中学二年生の季秋、遊園地のドタバタ その2
約束の日。
待ち合わせ時刻の五分前に、待ち合わせ場所の駅前広場に着くと、一緒に行くメンバーは大方集まっているようだった。結構な大所帯である。男女合わせて、七、八人くらいはいるだろうか。
みなこぞってきらびやかな装いをしており、ジーンズのパンツと厚手のシャツ姿の怜は、若干浮いていた。こんなことなら、
「もうちょっとパッとした格好しなよ、お兄ちゃん。せっかくのグループデートなんでしょ? それじゃあ、カノジョゲットなんか夢のまた夢の、そのまた夢だよ!」
出がけにかけられた一歳年下の妹の言うことを聞いた方が良かったかと思ったが、そもそもが「パッとした」服など持っていないのだからどうしようもないし、カノジョゲットの予定もないので浮いていても全く構わないのだと思い直した。
「よお、レイ」
集団の中から抜け出てきた影があって、太一の姿になった。
「今日はよろしくな」
と言われても、何をよろしくすればいいのか分からない。
「頼りにしてるぜ」
肩を組んで顔を近づけてくる太一に、怜は曖昧にうなずいておいた。
太一は同行メンバーを紹介してくれたが、いっぺんに覚えるのは難しく、というかそもそも覚える気もなく、とりあえずは今回の主役である山田くんとその潜在的カノジョである宮崎さんだけを覚えておくことにした。
怜は、山田くんからじろじろと見られた。その視線はまるで値踏みするようであって、もしも非合法物の取引相手に対するものであれば適切であったかもしれないが、好意のボランティアに対するものではなく、怜は内心むっとした。
「おはよう、加藤くん」
清々しい声がして、振り向くと環である。
チェック柄のシャツ風ワンピースを身につけた少女は、朝の光の下で燦とした輝きを放っていた。
怜は、あいさつを返したあと、彼女の黒髪に咲いた銀の髪留めの花を褒めた。
「ありがとう」
環は嬉しそうな顔をした。
「加藤くんもカッコいいよ」
にこりとして言う彼女にどう返したもんかと思案していると、
「川名、おれは、おれは?」
連れの男子の一人が横からしゃしゃり出て来てくれたので助かった。
「矢島くんもその服似合ってるよ」
環は明るい声を出すと、他のメンバーの所へ歩いて行った。
矢島くんがその後を追う。
怜もそれに続くと、
「宮崎、そのバッグ可愛いな」
くだんの主人公、山田くんが宮崎さんの持ち物を褒める声が聞こえた。
宮崎さんは、「あ、ありがとう」とどもって、目を伏せている。
「よし、じゃあ、みんなそろったところでしゅっぱーつ!」
太一の声が秋空に高く響いた。
目的地までは電車で三十分ほどの道のりである。
総勢十人でぞろぞろと構内に入って改札を抜け、プラットホームから車内に乗り込むと、休日であり乗客が多いので、全員が座ることのできるスペースはなかった。
「あ、あそこ空いてるぞ」
男子の一人がいくぶんかのスペースを見つけて、すかさず駆け寄って腰を下ろす。それに続く、他のメンバー達。遠目から様子を窺がっていた怜は、当然に女子を座らせるはずだと思っていたそのスペースが全て男子のお尻で埋まったのを見て、意外な思いに打たれたが、人は人、自分は自分だと思い、
「川名、ここ空いてるぞ」
と一つあった席を、近くにいた環に勧めた。勧めてしまってから、怜は、環も、座れなくても友人たちと固まっていた方がいいだろうかということに思い至ってバツの悪い思いをしたが、
「ありがとう」
環はすぐに答えて、腰を下ろした。
怜が彼女の前に立つ。
二人だけぽつねんと離れることになってしまった怜は、
「いいかっこすんなよなー、山田あ」
なにか山田くんが素敵なことをしたのか、同行メンバーのはやし立てる声を聞きながら、動き出す窓外の景色に目を留めた。
街の風景が徐々に切れて、郊外の景色となる。
川の上を通る時、秋の光が水面でキラキラと踊っているのが見えた。
「おかあさん、座りたいよお」
近くから子どもの声が聞こえて、その瞬間に、環がすっと立ち上がっていた。
怜は、子どもの方を見ると、
「ここ空いてるよ」
と言って、男の子か女の子なのか分かりにくい中性的な顔立ちの、まだ五、六歳くらいの子に向かって声を落とした。
「やったあ!」
子どもが歓声を上げて、ぼふん、と環の座っていた席に腰を下ろす。
「まあ、本当にすみません」
そう言って、母親らしき女性が、怜と環に頭を下げた。
二人は、母親を子どもの前に立たせ、自分たちは横によけて立った。
「中学生さんですか?」
母親が愛想のよい声で話しかけてくるのを、そちら側にいる環が、はい、と答えた。
環が立ち上がったときに、というか立ち上がる前から彼女の行為が分かる気がした怜は、それを大して不思議に思っていない自分が不思議だった。ただなぜだか彼女はそうするであろうことが分かっていたのである。
「もしかしてデートだったりして?」
まだ年若いお母さんの一言に、
「いいえ、みんなで遊びに来ているんです」
と環が答えたとき、その「みんな」の、ぎゃははは声が聞こえてきた。
どうやらテンションが上がっているらしい。
傍らに人無きがごとくに、仲間内で盛り上がっている。
車内に人の数は多いが、彼ら以外はみな公共ルールを守る善良な市民であるらしく、ひっそりとしているところにその声は、いかにもうるさげだった。
怜は、ふう、と息をついた。
嫌な役回りを演じなければいけない自分を感じたのである。
一応は自分の連れ、責任を取る必要があるだろう。
しかし、少しだけ待つことにした。この会の主催者の顔を立てる必要がある。
「ふざけんなよ、あはははは!」
待ったが、声はおさまらない。
怜は、電車の振動を感じながら、車内を歩いて行くと、楽しげに話している一団に割って入るようにした。
「少し声を落とせよ。公共の場所だぞ」
あまり感情を交えない声で言う。
すると、何を言われているのか分からないきょとんとした顔に皆なったが、
「お前らだけだぞ、騒いでるの」
もう一度言うと、一行の間にしらっとした空気が漂った。せっかく面白おかしく話しているというのに、何なんだこの男は、という声なき声がありありと聞こえた。
怜は、その場にいる太一を見た。
太一は口の端を少し上げるようにすると、芝居がかった様子で肩をすくめてみせた。
どうやら加勢する気は無いようである。
とはいえ、怜は別に太一に協力を求めたわけではなかった。この幼稚園児みたいな真似をしている図体だけでかい子どもをさとす権利を奪ったことを目で詫びただけである。
「別にそんな大きな声じゃなくね?」
矢島だったろうか、先ほど駅前広場で環にからんだ男子がぼそりと言った。
だよね、だよね、と周りから同意の声が上がる。
怜は、言っても無駄であることは初めから分かっていたので、落胆はしなかった。無駄なことが分かっていてもしなければいけないことがあるのである。
すると、そのとき、
「佐藤の言う通りだよ。みんな、もうちょっと静かにしようぜ」
と怜の味方をする声があって、それは件の山田くんだった。
「電車はおれたちのものじゃないんだ!」
冗談ぽく続ける声が、怜の発言をも冗談に紛らわせようとしているかのようで、
――なんだこいつは。
と怜は俄かに不快な気持ちを覚えたが、自分のやるべきことはやったので、素知らぬ風で、環の元へと戻った。
「お疲れさまでした」
囁くような声に微笑が含まれている。
怜は、すでに帰りたくなっている自分を感じた。会ってまだ一時間も経っていないが、被協力者である山田くんの印象はあまりよろしくない。そもそも怜の名字は「佐藤」ではない。
とはいえ、電車を止めるわけにもいかないのであれば、ここから帰るわけにもいかず、向こうの駅に着いたなら、ちょっと足を伸ばして久しぶりの遊園地に行ってみるのも一興だろう、と無理矢理気分を変えた。子どもの使いではあるまいし、一旦引き受けておいて、何もせずに帰ることなどできない。
――て言っても、何をすればいいのかも分からないんだけどな。
「遊園地、遊園地!」
環の席に座った子どもがはしゃいでいる。どうやら目的地が同じらしい。
怜が言った言葉がじわりと効いたのか、それとも山田くんの冗談に乗ったのか、同行人の声は多少は抑えられるようになっていた。
そのまま揺られること、しばらくして、目的の駅に到着した。
怜は開いた自動扉から先に車両を出ると、環に手を差し出した。
環は車内から怜の手を取ると、車両とプラットホームの間にあるかすかに存在する段差と隙間を、安全に飛び越えた。
「ありがとう」
環が微笑んで言う。
「え、なに? お前らってそういう関係なの?」
すぐそばから声がして、見ると矢島くんが唖然とした顔をしている。
「そういうってどういうのですか?」
環が怜の手から自分の手を放しながら訊いた。
「付き合ってるのかどうかってこと」
「付き合ってませんよ」
「じゃあ、何で手をつないだんだよ。さっきもお前らだけ二人でいたし」
「今手をつないだのは、加藤くんがわたしが電車から降りるときにつまずかないように気を遣ってくれたんだよ。電車の中で二人でいたのはたまたまです」
環が軽やかな声を出すと、ふーん、と矢島少年は疑わしそうな目をしていたが、それ以上は何も言わず、
「おい、何やってんだよ、お前ら」
ちょっと離れたところから呼ぶ太一の声に応える格好で、その場を離れた。
「わたしたちも行こう、加藤くん」
環が促す。
その彼女の後ろについていこうとしたが、環がじっとしているので、怜は先に立った。
環が隣につく。
どうやら矢島くんのあらぬ疑いに遠慮する気は無いらしい。
怜も、特に矢島氏に遠慮するような気は無かった。彼に遠慮して、環と話せないのでは馬鹿らしい。ただし、矢島氏に遠慮する云々は別としても、あまり環に対して慣れ慣れしくすることは、慣れ慣れしくしている気もないのだが、そう見える振る舞いをすることは気をつけなくてはいけないと思った。自分の為ではない。環のためである。