中学二年生の季秋、遊園地のドタバタ その5
近づいて来る一団は、今日の同行者の顔をしている。
仕方なくパーティに戻る覚悟を決めた怜が、環と一緒に合流を果たすと、
「さっきはついかっとして、悪かったな」
くだんのソフトクリームの恋する少年、山田くんが詫びを入れてきた。
後悔しているような顔つきをしている。
怜は、いいよ、と許したが、内心、自分の為した行為が謝ることですっかりとチャラになると信じて疑わないような心性を軽蔑していた。見積もりが安い。ということは、つまり、人間が安いということである。
自分がした行為に対する償いはどのようにすればよいか。よいも何も、そんなことはできないというのが怜の考えだった。だからこそ人は己の行為に最大限の注意を払うべきであって、それをせず、またしなかったことに対して反省もせず「謝ればいいや」などとお気楽に考えるのは、子どもの思考である。自分のことも子どもであると認めている怜は、自分一人の面倒を見るに精一杯であって、自分以外に子どもと付き合う気はなく、だからこそ即座に赦しの言葉を与えたのだった。
パチパチパチパチ、と山田少年の行為に対する、あるいは怜の行為に対する賛嘆の拍手が上がった。
手を打ち鳴らしているのは太一である。その太一に和するように、他のメンバーも拍手を上げる。
吐き気がした。
「よし、ここで山田から宮崎に発表があります!」
拍手の音が止んだあと、太一が大きな声を上げた。
何事が始まるのだろうかと思った怜は、目の前で、山田くんが宮崎さんの前へと行って、告白の言葉を述べるのを見聞きした。少しどもるようにしながら、「付き合ってください」と言って手を差し出す山田くんの前で、宮崎さんがもじもじしている。
おおっ、というどよめきが他のメンバーから上がる。
怜は呆気に取られた。
なんのアトラクションが始まったのだろうか。
「ずっと前から好きだったんだ、頼む」
と言って、ずいずいと手を出す山田くんと、目を伏せる宮崎さん。
さらに上がる周囲のテンション。
傍観している怜は、どっか他のとこでやってくれよ、と思った。
見たくもないドラマを無理矢理見させられている格好である。テレビドラマなら、テレビを切るか、リビングから立ち去ればよいが、これはそうはいかない。茶番に巻き込まれた怜は、内心でため息をつきながら、三文恋愛ドラマの行く末を見守る特権を楽しんだ。
「……うん」
やがて、宮崎さんが、こくり、とうなずいた。
「ま、マジで!?」
「うん」
そう言って、宮崎さんは山田くんの手を取った。「よろしくお願いします」
周囲の仲間たちから歓声が沸き起こった。
その騒ぎを見て、通行人が、なんだなんだ、と目を向けて来る。
得点を決めたサッカー選手の周りに集まるチームメイトのように、みんなが山田くんと宮崎さんを取り囲んで、しかし、もちろん、怜はそんな輪には入らなかった。すると、もう一人加わらない子がいたらしく、
「良かったですね」
隣からそっと話しかけてきた。
「そうだな」
今日の一連のイベントが終わって本当に良かった、と怜は思った。自分の役割が何だったのか、最後まで分からなかったけれど、取りあえず、ハッピーエンディングで幕を下ろしたようである。
祝福の輪から外れて、太一がやってきて、怜に握手を求めた。
怜はそれを丁重に断った。
「怒ってるのか、レイ?」
太一がそろそろと訊く。
「いや、呆れてるだけだ」
「オレにだよな?」
「違う。自分自身に」
太一は顔色を改めると、
「事情があるんだよ」
と続けた。
「そうだな、誰にでも事情はある。そうして、事情があれば許されると思ってる、だろ?」
「……レイ、本当は怒ってるんだろ?」
「怒ってないって言ってるだろ。ただ、タイチ、ひとつ頼みがある」
「頼み?」
「ああ」
「何でも言ってくれ」
太一は目を輝かせた。
「当分、オレに話しかけないでくれないか」
怜が言うと、太一の目から光が失われて、その目が怜の隣を見た。
「川名、オレの弁護をしてくれ、頼むっ!」
太一が手を合わせて頭を下げた。
その語勢の鋭さは山田宮崎カップルのそばにいる幾人かの目を引いた。
「やってみますけど、期待はしないでね」
怜の隣で、環が答える。
「川名がそんなことする必要はないよ」
怜が言うと、太一が悲しそうな顔をした。
「必要はないかもしれないけれど、必要だけで人が行動するとしたらそれはつまらないことじゃないかな」
環の声が穏やかである。その声に比べると、自分の声が随分と荒れていることに怜は気がついた。
太一はもう一度、環に、頼む、と手を合わせると、他のメンバーの元へと帰った。
「よし、みんな、帰るぞ!」
太一はパーティの閉会を宣言した。
時間はまだ早いが、会の目的は達せられたわけだし、移動にかかる時間とこの頃日が短くなっていることを考慮したのだろう。
新生カップルの誕生に帰りの車内はバスにしろ電車にしろはなやいだムードとなり、行きよりもさらにうるさかった。電車の中で怜は、一行とちょっと離れた席に座りながら、今日という一日について考えた。一体何の為の一日だったのかと思い返してみれば、ただジーパンにジュースを引っかけられるためだけだったということになって全く報われないので、考えることをやめた。
「迷子をお母さんに届けましたよ」
心の内を読んだかのような声が、隣から上がる。
「それに、もう一人、レイくんが今日来てくれて良かった人がいます」
続けられた声に、怜は、大声を上げる山田くんに視線を向けた。その視線をさらに、その近くにいた太一に向けてみる。彼らの一方の役に立てたと思えば、
「光栄だね」
言うと、クスッとしたかすかな笑い声。
「違います」
「違う?」
「はい」
「何が?」
「自分で考えてください」
考えようとしたが、疲労で頭が回らなかった。
「また二人でいるな、お前ら」
通路を歩いてやってきたのは矢島くんである。
「二人ですね、確かに」
環は、楽しそうに答えた。
「付き合ってないからな」
怜は、矢島くんの先手を打って答えた。
「聞いてねえだろ」
と不機嫌そうな顔をした彼と会話を楽しむだけの気力は無い。幸いにも、矢島くんはその一声だけで、車内を移動して、仲間の元へと戻っていった。何をしに来たのか、と考える気力も怜にはなかった。
駅に着くと、まだ夕暮れには時間がある明るい空である。
「山田、宮崎をちゃんと家まで送り届けるんだぞ。でも、帰り道で変なことすんなよ」
太一がからかうような声をかけると、山田くんが怒りながら照れて、周りからはやしたてる声が上がった。
二人をみんなで見送ったあとに、じゃあ解散、ということになったときに、太一がやってきて、
「レイ、今日は助かったよ、ありがとな」
と朗らかな声を投げてきた。
「友だちの助けになれたのなら良かったよ」
怜が言うと、その言葉に潜む感情に傷ついたような様子を見せて太一は、
「川名、本当に頼むな、マジで!」
環に向かって、神を拝むようにまた手を合わせた。
分かりました、と環は静かに答えた。
その彼女を連れて、怜は歩き出した。家まで送って行くつもりである。そのついでに、太一の存念を聞くのも、いや、さして聞きたい気持ちも無いけれど、それを話そうとする少女のことは尊重しなくてはならない。
「レイくんを呼んだのは、山田くんにレイくんの真似をさせるためじゃないかな」
駅前から少し離れた歩道で、環が解説した。
「レイくん、紳士だから。そのレディファーストを山田くんに見習わせて、宮崎さんの好感度を上げるためだったんじゃないかな」
「好感度を上げる?」
「はい。そうして告白が成功する見込みを高くする」
「ふうん。オレへの好感度上がってるか? 川名は」
環は少し考えるようにすると、
「いいえ、特には」
と答えた。
「おいおい」
ふふっ、と環は笑った。
「瀬良くんが何の指示もしなかったのは、レイくんにはただ普通にしていてもらいたかったからじゃないかな」
何だかうなずけない話である。仮に自分の行為が女の子に対して何らかのアピールポイントになったとして、
「そんなの太一が自分でやってみせればいいことだろう」
ということになる。
「瀬良くんがそれをやるとね、された女の子を誤解させちゃうから。それに、瀬良くんがやると多分カッコよく見えすぎるんだよ。あざといと言うか」
「なるほど」
ということに、怜はしておいた。
しておいたのは、もう太一のことには完全に興味が無くなったからである。話すこともそうそうは無いだろう。話すことがなければ、今回のように何かに巻き込まれることも無くなるわけだ。
「ここからが瀬良くんに対する弁護の弁です」
怜の思考を引き戻すように、環が言った。
「レイくんは恋をしていますか?」
「何だって?」
唐突に続けられた言葉に、怜は思わず訊き返した。
「誰か好きな人がいますか、今?」
その声に真剣な色があったので、怜も十歩ほど間をとってから真面目に答えた。
「多分いないと思う」
「多分……ですか?」
「誰かを好きになったことがないから分からないな」
「…………」
環は無言のまま、数歩の間を取ると、
「瀬良くんはね、これはわたしの想像だけど、苦しい恋をしているんじゃないかなと思うの。だから、恋する人に同情的なんだよ。レイくん、人は知らないことに対しては謙虚でなくてはいけないよね」
そう言って、唇を閉じた。
なるほど、環の言うとおりだった。
怜は、太一に関する自分の気持ちを改めた。
今日の太一の振る舞いを許すことはできないが、
「忘れることにするよ」
怜は言った。許すことと忘れることは別のことである。
「忘却なくして幸福はありえない……でしたっけ?」と環。
「それさえ忘れることができるのが本当の幸福だと思う」
「忘れることが幸せだっていうそのこと自体を忘れるっていうこと?」
「そう、多分な」
「それって悲しいことじゃないかな」
「その悲しささえ忘れるんだぞ」
「うん。でも、それはやっぱりどこか悲しいよ」
そうかもしれないと怜は思った。しかし、それが悲しいことだとしても、ここにこうして今、環といる自分に穏やかな気持ちがあって、それを忘れたとしても、今幸せであるというこの事実は誰にも消せないものなのではないかと思った。
――幸せ……?
怜は自分の想いに自分でどきりとした。
「川名」
聞こえて来たのは自分の声ではない。
立ち止まって振り向いたところに、少し息を切らせるようにした矢島くんの姿があった。