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歌舞伎町八景

作者: 豊島修二

第1景

「東京に住みながらも、自分には全く縁が無いと思っていた歌舞伎町。歌舞伎町どころか新宿にも寄り付かなかった45年間。しかしある日、命以外の全てを失った私がたどり着いた場所は歌舞伎町でした。これは、まだ私が歌舞伎町に住んでいた頃に書いた短文です。歌舞伎町を引き払い、今の街に住んでもう3年。既に懐かしい街になりました」



歌舞伎町の朝は、けだるい。

黒づくめのホスト達、太った女達、残飯をつつくカラス達。朝が爽やかでない、ほとんど唯一の街である。

一番街での仕事を終えた私の通勤路。閉鎖されたコマ劇脇を抜け、交番を左手に見ながら風林会館側へ曲がり、しかしすぐにラブホテル建ち並ぶ裏道に吸い込まれ、二つのバッティングセンターを眺めながら区役所通りと職安通りがぶつかる手前の神社、その斜向かいに出る。その先、なおも続くラブホ街を抜けると、東新宿駅のすぐ近く、いわくつきの私の仮住まいが見える。

歩いてわずか数分のその行程は、歌舞伎町のイメージである夜よりも人が減った早朝こそが、私にとっては歌舞伎町らしく感じられるのだ。


朝まで営業したバーから、数人がわらわらと降りてくる。「お疲れ様!」「お疲れ様でした!また明日、よろしくお願いします!」その「明日」とは、言わずもがな今日の晩である。


地下にあるゲーム喫茶の地上入口の前に、男が倒れている。年の頃は40絡みでもあろうか。酔っ払いかとチラ見した視線の先には、赤いものが見える。鼻から口にかけて富士山の形のようにかなりの血が流れている。鼻を折られでもしない限りあり得ないほどの出血量だ。

ああ、揉めたんだな。夏だから風邪もひかないだろうが、このまましといたら捕まるのにな。

足を止める事もなく通り過ぎようとした時、地下の店から黒い男が二人現れ、一人は男の脇にしゃがみ、一人は歩き去る。きっと車を取りに行ったのだろう。どこに連れて行かれることやら、あの赤富士のおっさん。


角の駐車場の入口に派手な布が落ちている。見れば女性の下着である。道端に、パンティひとつ。何があったんだろうなと、少しだけ首を振りながら、私はそれを跨いで歩く。


コンビニの向かいにビルの前に、女が座っている。見ればM字に開いた足の膝に両手を乗せ、首を深々と垂れている。飲みすぎたのであろう。それよりミニスカートでそんな格好してたら、どっか運ばれるぞ。しかし口には出さず、これもチラ見しただけで、私は家路を急ぐ。


ホスト街とホテル街の間の道を、黄色いフリフリワンピースの女が一人で歩いている。iフォンであろうか、携帯電話を血管が浮き出るほどの力で握り締めている。ストレートロングの髪は乱れ、朝の歌舞伎町特有の生ゴミの臭いのする緩い風になぶられている。うつむいている肩が震えたかと思うと、急に声を上げて泣き叫んだ。今、この世にあるのはただ我が身のみと言った泣き喚きぶりである。

私はさすがに少し驚いたが、その黄色い女の横をすり抜け、ただただ自分の寝ぐらに向かう。


歌舞伎町では全てが風景、赤富士もM字も黄色い叫びも、取って食わないのであれば、標識の如く、通電の切れた自販機の如く、ただ通り過ぎるばかりだ。


東京新宿歌舞伎町、現在いまだけに存在する者達の、刹那的な街である。


第2景

スーツにドレスに、思い思いのユニフォームで飾った男女が急ぎ足で行き交う。世のサラリーマン達が「お疲れ様」を言い合う頃には皆それぞれの戦場に現れ、「おはようございます!」「おはよう、今日もしっかりな!」とやり合う。


かく言う私も店を18時の営業開始に備え、17時には店に着かねばならない。東新宿から歌舞伎町2丁目1丁目と抜け、コマ劇の横を通過して一番街に向かう。


生花店はスタンドや籠の飾りつけに忙しく、若いホストは買い物袋をぶら下げて走る。

中には退社後に歌舞伎町に直行したのだろうか、企業の部長然としたスーツ姿の50歳前後と思しき男性が生花店の店先をうろうろしている。

「そこのキャバクラの周年なんだよね」

「ああ、そうみたいですね」

「ちょっと大きいやつを頼みたいんだけど。ベースはピンクや赤がいいな」

「ピンクですか、赤多めでもいいですか?」

「いいよ、祝2周年って入れてね。他にも同じ店に出すオーダー来てるならさ、それより大きくしてくれる?」


頭の上で髪の毛を丸め、頭の上にもう一つ頭を乗せたようなシルエットの若い女が、ショッキングピンクのドレスからその豊満な胸のあらかたを露出させ、ここがわが街とばかりに高らかにヒールの音を響かせている。突然、浜崎あゆみの歌声が響き、彼女は携帯電話を取り出す。

「ええ、そうなの?ほんとにぃ?マジバナ?」歩く速度を緩めることはなく、眉間にすっと皺が寄る。

「...わかったぁ、とりあえず5万でいいの?明日なら後15渡せるから..。うん、わかってるわ、カズヤ」


この街にカズヤと同じような男は、それこそゴマンといるだろう。

見栄を張る者、張らせる者、金に変わったその見栄を張らせた女から搾取する者。


東京新宿歌舞伎町、カズヤの如き才能を活かすには絶好の街である。



第3景

「歌舞伎町に住んでいた頃は、昼夜問わず常にサイレンの中で暮らしていました。慣れてしまって、どんなにパトカーや救急車が騒がしくても、窓すら開けなくなったものです。東新宿の大火事、4人が死亡した火災でした。あれは私が毎日のようにFAXを送りに行っていたコンビニの裏でした。その場所自体は大久保でしたが、職安通りを挟んだこちらは歌舞伎町。こんなに近いのに、翌日部屋を出るまで火事だと気づかずに寝てました。そんな街なんです」



歌舞伎町の警官は、忙しい。

徒歩でパトカーで、あるいは自転車で、切れ目無いパトロールを継続している。今週は1丁目の、寿司屋が燃えた。先週は2丁目の駐車場で、人が死んでいた。一番街の入口では異常なテンションの若い男が、肩掛けカバンを抱きしめて職質を拒否し、さくら通りでは職質を振り切ろうとした三十代らしき男が通行人に捕まり、追い付いた警官、モノも言わずに蹴りつける。


その頃の私は、濃紺か黒のスーツに昼夜問わず黒のサングラス、オールバックでセカンドバッグを持ち歩いていた。シャツも、無論黒である。そして赤か紫のストールを首から垂らしていた。いかにも職務質問されそうないでたちに思えるが、実はこうした格好を理由に職質されることは無いのだ。ある日、ラフなジャージで小さめのビジネスバックを肩からぶら下げ、この頃にしては珍しくもサングラスも掛けず歩いていた。

2丁目のラブホ街に入ったところで、巡回中のパトカーと遭遇し助手席の警官と目が合った気がした。私は予定通りのルートで角を曲がったが、パトカーは大急ぎで区画を一周し再び私の前に現れた。職質である。取っ掛りで少し嫌がったのがいけなかったのか、たっぷり20分も路上で調べられた。当時の私の部屋はその職質の場所から3分とかからない所だったが、あいにく住民票は遥か北区にあり、どうしてこの時間に歌舞伎町にいるのかを説明しなければならないのがやっかいだった。もちろん薬も銃器も所持しておらず前科も無い。パトカーの中に座らされる事もなく解放された。


名前以外、本当の事など話していない。まあでも、そんな事は問題ではないのだ、この街では。


大晦日、警視庁24時を眺めれば新宿署の夜間パトロール警官が、逃亡する男を追い続け、遂に確保したその場所は、なんと私が住むマンションの1階駐車場である。薬物を所持していた男が手錠を掛けられた直上の2階、水色のカーテンの掛かる明かりの消えているその部屋こそ私の仮住居。ほんの短期間のつもりでこの部屋に転がり込み、しかしふと気づけば既に1年近い。ああ、俺はこういう街に住んでいるんだと、テレビを見ながらため息をつく。既に立派な歌舞伎町の住人である。


東京新宿歌舞伎町、そこは露骨なドラマが繰り返される、幾ら住んでも非日常の街である。



第4景

さすがの歌舞伎町にも猿はいないが、見ざる言わざる聞かざるの「さる」人口なら、きっと日本一に違いない。

キャバクラは言わずもがな、セクシー居酒屋にBAR、エステや風俗に至るまで、そんな「さる」達が様々な勘違いおじさんに食べさせて貰っている。


「店長、今日あのハゲ来るんだって!」

「ハゲ?ああ、あの不動産屋の?なんだ太客じゃん。ありがたいよ」

「違うんですよー!あいつ今日、自分の誕生日だからって来るのー」

「いいじゃん、店からケーキ出してやるから、ドンペリの2、3本も抜いて貰いなよ」

「それはいいんだけどさー、アフター狙いでラスト1時間で来るのー!最近せこくてさー」

「まあ今まで使い過ぎだったからなあ」

「今日のプレゼントは、つかさちゃん自身だよ、とかさー、メールして来てんのー!きもいー!」

「かれこれ二百万くらい使ってるからねー。1回くらいいいんじゃね?」

「ひどいー!でもあのハゲ、最近不景気だ不景気だってばっか言っててさー!もう金ねぇんじゃないかなー」

「ふうん、それで今までの元を取ろうとか思って付け回されたらコトだな。アフター、上手く断っても出待ちとかされたらやばいよな」

「ヤダー!こわいー!どうしよー!」

「そろそろ切り時かな。おまえさ、付き合う気はないからってはっきり言えよ」

「えー!逆ギレされたらどうしよう」

「ばぁか、そういうのを上手く丸めるのが仕事だろ?まあ店で何か言ったらさ、俺が出てやるよ」

「ほんとうー?今日ー?言うー?」

「ばか、ハゲの出方見てからだよ。理由聞かれて俺と同棲してるとか言うなよ」

「わかったー。でもさー、冗談でも1回くらいとか言わないでね...」

「ん?」

「他の人なら笑えるけど、ヒロトにそんなコト言われたらわたし...」

「ばか、おまえ、外に出たら‘店長’だろ!」


かくしてこの二人の年齢を足してもまだまだ届かないほど年輪を重ねた不動産屋は、いつかはつかさと結婚できると思い込み、せっせと金を運びにやって来る。そのおつむは薄いだけでなく、脳ミソもツルツルに違いないと二人に爆笑されているとも知らず。


優しく騙され舞い上がり、金を落とすも恋の内。

そんな色恋は見ざる、真相は言わざる、クレームは聞かざる、そうして百にひとつは事件に及ぶ。


東京新宿歌舞伎町、自ら目覚めなければ、金が続く限りその夜は明けない。



第5景

「今は美しくも巨大な、新しい歌舞伎町の象徴へと生まれ変わり、そのてっぺんからゴジラが顔を出している旧コマ劇。その横にある広場です。今はまだ建設機械などの置き場になっていて、現場用の仮囲いに覆われていますが、私が歌舞伎町にいた頃はここは見つめれば見つめるほど面白い、不思議の島だったのです」



歌舞伎町にも夢の島が、ある。

コマ劇場が閉館する半月ほど前、私は当時やっていたブログ仲間に誘われてその中で飲んでいた。待ち合わせはコマ劇の中、と言われても判らず、新宿駅を西口に降りて都庁に臨み、京王プラザホテル付近を探し回り、12月にも関わらず遂に汗だくでタクシーに乗り込んだ。

「コマゲキ、とか言う所にやって下さい」

運転手さんも、とんだ田舎者を乗せたと思ったに違いない。その時に中に入ったのが最初で最後の訪問になり、コマ劇場は閉館した。


今や歌舞伎町に住み、旧コマ劇向かいのクレープ屋と脇の地下のサウナが好きだが滅多に行けず、毎晩毎朝解体中のコマ劇とクレープ屋の間を通って一番街に歩いて通勤する。そのクレープ屋の後ろに、不思議な空間がある。


道路より一段高く作った広場である。ちゃんとした名称がある筈だが、私は知らない。時折イベント会場に姿を変えて、バンドの演奏やら公演やらやっているらしい。何をやっていても、立ち止まるほどの興味もなく、ただ行き過ぎるのが常である。何も開催されていない時の方が、実は私には興味深い。


映画館寄りには薄い緑色のゴミ捨て場が並んでいるのであるが、この周辺に世の中から捨てられたのか、あるいは望んで自らを投棄したのか、まるで未開の地の民族を発見したかのような光景がある。

ダンボールを敷き詰め、六畳ほどの我が国を開き、そこで暮らす人々がいるのだ。何の仕事をしているのかいないのか、収入があるのかないのか、私には判らない。酒を飲み、将棋を指し、犬まで飼って、いかにも自由に見える。来客がいることもあるようだ。


彼らの後ろのゴミ捨て場を越えると、広場一面に人がゴロゴロしている。老若男女を問わずあるいは腰を降ろして語り喚き、あるいはいぎたなく寝そべり、痩せた男と太った女が多く感じられるのは気のせいか、中には広大なパンツの生地を人目に晒して引っくり返っている女もいる。女性用下着はどうしてあんなに伸縮性に優れているのか?を考えるきっかけをくれる。伸びに伸びたミッキーマウスが、もはや何者かもわからない有様になって通行人の目を背けさせる。


見目好い輩は、男女を問わず稀である。

なぜここに集まり、なぜここで寝そべるのだろう。


深夜ともなればその国民性は更に豊かになり、「マッサージいかがですか?」の中国人のおばさんに本当に肩を揉ませている金髪の外国人あり、リングのロープの間から体を乗り出すセコンドのように車止めの間から頭を出している若い女性あり、体育座りして黒い下着をホストにチラ見せする二人連れの、恐らくは高校生あり、ごった煮の闇鍋の如き呈を為す。


ガードレールから半身を乗り出す彼女は、薄い黄色の花柄ワンピースに、同系色の大きなリボンを頭に飾り込み、靴だけはあくまでも赤く、携帯電話を耳にして何かを喚き続ける。涙と鼻水にまみれて化粧も台無し、言葉はもはや何を言っているのか判然しない。


電話の先には、男がいるのであろう。

ああ、また今日も泣く女を見てしまった。


泣く女、悟り顔のオヤジ、売れそうもないホストに、自らを諦めたような元ミッキーマウス柄のパンツの女、片隅のダンボール帝国。


東京新宿歌舞伎町、ここは捨てて捨てられし夢の島。夢破れたる者達の集まる島なのかも知れない。



第6景

「これらの話が聞こえて来た西武新宿前のルノアール、つい先日打合せで久しぶりに行きました。やはりここは面白い。歌舞伎町の真ん中のルノアールでは広過ぎて細かい話は聞こえにくいし、アントニオ猪木酒場並びのルノアールは、少し客層が違うのです。珈琲を飲むだけなら、私は24時間営業の、靖国通り沿い珈琲貴族エジンバラに行っていましたが、ある日突然閉店してしまいました。随分淋しい思いをしましたが、先日場所を新宿3丁目に移して再オープンしました。広くて綺麗で雰囲気の良い喫茶店に生まれ変わりましたが、あの得体の知れない客層は今はいないようです。深夜料金の割高さだけは、変わっていませんが」



歌舞伎町の喫茶店は、かまびすしい。


昔から胡散臭い客層しかいないだの、詐欺師ばっかりだのと、何度も噂を聞いていた。歌舞伎町に住んで、打合せと言えば喫茶店を使うようになり、なるほど面白いものだと納得した。


セカンドバッグ一つ持って入ってきた五厘刈りの髭面は、注文するや否や携帯を取出しあたり憚ることなく取立てを始める。

「社長さんさ、借りたんはあんただろが!約束を守らないのはどっちだよ!あぁ!?」


隅の四人掛けでは、気の弱そうな若い男を前に黒髪ロングに濃紺スーツの女性とネクタイ姿の30代らしい男性が、えらく高いテンションで何事かを説明している。

「ですよね!頭のいい人にお話しするのは楽ですよ!最初の一回、自分で買うのはこれは自己投資です。だって商品を知らなきゃね!そうでしょ!ですよね!」

「そうよぅ、ツトムさん!2セットめからはあなたの下にできるグループが売ってくれるわ!あなたは本当にラッキーだわ!そうそう!ですよねー!」


一見、ただのオヤジにしか見えない四人組は、やたらめったら資料を広げたテーブルを囲んでいる。

「うん、中国人を入れないようにすれば?」

「滑走路を作ろうよ。ジェットならすぐですよ」

「いやぁ、うちはかみさんがフィリピンなもんでね。どうせならマニラにしろって聞かないんですよ」

「それじゃあ仕方ないけど、勿体無い話だから」

「マニラと違って、パスポート要らないから」

「いっそのことさ、沖縄本島買っちゃえば?」

「尖閣諸島もいいんじゃない?」

「冗談きついよ、ワハハハハ」

「冗談はさておき、どうです?島を買うなら今ですよ。福利厚生にもなる」



あくまでも太ったまるで相撲取りのような、しかし背の低いギョロ目の男は写真と登記簿の前で両肘をついて話している。

「ここからここまでの一角、全部なんだ。別荘は8戸ある」

「8つもですか」

「いや、自分用なら金を使って終わりさ。だがここならね、一番良い所を自分が使って後は貸せるからね。投資になるんだよ」

「はぁ、なるほど」

「8戸まとめて10億。こんな値段じゃ買えないよ。俺の顔でこの金額丁度でいいんだ」

「10億ですかぁ」

「ああ、たったのね!温泉だってついてるんだ、激安ドンキだよ!」



黒縁眼鏡の恰幅の良い紳士が、背筋も正しく冷静に話している。

「240万バレル。今ならチャンスです。今の時間で1ドルが何円かご存知ですか?」



背の高い欧米人とのハーフと思しき男性が、派手な装飾品で固めた中年の女性に話している。

「あくまでもハイビジュアル、ハイクオリティにこだわります。池袋や上野に見かけるような安っぽい店にはしません。安いのは、それは可能な限り安くてもいいと思います。しかし安っぽくしたくはない。たったそれだけなんです」

「キャストのあてがあるのね?」

「当然です。あの有名店のナンバー1から数人、根こそぎです。社長のアグリーが頂ければ、かつてないコンセプトのクラブが歌舞伎町に誕生します。あの伝説のみゆき社長の下に、あの売れっ子達が集結するんです。爆発的な話題になります。これはもはや事件です。その主役はみゆき社長、あなたです。僕はみゆき嬢の伝説を終わらせたくない。社長には、もう一度輝いて欲しい。もちろん、利益と共にね」

声を、落とした。「たったそれだけなんです」

「あなたは?専属でお店にいるんでしょ?」

「当たり前ですよ!」欧米人のような、両手を広げるジェスチャーを見せた。

「お望みなら、いつも貴女のお側に」。



東京新宿歌舞伎町、目に見えない大金が、言葉に乗って宙を飛び交う街である。



第7景

「いまでこそ滅多に登場しなくなりましたが、歌舞伎町一番街と西武新宿前で店を任されていた頃、私はあの巨大掲示板2ちゃんねるの、あるスレの“人気者”でした。ほぼ毎日、無茶苦茶に書かれたものです。当時はあてもなく歌舞伎町に流れ着いて、一晩12月上旬の空の下で野宿をして死ぬかと思った後、“何でも屋”を自称して大概のことはやりますと触れ回っていました。パソコン接続3千円から、緊急ガラス入換数万円、夜中の三時に呼ばれてBARのカウンターでクダを巻く酔客撃退など、要望があって自分ができそうな事なら大体受けていました。

東日本大震災直後に、歌舞伎町一番街の中国式リラクゼーション店のテコ入れを打診され、数日掛けて計画し企画書を作成、オーナーと面談の末、受ける事になりました。それなりの支度金も頂戴し店の改修・改革に乗り出した所、同業やリストラしたスタッフ、果てはスタッフを贔屓にしていた顧客などにまで、掲示板で悪口を書かれ続けました。

フルネームは無論、当時書いていたブログのURL、果ては人間関係に至るまである事ない事書かれました。まあ、無い事の方が圧倒的に多かったのですが、それで別の契約がキャンセルになったり、お客様に迷惑がかかったり、随分痛めつけられました。離婚前の家族構成や、歌舞伎町に辿り着く以前に経営していた会社まで突き止められたものです。探偵でもいるのか、あるいは余程近しい人物が書いているのかと疑心暗鬼になりました。掲示板が理由で白紙撤回された契約の総額は約3千万円、予定利益にしてもおよそ500万円がそんな理由で消えてしまいました。歌舞伎町で何でも屋をやると言うことは、つまりそういう事もあるんだなと思ったものでした」



歌舞伎町の週末は、特に猥雑だ。


誰が言ったか「東洋一の繁華街」、しかしこんな風景が東洋一じゃあアジアも大したこたぁないと思われる。以前の全盛期を知らないからであろうが、歌舞伎町の一番街も錦糸町の南口ピア錦糸町も、夜についてはそれほど大きな差異を感じない。東洋一と言うのも、必ず過去の栄光に違いあるまいと、一人勝手に首肯している。しかし私はここ歌舞伎町に住み始めてまだ日が浅い。にわか住人が何を生意気なと叱られそうであるし、このくらいにしておこう。


街はひとまず置くとして、この街を構成する多くの人びとにこそ、過去あり歴史あり。必ず人には「言えない過去」と「言いたい歴史」があるものだ。言えない筈の過去をほじくり、わざわざ小説にして公開しようとしている馬鹿もここにいる。


中学生の時に何かでこう書いた。「紙と鉛筆の無駄遣いと笑わば笑え」。なぜだったか覚えていないが、父がそれを読んだ。父は私の物書き志向に賛成でも反対でもなかった。自分自身が好き勝手な人生を送っていたせいだろう、別に好きにすりゃあいいと思っていたようだった。


短文を書いてある新聞社で入賞した時、中学の担任は大いに喜び入選記念の動画まで作ってくれた。短歌が雑誌に掲載された時は、職員室に呼ばれ先生方から喝采を受けた。体が弱く口もろくに利けず、何の取り柄も無かった私を褒めるとしたら、そうした機会を逃すわけには行かなかったのだろうと思う。


しかし父だけは、一言の感想も述べない。あるコンクールで賞状と盾を貰った時も「ああ、そうか」としか言わなかった。だが「笑わば笑え」の一文を偶然読んだ時だけ、感想を言った。言い回しは覚えていないが「あとの所はともかく、笑わば笑え、それでも書くんだ、の所、ここだけはいいな。おまえが書きたいなら、書くがいいさ」と。極度のどもりだった私は、口で返事をする代わりに笑顔で大きく肯いた。


だが二十歳になっても鳴かず飛ばず、22歳でようやく自ら才無きを悟り筆を折る事になる。当時住んでいた家賃八千円のアパートの庭に、書き溜めた原稿や中学生時代に貰った賞状・盾・記念品、大事に取っておいたそれらを、きれいに燃やした。以降二十有余年、一切書かずに仕事ばかりの人生を送った。


いろいろなものを犠牲にして作り上げた会社も、私の無能さから不意に現れた詐欺師に手もなく騙されて失い、家族も離れ友も去り、懐僅か250円でこの歌舞伎町に流れ着く。なんにもないが、時間はできた。そうして再び、文章を書いてみる気になった。売れる売れないではない。良いも悪いもない。山あり谷あり、こうして歌舞伎町に押し流されるまでの事を、どうしても書き残したい。


それこそ時間の無駄遣い、いたずらに2ちゃんを賑わすだけだと笑わば笑え。


週末のごった返す歌舞伎町の人混み、縫う様に歩く私、その私そのものも過去を背負った一つの風景。いや、人混みを形成する各個々人にも歴史あり。


東京新宿歌舞伎町、様々な過去の集合体がひしめくその輝きは、しかしどこか物悲しい調べを奏でるのである。



第8景

歌舞伎町と言えば、なんであろうか。近い人に聞いてみた。


歌舞伎町と言えば?

「俺はガキの頃から歌舞伎町にいるんで、今更なんと言われても思いつかねぇす。強いて言えば、さびれた繁華街ってところすかねぇ」


歌舞伎町と言えば?

「コマ劇!歌舞伎町と言えばコマ劇ですよ!先にコマ劇と聞いたら歌舞伎町を連想するし、歌舞伎町と聞いたら、やっぱりコマ劇を思い出すもん!」


歌舞伎町と言えば?

「ゴミだね。あの街のあちこちにある大量のゴミ。そんでその臭い。朝方そいつをつつくカラス。あれこそ歌舞伎町の縮図だよ」


歌舞伎町と言えば?

「歌舞伎町ですか?もう、すぐ人を騙す人がたくさんいて、すごいイヤな所ですう」


歌舞伎町と言えば?

「ヤマダ電機かな」


歌舞伎町と言えば?

「あんまり行きたくない所っすね。自分、田舎もんですから、あわねぇっす」


歌舞伎町と言えば?

「ああ、やっぱりあの一番街の入口のでかい看板だよね、あの門みたいな。あれがやっぱり歌舞伎町のシンボルだよ。震災の後さ、あれがしばらく消えてた時はさ、そりゃあ淋しい気がしたもんだよ」


歌舞伎町と言えば?

「あの街中くさいのが嫌ですね」


歌舞伎町と言えば?

「夢ですね!男も女も関係なし!夢を追えるステージが歌舞伎町ですよ!ジャパニーズドリームは歌舞伎町からですよ!」


歌舞伎町と言えば?

「ゴールデン街だな。あそこも一応、歌舞伎町1丁目なんだよ。あんな立地にあんな集落が未だに存在することがね、たまらんのだな」


歌舞伎町と言えば?

「えー!昔住んでたー!超なついー!あそこのビル知ってる?あの地下がホストクラブの!うん、そうそう!あそこ良く行ったー!あ、あそこで酔っ払ってキレて隣のラーメン屋のガラス割ったのわたしー!超なついー!」


歌舞伎町と言えば?

歌舞伎町と言えば?

歌舞伎町と言えば?

喧騒諍い、夢を見る者破れた者、煌びやかな街に人の数だけ事件がある。


東京新宿歌舞伎町、人々が織り成す大小のドラマの幕は、きっといつまでも降りる事はない。


(了)

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