1 特例による結婚
私、いつの間にプラネタリウムに来たんだろ?
映し出された星座を見上げ、しばらくボーっとしていた私は、やがて辺りを見回した。
直径五メートルくらいの、真っ白な円形の部屋だ。ドーム状になった天井には星座がきらめいているけれど、私の知っている星座はない。今は冬だけど、冬の星座ってオリオン座以外何があったっけ。それに投影機が見当たらないけど、どこだろう。
部屋の隅の方に、竪琴――左右対称の、ギリシャ神話の神様が手に持ってそうなやつ――の大きいのが立っていて、その向かい側が四角くぽっかりと空いている。私はその出入り口(?)のすぐそばにいる。
大学のサークル棟の中にこんな部屋があったなんて、知らなかったな。きっと天文サークルが使ってるんだろう。迷い込んじゃってごめんなさい。
私は急いでその部屋を出ることにした。
四角くぽっかりと空いた空間から、数段の階段を降りて顔を上げると――
「……あれ?」
そこは、石造りの建物の中だった。
三階までの高さの吹き抜けになっていて、天井からは何かのマークのついた布が何枚も垂れ下がり、両側の各階の手すりから何人もの人がこちらを見下ろしている。
大学にこんな場所あったっけ? ていうか、皆、顔立ちが日本人じゃないような……留学生の人たち? 何でこっち見てるの? 全員白い服を着てるけど、白衣かな……何かの実験棟かも。
ちらちらと両側を見上げながら歩き出して、数歩で私は立ち止まった。
真っ正面に、四人の人が立っていた。一番前にいるのは、サンタクロースみたいな白髪・白髭のおじいさん。学長みたいに威厳のある雰囲気で、手にした紙と私を見比べている。
その後ろに並んで立った二人は、まるで王様か王子様みたいな格好をしている。白の詰め襟の上下に、金の飾り紐のついたモスグリーンのマント。片方は金髪で、凛とした美しい顔立ち、もう片方は灰色の髪で、やはり凛としているけど野性的な顔立ち。
そしてもう一人の、金茶色の長髪をした優しそうな男性が、一番向こう側からこちらに近づいて来た。彼はおじいさんに何か一言言ってから、私の前に立った。
「――――、――」
大きな鳶色の目を細めて、何か優しい口調で言ってるんだけど……。
……わからない。何語?
私がわからないと言おうとすると、まるでそれを予想していたかのように、男性は右手差し出した。
その手には、大きな飾りのついたネックレス――というかチョーカー? が載っている。その飾りは、さっき見た竪琴の形をしていた。弦もちゃんと三本張ってある、精巧な作りだ。
綺麗だけど、これが何か……と思っていると、男性は手を伸ばしてそれを私の胸のすぐそばまで近づけた。
驚いて身体を引こうとすると、彼は口を開いて言った。
「僕の言っていること、わかりますか?」
「あ、はい」
急に日本語をしゃべりだしたな、と思ったら、男性は微笑んだ。
「これを首につけていれば、言葉がわかります。どうぞ」
「は?」
反射的に、手の中に落とされたそれを受け取る。どういうことなのか、と顔を上げると、彼はまた何か言った。でも、また知らない言葉になっていて、意味がわからない。
おそるおそる、チョーカーの絹みたいな白いリボンの両端をつまんで、首に近付ける。
「つけてしまった方が、便利ですよ」
また日本語が聞こえたので、答える。
「あ、はい。でも私、お金ありませんよ?」
「え?」
「仕送り前だし。これ、買うつもりないんですけど」
「いえいえ、売りつけようというのではなくて。お代は結構です。とりあえず、会話のためにつけていただけると助かるな、と……あ、お手伝いしましょうか?」
「あ、いえ、自分で」
大勢の人の目もあるし、大丈夫かな。
話の流れで、私は首の後ろで両端の金具をひっかけ、チョーカーをつけた。竪琴が鎖骨のくぼみに当たる。
これと言葉と、一体どういう関係があるのかイマイチわからないけど、話が終わったらすぐ返せばいいか。
「それで、お尋ねしたいんですが、ここはどこでしょう? 迷ってしまったみたいで」
声を出すと、竪琴の弦が少し震えて、身体に響くような感じがした。
すると、彼はちょっと困ったような笑みを浮かべてから、後ろを向いてあのおじいさんに何か言い、場所を譲って下がった。
おじいさんが代わりに前に出ながら、もごもごした声で私に尋ねる。
「お名前を、お聞きしてもよろしいですかな?」
その声にも、竪琴の弦がわずかに震える。私は戸惑いながらも名乗った。
「直川柚真です。文学部の一年です」
「ユマ殿。落ち着いて聞いてもらえると、ありがたい。……ここは、エガルテという国の神殿の中である」
何言ってるの、この人?
首を傾げるばかりの私に、彼の後ろにいた灰色の髪の方の人が声をかけてきた。
「外を見てもらえば、わかると思う」
「そうだね、こちらへ」
金髪の男性も微笑んで、先に立って歩き出してしまった。おじいさんが、彼らについていくように私を促す。
相変わらずいくつもの視線を浴びながら、私は仕方なく彼らに続いて歩き、建物の突き当たりから外へ出た。
そこは、大階段の上だった。
眼下に広がるのは水盤のある美しい庭園、宮殿のようなきらきらしい建物が二つ三つ……どう見てもそれは、無味乾燥な文学部の建物でも経済学部の建物でも教育学部の建物でもない。
そして敷地の外に見えるはずの電車の高架も、大学の隣にあるファミレスも、その先の商店街も、見当たらなかった。
「………………」
私は黙ったまま、四人の顔と服装を順番に見た。
そして、自分の身体を見降ろした。ニットのポンチョの下、重ね着した長袖Tシャツの袖口からのぞく小花柄が、妙に脳天気に見える。膝上丈のバルーンスカート、トレンカにブーツ。こんなに神聖そうな場所で、ポンポンつきのムートンブーツ。
……この人たちが変わってるんじゃない。浮いているのは、私の方だった。
「ユマ」
金髪の男性が、私の前に立った。明るい紫……ラズベリーみたいな色の瞳。
「驚かせてすまない。私はエガルテ国王の、リドリース。こちらが、弟で将軍を務めるザクラスだ」
灰色の髪の男性も、同じラズベリー色の瞳で私をじろじろ見ながら言う。
「兄上と俺とは、一番多く顔を合わせることになると思う。よろしく」
まだ状況がつかめていない私は、質問の一つすら思いつかなかった。
――あ、もしかしたらこれ、大学の心理学系の実験かも。突然異なる文化に放り込まれたらどう行動するか、とか、そういうのを見られてるんじゃない?
この風景もたぶん特殊な映像なんだ、さすが最近の技術は進んでるな。映画も3Dの時代だもんね。ふふ、騙されないよ、今やテレビやネットにあふれている映像をそのまま信じちゃいけないのは常識だもん。この実験、私が終わったら次の学生が同じことさせられるのかな。
そう自分を納得させようとしている私の横で、おじいさんがその二人……リドリースさんとザクラスさん? に向かってこう言った。
「このお方でよろしいのですね」
「ああ。描いた通りの女性だ、申し分ない」
ザクラスさんがうなずき、おじいさんの持っていた紙を受け取って私と見比べている。何だかドヤ顔だ。リドリースさんも横からのぞき込み、ザクラスさんの肩に顔が触れそうな距離で紙と私を見比べている。
何だろう、と私が凝視していると、リドリースさんがそれを受け取って、こちらに向けて見せてくれた。
私の似顔絵が描いてあった。首から上だけだけど、ショートボブの髪型と言い、やや垂れ目なところといい、ここさえすっきりすれば小顔に見えるのにというぽっちゃりした頬といい、よく似ている。
「君にそっくりだろう? これは、私とザクラスが想像しながら話し合った女性を、ザクラスが描いたのだよ」
「そう。兄上と俺の望むこんな女性が、我がエガルテに遣わされるようにと」
灰色の髪のザクラスさんがうなずいている。見かけによらず絵心のある方らしい。……のはいいけど、何なのこの二人、目を見かわして微笑み合ったりして、変に仲が良すぎるというか。
おじいさんは一つため息をつくと、私の前に右手をかざした。そして、たぶんおじいさんにできる限り、声を張って言った。
「異界から来た者として、ユマ・ナオカワに、婚姻に関するあらゆる特例を、認めることを宣言する」
「はあ……それはどうも……」
何か認めてもらったらしいのでお礼を言った私は、次の言葉に仰天した。
「特例には、ユマ・ナオカワが、二人の夫を持つことも、含むものとする」
二人の夫!?
「待って待って、あの、さっきから何のお話をしてるんですか?」
私はようやく、変だと思い始めた。ちょっとエンジンかかるの遅すぎた。
「コンインって、結婚の婚姻? 私には関係ないお話だと思うんですけどっ」
「ユマ、大丈夫。あなたの心身を傷つけるようなことは何もしない、約束する」
リドリースさんが真摯な視線を向けてくるけれど、不安になった私は後ずさった。
「じゃあ……じゃあ、私はもう帰っていいですよね。バイトの面接あるし。あの、出口は」
とん、と背中が何かにぶつかって飛び上がる。振り向くと、さっきチョーカーをくれた優しそうな茶髪の男性だった。
「落ち着いて下さい」
彼が言いながら私の両肩に触れたとたん、チョーカーの竪琴が再び弦を振わせたと思ったら、頭の中に不思議な声が響いた。
『返事をしないで、聞いて下さい。この神殿では詳しい事情を説明できませんが、ここを出て城に入ったら必ずお話します。それに、条件が満たされたら必ず、あなたの望む場所に帰して差し上げます。ですから、どうかリドリース陛下とザクラス殿下と共に行動して下さい』
「え……」
何なの、この声。
茶髪の男性はにっこりと笑って口を開いた。
「申し遅れました、僕は神官のラメルです。立会人を務めさせていただきます」
そして、後ろにいた誰かから布張りのアルバムのようなものを受け取り、羽ペンと一緒に開いて差し出して来た。アルバムの見開きには、知らない文字で書かれた書類のようなものが一枚ずつ貼り付けられている。
「婚姻と言っても、書類上だけです。何かしら王族に所属する手続きを取らないと、城に入れないどころかこの神殿から出られないので。本当の意味で結婚するかどうかは、お互いの気持ちを大事にして決めて下さい。あなたの世界でも、きっとそうじゃないですか?」
「は、はあ」
私は助けを求めて、周りを見回した。そして、あちらこちらに長い槍のようなものを持った兵隊さん? が立っているのに気づいた。
武装した人たちがこんなにいて、逃げられるわけがない。そう思ったら、足がすくんだ。
「私が先に署名しよう」
すっ、とリドリースさんがこちらに進み出て、羽ペンを受け取った。差し出されたインク壺にペンを入れてから、左のページの書類にさらさらと知らない文字を書きつける。
「次は俺ですね」
羽ペンがザクラスさんに渡り、彼も何のためらいもなく右のページの書類に文字を書きつけた。
その間にまた、竪琴の弦がふるえ、あの声が頭の中に響いた。
『僕は神に仕える身ですから、決して嘘はつきません。と言っても心配でしょうから、書くのは偽名でもかまいませんよ。あなたの国の文字は、僕たちには読めませんから』
はっ、と顔を上げると、ラメルさんがこちらを見て小さくうなずいた。
今のもさっきのも、この人の声?
もっと何か情報をくれないかとラメルさんの顔を見ているうちに、気がついたら羽ペンをポンと渡されていた。リドリースさんとザクラスさんが、私を見て微笑みながら、お互いに頭がぶつかりそうなほど顔を寄せて何か話している。
どうしよう。名前を書けなんて、これ絶対、何かの詐欺だよね? 後で何か請求が来るの? でも何か書かないとここから出してもらえないって……。
ラメルさんの言う通り、偽名ならいいかな? 一応、ここを出たらすぐに消費者センターに相談しよう。そうしよう。
私はためらいつつも、二枚の書類にそれぞれ、こう書いた。
「日本花子」
おじいさんは二枚の書類を確認すると、振り向いてさっき出てきた石造りの建物の入口まで戻った。そして、右手を頭上に差し上げる。
「神殿の名において、国王リドリース・エガルテとユマ・ナオカワ、王弟ザクラス・エガルテとユマ・ナオカワの婚姻が成立したことを、ここに宣言する」
その声が吹き抜けにいんいんと響き渡って消えて行くと、ずっと高い所で木霊のように、リン……という震えるような音がしてこちらに響いて来た。
上から見ていた白衣の人々が「神の祝福を」の声を次々と上げた。
いつの間にか私の両脇にリドリースさんとザクラスさんが立ち、手を挙げて人々の声に応えていた。ぎょっとしてキョロキョロすると、何故かこの二人、嬉しそうに微笑み合いながら肩を組んでいる。
「お前と同じ女性を妻にできて、こんなに嬉しいことはない」
「私もです、兄上」
私は二人の会話を聞いて、もう一度ぎょっとした。背中に嫌な汗が流れる。
おかしい。なんかおかしいよこの二人。そういえばさっきから、なんか距離が近いのが気になってたんだよね。いくら兄弟でも、仲良すぎっていうか。
偽名とはいえ、私、何か早まったんじゃ……。
「陛下、殿下。ユマ殿への気遣いを、お忘れになりませぬよう」
おじいさんはそれだけ言うと、何だか呆れた感じで首を振りながら、よたよたと建物の中に入って行ってしまった。
ラメルさんは私を見て言った。
「ユマ殿、その首飾りを外さないで下さい。神殿として、あなたの立場が尊重されているか見届けるために必要なんです。……それでは」
そして、おじいさんの後を追って去って行ってしまった。
え? あれ?
何か説明してくれるって言ってたの、ラメルさんじゃなかった?
ちょっとー?