中学二年生の孟夏、割れた花瓶から生まれる友情 下
立て続けに犯人が名乗りを上げる格好になって、混乱は一層うずを巻く。
冗談をやっているのかと思えば思えないこともないが、冗談で済む話ではないだろう。
結局、その後も上がった手があって、手の数は怜を含めて全部で六人分となった。
賢は唖然とした。
全員が全員にすっきりとした趣があって、とてもとても罪人の態度とは思われない。
怜を初めとして、環にあとの四人は、どうしてこんなことをしているのか。
あうあう、と委員長がどうにも収集をつけられないままに、時間が来た。
終業のベルが教室に鳴り響く。
担任は自分の机から立つと、
「加藤、川名、五十嵐、佐伯、椎名、千田の六名は、昼休みにおれの所まで来い」
切り口上でそう言うと、教室を出て行った。
ざわめきおさまらぬ教室の中、賢は、怜の元へと歩いて行って、
「ちょっと来てくれないか」
そう声をかけて、彼を教室から連れ出した。
少し教室を離れて、渡り廊下のところまで連れて行ったところで、
「どういうことなんだよ?」
と訊くと、
「なんのことだ?」
との答え。
「加藤はやってない、そうだろ?」
賢は断定的に言った。
これには絶対の確信がある。「誰かをかばったのか?」
「かばう?」怜は、分からない顔をした。
「じゃなかったら、どうしてだよ?」
賢の問いに対する怜の答えは、
「クラスの備品が壊れたんだ。だったら、クラスで責任を取ればいい。そう思っただけだ」
という分からないものだった。
怜はそれ以上の説明をせず、トイレに行きたいからと言って、その場を去った。
取り残された賢は、考えてみたけれど分からない。クラスで責任を取るもなにも、自分が責任を取っているではないか。正確には彼の他五名とだけれど。
この分からなさを晴らしてもらうため、賢は、怜の共犯者の一人に説明を求めることにした。
「川名、ちょっといいかな」
環は他の女子に質問攻めになっていた。その中に、日向の姿も見える。
「いいよ」
環はすっと立ち上がると、同行してくれた。
日向はちょっとむっとしている目をしていたが、賢は気にしない。
「どういうことなんだ?」
同じ渡り廊下で尋ねると、
「教室の備品が壊れたんだから、その責任は教室にいる一人ひとりにあるでしょう。だから、その意味で一人ひとりが割ったと言える。そういう風に考えて加藤くんは自分が割ったって言ったんじゃないかな」
そう答える環の声音には、思いやるような色があった。
「なら、クラスみんなで責任を取ろうとかって、提案すれば良かったんじゃないか?」
「提案したじゃない」
環は微笑みながら言った。
賢はハッとした。
怜が手を挙げて自分の罪だと言ったときに、その提案は為されていたという、そういうことなのだろうか。もちろん、それは普通に考えれば提案などではない。しかし、きっかけにはなる。話し合いの終盤になっていきなり手を挙げた子に対して、
「本当にお前がやったのか?」
と訊く人間がひとりでもいれば、それをきっかけにして、クラスで責任の取り方について話し合うこともできた。しかし、そんなことをする人間は誰もいなかった。賢自身も含めて。
「わたしはそこまで考えて手を挙げたわけじゃないよ。ただ単に二人で責任を取れば、責任は半分になるってそう思っただけだから」
環は力みの無い声を出した。
その瞳に柔らかな光がある。
彼女が怜に寄せる心がどういうものか、賢には分かった気がした。
教室に帰ると、日向が仏頂面をしている。
話そうと思ったが、休み時間がもう無いしで、そのまま放っておくと、次の授業中にメモが回ってきて、
「加藤くんとタマキとなにを話してたの?」
とのこと。
「後で話す」
と書いたメモを返して、しかし、その「後」というのは昼休みのこととなった。というのも、二時限目と三時限目の休み時間には、手を挙げた残りの四人に話を聞いたからである。
以下が彼らの言い分。
「レイがやっているはずがない。それなのにやったって言うってことはそこに何かしらの事情があると考えるべきだろ。その事情が知りたかったんだよ」
「加藤くんがどうこうっていうより、環と五十嵐くんを止めたいと思って。良くないでしょう、ウソつくの。え? それでも手を挙げたら犯人になるって。それは覚悟の上だよ。お小遣いから出すから平気。何十万円もするようなものじゃなければいいけど」
「特に意味なんか無いよ。いや、カッコつけてるわけじゃなくて、本当に。しいて言うなら、レイの手が綺麗に伸びてたからかな。意味が分からない? だから、意味なんかないんだ。レイが手を挙げたから挙げただけさ」
「なんかそういうノリなのかなって、みんな手を挙げるのかなって思って手を挙げたら、ビックリだよねえ、わたしで終わりでやんの。失敗しちゃったな。ま、いいけど」
賢は、感動した。
みんながみんな自分の行動に一点の曇りももっていないということ、そうして、何より、そういう行動を引き起こすきっかけを作った加藤怜という人間に対して。
――なんてヤツだ。
手を挙げなかった人のことを怜はどう思っているだろう。手を挙げさせるための行動ではなかっただろうから、別に手を挙げなかったとしても、どう思うこともないのかもしれない。逆に、手を挙げたからといってそれがどうということもないのかもしれない。
――でも……。
怜の心の内はともかくとしても、賢の中で、その二つには明確な違いがあった。手を挙げた側と挙げなかった側。こちら側にはいたくない。賢は身を震わせた。あの時、手を挙げなかった自分は、別の行動をしなければ、向こう側にはいけないのだと思った。
賢は昼休みを待って、みんなが食べ終わる頃を見計らうと、教壇上に立った。
いつも一緒にお昼を食べている担任は、今日は職員室にいる。
「みんな、ちょっと聞いて欲しいんだけど」
そこで、賢は、花瓶の件は、クラスみんなで責任を取らないか、と提案した。
教室中が、呆けたようになった。
それもそうだろう。犯人が名乗りをあげているのに、どうしてみんなで責任を取らなければいけないのか、ということになる。普通に考えれば、意味が分からない。
「お前らさ、ホントに加藤とか川名とかが花瓶割ったと思ってるのか?」
そう言うと、一瞬だけしんとしたが、
「自分で認めてるんだからそうだろ」
という声が大きい。
「認めてるからそうって、じゃあ、クラスメートのこと信じてないのかよ」
賢が言うと、それはまるで、そんなことを信じる人間は人間失格だというように聞こえたのか、反発を呼んだ。その反発の声に対するように、
「これから色んなことがこのクラスで起きるだろ。そのたび、犯人探しとかしてさ、それで楽しくやっていけるのか? このクラスで起こったことはこのクラスみんなで解決していくべきだろ」
賢は声を大きくした。
真情を込めたつもりである。
しかし、答える声は無くて、教室には気だるい雰囲気が漂った。
がたっ、という音がして、椅子から立ち上がる少年の姿。
怜である。
彼は、机を離れると、すっと教室の出口へと向かった。
それに応じるようにして、手を挙げた組の五人も席を立つ。
賢は気持ちを切り替えた。
本当は落胆する気持ちが大きかったのだけれど、そのがっかりに付き合っていると、手に入れられないものがある。
賢は、彼らの後を追うと、
「加藤」
教室の外で、怜を呼び止めた。
一緒にいる五人が見守る中で、賢は、
「実はオレもやったんだ」
口を開いた。
賢は、怜の目がじっと自分を見るのを見ていた。
気持ちに偽りはない。
自分の目を見て欲しい、と賢は思った。
やがて、怜は微笑むようにすると、賢の告白については何も言わず、
「やったやつは職員室に呼ばれてる」
とだけ言った。
そのとき確かに彼の気持ちが通って来たような気がして、それは賢の心を心地よく温めた。なるほど、もしも恋というものがあるのなら、やはりこれこそが恋心ではないかと、賢は思ってみて、男子に対してそんな気持ちを抱くところに、幼なじみの心配を考えたが、
「バカじゃないの!」
その彼女の声がすぐ後ろから聞こえてきて、びっくりした。
「バカバカバカバカ、みんなバカばっかり。なんでやってないことをやったなんて言うのよ」
そう言って、「タマキ!」と友人に声をかけた。
環は、困ったように微笑むと、
「まあ、そういうこともあるよ、ヒナちゃん」
と答えた。
「おかしいでしょ!」
「それが人生よ」
「……気持ちは変わらないの?」
「うん」
「もお! 一つ貸しとくからね!」
そう言うと日向は、「はい、わたしもやりました!」と手を挙げて、一行の苦笑を誘った。
「なに笑ってんのよ、ケン!」
じろりと睨まれても、そもそもがたおやかな顔立ちなので、大した迫力がないところにもって、幼なじみとして見慣れた顔なのでよっぽどである。
「なんかおごってもらうからね、今日」
日向の言葉に、はいはい、と賢は答えた。
結局、総勢、八名ほどで、職員室にまで向かうことになった。
賢は、もしかしたら笹原薫もこのパーティに加わるかもしれない、と思ったが、そんなことにはならなかった。よくよく考えるまでもなく、それは当然のことである。もしか、心底では彼女がやったのかもしれないと思っているのだろうか、と考えてみた賢だったが、そういうことでもないらしい。ただ、彼女もこっち側に来ればいいのに、とそう思っただけである。
職員室の担任は、花瓶の弁償をさせるようなことはしなかった。
「不問だ」
一言そう言ってから、
「祖母の形見だったんだけどな」
ホントかウソかそんなことを続けた。
教室への帰り道である。
賢は、怜に向かって、
「加藤」
声をかけた。
振り向いた怜に、
「西村賢です」
そう言って、手を差し出した。
怜は、名を告げて、その手を取った。
賢は、その手を放さずに、
「加藤、オレと親友になってくれないかな」
いきなり言った。
友達ではない。
親友、というところに賢の想いがある。
その思いを受け取ったかのように、怜はうなずいた。
二人は互いに名前で呼び合うことを決めた。
ふと日向を見ると、彼女は露骨に嫌な顔をしている。
「なにそれ、気持ち悪い。ねえ、タマキ?」
環は、柔らかく笑いながら、
「男の子同士の友情だよ。美しいと思うけど」
言うと、
「全然美しくなんかないよ。『親友になってくれ』ってどういうことよ。親友ってそういうもんじゃないでしょ」
日向が答えた。
なんだか立腹しているのはなぜか、賢には分からない。
「あら、でも、ヒナちゃんもわたしに『友だちになって』って言って、アドレス教えてくれたよ」
「あ、あれは……でも、わたしは『友だち』だから。親友じゃないから!」
「親友にはなってくれないの?」
「え……あ、いや、そんなことないけど……ていうか、お願いします」
「はい」
クラスメートにはがっかりしたが、賢の気持ちはそれを補って余りあり、晴れ晴れとした思いだった。やっぱり恋が叶った瞬間に、今のこの気持ちを例えたかったけれど、日向の機嫌を悪くしそうなのでやめた。
その日の学校からの帰り道、
「加藤くんが親友なら、じゃあ、わたしはどういう存在? ケンにとって」
日向がちょっと視線を逸らすようにして言うのに対して、賢は、
「ヒナタはオレにとってはヒナタだよ」
答えた。
何に例えることもできない。
そう言うと、ふーん、というどうでもいいような声が聞こえたが、日向の機嫌はそれから上向いたようである。
結局、花瓶の件の犯人は分からなかった。
真犯人が名乗り出ることもなく、この件は一カ月もしたらクラスメートの口にのぼらなくなった。
もしかしたら、と賢は思うのである。
花瓶はひとりでに割れたのではなかろうか、と。
賢に親友をもたらすために。
この考えは賢を満足させた。
割れた花瓶に、賢は感謝の気持ちを捧げた。
(『中学二年生の孟夏、割れた花瓶から生まれる友情』了)