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14 秘密の裏側

次回更新は、15話とエピローグを同時UP予定です。

 日本に帰る日も、とてもいい天気だった。

 夏を予感させるような青空は雲ひとつなく、見つめていると気が遠くなりそうなほどにどこまでも高い。

 雲のかけらのように存在していた自分が消えた後も、この世界はこの青空みたいに続いていくんだ――そう思ったら、気持ちが澄んでいくようだった。


 陛下と朝食を済ませた後、ザクラス殿下がいったん本宮からやってきた。

「殿下、お世話になりました」

 私はドレス姿で、ぺこりと頭を下げた。神殿に行ったら、自分の服に着替えるけどね。

「ずっとこの国が豊かであるように、日本からお祈りしてます」

 まっすぐ殿下を見つめると、殿下もラズベリー色の瞳でまっすぐ私を見つめ返した。

「……ユマは、帰すのが惜しいほどの『妻』だ。心から礼を言う。お前が俺たちを助けてくれたことは、公にはできなくとも俺たちが決して忘れない」


 身体の横で、ぐっと握られた拳。その大きな手を見ていると、抱きしめられた時の安心感と、切ない想いがこみ上げた。


 私とリドリース陛下、ザクラス殿下、それに私の付き添いのティキアさんと護衛の兵士さんで、星歌宮を出る。

 庭園の生け垣のわかれ道で、殿下は本宮へ、私たちは神殿へ。

「さようなら」

 私は最後に笑顔を見せて、殿下に背を向けて神殿のある方へと庭の通路を辿った。


 背中にずっと、殿下の視線を感じていたけれど、やがてそれも消えた。


「今日のドレス、とてもユマに似合っているね」

 黙っている私に気を遣ってか、並んで歩くリドリース陛下が話しかけてくれた。

 私はちょっとスカートをつまんで見せた。今日のドレスは、黒地に大輪のカラフルな花がいくつも織り込まれた華やかなもの。竪琴の色に合わせて、光沢のある黄色の幅広のリボンを腰に結んでいる。日本の着物を意識したコーディネートだ。

「こんな天気の日には、少し重たいかなぁとも思ったんですけど……私の国の、伝統的な柄に似ているなぁと思って選んだんです。こういう幅広の帯も結ぶんですよ」

「この姿の妻を、夜会で見せびらかしたいよ」

 陛下は悪戯っぽく笑い、ちょっと演技の入ったため息をついて見せた。

「もし私が女王として即位していたとしても、ドレスも似合わないこんな男のような外見では結婚できなかっただろうな」

「なーに言ってんですか!」

 私もおどけた口調で答える。

「こんなに凛とした素敵な人、そうそういません。もし女だってバレたら、求婚者殺到ですよ」

「ははは、年も年だし、自分より背が高くて自分よりガサツな女など、求める男はいないよ。ユマの国でも、ユマみたいな女性が結婚相手として求められるのだろうな」

 陛下は面白そうに笑う。私は恥ずかしさにのけぞった。

「陛下がガサツだったら、私なんかどうなっちゃうんですか! 社会のゴミじゃないですか!」

「ユマは思い遣りの心を持った女性だから、きっと幸せになれるよ」

 陛下は優しく微笑んだ。


 神殿に到着すると、私と陛下はラメルさんと打ち合わせした通り、まずは神導長の部屋へ行った。

「このところ身辺騒がしく、神殿で気持ちを落ち着けたいとユマから申し出があり、連れてきた。夕刻まで、神殿に滞在する許可をいただけるだろうか」

 陛下が言うと、サンタクロースみたいな神導長は、重々しくうなずく。

「神が静謐の境地に導いて下さるでしょう。何かお聞きになりたければ、神官たちも助けを惜しみません」

「ありがとうございます。少し、ラメルさんとお話したいと思っていました」

 私が殊勝な態度で答えると、神導長は快くうなずいてくれた。


 しんと荘厳に静まり返った神殿内を進み、ラメルさんが瞑想に使っている石造りの部屋に行く。ラメルさんはすでに待っていた。

「それじゃあユマ、準備ができた頃にまた来るよ」

 リドリース陛下はちょっと心配そうに私を見てから、ラメルさんにうなずきかけて部屋を出て行った。石の扉がズンと音を立てて閉まる。防音がしっかりしていそうな扉だ。


「それでは、そちらの続きの間でユマ殿はお着替え下さい」

 案内され、ティキアさんと続きの部屋に入る。

 実はこっそり、足に日本から着てきた服を結びつけてあったんだよね。靴もムートンブーツ。カバンと中身は小さくまとめて、ティキアさんがエプロンに隠すようにして持ってきていた。

「ティキアさんには何から何までお世話になりました。見習おうって思ったこと、たくさんありました」

 後ろのリボンを解いてもらいながら、私はお礼を言った。


 ……ティキアさんから返事がない。


 背中のファスナーが下りた。ドレスの上半身を脱ぎながら身体をひねり、ティキアさんを見る。


 彼女は、声を出さずにポロポロと涙をこぼしていた。


「……これからも、ティキアさんの手腕で、大好きなリドリース陛下をますますカッコ良くしてあげて下さいね」

 ほろっと来ながら言うと、ティキアさんは一度エプロンで涙を拭いてから……クールな彼女にしては珍しく、大きなアクションでうなずいて微笑んだ。

「ユマ様と並んでおいでの陛下、とても素敵でしたのに。でも、これからも心からお仕えして参ります。誰もが惚れこむようにしてみせます」


 それはそれで、色々と危険なような……。


 着替え終わると、ティキアさんは脱いだドレスをぎゅっとまとめて布で包み、一抱えもあるそれを私に差し出した。

「これも、ユマ様が着たまま日本に帰られたということになります。こちらに残しては不自然ですので、どうぞお持ち下さい」

 うわあ、すごいお土産もらっちゃった。


 ティキアさんが出て行き、部屋には私とラメルさんだけになった。

 瞑想用とあって、何もない部屋だ……椅子と机、後は壁に神話のような壁画があるだけ。天窓から射し込む光が、空中に真っ直ぐな線を浮かび上がらせている。


「おかけになって、楽になさってください」

 言われて向かい合わせに座ると、ラメルさんは立襟の神官服(?)の首元を寛げた。私と同じ、竪琴のチョーカーが露わになる。

「これから、この二つの竪琴の力を解放します。しばらくはユマ殿には竪琴を操ることはできません。弦の響きから、あなたの心身の響きや、こちらに来てからのこれまでの時間の流れを僕が読み取って、あなたをこちらに来たのと同じ場所、同じ時に帰すためです」

「はい」

 なんとなーく理解して、私はうなずいた。

「日本に戻ったら、私だけ一ヶ月年を取ってるわけですよね」

 私が言うと、「あまり長くなくて良かったですね」とラメルさんが笑いながら、自分の竪琴の弦を弾いた。

 すると、よく集中しないとわからないくらいかすかに、私の竪琴の弦が振動を始めた。途切れることなく続いていく。

「このまま少し、お時間いただきます。翻訳などの力も解放されてますので、話していいですよ。普段通りに」

 ラメルさんは自然な感じで目を閉じた。


 私は、ラメルさんと竪琴を通して三日前に打ち合わせた時の内容を思い出した。


◇  ◇  ◇


「こういうことって、ラメルさん以外にもできる人はいるんですか?」

 そう聞いた私に、ラメルさんは教えてくれたのだ。

『『響操師《きょうそうし》』の血筋の者なら、できます』

「『響操師』?」

『人は心の中に、竪琴のような楽器を持っているとされています。その弦が振えるから、何かを感じ取ることができると。響操師はその力を利用して、音楽を届けるのと同様に、遠くの人と声を交わしたり言語の異なる国の人々と話したりできるんです。大昔には相手の言動を支配したものもいると聞きましたが、今はそれほどの力を持つ者はいません』

 へえ、そんな催眠術みたいなものもあったんだ。

 私はためらいがちに尋ねた。

「……あの……もしも、なんですけど、ラメルさんがもう一度私をこちらに呼び出すことって、可能なんでしょうか」


 ……やだな。私ったらまだ、こちらの世界と関わる理由を探してる……。


 尋ねたことを後悔していたら、ラメルさんはうーんと唸ってから答えた。

『できるかできないかで言えば、私があなたの響きをはっきりと覚えているうちは、できます。でも、日々の生活の中で他の音と紛れてしまえば、それもできなくなりますね。もう一度ザクラス殿下のお描きになった絵を使っても、似ている誰かを呼んでしまう可能性が……』

 そして、あ、と急いで続けた。

『ご心配なく。今回のようにあなたの意志を無視して呼び出すことはありません。あなたはもう、こちらの世界の存在を知った。こちらに来たくないと思っていれば、僕がどんなに呼び寄せる響きをそちらへ送っても、あなたの心の弦に響くことはないのです』


 じゃあ、私が来たいと思っていれば、ラメルさんが呼んだ時には来れるんだ。

 まあ、呼ばれることなんてないだろうけど。ザクラス殿下夫妻のお邪魔虫になるか、リドリース陛下の子どもを産めとかそういう無理難題な展開になるだろうから。


 とはいえ帰還後、私を愛している(という設定の)リドリース陛下が「ユマを呼び戻せ」と言い出さなければおかしく思われる。

 話し合いの結果、ラメルさんは私が帰還した時の不思議現象(超適当)に巻き込まれ、私の『響き』が他の音に紛れてわからなくなってしまう……ということにする手筈になった。


◇  ◇  ◇


「陛下は、私を失って悲しむ演技をしなくちゃいけないんですね。大変……」

 私がつぶやいていると、ラメルさんは苦笑した。

「演技など、必要ないでしょう。……陛下は本当に、あなたという友人を失って悲しまれると思います」

「…………」


 ……話を変えよう。


「そういえば小耳にはさんだんですけど、神官も結婚できるんでしょう? ラメルさんは、結婚願望は?」

 言うと、ラメルさんはギョッとして一瞬目を見開いた。そしてまた目を閉じて軽く顎を上げる。

「な、何ですか、陛下といいユマ殿といい……」

 へえ、リドリース陛下も、結婚についてラメルさんに聞いたことがあるんだ。

「いいじゃないですか、どうせ私はいなくなっちゃうんだし、好きな人がいるかくらい教えて下さいよー。ラメルさんも結婚して幸せになるんだ、って思ってた方が、私も心残りないし」

「結婚なんてできませんよ!」

「え、どうして?」

 びっくりして聞き返すと、ラメルさんはハッとなった。そして完全にうろたえた様子で、

「そ、それは色々と問題が……だいたい、僕なんかがおこがましいですから」

とうつむいてしまった。


 おこがましい??

 神官って、地位が高いんじゃないの? 女性なら、ラメルさんに好かれて「コイツおこがましい」なんて思わないと思うけど……まさか、自分より地位の高い女性を?


 あ、それとも身長を気にしてるのかな。ラメルさん、こちらの男性にしてはかなり背が低いもんね。百七十ちょい……。


 ん? 身長?


 私はふと、さっきのリドリース陛下の言葉を思い出した。

『自分より背が高くて、自分よりガサツな女など、求める男はいないよ』


 あのセリフ、ちょっと変じゃない?

 確かにリドリース陛下は身長が百七十五くらいあって、こちらの女性としては長身の部類に入る。でも、日本基準で考えてたから気づかなかったけど、こちらには陛下より背の高い男性なんてゴロゴロいるのだ。ザクラス殿下だって、百九十近い。


 つまり――リドリース陛下のあのセリフは、自分より背の低い具体的な誰かを想定して言ったことにならない?


 そして目の前のこの男性、ラメルさん。

 身長は百七十くらい。ガサツと自称する陛下よりも、確かに繊細な感じ。あの陛下がラメルさんに結婚の話を振ったことがあるのは、つい反応を見たくなったから?

 一方ラメルさんも、誰か想う女性がいるらしい。その女性は、神官であるラメルさんでさえ好意を持つことを「おこがましい」と感じてしまうような人物で……。


 私は勢いよく立ち上がった。椅子がガターンと後ろに倒れ、ラメルさんが目を見張って顔を上げた。

「ラメルさん、私ちょっと陛下に大事なことを言わないといけなくなりました!」

「え、な、何ですか? ユマ殿?」

「今すぐ陛下と二人で話をしたいんですが」

「それは、いいですけど、え? 今の会話で何か?」

「呼んでいただけますか?」

「あの……ユマ殿……」

「急ぐんです!」

「はいっ」


 私、このままじゃ帰れない!


「ユマ!? どうした」

 ラメルさんが出て行ってほどなくして、リドリース陛下が部屋に駆け込んできた。私は立って行って、扉をきっちり閉めた。二人きりの部屋はシンとなる。

「何か問題でもあったのか?」

「大ありです。どうぞ」

 私は自分の部屋でもないのに陛下に椅子を勧め、陛下がいぶかしげにしながらも座ると、すぐに口火を切った。


「陛下、好きな男性がいらっしゃるなら、私がこちらに通って、目くらまし役になることだってできるんですよ?」


「な」

 リドリース陛下は呼吸まで止めて固まった。息を吹き返すまで、数秒かかった。

「…………なぜ、そんな、ことを?」

「さっき陛下と話した内容から、気づいたんです」

 陛下はいったん座り直してから、テーブルの上で綺麗な指を組んで私を見つめた。

「ええとね、ユマ。それはもしもの話だね。もしも、その、私に好いた男がいた、もしくはこれからできたとしても、そのためにユマを何度もこちらになど来させられない。ユマがこちら中心に人生を送るならともかく、これから日本で働いて誰かと結ばれて子をなして……その中でこちらのことまでやっていたら、必ず元の世界の生活に支障が出てしまう。ユマには自分の人生を大事にして欲しい」


 私は視線を逸らさずに答えた。

「私の人生が大事だっておっしゃるなら、結婚にまつわる仕事をしたいと思ってる私に、恋をあきらめようとしてる陛下をほっぽって帰れなんておっしゃいませんよね?」


「あきらめようなど……それ以前に好いた男などいないから、安心しなさい」

 大人の余裕を滲ませて微笑むリドリース陛下が、もどかしくて。

 私はまたもや、ガターンと立ち上がって言い放ってしまった。


「秘密を守るために恋をあきらめるくらいなら、誰にも秘密でラメルさんと幸せになったっていいじゃないですか!」


 あ、名前言っちゃった。

 陛下がパッと、右手で自分の口元を覆った。その手から覗く、目元のあたりがカァッと赤くなる。

「ユマ……なぜ……」

 珍しく視線を泳がせる陛下。

 図星を確信し、陛下から目を逸らさない私。


「……参ったな、お見通しか」

 やがて、テーブルの上に戻した手を見つめながら、陛下は静かに言った。

「でもね、ユマ。この気持ちを打ち明けて、彼にもし避けられたら……私は王家にいるのが辛くなってしまう。国王になった自分を後悔してしまいそうで、怖いんだ」

 いつもより小さく見えるその姿に、きゅうんとなった私は拳を握った。

「それは大丈夫ですから! 今、ラメルさんを呼び……あっ、やば、私このカッコ」

「待ってユマ、本当にいいんだ」

 陛下は両手で私を抑えるような仕草をして、微笑んだ。

「もしかしてユマは、ラメルも私を……と? たとえそうだとしてもね……さっきも言った通り、ユマに目くらまし役をさせてまでして想いを実らせたいとは思わない。ラメルを日陰に置くことになるし……それに、ユマの人生をねじまげているという、別の辛さに苛まれるだけだ。それほど、私はユマが大切なんだよ」

「……陛下……」

「私は、今のままで十分幸せだ。ありがとう、ユマ」

 陛下の静かな笑顔に、私はそれ以上は何も言えなくなってしまった。


 直後。

 扉が、ゴォンと音を立てて開いた。


「待って下さい。すみません、全部聞いてしまいました」


 ラメルさんが、真っ赤な顔をして立っていた。陛下が目を見張る。


 えっ? 扉、ちゃんと閉めたのに……?


 ラメルさんが申し訳なさそうに私に向けた視線、その角度を見て、私は「あーっ!」とチョーカーの竪琴を抑えた。

 そ、そういえば、元の世界に帰る準備のために、竪琴の機能を開放したって……!

 つ・つ・ぬ・けー!


 絶句しているリドリース陛下に、ラメルさんは向き直った。

「リドリース陛下。ぼ、僕は、初めてお会いした時から、あなたを女性として見ていました。どんな形でも、陛下が僕を必要として下さるなら――それでもっと陛下が幸せになれるのなら、今までよりも近くに置いていただきたいと思っています」


「ラメル……」

 初めて、陛下の瞳が潤むのを見た。


 私は悶えそうなほど嬉しい気持ちで、見つめ合う二人を見守る。


 けれど、その甘い雰囲気は一瞬で、ラメルさんは言った。

「陛下、後で、ゆっくりお話しさせて下さい。……さあユマ殿、僕は打ち明けました。今度はあなたです」

 きりっとした視線が私に向けられ、私は思わず自分を指さす。

「へ? わ、私?」

「はい。ユマ殿にも、想いを残してしまっている何かがこちらにあるのではないですか? 僕はそうお見受けしましたが」


「え?」

 私は思わず一歩後ずさった。

「そ……そんなこと」

 ラメルさんはすぱすぱと言う。

「さっき竪琴越しにお話を聞いてしまってすぐに、使いを出しました。こちらにおいでいただくように」


「え、待って! だってザクラス殿下までここにいたらおかしいからって、見送りに来なかったのに!」

 私は慌てた。

 ラメルさんが、ちょっと得意そうに陛下を見た。陛下は軽く目を見開いてラメルさんを見つめ返し、それから私に向き直って微笑みかけた。

「ユマ? ザクラスがどうしたの? ラメルは彼のことなど、何も言っていないけれど」


 今度は私が真っ赤になる番だった。


「ユマ殿が急病で倒れたという内容で、使いを出しました。妻が倒れた時に駆けつけるのなら、夫としておかしくないでしょう? さあ、ここで待ちましょう」


 ラメルさんに、隙はなかった。


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