5 妻の役、やります
そんな予感はしていたけど、やっぱりティキアさんの用意してくれた着替えは、ドレスだった。だってここお城だし、私、奥方様らしいし。
「これ、着ないとダメ…ですかね、やっぱり」
私が躊躇している様子を見て、ティキアさんが「お嫌ですか?」と聞いてくれた。そこで正直に、
「日本の服装と全然違うので、何だか余計に、その……日本と引き離される気がして」
ともごもごと訴えてみる。
ティキアさんは少し考えてから、自分のよそ行きのワンピースを持って来てくれた。それなりにひらひらはしていたけど、あまりスカートの広がらない落ち着いたデザインだったし、丈も足首が見える程度のもので動きやすい。ありがたく身につけさせてもらう。
「この星歌宮の中でなら、服装はある程度自由で大丈夫だよ」
リドリースさんは言い、こう付け加えた。
「本宮の方へ行く時には、状況に合わせたものを着た方がいいと思うけれど」
本宮……こことは別のお城があるらしい。
「ドレスコードがあるんですね。ごめんなさい、我がまま言って」
話しながら廊下に出ると、
「星歌宮の中では、遠慮はいらない。ここは陛下と俺の休暇用の宮だ」
ザクラスさんがいた。彼もお風呂を済ませたのか、シャツとズボンという軽装に変わっている。
「この小さな宮の内部の者は、父王を退けた際の仲間や協力者ばかりだ。陛下の秘密も知っているから、ユマも神経質になる必要はない。本宮や神殿の者には知られてはならないが」
「本宮って言うのは……」
尋ねてみると、
「あれだ。簡単に言えば、公的な仕事を行う場所で、私やザクラスも普段はあちらに住んでいる」
渡り廊下から、リドリースさんが指さす。
庭園の木々の向こうに、大きなお城が見えた。星歌宮は、建物がロの字型になっていて、それぞれの角っこに塔がある作りのようだったけど、本宮の建物群は真ん中の建物が一番高く、外へ向かうにつれて低くなって山形になっている。シンデレラのお城みたいに、真っ白で優美だ。
あちらには、陛下の秘密を知らない人たちがわんさかいる……。
「もしも、秘密がバレたら、どうなるんですか?」
聞いていいのか迷いながらも、知っておきたくて尋ねると、リドリースさんは私に合わせてくれているのかゆったりしたペースで歩きながら答えた。
「私が救国の英雄として褒めそやされているのは、『額に星紋があること』と『男であること』、この二つの条件が揃っているからだ。女であることが知れたらおそらく、「国を救ってくれたことには感謝する、後は自分の人生を生きてくれ」という風な流れで引退を促されるだろうな」
「もしそうなったら、ザクラスさんが王様になるんですか?」
リドリースさんは未婚だそうだから、次に王位を継ぐのは弟のザクラスさんだろう。そう思って尋ねると、
「いや……おそらくそうはならないだろう」
ザクラスさんが答え、私は驚いて振り向いた。
「そうなんですか?」
「俺たちは、『あの先王』の子だからな。英雄の条件を満たさないのであれば、他にもっといい血筋の者が王に、という話になる。リドリース陛下が即位する前に、そんなことをほのめかしていたものが数人いた。跡目争いになるだろうな」
リドリースさんもうなずいた。
「国力が低下している今のエガルテに内戦でも起ころうものなら、また国民が辛い思いをする。それは避けたいな。……さあ、とにかく食事にしよう」
促されてさっきの部屋に戻ってみると、大きな掃き出し窓が開け放たれていて、庭が見えていた。細くてすらりとした木々に囲まれた芝生の庭は、一部が石畳になっていて、そこに大きなテーブルと椅子が出されている。
ティキアさんと同じ服装をした女性が二人、するすると優雅な動きで食器をセッティングしている。……外で夕飯を食べるらしい。
って書くと普通だけど、要するにガーデンパーティーみたいなもの?
部屋の中で足を止めた私の背中に、また嫌な汗が流れた。
「あの……マナーとか、わからなくて……」
「何も考えずに召し上がって下さい、お国流に。お疲れになったでしょう」
言いながら、ティキアさんがワゴンを押して廊下から入ってきた。ワゴンには、映画で見るような、銀色のドーム状の蓋がかぶせてあるお皿がいっぱいだ。
「ユマ、ここへ」
先に庭に出たザクラスさんに呼ばれて、やっと庭に踏み出す。
正方形のテーブルの一辺の椅子に腰かけようとして、私はびっくりして顔を上げた。
「わあ……」
星歌宮が、歌っていた。
ううん、それはもちろん比喩ではあったんだけど、まるで歌っているように見えた。
神殿からこの宮にやってきた時に見た、クリーム色の外壁を透かして見えた黄色い石。それが、宵闇の中でゆっくりと点滅している。建物全体にちりばめた星が瞬いているみたい。
その光景に心を奪われた私は、ティキアさんが何かを注いでくれたグラスを無意識のうちに口に運んで……。
「げほ!」
お酒だった。
「飲めません、私」
かっ、と熱くなった頬を抑え、慌ててグラスを置く。
「苦手なのか?」
「ちが……私、成人してないので。お酒は二十歳から」
「二十歳で成人なのか?」
リドリースさんとザクラスさんが目を見かわした。
ザクラスさんが言う。
「ユマ。俺たちの秘密を知らない人の前で、演技できるか?」
演技?
「ユマはすでに成人だという演技。でないと、異世界ではまだ子どものユマを俺たちが無理矢理妻にしてる、みたいになるからな。どうだ?」
「ど、どうって……まあ何とか……」
私が口ごもっていると、ザクラスさんはぽんぽんと続ける。
「ついでに、ユマの国では複数の夫をもつことが当たり前、という演技。こちらの女性と全く異なる行動を取った方が、異世界人らしく見える。そして最終的にはリドリース陛下に溺愛されて、しかし故郷が恋しくて元の世界に帰るという演技」
「は、はあ?」
前半はともかく、溺愛ってどういうことですか!?
「ザクラス。まだユマは、我々に協力すると表明したわけでも何でもないのだ。先を急ぐな」
リドリースさんはたしなめるように首を振ってザクラスさんを見て、それから私に「食事をどうぞ」と勧めてくれた。
星歌宮の外壁の光、部屋から漏れる灯り、それにテーブルに置かれたランプの灯りで、庭はムードのある素敵なレストランみたい。
目の前のお皿にはコーンブレッドみたいな黄色いパンと、ソースのかかったスパイシーな香りの肉料理? が載っていて、野菜や豆の入った白いとろりとしたスープの器もある。
恐る恐る口にすると、多少味が濃いものの普通に美味しかった(失礼)。私がそれぞれの料理を食べて「美味しいです」と言うたびに、ティキアさんがホッと表情を緩める。本当は、お肉だけは慣れないスパイスの味がして苦手だったけど。
「……さっきの話だが」
リドリースさんは料理に形だけ手をつけてから、フォークを置いて言った。
「私がユマに惚れこんでいる様子を周りに見せつけた後で、ユマが元の世界に帰ったとする。そうしたら私は、『たとえ世界が分かたれていても、ユマだけを一生愛すると誓う』と言えばいい。そうすれば、私がこれからも結婚しない言い訳になるだろう? 」
「ああ、なるほど……」
私は感心した。
結婚相手はたった一人っていう文化なんだから、そう言っておけばまわりはそれ以上無理に結婚を勧められないわけだ。
「それまで、協力してもらえないだろうか。王室では、世継ぎ問題は泥沼に陥りやすい。私とユマがお互い唯一の相手だった、という風に話を持っていけば、いずれ弟のザクラスの方は他の女性と結婚できるだろう。生まれる子どもを後継ぎに、ということで王室の騒動はおさまる」
リドリースさんは少し目を伏せ、それから私を見た。
「私のユマへの態度が周知の事実になるまでの間だから、長くはかからないと思う。そうしたら、ユマが元の世界からこちらに来たのと同じ時、同じ場所に君を帰すと約束する」
私がこっちに来たのと同じ時間に、って……何それ、魔法? その辺がまだ意味がよくわからないんだけど。
もう正直、バイトの面接は諦めた。ほんとにまあ私の都合は綺麗に無視してくれちゃって。結婚問題に、異世界の人間を引っ張り出すなんて。
そう思いながらも、私はリドリースさんのラズベリー色の瞳をじっと見つめた。彼、じゃなかった彼女は、私の返事を待ちながら見つめ返してくる。
ことここに至った経緯を聞いているうちに、リドリースさんザクラスさん兄弟の奥さん役が異世界の人間でなくてはならない理由に、私は思い当たっていた。
もしそれが当たっているなら、この人たちはとても優しい人たちなのだと思う。
そしてその理由を私に言わないのも、やっぱり、この人たちが優しいから。
だから私も、気づかないフリをしておくけれど……。
――今は二月の半ば。試験が終わって大学は明日から春休みに入るから、三月の終わりまでに帰れれば……って、私もお人よし過ぎるかな。
ザクラスさんがフォークを持つ手を止めた。
「そういえば、何か仕事の面接があると言っていたな。何なら、こちらからも相応の手当てを出すぞ」
私は首を振る。
「それは結構ですけど……わかりました」
「しかし、どんなものが欲しいかくらい……え?」
ザクラスさんが言葉を切り、リドリースさんが戸惑いの表情を見せる。
「今、わかった、と言ったのか?」
私はうなずき、つっかえつっかえ言った。
「い、言いまし、た。本当に元の場所に帰してくれるなら、お二人の奥さんのフリ……やってもいいです」
「ユマ」
リドリースさんとザクラスさんが、同じ色の瞳で視線を交わす。
そして私に、身体ごと向き直った。
「ありがとう」
声がハモり、二人が笑顔を見せた。
うわあ……笑顔の周りがキラキラ光って見える。
国王陛下に王弟殿下、この二人が、偽装とはいえ私の夫だなんて……。やっぱりこれ、現実じゃなくて夢か何かなのかもしれない。
「良うございました。ユマ様、甘いものはお好きですか?」
ティキアさんが目を細めて、足つきの銀色のお皿をテーブルに置いた。クリームをふんだんに使ったケーキ、焼き菓子、フルーツなどが美しくかつ山盛りに盛り付けられている。
「ゆ、夕食よりデザートが豪華に見える……こんな、わざわざ私のために?」
驚いてティキアさんを見ると、彼女は澄ました顔で一言。
「王宮ではいつも、食事の後にこのようなお皿をお出ししています」
……くう……美味しい。
これが夢ならカロリー気にしなくていいのに……美味しすぎて現実っぽい。
「ご自由にお使いになって下さいね」
夜も更け、ティキアさんに案内された部屋で一人になった。
カーテンを細く開けて窓から庭を覗いたら、庭園の中を武器を持った人のシルエットが動いてるのが見えて、警備の人だろうとは思いつつも何となく不安になる。
早く朝になってほしくて、部屋をろくに見もせずに、やたら高さのあるベッドに急いでもぐりこんだ。怖いので、サイドテーブルのランプもつけっぱなしだ。
ゴブラン織りだっけ、私の母が持ってるバッグみたいな、模様や文様が一面に織りこまれた布がふんだんに使われたベッドは豪華だった。カバーや枕はもちろん天蓋から垂れ下がるカーテンまで、たくさんの色と模様があふれているんだけど、不思議とあまりごちゃごちゃした感じはしない。彩度が抑えめだから上品にまとまるのかな。
さあ、ちゃんと寝よう。
旅行、旅行……私は春休みに、エガルテ王国っていう国(聞いたことないけど)に一人旅に来てるんだから。そしてそこの王族に、無理矢理だけどお城に連れて来られて、仕事を依頼された。今ここ。
これで恋愛要素でも加わったら、完全にハリウッド映画よね。うん、すごいすごい、こりゃすごいわ。頑張れ日本花子!
――自分に言い聞かせているうちに、いつの間にか、眠りに落ちていた。