黒色☆サンタクロース
―――シャラン、シャラン…
「…何の音?」
「んー?」
「なんか、しゃらーんて、サンタのソリみたいな」
「何も聞こえんけど」
「うそぉ?」
鈴みたいな音がした。
そういえば今日はクリスマスの一週間前だ。ソリやトナカイにくくりつけられている鈴の音かしら。
そんな考えをめぐらせていたら、なんだか自分が自分の体から、遠のいて行くのを感じた。
「―――、」
「ちょっと、どこ行くの!」
(わからない)
ただ吸い込まれるように、私は鈴の音のする方へ静かに歩いていた。
* *
「―――――あれ?」
意識がハッキリした時には、私は真っ白な世界に立っていた。上も下も、左右もない、ただ白い世界に。
『ようこそ、いらっしゃいました』
「!」
突然の声に驚いて振り返ると、黒いシルクハットを被り、スーツを身にまとった男の人が現れた。
杖をトントン、と黒い靴に当てながら音を立てる。顔は、帽子を深く被っていて見えない。
「―――あなた、誰?」
『サンタです。サンタクロース』
「……嘘でしょ。そんな格好のサンタ、見たことないわよ」
『それは、貴女そうが思い込んでいるからでしょう。サンタだって、黒い服を着たりしますよ』
と、黒いサンタは淡々と言う。
それでも、信じきれない。そもそも、私はサンタの存在すら信じていないのだから。
「……ていうか、此処どこ?」
『鈴の音に導かれた貴女の、望む世界へ招待しましょう。此処はその入口、エントランスです。』
「望む………世界?」
『貴女の願いはなんですか?』
黒いサンタは言う。
サンタクロースだと言い張るのだから、願いを叶えるのがクリスマスプレゼントとでも言うのだろうか。
サンタが真っ黒な時点で、説得力がない。
でも、もし本当に、願いが叶うというならば――、
「………こんな世界、もう嫌。」
けっして難しい言葉じゃないのに、声が上手く出ない。
搾り出すように呟いた。
「連れてって、どこか」
(ここから、逃げ出したいの。)
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『さあ、目を閉じて、扉を開いて』
目を閉じた私は、黒いサンタにそっと手をとられ、扉まで導かれる。導かれたまま、私は扉を開き、踏み出した。
世界の、変わる音がした。
『新しい世界に入ることは、これまでの全てを失うのと同じ。――それでも進むかい?』
空から、彼の声が降って来た。
それでも私は、逃げ出したい。今の毎日から、抜け出せるなら、なんでもいい。
私は静かに頷いた。
『―――では、目を開けて』
ゆっくりと目をあけると、そこには何もなかった―――いや、黒だけが在った。
「――何、これ?」
何もない。真っ暗だ。
さっきまで傍にいた、黒いサンタと同じ色なのに、彼はどこにもいない。
見渡しても、自分が首を動かせているかどうかもわからなかった。
漆黒の、闇。
どうすればいいのかわからなくなって、時間なんてちっとも経ってないのに途方に暮れてしまって、私は再び目を閉じた。
しばらくして、ふわりと温かさを感じた。
目を開くと、さっきまでいた白い世界に、私は立っていた。
黒いサンタも、さっきと同じ距離感を保って、立っていた。
闇は寒かったんだと、今気付いた。
『おかえり』
無機質な声が、静かに言った。
私は戻って来たようだった。 私が、願った世界から。
「どうして…」
『まだ迷いがあるようだから、連れ戻した。』
「迷ってなんて―――」
『本当に――?』
表情なんて見えないのに、強く見つめられているような気がした。
『本当に、逃げ出したい?』
今度は最後まで、問い掛けの言葉は続いた。
私は答えられなかった。
黒い闇が、恐ろしかった。
全部消えちゃえばいい、そう思っていたのに。
何もない闇はひどく寂しくて、ひんやりとしていた。
前も後ろも上も下も、正しいのか正しくないのかも、何もわからなくて、まるで赤子になったようで――――怖かった。
一度踏み込んだのだから、今更逃げるなんて私のプライドが許さない。
だから強がって、押し進めようとしたけれど、目の前の黒いサンタは、全てを見透かしていたようだ。
『―――迷いが消えたら、またおいで』
さっきまでとは違う、ひどく優しい調子で、サンタは言った。一瞬だけ、シルクハットに隠された表情が、見えたような気がした。
そしてそれが、私が黒いサンタに逢った、最初で最後の日だった。
(おしまい)