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黒百合の聖女  作者: 風花鳥月雪
序章
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1. 日常が終わる香り

 

 今日、この街にも初雪が降った。また今夜も降るらしい。

 そんなどうでもいい情報を、クラスのムードメーカーが持ち前の話術で話をふくらましていく。次から次へと話題が移り変わっても、私にはなんの関係もない。

 私、黒鳥(くろとり) 百合(ゆり)は浮いてる存在なのだ。





 生まれてから中学二年まで私は北海道で暮らしていたが、一学期の途中で新潟の田舎に引っ越さなくてはならなくなった。


 両親が、離婚する事になったからだ。


 娘から見ても美しく、いつまでも顔も心も若い奔放な母は、私が小さい頃から父がいない間に家に男を連れ込み、浮気を繰り返していた。

 それが遂にバレたのか、父の我慢が限界だったのかはわからないが、二人は別れる事になった。


 二人の子供だった私を巡って、両親はもめにもめた。

 そこで、私はいらない子なのだと知った。


 結局、母と共に母の地元である新潟へ行く事になった。

 私の意志など、一言も聞いてはくれずに。


 できるなら施設にでもいれてくれればよかったのに、と今でも思う。



 中学生という多感な時期に転校するというのは、実に厄介なのだと思い知らされる毎日だった。転校から最初の一ヶ月で私は見事にクラスの、主に女子のサンドバッグになったのだ。


 理由なんて特に無いだろう。

 たまたま私が転校してきたから。たまたま目に付いたから。

 いじめの理由なんて、大半はそんなものだ。


 中学三年になっても、それは変わるわけではなかった。





 ――――キーンコーンカーンコーン……


 終業のベルが鳴るやいなや、教室は生徒同士の会話であふれる。

 私とおしゃべりをしてくれるような人は、もちろんいない。


「黒鳥さん」


 帰り支度をさっさとすませた所で、呼び止められる。

 振り返ればカフェオレみたいな色に髪を染めた女と、その取り巻きがニヤニヤと嫌な笑みを浮かべている。

 経験上、彼女が私を『黒鳥さん』と呼ぶ時は、大体ろくな事にならない。


「私たち今日は用事があるんだけどさあ、掃除当番……代わってもらえるよねえ?」


 今日『は』じゃなくて、今日『も』の間違いでしょ?

 悪態は残念ながら口から先へは出ない。


「…………いいよ」

「じゃあ、頑張ってねえ」


 さあ遊び行こうといって、ぞろぞろと人がはけていく。

 どうやら一人で掃除をやらせる算段なんだろう。逆に気楽でいい。この程度は日常茶飯事でまだ全然マシな方だ。




 一通り綺麗にし終えると、外はもう茜色に染まる夕暮れを迎えていた。


 今日は木曜日だ。母はどうせ今日も男の所に泊まるんだろう。


 父と離婚しても母は母だった。

 早速新しい男をつくり、いつからか木曜日から月曜の朝まで家に帰って来なくなった。

 それに一抹の寂しささえ感じない自分に苦笑する。

 改めて帰り支度をして、私は教室を後にした。






 自分の下駄箱に〝黒魔女〟とシールが貼ってある。

 私の名前と見た目を揶揄(やゆ)した不本意なあだ名。


 好きでこの苗字になったわけではない。

 好きで……あんな両親の元に生まれたんじゃない。

 それに長い黒髪、黒い瞳の女なんて、世の中に腐るほどいるだろうに。

 まったく、本当にくだらない。


 靴を逆さにして、中にあるであろう画鋲を出しつつ、そのシールを勢いよくはがす。

 案の定入っていた画鋲が一つ、二つとコロコロと転がって玄関の関を越えていった。

 画鋲を追った目線をほんの少し上げれば、そこには心地のいい夕闇と会いたくない人物が目に入った。


「こんな遅くまで残っていたんですか?」


 まるで責めるような口調。いや、責められているのか。


日向(ひゅうが)先生こそ、まだいらしたんですか」

「残っている生徒がいないか、見回りを頼まれましてね」


 僅かに残る夕日の光に、濃く煮出した紅茶のような赤褐色で、少しウェーブがかった髪が美しく輝いている。

 日向(ひゅうが) (あおい)。この学校の臨時美術教師。

 私は日本人離れした綺麗な顔を持つこの人が――なんとなく、苦手だ。


「もう遅い時間ですね、家まで送ります」

「……結構です。一人で帰れますよ、先生」

「私の帰り道の途中にあなたの家があるのですから。ついで、ですよ」


 日向先生は外国人のような綺麗な顔と冷静で真面目な性格で、女子から絶大な人気がある。

 どんなに可愛い子にどれだけの媚を売られても華麗にスルーしてまったく気にしない。全ての生徒に平等に接している。

 それがクールさがまたいい! ってきゃあきゃあ言われてたりするんだよね。


 だから気のせいかもしれない。


「さあ帰りましょう。……これ、使いなさい」


 手渡されたのは暖まっている使い捨てのカイロ。

 今日は寒いですからね、と目を細めて私を見る眼鏡ごしのその瞳。

 そんな瞳を他の生徒に向けてる姿を見た事が無いから、混乱する。


 クールなんて言われている、この人がよくわからない。


 体育の授業で怪我させられそうな時や、階段ですれ違いざまにわざとぶつかられて落ちそうな時に、さっと現れて助けてくれる事がままある。


『たまたま通りかかったけど、怪我が無くてよかった』


 日向先生はそう言っていたけど、いつからか違うのかもしれないと思う自分もいた。

 この瞳で見つめられると、ますます気のせいではすまなくなるような気がして……。だから私は日向先生が苦手だ。心が落ち着かない……ひどくモヤモヤして苛々する。


「……ありがとう、ございます」


 手の中の暖かさをぎゅっと握り締め、すっかり日の暮れた帰り道を歩き始める。






 漆黒の夜に、吐く息が白くとけていく。

 道路の端には車の排気ガスと道路上の砂埃で薄汚れた雪が少しだけ残っている。今週から来週にかけて雪が降ると天気予報で言っていたから、もしかしたら根雪になるかもしれない。


 日向先生と二人で帰ったなんて知られたら、きっとまた酷い扱いを受けるんだろうなあ……。


 雪かきの道具をそろそろ出さなくてはいけないな、というのと、今の現状から推察される明日からの学校生活。この二つが頭の中をぐるぐるとまわっている。


「…………最近」


 長い沈黙の後で話しはじめたのは先生の方からだった。

 言いにくいのか、普段スラスラと話す先生が珍しく言いよどんでいる。


「なんですか?」

「最近、何か……困った事はないですか?」


 困った事? それは実にたくさんある。

 母の男癖の悪さ。学校での私の立ち位置。

 でも、どれもこれも先生に気軽に話していいわけもなく。だから適当に、はぐらかす。


「えっと……最近、寒くなってきたので困ってますね。私、冷え性なので」


 不意に立ち止まった先生を振り返る。

 一瞬の沈黙。


「私では、あなたの力には……なれませんか?」


 擦れそうなほど、小さい声。


 どうして先生がそんな顔するの?

 そんな傷ついたみたいな顔、しないで欲しい。


 心の奥がどんどん重くなる。真っ黒い感情でいっぱいになっていく。


「……どうしてそんな事、言うんですか?」


 まずい。

 自分の感情なのに、制御し切れない。


「同情か憐れみかなんかですか?」


 こんな事が言いたいんじゃない。

 頭ではわかっている。わかっていても尚、止まれない。


 苦しい苦しい苦しい。


「もう、ここで、いいです」


 先生の顔が見られなくて、下を向いたまま先生を置いて走り出した。

 待って、と呼ぶ声が聞こえたが立ち止まる気はない。






 どのくらい走っただろう。とっくに住んでいるアパートは通り過ぎていた。

 全力で走ったせいと、空気の冷たさで肺が(きし)んで痛い。

 先生が見える範囲にいないのを確認して、少し安堵する。


「ここ……公園か」


 はじめて足を踏み入れる、ブランコと滑り台しかない小さな公園。

 一つだけ灯る頼りない街灯が、銀杏(いちょう)の葉の色をぼんやりと浮かび上がらせている。


 溜息をついてブランコに腰掛ける。小さく揺らすたびに、錆付いた鎖はキイキイと弱々しい音を立てた。


 今夜もずいぶんと冷え込む。

 それでも手の中は暖かいまま。


「……あんな事、言うつもりじゃ……なかったなあ」


 きっと日向先生は優しい人なんだろう。そういう人がいる事くらいは私にもわかる。

 それでも優しさは好きじゃない。どうしていいのか、わからないから。


 両手の内にあるカイロをぎゅっと握る。


「私……馬鹿みたいだ」


 下を向いたままの私の目の端に、白い雪がはらはらと舞い落ちてきた。

 急に、涙で視界がぐにゃりと歪む。

 泣いたら〝何か〟に負けるような気がして、それがなんなのかわからないまま、目を開けて上を向く。


 淡雪が、頬に当たる。

 冷たくて寒いのに、手の中と心だけがずっと熱いままだ。






 どれくらいここにいたのだろう。

 そんなに長い時間ではなかったはずだが、周りを見渡せば遊具や地面がうっすらと雪化粧をまとっていた。


「……帰ろ」


 まだ目尻に残る僅かな涙をコートの袖でぬぐって、ブランコから立ち上がる。


 二、三歩進んだだろうか。

 何か甘い香りが鼻をくすぐった。


「この匂い……」


 そうだ。この香りは良く知っている。


『君と同じ名前だから』


 父ではない母の男が、そう言って幼い私にくれた香水と同じ香り。

 私の嫌いな――――百合の香り。


 一刻も早くこの場所から、この香りから離れたい。

 感じた嫌悪から逃げるように踏み出した右足が、何かを踏んだ。雪じゃない、何かを。


「っ!」


 手にした鞄とカイロが落ちるのもかまわず、両手で口を塞いだ。そうしなかったら、きっと私は悲鳴を上げていただろう。


 踏まれて足元で横たわっていたのは、血のような赤い茎葉の、黒い百合。


 いいようのない恐怖が押し寄せて、体が震える。

 こんなおぞましい花を、私は知らない。


 冷たい風が更に甘い香りを運んでくる。強く、濃厚な香りを。

 立っていられない程の眩暈を感じて、その場に膝をつく。苦しくて、(まぶた)すらあけていられない。


「百合さんっ!」


 ゆるくあけた瞳に映るのはこちらへ走る日向先生。

 そして、私を囲むおびただしい数の、闇にも似た――――黒百合。


 再び閉じた瞼の向こうで何かが()ぜたように光ったが、それを気にする暇も無く、私は意識を手放した。


 百合の甘い香りだけがいつまでも纏わりついていた。

 

五月四日、一話と二話を統合。

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