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黒百合の聖女  作者: 風花鳥月雪
一章 帝国と聖女
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8. 蝶の誘いと小動物

 

 細かな雪が強い風を伴って、一寸先すら見通せないほど吹きすさいでいる。白一色になる窓の外を見て、ふと北海道での通学路を思い出していた。


 荒々しく風が窓を叩く音を聞きながら朝食をすませ、食後の紅茶を飲んでいると、水色の蝶がひらひらとたゆたいながら徐々に高度を下げ、ティーポットの持ち手部分にとまった。

 ベリスさんが蝶を捕まえるように羽部分を掴むと、蝶はその姿を一枚の封筒へと変える。上質そうな紫苑色の封筒に、しっかりと封蝋が押されている。


「カレン様からですねぇ。どーします? お読みいたしましょうか?」

「お願いします」


 カレンさんはこんな風に、二日にいっぺんくらいの頻度で手紙をくれる。

 いつもは一枚のメッセージカードで、今日のように封筒入りで来る事は今までなかったが。

 内容は『何か必要なものはないですか?』とか『今日は孤児院の子供たちがイパティキの花を摘んできたので、一輪差し上げます』とか、とりとめの無いものばかりだったが、その優しさからくるカレンさんの行動が、今は嬉しかった。

 少し前ならば、こんな風に嬉しく思う事は、きっとなかっただろう。


 ただ残念ながら、私がその手紙を直接読んだのは、最初の一回を除いては一度としてない、というか読めなかったのだ。

 こちらの世界の文字は、英語の筆記体に似ているが、一文字一文字が全く違うので、読めるようになるには少しどころじゃない努力を要しそうだった。なのでベリスさんにお願いして読んでもらって、返事の代筆もお願いしている。

 言葉は通じるのだから、文字も読めたらいいのに。

 読み書きの練習、ちょっと頑張ってみようかな……。


「それでは失礼(しつれー)して……。親愛なるユリ様へ」


『親愛なるユリ様へ。

 本日ヴァイス陛下のお時間を少し、いただける事になりました。

 急ではございますがユリ様さえよろしければ、共にお茶などいたしませんか?

 ご参加くださる際はペタルム庭園に、三の鐘が鳴り終わる頃におこしくださいませ』


「どーやらお茶会の誘いですねぇ。どうお返事いたしましょう?」


 お茶会。

 頭の中で、金髪の盛り髪で凄いドレスを着たご婦人が「おほほ」とお茶を飲む、煌びやかな絵が浮かんだ。

 馬鹿げた脳内イメージを素早く払拭して、どうしようかと考える。まあ考えると言いつつも、答えは決まっているのだが。

 ちょうど、もう少し詳しい話を誰かに聞きたいと思っていた所だったのだから。


「……じゃあ〝お茶会楽しみにしてます〟って、返信お願いします」

「はーい、かしこまりましたー」


 白いエプロンのポケットから小さい紙を出し、さらさらとペンを走らせた後、彼女は二言ほど何かを呟いた。すると、小さな紙はその言葉に呼応するように形を変え、茶色の小動物になる。

 尻尾がふさふさと大きく、鶯色の目がくりくりとして……


「か……可愛い……」

「えっへー、お褒めいただき光栄(こーえー)ですー」


 上機嫌なベリスさんの手の中にいた小動物……リス? は、軽く飛び上がり私の肩へと降りる。

 大きな尻尾が頬に当たって、気持ちがいい。

 それに頼りなさげにあちこち見回すこのくりくりの瞳……。

 このところ会っていない、私よりもちょっとだけ背の小さい〝彼〟を思い起こさせる。


「では、カレン様によろしくーね」


 ベリスさんの一言にちちっと短く鳴くと、すべるように床に降り、そのまま壁の外へ消えていった。


「あ……、先生も一緒で大丈夫か聞くの忘れた……」


 日向先生からは会うたびに『どこかに行く際は一緒に行きますから〝絶対〟声を掛けてください』と〝絶対〟の部分をかなり強調して、念を押されている。


「では私がカレン様にもう一通(いっつー)お出しして、返信を待つ間、アオイ様にお伺いしてまいります。ユリ様、少々(しょーしょー)お待ちいただけますかー?」


 私のミスでお世話になりっぱなしのベリスさんに、これ以上迷惑をかけてしまうのは気が引けてしまう。

 そこで先生の部屋は私の部屋のすぐ隣、というのを思い出す。こんなに近いのだから、二手に分かれた方が早いだろう。


「私、先生の部屋に行ってきます。すみませんが手紙の方はお願いします」


 そう言うと同時に、コート掛けに下がっている、まだ一度も着る機会の無かった花紺色のマントを手にとって、全身をすっぽりと覆うと、駆け足気味に扉の前まで行きドアノブを回して押した。


「ユリ様ぁー、お待ちくだ――」

「うわっ! いだっ!」


 ガッゴン! と派手な音と共に嫌な感触がして、恐る恐る扉の外を見ると、頭を抱え込みながら少年が四つんばいになってじたばたしていた。蜂蜜色の髪の毛を両手でくしゃくしゃにして、必死に頭頂部をさすっている。


「うう……」

「……アニ、君?」


 声を掛けると、はっとしてこちらを向いた後、起立! 気を付け! と号令が聞こえてきそうなほど機敏な動きで立ち上がり、やっぱりちょっとふらふらとよろめいた。


「ご……ごめんなさい! アニ君大丈夫……?」

「だい、じょうぶ……です……」


 私の方をちらりと見たのは一度だけで、彼の視線はきょろきょろと落ち着かない。

 まだ痛いのか、彼の右手は頭をさすり続けている。


 ……やっぱり似ているなあ。あのリス。可愛いなあ。


 ほんわかした気持ちそのままに、私の手はアニ君の髪を撫でる。

 癖のある髪は、思っていたよりも細くてとても柔らかい。


「いたいのいたいの、とんでけー」


 昔、いつだったか……私も誰かにこうして『いたいのいたいの、とんでいけー』ってしてもらったなあ。あれは誰だったっけ。

 母や父ではないだろうし、修羅場の多さで有名だった私たち家族を、遠巻きに嫌な目で見ていた近所の人でもないだろう。

 きっと全然関わりの無い〝優しい人〟だったんだろうな。

 そういう人がいるとわからなかった幼い私は、きっとお礼もろくに言えてないだろう。


「……ユリ様? そろそろやめて差し上げないと、アニュアス様が昇天(しょーてん)しちゃいますよー」


 はっと刹那的な過去への旅路から立ちかえると、真っ赤になって耐えるように俯くアニ君が目に入る。


「あ……嫌だったよね。ごめんなさい……」


 このくらいの男の子は、こんな子ども扱いされたらきっと嫌だろう。

 そっと手を引くと、ほのかにハーブの匂いがした。それと同時にアニ君はへなへなと床へと座り込んでしまう。彼の自尊心をそこまで傷付けてしまっていたとは……。


「百合さん」

「あ、先生。おはようございます」


 今の大きな音を聞きつけてか、いつの間にか先生がすぐそばまで来ていた。


「私との約束、覚えていますか?」

「えっ」

「百合さん。今、一人で出掛けようとしていましたよね?」


 笑顔が……怖い。

 なぜだろう、先生の背後にあるはずの無い黒いオーラが見える気がする。


「わ……私、先生の部屋に。隣、近いし」


 鬼気迫るものを感じ取って、言葉がうまく紡げない。


「近いかどうかは問題ではありません。まあ、話は部屋に入ってから聞きましょう。さあ、部屋へ戻ってください」

「…………はい」


 有無を言わせない、という態度に、私はすごすごと部屋へ戻る。

 先生の黒いオーラが凄いプレッシャーになって、背中にさくさくと刺さっているような気がしてならない……。






「お茶会?」


 しこたま叱られた後、私は行動の理由を説明した。

 途中でベリスさんが新しいお茶をすすめてくれていなかったら、笑顔のお説教はまだ続いていただろう。

 紅茶に入っている蜂蜜の甘い香りが、叱られて若干へこんだ心に優しく染みる。


「そうなんです、だから先生も一緒に行けたらって思って……」

「あ、カレン様からはお返事いただきましたよー。アオイ様もどうぞーだそうです。それからアニュアス様もお暇でしたら是非お誘いしてくださいとの事ですー」

「えっ! ぼく……私もですか?」

「アニ君、忙しい?」

「忙しいだなんて、ユリ様! ぜんっぜん、暇です! 行きます!」


 何日かぶりのぴかぴかの笑顔だ。

 胸が暖かくなるのは、きっと紅茶を飲んだからじゃないだろう。

 ……この前の緊急のお仕事はもう終わったのかな。


「じゃあ三人で行きましょうか」


 華奢なカップを片手にそう言ってくれる先生は、もう怒っていないようで凄くほっとした。

 これからはなるべく先生を怒らせないように、ちゃんとしないと……。


「そういえばお茶会の場所って庭園だけど……こんな天気で大丈夫かな?」

大丈夫(だいじょーぶ)ですよー。ペタルム庭園(てーえん)魔法壁(まほーへき)の中にあるので、天気に関係(かんけー)なく、一年を(とー)して花やらハーブやらが楽しめるんですよー。すんばらしく綺麗(きれー)ですよー」


 ベリスさんの手によって、空になった私のカップにとぽとぽ、と音を立てて紅茶がそそがれる。


 植物園がまるまる城の中にあるって感じだろうか……。

 この城がそれだけ凄い、という事なんだろう。それならばこの帝国はどれだけ大きいのだろうか。

 国を救う〝聖女〟であろう私は、まだこの部屋から一歩しか外へ出ていないというのに。

 自分のちっぽけさにがっかりしつつも、いつまでも後ろ向きではいけないと自分を鼓舞する。


 やれる事をやるってちゃんと自分で決めたのだから。

 

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