ枝を手に取った。その枯れ枝は片手くらいの大きさで枝が二本に分かれているものだった。重すぎず軽すぎず手に心地よい感じがする。
「よし、作戦実行だ」ミルトは勇ましく立ち上がった。
「いいですか、ミルト。その枝を回転をかけずに二階の窓を目がけて五分の力で投げるんですよ。幸い風もないから方向修正は考えずにすみます」キルチェは参謀らしく助言する。
「頼んだぞ、ミルト」トーマは力強く励ました。
ミルトは腰を屈めながら所定の位置について目標を確認して、一度深く息を吐くと精神を集中し始めた。
しかしそのミルトの真向かいには数歩離れた場所で校長が潜んでいた。校長は完全に気配を殺して周囲と完全に同化している。一流の狩人に匹敵する技であった。
ミルトは意を決して立ち上がると、大きく振りかぶって教室の窓のほうへ枯れ枝を投げようとした。
その瞬間教室にいるミラーが驚いた顔でこちらを見たのが目に入った。
あれ?ミラーこっちに気がついているんじゃないか?
そう思っても手は止まらず、ミルトが枝を投げようとしている途中で、すぐ目の前の垣根の向こうからミルト達の顔前に大声を放つはげ頭が突然現れたのだった。
「こりゃ~!何をしとるんじゃ~~!」
完全に意表を突かれたミルトは、みっともない悲鳴をあげて勢い余って垣根の中に突っ込んでしまった。
何が起きたかとっさには理解出来ないミルトは垣根から前方に回転しながら抜け出ると、更に横に転がり、すばやくその相手から距離を取った。
一瞬で急上昇した心拍数と混乱しきっている頭のせいで、相手の顔を見ても誰だか分からない。あのしてやったりという笑みを浮かべている禿げた老人。
誰だっけ?この爺さん、何か見覚えあるぞ……。
向こうでトーマの声が聞こえた。「やばいっ!校長先生だ!逃げるぞ!!」
その言葉でミルトもこの人物が誰だか一瞬で理解した。
垣根の向こうの二人はすでに身を翻して逃げている。
ミルトもすぐさま背を向けて走り出すと、垣根の上を飛び越えて向こう側へと逃げ出した。
しかしその校長はそんな少年達の様子を見ても、全く慌てる様子も見せずに、その逃げる背中に向かって大声で呼び掛けたのだった。
「トーマにミルトにキルチェっ!戻ってこい、逃げてももう分かっておるぞ」
少年達はその言葉を聞いてぴたりと動きを止めた。このまま逃げようと思えば逃げられるが、素性がばれているのならもうどうしようもなかった。これを無視すれば後でやっかいなことになる事は分かりきっていたからだ。
少年達はそれぞれ観念した様子で林のほうから出てきた。
それを見た校長は満足げに頷いた。
「よしよし。素直で結構。そんな暗い所にいないで表に出なさい」
校長は手招きをして全員を明るい芝生の上に呼び出した。
少年達はばつの悪そう顔つきで、のそのそと出てきて輝くお日様の下で並んで立った。
ミルトの髪や服には無数の木の葉やら小枝やらが引っ付いている。
校長が改めて質問をしようとした時に、ミラーが急いで裏庭に飛び出してきた。
ミラーはミルトのぼろぼろの姿を見て無意識に寄り添うと木の葉を取りながら質問した。
「あなた達は一体何をしていたの?」きつめな口調だが目は笑っている。
ミルトがミラーを横目に見て呟いた。「いや、ちょっとミラーに用事が……」
それを聞いたミラーは愛くるしい目を丸くした。
そのやり取りを見ていた校長が笑いながら話し出した。
「まあ、そういうことじゃの。こんな面倒なことをしておいてお主達のもくろみは失敗に終わったという訳じゃな。それにミラーマに用事があるようじゃが、彼女はまだ学校の授業が残っておる。このまま外に出る訳にはいくまいて。ならばどうするか?それならお前さん達が学校にいればいいのではないか?」
少年達は嫌そうな顔をする事でそれに返事を返した。
校長はそんな少年達を笑いのこらえた目で見てまた話し出した。
「お前さん達もそろそろこの学校に来なくてはならない年齢になっているはずじゃがのう。特にトーマ、お前さんは本当なら通っているはずなのじゃが」
トーマは目に見えるほど動揺してあらぬ方向に目を向けていた。
ミルトはトーマのその姿を見てついくすりと笑ってしまった。
「そして、ミルトは今年からだったのう」校長はミルトに目を移した。
ミルトも必死に素知らぬ顔を取り繕った。
キルチェは一人複雑な心境だった。この二人が学校に行ってしまうと自分一人だけ取り残されてしまうからだ。そんな気持ちが顔に出てたのか校長はキルチェを見て言った。
「キルチェは本当はまだ先だが、お前さんなら今すぐ来ても問題なかろう」
キルチェは暗に褒められた気がしたので嬉しくなった。
しかし三者三様にずっと黙っているので校長は別の提案をすることにした。
「まあよい。取りあえず学校に通うという件は置いておいて、今日はこのまま授業を受けなさい。よいか、お前さん方の秘密作戦は失敗して、敵軍の捕虜になってしまったのだからな。このまま収容されても文句は言えまい。……どうじゃ?これなら観念できるじゃろう」
少年達は自分達の好きな戦いごっこの言い回しを使われて、もうその言葉に従うしかなかった。
少年達は力なく、はいと返事をして同意をした。
校長はミラーに少年達を引き渡すと、彼らを自分の教室に連れて行くように命じていた。
ミルト達はミラーがまるで敵軍の士官のように威厳のある存在に感じられ、とぼとぼと彼女に付き従って行ったのであった。