中学二年生の季秋、遊園地のドタバタ その3
駅の構内から外へ出ると、一行を歓迎するような青空だった。
風もなく、
「小春日和だね」
隣から環が言うと、怜が答える前に、
「えっ、小春日和って、春のあったかい日のことじゃないのか?」
前から矢島が口を出した。
環は、小春というのは陰暦十月の異称です、と答えた。
「インレキ?」
「昔の暦の十月。ちょうど今頃のことだよ。小春日和っていうのは、今頃の陽気が春に似ているところから名付けられたみたい」
へえ、と矢島は口を尖らせるようにした。「さすが、学年一位」
「一位はわたしじゃありません」
「あ、小谷だっけか? この前の定期試験だと……小谷!」
そう言って、矢島が声をかけた先に、その当の少女がいるようである。
怜は、環が入学当初から常に成績がトップ付近にいることを、しかし、それほどはっきりと知っていたわけではなかった。怜にとって、人というのは奥行きがあるかどうかであって、その人の学業成績の良し悪しなどは興味の外だった。当然、怜の成績はあまりよろしくない。
小谷女史は、急に声をかけられたことにびっくりした様子で、振り返ると、
「一応そうだけど……でも、川名さんの方がわたしなんかよりずっと頭いいと思う。わたしができるのは、学校の勉強だけだから」
つつましい態度を見せた。
「だけってとこが嫌味だよなあ」
矢島がにやにやしながら言うと、小谷さんはどう返してよいものか分からず、口をつぐんだ。
嫌味なのはお前だろ、と思った怜は、思わずそう口にしていた。
矢島はおっと口元をゆがませて、何か言おうとしたが、折良くそこにバスが現れた。
駅から遊園地までバスが出ていて、そのバス停に一行はいたわけである。
アミューズメント施設へと運んでくれる夢の乗り物に、みんなのテンションが上がった。
矢島は他の仲間にくっついて、ステップを昇った。そのあとを小谷女史が進む。
「今度は二人きりで来ませんか?」
こっそりとした声を出す環に、怜は、是非ともそうしたい旨、答えた。環と二人だけなら、色々とストレスを受けずに済む。そもそもが怜は集団で行動することが好きではない。その好きではないことを押して来ているのはひとえに友情のためである、とそんな風に自己の行為を美しく意味付けするような幼さは怜にはなかった。では、なぜ来たのか。そう問われれば、なんとなく、と答えるだけの話である。怜は、環を先に昇らせて、その背を追った。
バスの中で、一行は相変わらずはしゃいでいたが、怜はもう放っておいた。そう何度も公衆マナーについてレクチャーしてやる義理は無い。
バスは大分混雑していて、隣に立っていた環の体が近かった。
「ごめんね」
こちらこそ、と答えた怜は環に密着されながら、いつでも彼女の体を支えられるように準備したが、その機会は訪れず、無事遊園地に到着した。
バスから吐き出された人々は歓声を上げながら、正面ゲートに向かって突撃を開始した。その中に、電車で会った母子の姿が見えたような気がした怜は、仲間たちが、これまで高かったテンションをなお上げてチケット売り場へと猛進するのを見た。
週末の行楽日和、園内は随分とにぎやかだった。
人の頭の群れから視線を上げると、くねくねと曲がりくねったジェットコースターやまんまるい観覧車などの巨大アトラクションの数々が秋空を彩っていた。
まず何から乗ろうかということになって、絶叫系に落ち着くところが、怜の苦手である。絶叫マシンは乗れないことはないが、好んで乗りたくない怜は、よっぽど断って一人その辺のベンチにでも座っていようかという気になったが、恋の主人公をサポートするという任務を思い出し、なにより、
「行こうぜ、レイ」
太一がしゃしゃり出てきて、がしっと腕を取られたので、仕方なくみんなと一緒に列に並ぶことにした。怜はこの機会に、朝の挨拶以来全く話しかけて来なかった太一の存念を聞こうかと思ったが、めんどうくさいのでやめた。
「あ、あの、小谷です……」
太一の手によって並ばされた列に、学年一位のバス停の君がいて律儀に挨拶してくれた。
怜も挨拶を返した。
「加藤くんとは全然話したこと無かったですよね」
なぜか敬語で話し出す小谷さんに、怜は、ないね、と答えた。
無いどころかこうやって顔を合わせることさえ今日が初めてのはずである。
「太一とは親しいの?」
「わたしは瀬良くんとはあまり話したことないの。ゆっこに……あの、星野さんに誘われただけだから」
星野さんがどの人か分からない怜だったがとりあえず、ふうん、とうなずいておいた。
見知らぬ女の子と楽しく会話をするような社交性の持ち合わせはなくて、小谷さんにしても大和撫子の叔美を備えているらしく、それからコースターに乗るまで二人は無言だった。何となく気まずくなってしまう怜は、気を逸らすためにちょっと後ろを見てみたところ、今日の主人公である山田くんがすぐ後ろにいて目があった。見つめ合う仲でもないので、すぐに前を向いた怜は、
「タマキって変な名前だな」
前の前から、矢島くんの声を聞いた。彼の隣に環がいる。
「自分でつけたわけではないので」
環は柔らかな声を出した。
「タヌキって呼んでもいい?」と矢島。
「お好きにどうぞ。でも、答えないかもしれないよ」
矢島くんは環に気があるのだろうかと、怜は思った。だとしたら、中々斬新なアプローチである。真似できそうにない。したいとも思わないけれど。
随分と並んだあと、ようやく怜たちの番が来て、係員に誘導されるままに二人一組で席についた。怜は、先に小谷さんをコースターに座らせた。
「あ、ありがとう」
と答える声に邪気が無くて、どうして公共の場でがやがや人の迷惑をやって省みないような残りのメンバーたちと一緒に過ごしているのかが分からないような子だった。学校という閉鎖空間内であると、思わぬ力学が働いて、意に沿わないこともしなくてはならないというそういうことだろうか、と怜は思った。
二分間の絶叫タイムである。
冷や汗をかいて再び出発地点に戻って来て、安全装置が上がったあとに、怜は先にコースターを出ると、隣にいた少女のために手を差し伸べた。え、と彼女は戸惑ったような目をして、怜は、相手が環でなかったことに気がついて、心内で舌打ちした。
怜は、手を引っ込めた代わりに、「足元に気をつけろよ」とだけ言って、彼女に注意を促した。
「気をつけろよ、お前ドジだからさ、宮崎」
すぐ近くから出て来た山田少年が、同じようなことを言っているのが聞こえた。
「お前、女なら誰でもいいんだなあ」
それとともに、そば近くから矢島少年の嘲るような声がして、その声が自分に向けられたものであることが分かった怜は、しかし、彼の言っていることの意味が分からず、ポカンとしていたが、
「川名だけじゃなくて、小谷にもいい顔してさ」
続けられた言葉でようやくその意図を知った。
ひどい言いがかりである。怜は、もしかこの小谷さんが彼の想い人ででもあるのだろうか、だから今の行為が気にくわないのだろうかと、そんなことを疑ってみて、しかしそうするとさっき駅で環とのことに突っ込みを入れて来たことの説明がつかなくなって、
――まあ、結局はオレのことが嫌いなのか。
二つの件の共通点から結論を割り出すとげんなりした。
なんで見も知らぬ男から悪意を受けなければいけないのか。理不尽極まるが、その責任は自分にもあると怜は素直な気持ちで思った。しかし、それは、女の子二人に手を差し伸べたことを悔いているのでは全然無くて、単に、そういう悪意を持った男に近づく機会を持ったことを後悔しているのだった。
「お前が隣に乗ってても手を差し出してたさ」
怜が素っ気なく返すと、げえ、と矢島くんは吐く真似をした。「男でもいいんだな」
絶叫マシンよりもこの矢島氏との会話の方がよほど絶叫したくなる怜は、それ以上は何も答えず、先に立った。そっと隣に来たのが誰か、見なくても分かるような気がした怜は、
「何も言うなよ」
静かに言った。
「わたしが?」と環。
「念を押しただけだ」
「了解です」
そのあと、絶叫マシンにいくつか乗って声を嗄らし尽くして、みんな揃ってハスキーボイスになったあと、昼ごはんになった。
園内のブースである。
既に駅前集合時から三時間が経過したわけだけれど、それでも怜は、今日の自分のなすべき役回りというものが全然分からなかった。太一がまったく口を利いてこない。訳の分からない男である。
ブースには昼食客の姿が多かったが、ちょうど良くテーブルが空いて、座れるようになった。五人掛けのテーブルが二つ空いて、皆が座れるようである。
怜は、環の為に椅子を引いた。今度は彼女であることを確認してからしたのである。
してしまってから、ぞろまた矢島くんにからかわれるかもしれないという頭になったが、してしまったものは仕方ないし、そもそも彼に遠慮する必要は一ミリたりとも無いのだと再確認した。
「ありがとう」
環の微笑みが今日の日のように明るい。
怜は彼女の隣に腰を下ろすと、
「なあなあ、お前ら本当に付き合ってないのかよ」
環のもう一方の隣に座った矢島の声がうっとうしい。
「付き合ってない」
怜は素っ気なく答えた。
「じゃあ、川名のことはどう思ってるんだ、佐藤は?」
その問いに怜は、すぐさま答えた。
「お前よりもずっと好きだな。百倍くらいは」
え、と間の抜けた顔をした矢島は、唇を歪めるようにした。「そうかよ」
怜は何とはなし、山田くんの方に目を向けた。
彼はもう一つのテーブルで楽しげに宮崎さんと話を弾ませているようで、別に何を手伝うこともなかったのではなかろうか、と太一の目の確かさを疑った。こんな場を設ける必要も無かったのではないだろうか。そうすれば、怜にしても、
「おーい、みんな、佐藤が川名のこと好きなんだってさあ」
こういうしょうもない子どもに付き合わなくても済んだわけである。
色づいた話題にどよどよとした声が上がるのを聞きながら、怜は、隣の環の方だけは見ないように気を付けた。