全日本
翌年、浩と優はA級に昇格し、地方選手権から全日本選手権へと戦いの場を移した。
噂の関東のスーパー高校生も昇格していたが、彼は250クラスにエントリーしており、直接交えることはなかった。それでも共に『驚異の高校生三人』と持てはやされた。
第一戦の筑波では、優が優勝。浩はスタートを失敗しながら、怒涛の15台抜きで三位。
続く菅生では、三位以下を大きく引き離し、浩がトップ、優は僅差で浩に続いてチェッカーを受けた。
テレビ局は二人の特集番組を組み、実際以上のライバル関係を強調した。優に至っては「世界チャンピオンになって、亡き父に報告したい。そして有名になれば、どこかで母さんが見てくれる」という、使い古された陳腐なセリフを言わされてた。
普段、こき使っている整備工場の社長も「実の息子のように思っている。優の父親と、一流のライダーにすると約束したんで、私も応援している」などと調子いいことを答えていた。
迎えた第3戦の鈴鹿
「俺、完全な敵役だな」
浩が、スタート前の緊張した優に話しかけた。
「僕も驚いているんだ。テレビなんて、作りモノだって事がよくわかったよ。先週も母さんと電話で話したばかりなのに……」
「カメラに向かって、『おかあさん!会いに来て!』って、言ってやれよ。俺なんか、元暴走族とか言われてるんだぜ。峠攻めてたことはあるけど、暴走族に入った覚えなんてないんだけどな」
浩は呆れた顔でぼやいたが、すぐに真顔で囁いた。
「人気者になるのはいいんだけど、俺たち完全に他のライダーから妬まれてるぞ」
全日本とはいえ、125クラスのライダーに、経済的に恵まれている者はほとんどいない。チームのスポンサーに頭下げてまわり、やっとオイルやパーツの現物を少し貰えるのが精々だ。知り合いか身内に会社やってる人がいれば、その会社の名前をカウルに描いて、ご祝儀程度貰えればラッキーな世界だ。大抵は地道に他の仕事をしながら、なんとかやっている選手がほとんどである。
浩も優も、その中の一人だが、いきなり話題を集めた18歳の小僧は、ずっとやってきた古参のライダーにとって面白い訳がない。しかも速いときている。嫉妬されるのも当然だろう。
「わかってるよ。びんびんに敵意を感じる。予選でも結構危ない思いしたから」
優も、彼らがかたまって、自分たちの方をチラチラ見ながら何やら話してるのを見ていた。
「菅生じゃ最初からぶっちぎったから良かったけど、毎回上手くいくとは限らないからな。特に俺のはストレートが伸びない」
「スタートは絶対ミスできないね」
優は大きな瞳に不安の色を宿した。
「この前のように、スタート決めたら、ユウが前で引っ張ってくれ。後ろから来る奴は、俺が潰してやる」
浩は売られた喧嘩は買う覚悟だ。
「もしスタートで前に出れなかったら?」
優が訊く。
「自分でなんとかするしかない」
浩は当たり前の事を言った。
「とにかく気をつけろ。なんか連中から凄く嫌な雰囲気を感じる。俺もユウも実力では負けるような相手じゃないけど、囲まれるとヤバいぞ。最悪でも奴らがぶつかってこれないとこまで引き離してから、俺たちの勝負しよう」
「その時は浩がぶつけてくるんだろ?」
「そうさ、正々堂々とね」
浩は胸を張って宣言した。
勝利を譲れない者同士が レースで接触するのは仕方ない。だが妬みから、実力でかなわない相手を潰そうとするのは許せない。
そっちがやる気なら、こっちだってやってやるぜ。
浩はトップグループで、三台のマシンに囲まれていた。優は後ろの集団に呑み込まれてしまったようだ。
スタート前の優の不安そうな顔が思い浮かぶ。
(ユウのやつ、緊張でスタートをミスったな)
ヘルメットの中で、優の最大の弱点を罵った。
浩は何度か先頭に出るものの、その都度、直線区間で抜き返されていた。コーナーでなんとか追いついても、ストレートで再び差が拡がる。三台に囲まれては、なかなか前に出れない。同じ事の繰り返しだった。
浩の体重が、125クラスとしては重すぎる事もあるが、その上マシンの差もあった。
バイクの差は仕方ない。高校生で土日だけのバイトで遣り繰りして、仕上げたマシンだ。『勉強もしっかりやる』という条件で両親からレースを許可された。チームの先輩やショップの人達からも両親に従うように説得された。代わりに彼らの中古のバイクやパーツを格安で譲ってくれた。ショップも同様だ。それも大半は出世払い。そんなバイクに文句は言えない。体重のハンデも、浩はパワーで押さえつけるライディングスタイルだ。筋力は落としたくない。目標はトリプルタイトルなのだ。
(コイツら俺を抑える為に協力しあっていやがる。ユウの奴、何やってやがる。早く上がって来い!)
旧型のマシンで しかも一人では突破口が見いだせない。このままでは、レースが終了してしまう。
残り3周に差し掛かったメインストレートで 前を行く三台がアクセルを緩めた。1コーナーのポストでイエローフラッグが振られている。
(事故!?)
浩も速度を緩めて三台の後ろに並んだ。
2コーナーを抜けるとS字コーナー入口で2台のバイクがコースサイドに倒れているのが見えた。一人はすでに、ガードレール外に退避していたが、もう一人はコースサイドの芝の上に寝かされている。見慣れた革つなぎだ。
(ユウだ!!コイツら本当にやりやがった!)
倒れたままの優の傍らを通過する時、彼のヘルメットが僅かに動き、こちらを見て、左手を挙げるのを確認した。
浩は頭に血が昇るのを感じた。
(てめぇら、本当にやりやがったな!そっちがその気なら、俺もやってやるよ)
喧嘩を売られたなら、買ってやると最初から決めていた。舐められたらレースなんて出来ない。しかも奴らは、ユウに怪我を負わせた。
優を搬送するために、コース内に救急車が入り、フラッグはなかなか解除されない。浩たちがカシオシケインに差し掛かかる手前で、ようやくフラッグは解除された。
シケインで、浩は一気に2台の前に割り込んだ。割り込まれた2台は思わずバイクを起こした。
(何驚いているんだ。レースは再開されてんだぜ)
浩は心の中で中指を立てた。
それでもトップのバイクはストレートで浩を引き離していく。懸命にスリップに入ろうとするが、トップスピードが違い過ぎる。後ろの2台にもストレートの半ばで、抜き返された。
だがストレートエンドで、減速を遅らせ、再び並ぶ。一台をパスし、2位のマシンのインに寄せる。1コーナーへ入るため、そいつが浩の方に寄せて来るが、浩はまだ直進し続けた。二人の間隔は数センチ、行き場を失った相手は耐えきれず、アクセルを緩めた。その瞬間、浩は左肘を広げ、バイクをバンクさせた。バンクさせる直前に、浩の肘が相手のブレーキレバーをかする。
2位を走っていたライダーは、フロントから激しく転倒した。後続のライダーは肝を冷やしたのか、距離を開け始めた。
(それぐらいでビビるんなら、最初から喧嘩ふっかけるんじゃねぇよ。茶臼山の奴らの方が、遥かにプッツンいってたぜ)
浩はレースを始める前に、いつも走っていた峠を思い出した。イかれ具合は、半端でない奴らだった。特に黄色いGSXーRは……
浩は前を走る残りの一台を捉える。いくらストレートが速くても、鈴鹿ならサシで勝負して負ける相手でない。残り1周半。
(実力の違いを思いしらせてやる)
逆バンクに差し掛かるところで、トップにピタリと後ろに張り付く。邪魔さえいなければ簡単に抜けたが、あえて後ろからプレッシャーをかけた。タイヤとタイヤが触れ合わんばかりに近づける。相手は懸命に逃げようとするが、絶対に逃がさない。背中越しにそいつの焦りが伝わってくる。
プレシャーに耐えられなくなったのか、ヘヤピンのブレーキングポイントを誤り、インをがら空きにして膨らむ。浩を先行させようとしているかも知れない。どうせ裏のストレートで抜き返せると踏んでるのだろう。そんな事は浩も承知していた。ヘヤピンを大きく回る相手の更に外側から被せていった。浩の肩が相手のブーツに触れた。並んだまま立ち上がって行くが、加速では当然のように前に出られた。だがその背中は焦りから、恐怖に色を変えていた。
(どうした?もっと速く逃げないとぶつかっちまうぞ)
スプーンコーナーでも同じように、プレッシャーをかけ続けた。裏のストレートでようやく浩を引き離したが、130Rをオーバースピードで入っていく。
コースアウトは免れたものの大きくラインを乱し、たちまち浩に追いつかれた。
鼠を弄ぶ猫のように、浩はカシオシケインでも敢えて抜かず、併走した。
狂気の気配を感じたベテランライダーは浩と接触するのを恐れて、立ち上がりラインを大きくずらした。
その間に浩はフル加速して行った。
(その程度の覚悟で喧嘩売ってきたのか。もっと遊ぼうぜ)
それでもフィニッシュライン手前で抜き返される。
ラストラップに突入。だが今回はストレートエンドでもそれほど離れていない。1、2コーナーで差を詰め、S字であっさり抜き去った。ここから滑り始めたタイヤをコントロールしながら、差をどんどん広げていく。
幕切れは呆気なかった。プレッシャーをかけられ続けたベテランライダーは、糸が切れたように戦意を失った。裏のストレートまでに2秒近くの差が出来ていた。最後のシケイン勝負に備えていた浩は拍子抜けだ。優との競い合う時のようなスリルも充実感もなかった。
トップのチェッカーフラッグも虚しいものに感じた。復讐の快楽から醒めた時、燃え残ったくすぶりが浩を苛つかせた。
もっと走りたかった。能力のすべてを出し切って、ぎりぎりのところで競い合いたかった。浩の渇きを満たしてくれる好敵手は今のところ優しかいなかった。