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黒百合の聖女  作者: 風花鳥月雪
一章 帝国と聖女
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6. 小さき芽吹き

 

 お伽話のような言い伝えを聞いてから五日が経った。


 人というのは不思議なもので、あれだけ戸惑い幻のようだと思った事でさえ、時間と共に段々と受け入れ、落ち着いてくる。

 同時に毎朝、日もろくに昇らないうちから目を覚まし、夢ではないのだと、少しだけ……泣きたくなる。


 ベッドから重い体を起こし、今日も窓の外を見る。

 朝日はまだ遠くの低い山々に重なり、今日もまた薄雲から少し顔を覗かせている。

 うっすらと、まだ夜の藍を残した空の下に広がる町の遠く向こうには、白く川霧がたちこめていた。

 今は窓の結露が凍るほどに冷え込んでいるが、日が高くなれば多少は暖かくなるだろう。


 この五日間、私は何をするでもなく、この部屋から一歩も出ずに過ごしていた。

 頭と心がばらばらになってしまったように、考えがまとまらず気が付いたら時間が過ぎて、一日が終わっていた。

 そんな私を心配してか、ベリスさんはよくお手製のケーキやお菓子を持参して、どうしてもはずせない用事がある時以外は一緒にいてくれたし、日向先生は色々精力的にこの世界を調べているらしく、その成果を毎日話しに来てくれていた。

 甘いはずのお菓子も聞かなくちゃいけない先生の話も、ほとんど頭に残らなくて……。


 漠然とした不安の中にじりじりと広がるものが、なんだかわからなかった。

 心の奥で燻るように、やるせない気持ちは時間と共に大きくなっていく。

 みんなが優しくしてくれるたびに、どんどん肥大して……つぶれてしまいそうだった。


「こんなんじゃ、駄目だ……」


 いつまでも塞ぎ込んではいられないんだ。


 夜着の緩い襟元から、張り詰めた冷たい空気が入り込んでくる。痛いほどの寒さは、得た知識の整理にはちょうどいい。


 私は五日前のあやふやな記憶を掘り起こす。






 ――――あの日


「これが、帝国に伝わる魔獣と聖女の伝説です」


 しんとした空間に、アニ君の良く通る、まだ声変わりのしていない声だけが響いていた。


「この話は民衆には知らされていません。城内でも知っているのは聖女様召喚に携わった者だけで、特に聖女様に関しての資料などは、ヴァイス陛下か、他の王族の許可が無ければ閲覧できないほどの極秘事項とされています」

「……どうして?」

「聖女の安全のため。民衆を不安にさせないため。混乱や暴動を防ぐため……と、いった所ですかね」


 私の頭の悪い質問に答えをくれたのは、日向先生だ。

 私を見据え、大きく頷くアニ君は、その言葉に付け加える。


「どんなに秘密にしようと、緘口令(かんこうれい)をしこうと……人というのは秘密を知れば話したくなってしまうものです。ともすれば、危うくなるのは聖女様の身柄であり、ひいてはこの国を脅かす事となります」

「……厄介ですね。人から人へ伝わる話というのは。真実がそのまま伝わるとは限りませんから……。知れば聖女の存在を利用しようとする(やから)も少なからず湧くでしょうしね」


 ふう、と短い溜息をつき、先生が眼鏡のブリッジ部分を押し上げた。

 レンズの奥で細められた紫黒の両目は、いつもと違う冷ややかなものだった。


 誰が、何をどう知っているのか、それすらわからない。

 だからこそ私はこの髪と目を見られてはいけない。


「だから百合さん。この部屋を出る際には、必ず誰かをそばに付けてください。絶対に一人で出歩いてはいけませんよ? 私であればいつでも一緒に行きますから。ほら、ここに呼び鈴があります。これで誰かを呼んで、扉から出る際は必ず同伴する人物を先行させてください。それからマントは絶対に着用して、フードまできっちりかぶってくださいね」


 先生。そんなに矢継ぎ早に言われても困ります。と、言いたかったが、子供に言い聞かせるかのように先生の表情は優しく、そして真剣そのもので、とてもじゃないが言える雰囲気では無かった。


「昨日も言ったように、ここでは私が百合さんの保護者です。言う事、ちゃんと、聞いてくださいね」


 授業を真面目に聞かない生徒をたしなめている。そんな景色が頭に浮かぶ。

 ああ、そうか。きっと先生は私を無事に帰さなくてはならないという責任があると考えているんだ。

 こんな状況でそこまで〝教師〟でなくてもいいと思うけれど……。


「あ、そうだ。アニ君に聞きたい事があるんだけど、いいかな?」

「はい! 私にわかる事ならばお答えいたします!」

「私が聖女だとして、その魔獣をもし倒したとして、そしたら私と先生は帰れるんだよね?」


 アニ君が固まった。


「え……、もしかして、帰れ……ないの?」


 元の場所に特に未練があるわけじゃない。あるわけじゃないのに、発した声は自分でも驚くほどかすれていた。

 そして思ったのは日向先生の事。

 本当ならここにいるのは、私一人だった。先生は……巻き込まれただけ。なのに私を不安にさせまいと気丈に振舞い、私を守ろうとしてくれている。

 それを考えれば考えるほど、肺がぐっと狭くなったように息苦しくなった。


「帰します!」


 硬直していたアニ君が、弾かれたように立ち上がって言い切った。


「正直に申せば、僕が現在教えられているのは召喚、つまり喚ぶ魔法式だけです……。事が終わった暁には絶対に! なんとしてでも! 陛下にどんな無理を言ってでも! ユリ様を帰して差し上げます! だから泣かないでください!」


 白藤色の瞳に涙をこれでもかと溜め、私の左手を自らの両手で握り上下にぶんぶんとふられる。私より低い背丈で少女のような線の細さなのに、一体どこにこれだけの力があるのかと思うほど強く揺さぶられる。

 それに、泣いてはいない。泣いているのはむしろアニ君の方だ。一人称も『私』から『僕』になってしまっているし……。


 アニ君の気勢と行動に呆気にとられつつ、先生の存在がすっかり忘れ去られていると気付いて、場違いにも込み上げる可笑しさを必死でこらえる。


「できれば私も帰してほしいですね」

「…………ぷはっ」


 今度こそ、こらえるのは無理だった。


 日向先生の柔和なのにちょっとだけ冷ややかな笑みを前に、アニ君はまた泣きそうになりつつ必死に弁解するはめになった。

 私はそんな様子にますます笑うのをやめられなくなる。まともに息が出来ないほどに。


 ――――コンコン


 ひとしきり笑って、ちょうど落ち着いた頃に響いたノックの音。


「ベリスですー。失礼(しつれー)いたしますー」


 返事をするより先に、扉の向こうからベリスさんが一声かけ中に入るやいなや、どこか切羽詰ったようにこちらに一礼し、足早にアニ君に駆け寄って何か耳打ちをした。


「えっ…………わかりました、すぐに行きます。ユリ様、アオイ様。すみませんが急ぎの用ができましたので、今日は失礼いたします」

「では、後の説明は私からしておきます」

「アオイ様、よろしくお願いいたします」


 平静を装ってはいるが、動揺は隠しきれていなかった。何か良くない事が起きたのだと、彼の真剣さが如実に物語っている。

 申し訳なさそうに「また参ります」とだけ言って、彼は踵を返し退室していった。

 続くようにベリスさんも深々と頭を下げて、扉の向こう側へ去っていく。


「何か、あったのかな……」

「幼く見えますが、アニ君は優秀ですよ。だから大丈夫でしょう」


 何も無ければいい。

 表情のコロコロ変わる、春の陽気のような彼が困らないといい。

 会って間もない他人をそんな風に思うのは私らしくないと気付きながら、そう思う事をやめられなかった。


 ぼんやりと彼が去った扉を眺めていると、頭をポンポン、と撫でられた。脈絡も、前触れも無く。

 私の頭の上を行き来するその掌の持ち主は、とびきり優しい顔だ。


「大丈夫ですよ」


 大丈夫ではない。私の胸中が。

 首から上の温度がおかしい事になる。熱い、ひたすら熱い。 


 この感情をなんと言ったらいいのか、私は知らない。

 どうしたらいいかなんて、ますますわからない。

 前に先生の優しさに同じような感情を抱いたのを思い出す。

 もやもやして、苛々する。

 複雑な感情が入り交ざって、ますますもやもやしてしまう。

 それなのに、見た目よりずっとがっしりとして骨ばった暖かいこの掌を、私は振り払えなかった。






「…………あー、もう」


 失敗した。頭の整理どころではなくなってしまった。

 やけに熱の回った顔をうずめるように、数分前に主を無くしてすっかり冷えてしまったベッドに体を預ける。


「やっぱり日向先生って苦手だ……。それにアニ君……大丈夫かなぁ」


 あの日からアニ君には会えていない。やはり何か一大事があったのだろうか……。

 忙しい身の上、と先生から聞いてはいたが、五日も顔を見ないと流石に心配になってくる。

 またあの花がほころぶような笑顔が見たい。そう思う自分にまた少し戸惑った。


 日向先生への説明のつかない苦手意識と、アニ君への私らしくない憂心。

 どちらに対しても自分を納得させるだけの的確な回答が出せないまま、さっきよりも高い位置にある太陽をしばらく眺めた。


 あんな風に、声をあげて笑ったのはいつぶりだろう。もう随分と遠い昔だった気がする。

 眠くもないのに閉じた瞼の裏に、走馬灯のようにこちらに来てからのビジョンを浮かべる。


 最初はどうなるのかと、ただ怯えているだけだった。

 ――――今は……?


 誰からも好かれない自分に、話し掛けてくれた人たちはみんな優しかった。


 それが……怖かった。

 だって、私は血の繋がった両親にさえ、なんの興味も持ってもらえないような、価値の無い人間だと知っているから。


 何も持っていなくて、何もできなくて。

 それが悔しくて、申し訳なくて。


 ――――ああ、そっか。

 私……焦っていたんだ。


「…………私……」


 返したい。

 応えたい。


 優しさをくれた人たちに。少しでも。

 役に立てるかどうか、全然自信ないけど。それでも。


 ほんの、ほんの小さく、胸の奥で芽吹いた私の何か。


 心の奥で燻っていたものが、少し晴れたような気がした。


「……もう一回ちゃんと整理しよう」


 ベッドから再び降り、ベッド横のサイドテーブルの引き出しに手をかけ、中から一枚の生成り色の紙を取り出す。


 先生から事情は聞いているし、羊皮紙という動物の皮から作った紙に、要点をまとめて書いてもらったメモもある。

 余計な会話は抜きにして、聞いた事だけをしっかりと思い出してメモと見合わせながら反復する。


 魔獣は三体。

 それぞれに呼称があり〝慟哭〟〝憤怒〟〝虚無〟と、言うらしい。

 これは聞いたあの伝説にも出ていた言葉だ。


 復活するのは一体ずつ。順番も決まっていて、始めに現れるのは〝慟哭〟だ。

 前回の聖女が魔獣を倒してから――約百年ほど前の事らしいが、復活までの周期は一定ではなく、いつ現れるのかは予測できないらしい。

 でも魔獣はそれぞれ姿を現す前からなんらかの予兆があり、それはすでに始まっているとの事。

 西の大地が著しく痩せて、その上、原因不明の病気が蔓延しているらしい。

 これも伝説に当てはまっていると言える。『慟哭は土を汚し』っていうのは『大地が著しく痩せて』というのと、きっと同じ意味だろう。

 だから、最初の魔獣〝慟哭〟が目覚めるのは――


「もう……間近なんだ」


 恐怖は、今のところ無い。

 ……いや違う。わかっていないだけだ。私のリアルとはあまりにかけ離れているから。


『その流行病(はやりやまい)のせいで、多くの人命が失われています。……ヴァイス陛下のご両親も――』


 説明してくれた先生の言葉が頭に浮かぶ。

 同時に『救って欲しい』と膝をついて懇願してきた、王様の姿を思い出す。

 ちく、と胸が痛んで、僅かに私のリアルと、こちらのそれが重なったのだと知った。


 幾度か小さく頭を振り、新たな面持ちで羊皮紙の文字をなぞって記憶を辿る。


 この国にも、私たちの世界でいう軍隊――騎士団はあるという話だけど、その力を借りる事はほぼできない。

 過去、国を挙げて魔獣に戦争を仕掛けた事があるらしい。

 結果は……(むご)いものだったそうだ。だからこそ〝聖女〟が必要なんだ。


 聖女が必要なのは理解できた。……でもどうすればいいんだろう?

 魔獣を倒せるのが聖女だけなら、やはり私が闘う……のだろうか。

 この何も持っていない私が?


 この世界で私が出来る事は、やはりほとんど無いように思える。

 個人的に人より優れた所があるとするなら、嫌な事があっても感情を抑え無心になるのが人より少しだけ上手い、そのくらいだし。

 育ってきた環境上、上手くならざるをえなかったから。というしょうもない理由で。


「……もうちょっと詳しい話、聞けないかなぁ」


 窓から光の筋が入ってくる。さっきより少し暖かくなった部屋の中で、一人呟く。



 ――――ゴーン、ゴーン……


 朝を告げる鐘の音。

 それは、城下町の中心に高くそびえる塔の最上階から聞こえてくる。後でベリスさんに聞いたのだが、あの塔はやはり聖堂なのだそうだ。

〝アストラガルス・シニクス大聖堂〟といって、カレンさんを長とした神官の皆さんが、日々神に祈りを捧げたり、奉仕活動を行っているらしい。

 見るでもなくつけていた、深夜の教会を特集したテレビ番組を思い出す。

 教会のいかにも洋風な建物とステンドグラスが凄く綺麗で、旅に出るならヨーロッパがいいな。とか考えていたっけ。


 さて、そろそろ着替えをしておかないといけない。もうすぐベリスさんがやってくる。

 彼女が来るまでに、せめて何を着るかだけでも決めておかないと、彼女はどこからともなく派手な服を持ってきて着せようとする。

 数日前にカレンさんから届けられた、ほぼ要望通りの服たちを見て、ベリスさんは隠すそぶりすら見せずに、ぷりぷりと怒りをあらわにしていた。


『こーんな隠してばっかしの服じゃあ、ユリ様の魅力をお伝えできませんよー! 私に任せてもらえれば、どーんな貴族様の心の(ぞー)も一撃でドッキュンとぶち抜く、とびっきりのレディーにさせていただきますよー!』


「……どっきゅん………………ぷはっ」


 思い出したベリスさんの言い回しが妙にツボに入って、私はまた笑った。

 

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