9 ここにいる間だけでも
披露宴の翌日なのでゆっくり過ごすのかと思ったら、そうもいかないみたい。
朝食が終わった後、リドリース陛下もザクラス殿下も居間のテーブルで、手紙だか書類だかを読んだり書いたりし始めた。執務室(本宮の別棟にある)にこそ行かなかったものの、結婚のお祝いの手紙やお祝いの品の目録に目を通して、それへのお返事やお返しをどうするかを決めてるんだそうだ。
実際にお返事やお返しをする作業は、他の人がやってくれるみたいなんだけどね。
「何だ、まだ怒ってるのか」
ザクラス殿下が視線を寄越す。
リドリース陛下の隣に座っていた私は、背筋を伸ばした。今日はスイートピーみたいな、裾に細かくひだの取ってあるパステルピンクのドレスを着させてもらっている。
「怒ってなんかいません」
膝に載せていた絵本を閉じる。こちらの文字がわからないので、綺麗な絵のついた本を見せてもらってたんだけど、今朝のことに気を取られてページが進んでなかったのに気づかれたらしい。
「仕方ないだろう、昨夜と今朝は秘密を知らない侍女が当番にいたんだ。別に俺は床でも長椅子でも寝られるが、寝台以外の場所で寝たことが何かの拍子にばれて、怪しまれないとも限らない」
書類に目を落としながら言う殿下に、私は困って言い募る。
「本当に怒ってませんって……ちょっと驚いて、それが尾を引いてるだけです!」
よりによって王弟殿下に、床か長椅子で寝て欲しかったなんて、そんなこと思うわけがない。
ただ、男性と同衾したのが初めてだったから! それだけです!
「怒ってないなら、人目のある所ではリドリース陛下にばかりひっつくなよ。結婚してすぐにその態度じゃ、まるで俺が陛下に比べてひどい男みたいじゃないか。それか、よほどヘタか」
「なななな何がですかっ!」
ザクラス殿下と私の会話に、お茶を替えているティキアさんが口をへの字にした。あっ、笑いを堪えてるでしょっ。
ちなみに現在、部屋の中にはこの四人だけ。どうやら今まで、リドリース陛下は秘密を守るために、女嫌い、かつ、表面上の人当たりはいいけどちょっと潔癖というか、偏屈というか、気に入った人間しか寄せつけないという演技をしていたみたい。
それで、侍女さんたちの仕事はティキアさん中心にシフトが組まれている。お風呂のお世話なんかは必ずティキアさん、みたいに。
それはともかく、殿下に近寄らない理由を私はもごもごと説明する。
「……だって、ザクラス殿下は『本当に』男性じゃないですか。何だかこう、近寄りがたいというか」
「近寄りがたい? あまりそう評されたことはないんだが……ユマは男が苦手なのか?」
ザクラス殿下が「へえ」という顔をするので、私は仕方なく答える。
「苦手じゃないですけど、しばらくノーサンキューです。ちょっと、痛い目に遭ったばっかりなので」
「そうなのか? そんな時に男と結婚した演技などさせて……済まない」
リドリース陛下が顔を上げ、少し眉尻を下げた。私はますます慌てる。
「いえ、あの、でも、注目されたのは良かったような気がしてるところです! 自分がちゃんとここにいるんだってことを、再認識できたっていうか」
「どういうこと……? 良かったら、聞かせて欲しいな」
陛下が首を軽く傾げ、じっと見つめてきた。
「えーっと……」
――なりゆきで、私は日本での自分の話をすることになってしまった。
「私、大学っていう、専門的なことを学ぶ学校にいたんです。大きな大学で、日本の色んな場所からたくさんの学生が学びに来てる所でした。入学してすぐに、ずっと遠くからその大学に入学した男性と一気に仲良くなって、付き合い始めました」
私は照れを笑いでごまかす。
「何だか、これは運命の恋だ! なんて思ったんですよね。ずっと離れ離れで住んでいた二人が、ついにここで出会って恋に落ちたんだ! って。私、恥ずかしいくらいのめり込んじゃいました」
リドリース陛下は軽くうなずきながら聞いてくれている。ザクラス殿下は時々こちらを見ながら、主に書類に目を落としているけれど、次の書類にはちっとも進まない。
「ところがその人が、夏休みの間に他の女の子も誘ってたことがわかって。彼は大学生になったら女の子と遊びたかっただけで、私じゃなくても良かったんですね。それで、結局別れたんです。そしたら……」
私は大きなため息をひとつ、ついた。
「ほら、入学してすぐに恋愛に夢中になっちゃったでしょ。サークル、ええっと、同じ趣味を持つ人の集まりにも入らなかったし、一緒に遊びに行くような女友達も作れなかったんですよ、私」
要するに、『大学デビュー』に失敗したわけです。女の子はグループができちゃってて、夏休みに一緒に旅行したり、飲みに行ったりしてて。そこに後から入って行く勇気はなかったな。
「別に無視されてるわけじゃないので、同じ講義を取ってる人と話すことはあります。でも……色々な人や物事と、つながりが希薄なのを感じてました」
「それで、空いた時間に仕事を?」
リドリース陛下が尋ねてくる。
ああ、そうか、バイトの面接のこと話したっけ。
「はい。ホントは、大学生なんだから勉強してればいいんですけどね、そこまで割り切れなくて……仕事でもしよう、それに次の新入生が入って来る前に、どこかサークルに飛び込もう、って。恋愛してなかったらやっていたはずのことを、一気に取り戻そうと頑張ってたけど……そのことに、何だか消耗していました。恋愛って、疲れますねぇ」
私はまた「えへへ」と笑った。
「まあ、そんな感じで大学ではポツーンとしてたのが、この国に来たらいきなり大注目浴びて、結婚までしちゃって。真逆な出来事ばかりで、バランスが取れたっていうか? それに、そう、女性を相手にこんなにしゃべりまくったのも久しぶり。聞いて下さってありがとうございます!」
リドリース陛下は、私の頭を軽く撫でて微笑んだ。
「何だか、女友達として話してもらっているみたいで、私も嬉しい。私も、何もかも話せる友達を持っていないからね」
あ、そうか……秘密を知っている人は皆、弟か部下だもんね。
市井で暮らしてた時には友達もいたかもしれないけど、その人たちは本当の陛下を知らないんだ。
「なんていうか、恐れ多いんですけど……友達だって思っても、いいんですか?」
嬉しくなって、私は聞いた。
すると急に、リドリース陛下はハッとしたような顔になって、視線を逸らした。そして、スッと立ち上がってから私に視線を戻し、微笑んだ。
「うん……ここにいる間だけでも、友達でいてくれると嬉しい」
そして、
「ちょっと執務室に行って来る」
と居間を出て行った。ティキアさんが急いでマントを持って後を追い、扉の外の誰かに「陛下がお出かけです」と声をかけている。
「あ、いってらっしゃい……」
私は立って、その後ろ姿を見送った。
ここにいる間だけでも、か……。
腰を下ろし、テーブルの上のカップを見つめる。温かいものに替えられたばかりの陛下のお茶は、一口も飲まれないまま、澄んだ光をたたえている。
どんなに仲良くなったって、期間限定なんだよね。こちらはこちら、日本は日本……交わることはない。
陛下はこちらで、これからも頑張って行かなくちゃいけない。私も、日本に戻ったら、また頑張らないとね。ここのことは、思い出の奥底にしまって……。
その時、
「ユマ、ずいぶん大人しくしているが、ここにいる間くらいやりたい放題やっていいんだぞ? 王族の特権も色々あることだしな」
とザクラス殿下が書類を眺めながら、軽い口調で言った。
私はちょっとだけ、カチンと来てしまった。
そりゃ、どうせもう少しで私はいなくなりますよ。でも、旅の恥はかき捨て、って? そうじゃないのに。ここにいる間くらい、陛下や殿下にとって恥ずかしくない奥さんでいようと思ってるのに。
反射的に、憎まれ口を叩いてしまう。
「そうですね。口封じに都合がいいからって呼ばれたんだから、それくらいさせてもらおうかな」
ザクラス殿下の手が、停まった。書類をテーブルに置いて、私を見る。
「何だ、気づいてたのか。そう、元の世界に帰せば、殺さずに口封じできるからな」
むっ。
この人はどうしてこう……。
私はパッと立ち上がった。
「ちょっと散歩して来ます!」
開いている居間の扉にすたすたと向かい、戻ってきたティキアさんが目を見開いている横をすり抜ける。廊下に出ると、奥の方に光が射していた。渡り廊下から外に出られるのだ。
私は小走りに、庭に出て行った。




