7 世にも珍しいペンペン草
連れて行かれたのは、柱をつなぐアーチがいくつも弧を描いている大広間だった。ここで、私たちの披露宴が行われるのだ。
天井には植物や文様などが描かれ、重たげにつり下がったシャンデリアがきらきらと光を反射している。長ーい机が二列、その上には燭台や銀色の食器が並べられ、食前につまむのかフルーツやら何やらが置かれている。白いテーブルクロスの上に様々な色と光があふれかえった様子は、まるで巨大なケーキみたい。
その両脇に、正装した貴族っぽい人々がずらりと立って私たちを迎えた。
震える足を叱咤して、一番奥の壁のステンドグラスだけを見ながら歩くようにした。
「そうそう。ユマ、ちゃんと笑えているよ」
リドリース陛下がひそひそと声をかけてくれたけど、違いますから。これ、緊張で頬がひきつって持ち上がって、勝手に笑みの形になってるだけですから。
つきあたり、何か紋章の縫い取られた布が天井から下がった場所に、数段の階段を上ってオン・ステージ。恐る恐る、人々の方に向き直った。
――全ての視線が自分に集中するのを感じる。
私、無事に日本に戻っていつか結婚することになっても、絶対披露宴なんかしない! こんな緊張、一生に一度で十分!
うろたえてリドリース陛下を見ると、陛下は綺麗に微笑んでそっと私の頬に唇を寄せた。色めきたった若い女性たちの声がざわざわと聞こえてくる。
あ、陛下、いい匂い……とか思っていると、耳元でささやき声がした。
「ザクラスの方も向いて」
あ、そうだった。今の時点では三人仲良く、を見せつけないといけないんだった。
ザクラス殿下を振り返ると、殿下も私を見て微笑んだ。……なんかちょっと、「ニヤリ」って感じですけどね。
リドリース陛下が私を軽く殿下の方へ押すと、殿下も顔を寄せて私の反対側の頬にキスするフリをした。陛下とは違う匂い……男性の匂い。
また、女性たちがざわめく。さっきの声が「リドリース様派」、今度の声が「ザクラス様派」の女性たちかな……演技とはいえ二人とも私の夫にしちゃってすみませんごめんなさいもう二度としません(日本に帰ったら)。
ザクラス殿下も、私の耳元でひそひそと一言。
「自己紹介でもするか?」
ぶんぶんと首を横に振ると、殿下はクックッと笑って私から顔を離した。
……今のも傍から見ると、イチャイチャしてるように見えるのかな?
私たちはいったん、ステージ(ひな壇?)上に置かれた肘掛椅子に座った。目の前の楕円形のテーブルには、やはり食器が置かれている。……こんな衆目にさらされた所で食事するんだろうか。
リドリース陛下が立ち上がり、声を張った。
「皆、よく集まってくれた」
その澄んだ声に、ざわめきがすーっと収まって行く。
私はドキドキしてそれを聞きながらも、陛下も演技してるんだな……と思う。私と二人で話す時とは、ちょっと言葉の選び方や語尾が違うんだよね。市井で育った人なんだから、こういう時は王様らしい話し方を意識してるんだろう。
「ことここに至った経緯は、皆も承知のことと思う。……女性に対して不調法なふるまいしかできなかった私と、そんな私を側で助けることだけを考えてくれた弟に、神の御業によって一人の女性が遣わされた。我ら兄弟をお見捨てにならなかった神に、感謝を捧げる」
陛下が右手を胸に当ててやや上に視線を向けると、小さく笑いが起こった。
いたって真面目な表情で、陛下は視線を降ろすと私の方を見た。
「彼女が、異なる世界から我ら兄弟のためだけに遣わされた女性だ。なんとも不可思議な話だが、これから繁栄のうちに何代も世を重ねていった後、伝説となるような出来事だと思う。……ユマ、立って」
「あ、はいっ」
ザクラス殿下に左手を引かれて一緒に立ち上がると、リドリース陛下が私の右手を取って紹介してくれた。
「ユマ、という。王妃と呼ぶと、私だけの妃のようで語弊があろう。名で呼んでほしい。皆、よしなに頼む」
拍手が起こった。海の、波の音みたい。
私はいったん二人から手を離して、どうにかこうにか日本風に頭をぺこりと下げた。異世界人らしくした方がいいということで、あえてこちら風の挨拶はしないことになっていたのだ。
緊張でぼーっとして、その後はいつ座り直したのか、いつ飲み物のグラスを渡されたのかも覚えていない。
はっ、と我に返ったのは、食事が始まってしばらくして、人々の挨拶を受ける段になってからだ。
名前がどうしても覚えられないんだけど、とりあえずとっても偉い人らしい何とか候と何とか候が、順番を譲り合って――というか牽制し合っている。
……ところで「候」って何?
……まあいいや。
やっぱり偉い人から順番になんだなぁ……と思ったその時、急に気がついたことがあった。
呆然としてたつもりだったけど、実は緊張のあまり神経が研ぎ澄まされていたらしい。二人の何とか候がそれぞれ奥さんと子どもを連れているのを見た瞬間、あっ、と思ったのだ。
リドリース陛下は何やら披露宴の責任者みたいな人と話をしていたので、私は急いでザクラス殿下の方に身を乗り出した。
「殿下っ、お聞きしたいんですけど!」
ひそひそと言うと、殿下はいかにも「なんだい子猫ちゃん」と言わんばかりのきらきらしい笑顔で私に顔を寄せた。
「あの、何とか候と何とか候がそれぞれお連れの女性、娘さんですかっ」
「うん」
「一番に挨拶に来る人の娘さんってことは……もしかして、私がいなかったら陛下か殿下の花嫁候補だったんじゃ!?」
そちらを見ないように殿下と話してはいたけど、さっき見た外見は目に焼き付いている。それぞれの候が連れている女性……特に、やや年若い方の候の娘さん。
超、美人だった。私と同い年くらいに見えたけど、大人っぽく見えるだけでもう少し下かもしれない。頭の上で結ったプラチナブロンドが、首筋から胸元に垂れて豊満な谷間に流れ落ちている。眉も鼻筋もすうっと流れて、唇はふっくら、そして緑の瞳は大きく何でも見通しそうな強い光があった。
「なかなか鋭い考察だな。その通りだ」
ザクラス殿下がさらりと言うので、私は冷や汗をかきながら言い募った。
「それじゃ、私のこと恨んでるに決まってますよね!? ど、どうしよう、どんな顔して挨拶受ければ」
「そういうことも気づかないふりをすればいいじゃないか」
「そ、それもそうか……ちょ、私が帰ったらちゃんとフォローして下さいよ!」
リドリース陛下は生涯独身を貫くことになるわけだから、実質この女性たちはザクラス殿下の花嫁候補ってことになる。
私がさっさとこの国から退散しないと、いい人から順に他の男性とくっついてっちゃうかもしれないじゃない。焦る!
「意外と細かいところを気にするな、ユマ。わかったわかった、ほら来るぞ」
殿下に言われ、慌てて殿下から離れて背筋を伸ばす。
結局、年功序列ということになったのか年の行った方が最初に挨拶にきた。奥さんと息子さん、それに娘さんを連れている。
全員そろって、まず陛下にそれぞれの形で礼を取り、それからザクラス殿下、最後に私に礼を取った。あわてて私ももう一度、立ち上がって日本風にぺこりと頭を下げる。
いち、に、と数えて、さん、で頭を上げたら、その年上候一家はもう陛下の方に向き直って話しかけ始めていた。
えーと……私はもういいってことでOK? もしかして、言葉がわからないとでも思われてるんだろうか。それとも無視? ま、いっか。
そのまままた腰を下ろし、様子を見守ることにする。
年上候の奥さんが、
「すでに婚姻をお済ませと聞いて驚きましたわ。ザクラス殿下と、その……同じお方を娶られることになったとは伺っておりましたけれど、陛下がついに女性に興味をお持ちになり始めたということを、冗談に紛らせておいでなのだとばかり」
といえば、公爵が
「これお前、失礼だよ。確かに陛下は奥ゆかしいお方だが」
と笑い、後ろの息子さんも黙って笑って私にちらりと視線を投げ、続いて赤いドレスの娘さんが
「陛下が女性を娶られるとお決めになったのなら、わたくしにも想いをうちあける機会をいただきたかったのに」
と上目遣いで微笑んだけれど恨みがましげな様子。
まあ、そうだよね。お年頃の女性のうち最も身分の高い女性の一人なんだから、リドリース陛下が普通に結婚していればこの人が王妃になってた可能性が高いわけだし。
でも、生涯一度の婚姻を陛下はさっさと私と結んでしまったから、もう手が出せなくて悔しいわけだ。恨みごとの一つも言いたくなるよね。
やっとその一家が去って行くと、続いて年下候と奥さん、その娘さん(あの超美人)が、連れ立って私たちの前にやってきた。
「ご結婚、誠におめでとうございます」
年下候が目じりにしわを作りながらにこやかにお祝いを言ってくれ、後ろで奥さんと娘さんが貴婦人の礼をする。私もぺこりと挨拶した。
年下候は、何も知らない私にちゃんと自己紹介をしてくれ、奥さんと娘さんも紹介してくれた。娘さんは十六歳で、アリーウィアさんと言うそうだ。
心では何を思っているのかはわからないけど、年下候は何か困ったことがあったら私もおりますからとか、今度領地に遊びに来てほしいとか、そんなようなことを言ってくれた。
私はただにこにことうなずいて、時々リドリース陛下と会話したり、ザクラス殿下と視線を交わして笑ったりした。
ああ緊張する、喉渇くわ。
どうしても気になって、ちら、とアリーウィアさんの方を見る。
目が合うと、彼女はしっとりと濡れた瞳で私たちを見つめ、華やかに微笑んだ。
うわー、若いのに貴婦人の貫録だー。
と、その時はそう思ったんだけど。
一通り挨拶がすんで、ホッと一息という空気が流れた。私もやっと少し肩の力が抜け、お腹も空いて来た気がする。
それにしても、みなさん着飾っていて大広間の中はすごく華やかだわー。ザクラス殿下が私の格好は少し地味だと心配してくれてたけど、確かに……と思う。
芍薬と牡丹と百合の咲き乱れる花園の、一番日当たりのいい目立つ場所に、ペンペン草が一本生えている感じだ。ここまで場違いだと逆に、ちゃんと意図があってここに植えられているのよ、これが芸術なのよわからないの? とか言い切れそうな感じ。
そうよ、このペンペン草は超珍しいペンペン草なんだから。しかも植えたのは国王陛下と王弟殿下。堂々としていればいい。
そんなアホなことを考えていたら、開き直った気分になってきた。
テーブルのお菓子に初めて手を伸ばし、まるで美術館みたいな大広間の中を鑑賞しながら食べ始めた時、不意打ちが来た。
「ユマ様!」
「んぐっ」
慌ててお菓子を飲み下し、振り向く。
ひな壇のすぐ下に、アリーウィアさんが目をきらきらさせて立っていた。
……珍しいペンペン草を、観察にやって来られたようです。