心理を自覚し、得る真理 その2
今日もアクロバティックな論法で、屁理屈をこねています。
肩肘張らず、細かいことは気にせずに読んでいただけたら幸いです。
どうせ深い意味はないのです。
「こんばんは」
「小百合ちゃん、おいっすー」
「よお、今日は遅かったな」
「土曜出勤でした」
20時を過ぎた頃、パンツスーツ姿で現れたのは中学時代の同級生、水樹 小百合だった。
水樹 小百合を一言で表すなら、飲み会メンバーの誰もが『マイペース』と答えるだろう。
見た目は温和な雰囲気でおっとりしており、敬語キャラも相まって大人しく見えるが、実はかなり行動力の高いという一面も併せ持っていたりする得難い飲み会メンバーだ。
「それで、今日はどんな話をしていたんですか?」
ナチュラルに冷蔵庫から缶ビールを取り出しながら、小百合が本日の議題を問う。
これがアニメやドラマなら男女関係を勘ぐりたくなる様な描写だが、この飲み会メンバー内に恋人関係は今のところ存在しない。
幼馴染、友人、飲み仲間、どんな言葉も当てはまるようで、しっくりこないのが俺達の関係だ。
「今日は……なんだろう、コッチンの恋バナかね?」
「恋バナ! 良いですね! 噂の彼女さんですか?」
「そう、そして今は破局の原因に対する考察と結論への助走として、差別とコミュニケーション上における言語の欠陥についてを議論していた」
「あ、そういう感じですか……」
「既に助走どころかマラソンの域に達しているわけだけど」
「だーかーら、道中を楽しむのが良いんじゃねーか」
“どこぞのハンターみたいだね”と笑うカナシゲ。
そのネタは男子にしかわからないぞと思ったが、女性メンバーの中で唯一今でも某少年雑誌を愛読している小百合にだけは通じたようだ。絶賛休載中だけど。
「ふふっ、滋君はそれほどに児慈君の出した結論が気になっている、ということですよ」
「なるほど」
「ものすごい好意的解釈だね、それは」
カナシゲ君ツンデレ説急浮上というわけだ。
しかし、是と言われれば否、イエスと言われればノーと応えるこの俺には逆効果である。
「宇宙が無限だと言うのなら、なぜ宇宙にまったく同じ経緯を辿った2つ目の地球、そして俺という人間が存在し得ないと言い切れるのだろうか」
「マラソンどころか迷走!? 着地点見失ってる!?」
「天邪鬼ですねぇ……。で、相手はどんな子だったんですか?」
「お、ナイスあからさまな軌道修正。でも確かにコッチンはあんまりそういう情報出さないから気になるね」
なんだよ、楽しいのに。宇宙の話。
精一杯の抗議の視線を向けるが、時代は民主主義社会。
2対1では勝ち目もなく、不本意ながら軌道修正の流れに乗る。
「そうだな……一言で言えば秀才だな。真面目で、けど遊び慣れてないわけじゃない。家庭円満、家族大好き。若干箱入りで、ちょっと意地っ張り」
「惚気じゃん」
「好きだったんですねぇ」
カナシゲと小百合の予想外の指摘に、喉を詰まらせる。
まだ一週間と経過していない現状、未練がまったく無いと言えば嘘になる。
冷静に原因を分析する自分と、感情的に現状を嘆く自分のせめぎ合いは今も続いている。
それでもこの結論を出した今、もう関係の修復はできない───いや、修復する意味がないことは自分が一番理解している。
「人を好きになるとは、何だろう」
「混ぜっ返しますねぇ」
「でも大分結論に近づいた気がするよ」
ようやくかと、カナシゲがこちらに期待を込めた視線をよこす。カナシゲ君ツンデレ説再浮上である。
それではいい加減ご期待に応えまして、そろそろ結論へいきましょうか。
「本当に俺は彼女のことを好きだったのだろうか? 結論はここにある」
一度話を区切り、すっかり氷の溶けきったブランデーを飲み干す。
結論を語るには、まず両者のパーソナリティに触れなければならない。
少し恥ずかしい気持ちから、“ここからは少し長くなるぞー”とおちゃらけた声色で前置きをして、ゆっくりと口を開いた。
「学生時代、俺は勉強も部活もどちらかと言えば不真面目だったろ?」
「まぁそうだね。僕も偉そうなことは言えないけど」
「中学時代は少し怖いぐらいの印象でしたね」
その言い方じゃまるでキレたナイフみたいな中学生に聞こえるだろうが。
実際はちょっとグレちゃってみたい年頃の、気むずかしくて面倒くさくて生意気などこにでもいる中学生だった。
「さっきも言った通り、向こうは根が真面目な子でな。付き合い始めて一年もする頃には、その影響を受けに受けて、以前の自分とは生まれ変わったかのように真っ当な人間になった気分だった。実際、前向きになったことによって周囲の小さな問題が改善していったりした」
「あー、確かにあの頃からコッチン変わったかも」
「それはとても良いことなんじゃないんですか?」
そう、確かにそれは良いことだ。
周囲も、相手も、自分も、誰もがそれは良いことだと口をそろえて言う。
だから、その時は気づけない。
だから、後になって思い知る。
「それが実は良い変化ばかりじゃない。その恩恵を自覚する程に、自分が好意だと思っていた感情は崇拝へとすり替わっていき、いつしか自分の行動理由すらも相手に求めていくようになる。君のおかげで変われた。君がいるから前向きに生きていこう───人はそれを“依存”と呼ぶ」
その変化は、外面的には美談にも見えるだろう。
しかし内面的にはどうしようもなく悍ましい心理で、それでいて非常に自覚が難しい。
「普通はそうはならない。まともな家庭でまともな教育環境のもとに育っていれば、自分の人生がどれだけの周囲の善意、あるいは投資の上に成り立ち、決して蔑ろにしてはいけない大切なものだと、他人の影響を受けるまでもなく無意識に理解する。そして正しく自分の将来の為に毎日1を積み上げ、努力し、何かしらを掴み取る」
“努力すれば夢が必ず叶う”という言葉が嘘っぱちである事ぐらい、大体15~20年も生きれば誰しも理解するだろう。
3人が等しく努力したって椅子は2つしか無いし、努力では決して覆せない現実がある。
しかし大人達が時に優しく、時に厳しくかける“努力しましょう”という言葉の本当の意図はそこにはない。
“努力できる人間になること”、それ自体に意義があるのだ。
「それ以外の人間は何も掴めないって言ってるわけじゃないぞ。実際には真っ当でなくとも、目立ちたい、求められたい、繋がりたいという強い欲望のみで何かを掴み取る人もいる。突出した才能とかな。大事なのはきちんと健全に自分の人生を大切に思えるって所だ」
「それはとてもわかる気がします」
小百合から同意の声があがる。
俺は小百合の思わぬ強い口調に話を止め、続きを促す様に視線を向けた。
「東京にいた頃、志を同じくする友人知人が多くいました」
「イラストレーターを目指してたんだよね」
「ネットで言うと絵師ってやつか」
「それは少しズレているような気もしますが……まぁその認識でも問題ありません。今はスマートフォンのソーシャルゲームなんかで多いですね。実際は年賀状や商品パッケージのイラストを手がける所謂フリーランスのデザイナーとも呼ばれる方々など、様々でしたが」
かつての日々を思い出してか、小百合は一度視線を宙に向ける。
俺やカナシゲは、都会とは言い難く、コンビニが無いという程田舎でもない、この故郷を出て生活をしたことがない。
ましてや明確な夢や希望と呼べるようなものすらも無かった俺達には想像するのも難しいことだ。
「田舎から上京し、ようやく何かを掴みかけた駆け出しのセミプロ達の、夢や理想への原動力は様々です。純粋に楽しみを見出してか、惰性なのか、後発に追いつかれまいとする虚栄心か……ですが、何かを掴みとる人間と、そうでない者の差は、“欲望の強さ”だと私は感じました」
“趣味を仕事にすると逃げ道が無くなる”とはよく聞くフレーズだが、これは紛れも無い至言だ。
人間社会における仕事というシステムでは、より真面目に、より正しい努力をした人間が選ばれるわけではない。
どんなに程度の低い志だろうと、ちやほやされたいだけだとしても、現実的にはビジネスとしてより有効性の高い人材が選ばれる傾向にある。
そして誰しもが、いつかは向き不向きと言った“才能”という壁を思い知る。
彼らは己の趣味だと、好きだと掲げる事柄で、それを思い知らされるのだ。
尤も、趣味が高じてそれを生業にしようだなんて連中は、立派だと思う以上に俺の様な人間からすれば随分と奇特な存在だ。幻想的と言い換えても良い。
そんな小百合だからこそ、ある意味俺以上に納得ができる考え方なのかもしれない。
「執着というか、執念というか……上手く説明できませんが」
「言い方の問題なんじゃない? “欲望”じゃなくて、もっとこう“想い”とか、“情熱”とかさ」
「もちろん具体的なビジョンを持って、より現実的に努力する人もいます。ですがやはり、才能依存で褒められるがままに業界に飛び込んだ、幼稚で浅はかな人も少なくありません」
「きっついなぁ」
「だが事実なんだろう」
“具体的なビジョンを持ち、より現実的な努力ができる人”。
それはまさに、俺が彼女に対して抱いていた印象だった。
小百合の体験談と照らし合わせることで、自ら導き出した結論への確信が高まる。
空になったグラスにブランデーを注ぎ、間を置いてから話を戻そうと口火を切った。
「相手を愛することと、相手に依存することは似て非なるものだ。これが必ずすれ違いを生む。しかし原因はすれ違いでも、それ自体は問題じゃないんだ。今思えば、その時点では修復できない綻びじゃなかった」
これは、俺が得た新たな真理だ。
少なくも多くもない、これまでの平凡な恋愛遍歴の中で導き出してきた様々な答えが、全て覆ってしまう天変地異の様な真理。
「問題なのはお互いの愛し方が根本的に違っていること。これを自覚した時、俺は恐ろしいとすら思ったね。もしあのまま勢い余って結婚でもしていれば、その先一生、俺は依存心とそれに付随する欲望をひた隠しにしながら、それに折り合いをつけていかなくてはならなかったのかってな」
そして俺は、自分が正しく人を愛せる人間ではないのだと、自らを差別した。
彼女と自分を隔てる仕切りの正体を、見破ってしまった。
これ以上あがくことがどれだけ無意味な行いかを、自覚してしまった。
随分と長い遠回りをした末に、ようやく結論を吐ききる。
喪失感と、虚無感と、少しの気恥ずかしさから、視線をグラスに固定する。
数瞬の静寂を先に破ったのは小百合だった。
「……私は恋人関係というのは十人十色だと思いますけどね」
「もちろん、その通りだと俺も思うよ。今回は組み合わせが悪かったっていうだけの話だな」
「ふふ、要するに児慈君は典型的なダメ男ってことですね」
小百合の冗談めかした口調に、沈んだ空気がどこかへ吹き抜けていく。
それに合わせる様に、努めて明るく“嫌なまとめ方だな”と応えると、小百合は口元に笑みを浮かべたまま顔を伏せた。
「……ひとつ、聞いてもいいでしょうか?」
「なんだ?」
「実のならぬ行為に費やした時は、無意味だったと思いますか?」
恐る恐るといった様子の子百合に、それが彼女自身の過去を重ねて思い浮かべた疑問なのだと悟る。
叶わなかった、夢を追いかけた時間。
実らなかった、恋に酔いしれた時間。
この破局について“どこが悪かったのか”と問われれば、それは“俺という人間そのもの”ということになるのだろう。
つまり、始めた時から破局は決まっていた。
「思わねーな」
しかし、それが無意味だとは思わない。
転ばなくては、自覚できない心理がある。
踏み込まなければ、見つけられない真理がある。
空気にそぐわないあっさりとした返答が、質問の意図を受け止めた上でのことだと悟ったのだろうか、張り詰めていた空気が再び霧散する。
いつも飄々としている小百合が珍しく見せた弱さに、からかいの言葉をかけて互いに一頻り笑いあった後、いつの間にか会話に加わっていなかったカナシゲに気づいて目を向ける。
カナシゲはソファーから腰をずり下げて、酔いつぶれている様だった。
「う~ん、ノスタルジーだね……」
こいつにかかれば俺の得た真理など、理解の及ばぬ前衛芸術と大差ないらしい。
カナシゲ君、大物説急浮上である。
次話、第二週はさらなる新キャラ2名登場で4人飲み会の予定です。
そうです。徐々に増やして作者のハードルをあげていくのです。
まだ途中までしか書いてないので、大分先になると思いますが……。
がんばります。