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中学一年生の孟秋、幸福の定義 上

「この手紙を受け取った人は、一週間以内に五人の人に同じ手紙を出さないと、不幸になります」

 初秋の爽やかな日和。空は晴れ渡って澄み切った青、空気は軽やか。

 一日いいことありそうだ、とスニーカーを弾ませて、中学校へと向かわんとして、ふと玄関先のポストの中を探ってみたところ、自分宛てにそんな葉書が入っていたものだから、瀬良太一(タイチ)は、心底嫌になった。

 俗に言う「不幸の手紙」というヤツである。その手紙を受け取った人間は、ある不可思議な力により不幸への道を余儀なくされ、その道から逸れるためには他の人間に同様の手紙を送るしかないとされる都市伝説のアイテムだった。

 太一は、ため息をついた。

 都市伝説は、聞いている分には面白い。笑える。しかし、我が身に起こったとなると、話が違った。全く笑えない。

――誰が出したんだよ、こんなもん。

 太一は、葉書の筆跡を改めた。中々綺麗な字である。そんな綺麗な字で呪いの言葉が綴られているのだから、余計に気持ちが悪くなった。筆跡を確かめてみても誰のものか分かるハズもなく、太一はビリビリにして家のゴミ箱に投げ捨ててやるべく、きびすを返そうとしたところで、

――待てよ……。

 と思い直した。それだけではどうにも(しゃく)である。気が晴れない。なので、このまま学校に持っていってやって、クラスメートとの話のネタにでもしてやろう、と考えた。みんなと一緒に笑ってやろうじゃないか。

 我ながら名案だ、とほくそ笑んだ太一は、不幸の葉書を、まるで初めてもらったラブレターででもあるかのように大事そうに、学校指定の肩かけカバンの中に、そっと入れた。そうして歩き出した。一瞬前まで感じていた嫌な気分はすっきりと消えて、家を出たばかりのときの爽快な気持へと戻る。

 学校までは二十分ほどの道行きである。

 黄緑色の薄化粧を施したイチョウ並木を抜けると、大通り沿いの通学路へと出て、太一と同じ制服を着た少年少女の影がちょこちょこと見えた。誰か見知った顔でもいないものか、と視線を走らせていると、おはよう、と後ろから声をかけられた。

「よっ、ミュウ!」

 隣に回って来た少女に、太一は元気よくあいさつを返した。原田美優(ミユウ)。クラスメートであり、小学校からの知り合いでもある。まるでハーフのようなはっきりとした顔立ちをしている彼女に、太一は機嫌のいい顔を向けた。

「朝からテンション高めだね。なにかいいことあったの?」

 そう訊いてきた少女は、具合でも悪いのか、顔色が蒼白だった。

「ま、あったって言ったらあったんだけど、お前こそ何かあったの?」

「……うん、あった」

「何が?」

「タイチの話のあとで話す。先、聞かせて」

 ならばということで、太一は歩きながらカバンの覆いをぺろんとはずした。そうして、いいもん貰ったんだよ、と秘密めかして言うと、

「へえ? なに?」

 特に興味を持った風でもないような声で訊き返して来たので、こほんと空咳をして勿体ぶってから、例の葉書を彼女に渡した。美優は、裏面に目を走らせたとたんに、ひっ、と小さな悲鳴を上げて、その場に凍りついたように立ち止まった。

 つられて足を止めた太一が、少女の反応に気をよくして、いいだろー、と得意げな声を出すと、

「なにがいいのよ! こんなもんもらって、なんで機嫌いいわけ!」

 つばを飛ばすような勢いで叫ばれたものだから、太一は面食らった。太一も見たときは嫌な気分になったわけだけれど、それだけだったわけだし、彼女宛てに来たものでもないわけだから、そんなに過剰に反応することはないだろう。

 美優は、それ以上触っているのが苦痛だとでも言わんばかりに、ぐいっと葉書を押し出すようにしてきた。太一がそれを受け取ってカバンの中に戻すと、彼女は気持ちの悪いものでも見ているかのような目をして、

「……どうすんの?」

 確かめるような声を出した。

 何を訊かれているのか分からずに、なにが、と問い返すと、

「……出すの?」

 美優は探るような目をした。

「はあ?」

「だって、一週間以内に五人に出さないといけないんでしょ」

 太一は歩き出しながら、隣に並んだ少女を、まじまじと見つめた。

「お前、こういうの信じてんの?」

 さっきの過剰反応はそういうことなのだろうか。

 美優は、整えた眉をひそめるようにすると、信じてるってわけじゃないけど、と前置きしながらも、

「……でも、嫌じゃん、本当に不幸なことがあったらさ」

 多分に信じていることを告白した。

 意外である。

 美優のことはもっと現実的な子であると太一は思っていた。

 小学校からの付き合いである彼女にまだ知らない面があることを発見した太一は、

「人間って面白いなあ」

 と、しみじみとした声を出した。

 いきなり脈絡の無いことを言い出した少年に、少女は不審な顔を向ける。

 太一はコンクリートの固さを足裏に確かめながら、こっちのことだよ、と断ってから、

「こんなもん出すわけないじゃん」

 はっきりと言った。

「……出さないの?」

「ああ」

「そうなんだ……」

「とーぜん」

 持って来たのはクラスでの話のネタにするためだと続けてやると、美優は押し黙った。その大きめの瞳にはまぎれもない憂いの影がある。何でそんなに気にするのか。自分のところに来たものでもないのに。

――もしかして……。

 と、太一は思った。そんなに心配してくれるということは、それは好意のあらわれなのではなかろうか。思って、試しに尋ねてみると、

「は?」

 美優は分からない顔をした。それはきっと恋心をひた隠しにしたいがための、乙女の繊細微妙なカモフラージュに違いないと確信した太一は、

「お前にも可愛いところがあったんだなあ」

 いいことだ、とうなずきながら言った。

「何を言ってるの、本当に?」

「照れるな、照れるな。好きなんだろ、オレのこと」

「好きって……まあ、嫌いではないよ、嫌いな人とは口利かないしね」

「それ以上に愛しちゃってるんだろ、オレのこと。でも、オレ、カノジョいるからさ、ごめんな」

「おおい! 勝手に人のことフらないでくれる! 頭おかしいんじゃないの!」

「ツンデレだな、ミュウは」

 美優は、付き合いきれないと言うようにため息をついてから、

「……で、出さないのね?」

 念を押すように言ってきた。

「手紙? まだ言ってんの? 当たり前だって」

 いちいち書くのもめんどくせーし、とおちゃらけて続けると、

「メールとかでもいいのかな……」

 真剣な顔つきで美優が言った。

「だから、出さないから、メールでも」

「…………」

 太一が断言すると、美優は難しい顔のまま前を向き、黙り込んでしまった。

 太一は、道路につらなる通勤の車の列を眺めた。

 やれやれである。心配してくれるのはありがたいが、女子のこの手の感覚にはついていけないところがある。付き合っているカノジョもよく占いやら心霊現象やらの話を好んでするのだが、太一にしてみれば、アホらしいことこの上ない。ネタとしてならともかく。適当に話を合わせてはいるが、そういう話が真実味を帯びた口調で語られるたび、心中で閉口していた。

「大体さあ」

 と太一は、できるだけソフトな口調で切り出した。

「『不幸になりますよ』って手紙一枚で本当に不幸になる人間ってなんだよ。そんな人間、元から不幸だろ」

 これはなかなかいいこと言ったぞ、と太一は満足したが、

「うん……」

 と、美優は納得いったような顔でもない。

 太一は、ここに至って彼女の将来を心配した。他人に来た不幸の葉書にこんなに反応するような敏感さでは、将来、霊感商法にだまされて高価な壺的な何かを買わされてしまうに類する被害を受ける可能性が大である。いや、それどころか、さらにその壺を持って昔のよしみということで、自分のところに売りつけにくるかもしれない。そこまで想像した太一は、今のうちに彼女との友人以上恋人未満の関係を清算した方がよかろうか、と考えた。

「ま、それはオレの方の話だけどさ、お前の話って何なの?」

 太一は話を変えようとしたが、美優が自分のカバンの中から取り出した一通の葉書の裏に、「この手紙を受け取った人は――」という例の文言を見つけたときは、思わず噴き出した。話は変わらなかった。

「笑いごとじゃないんだよっ!」

 美優は険のある目を向けてきた。

 彼女のところにも今朝やってきたのだという。太一と同じように家から出際にポストの中に発見して、家の中に置いておくのも気持ちが悪く、かといって捨てるのも嫌で、つい持ってきてしまったということなのである。

――なるほど。

 さっきから、手紙を出すか出さないかをしつこく聞いてきたのは、不幸の呪いが友人にかかることを心配していたわけではなく、自分の行動の参考にするためだったのだ、と太一は納得した。

「ミュウは悪女だなあ」

「なんでよ! 悪いのは、こんな葉書出す人でしょう!」

「まあ、そりゃそうだけどさ。で、なに? お前、出すの?」

「……五人くらいだったら嫌いな人がいるから出そうかな、と」

 美優は正直に答えた。

 太一は呆れた。「おいおい、本気かよ」

「小学校の卒業アルバムに名簿があるしさ。タイチは平気なの?」

「平気だよ、当たり前だろ」

 中一にもなってこんなことを信じているとは、そっちの方が驚きである。

「よかった」

 美優はホッと息をついた。

 ようやく安心したかと、彼女の翻意に一息ついた太一だったが、

「じゃあ、別に出してもいいよね。もし四人しか選べなかったら、タイチに一枚出してもいい?」

 と来たものだから、

「うおい!」

 思わず批難の声を荒らげると、

「だって、信じてないんでしょ?」

 とさっぱりとした声が返された。

 信じてはいない。しかし、だからといって、不幸になりますよ、なんていう手紙を友人から出されるなんていうのは、さすがにいい気はしない。

「……期間は一週間あるんだから、ちゃんと考えたほうがいいぞ」

 太一は、出すか出さないか、ということを考えたほうがいいと言ったのだが、美優は、

「うん、分かった。本当に不幸になって欲しい人をちゃんと選ぶことにする」

 と、違った風に受け止めた。

――ダメだ、こりゃ……。

 太一は、美優を説得するのをいったん諦めた。

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