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中学二年生の孟夏、割れた花瓶から生まれる友情 中

 その当の担任がホームルームのため教室に現れるまでに、容疑者が一人、浮上した。

「笹原じゃね、やったの」

 ひそひそというには大きすぎる声が近くから上がっている。

 名指しされたのは、笹原(カオル)。クラスの女子である。

 どんな子かといえば、分からない、というのが賢の率直なところである。話したことがないし、というよりも、彼女がクラスの誰かと話しているところを見たことがない。賢自体は別にそのことを何とも思っていなかったけれど、周囲が彼女をどう評価しているかということもまた理解できていた。

「大体こういうことするのって、暗いヤツだからさあ」

 続けられたその言葉に端的に現れている。

 賢は、義憤を覚えた。根拠があるわけでもないのに、クラスメートで、しかも女の子を聞こえよがしに批難するその心根の卑しさに、怒りを感じた。

「今日朝一で来て、誰もいないうちに割ったんじゃね? 気持ちわりいよな」

 自分の席についていた賢は、声の主である男子に一言物申すため、立ち上がったところ、

「そういうことをヒソヒソ言うヤツの方がよっぽど根暗で気持ち悪いでしょ」

 先に上がった声があって、それは聞き間違えることなく、我が幼なじみのものである。

 賢は苦笑した。日向の方が、その男子よりもよっぽど男らしい。

 立ち上がった賢は、机と机の間をいくつか縫うようにして、すでにネクラ男子の席の前にいる幼なじみのもとへと向かった。

 陰口をはっきりと指摘されて、さすがにバツの悪い思いなのか、その男子は、ちょっと黙るようにしていたが、

「なんだよ、おれは思ったことを言っただけだ」

 ふてくされたような顔で言い返してきた。

「何でも思ったことを言えばいいってもんじゃないでしょ。謝りなさいよ、笹原さんに」

「はあ? 嫌だね。アホか」

 彼はそう言うと話を切り上げるように、後ろの席の方に顔を向けたが、

「アホは自分でしょ。女の子を名指しで非難するなんてサイテー。そういう男はクズだね」

 日向の容赦ない言葉に、思わず顔を前に向けると、椅子を蹴って立ち上がった。

 その顔が怒りに歪んでいる。

「わたしは思ったことを言っただけなんだけど」

 日向は挑戦的な声を出した。

 賢は、日向の胸の前に腕を入れるようにすると、彼と幼なじみの間に割り込むようにした。

「西村、お前のカノジョどうなってるんだよ?」

「どうもこうも今のはお前が悪いだろ」

 賢は平然と言った。日向の行動は、まさに自分がしようと思っていたことそのものであり、それ以上でもそれ以下でもない。ただ、間違いがあったとすれば、彼女より行動が遅れたという一点のみである。

 周りにいるクラスメート達がトラブルの発生を遠巻きにしていた。

「だから、なんでおれが悪いんだよ!」

 その男子は叫ぶように言うと、自分の席を離れ、窓際の席の一つに歩いていった。そうして、

「おい、笹原」

 声をかけ、座っていた女の子の顔を向けさせた。

「……なに?」

 笹原薫は、薄い眉を上げるようにして、彼を見た。

「おれはお前が花瓶を割ったと思ってるんだけど、何か文句あるか?」

「……別に無いけど」

「だよな!」

 彼は、魔王を倒した勇者もかくやと思われるような得意満面の笑みで、帰ってくると、

「これで謝る必要は無いってことが証明されたわけだ。どうだよ、それでもまだ文句あるのか?」

 賢と日向に向かって言った。

「あるな」

「あるわ」

 二人は同時に口を開いていた。

「はあ? 何の文句があるんだよ」

 たとえ当人が「いい」と言ったとしても、悪いことは悪い、そういう話である。そもそも、悪口を言った人間から強迫されたような「いい」にどのくらいの価値があるだろう。

 賢の気持ちは変わらず、続けて謝罪するように迫ろうと思っていたところ、担任の教師が教室に入ってきて、席に座らなければならなかった。

「おはよう、クソガキども」

 担任の第一声は、聖職者のものではなかったが、慣れているので誰も気に留めたりはしない。

「おはようございます」

 あいさつのあとに、日直が今朝起こった悲劇の委細を報告した。

「なるほど」

 担任は、割れた花瓶の残骸が包まれた新聞紙に目を落としながらつぶやいた。三十台前半の男性教師である。風貌はワイルドな部類であり、無精ひげなど伸ばして、見た目あまり花を愛するような人には見えなかった。

「怪我したやつとかはいなかったんだな?」

 自分が持ってきたものが壊れてまず出た言葉がそういう類のものであったことが、賢の好感を誘った。

「さて、と。ただ、問題は問題だな。教室のものが壊れたわけだ」

 担任は、そう言うと、一時限目に予定されている自分の授業であるところの国語を潰すことを宣言した。

「で、この件に当てる。どうするか、お前らで話し合え」

 そう言って、彼は、教卓のそばにある自分の机に腰を下ろした。

 室内はにわかにざわめき出した。

 一時限目の国語がなくなったことに対する喜びと、問題を解決するためのわくわくで。

 進行役を仰せつかったのは、クラス委員長の女子である。

「誰か意見がある人、挙手をしてから発言をお願いします」

 という声に誰も応じない時間がちょっと過ぎたあとに、一人の男子が手を挙げた。

 委員長が指すと、

「犯人を見つけようぜ」

 とのこと。

 これにクラス中が賛成した。

 賢は嫌な感じを覚えた。

 やった人間を見つける。そうして、その人間に責任を取らせる。それは一見、公平な処置に見えるかもしれないが、どうやって見つけるのかが問題である。やりかたが公平でなければ、結果も公平にはならない。今立ち上がった彼は公平なやり方を知っているのかどうか、賢は不安だった。

 そもそも、クラス内の人間ではないのかもしれない。だとしたら、このクラス内で犯人探しをしても無意味であり、しかし、人は中々その無意味さに耐えることはできず、時間と労力をかければその傾向はそれだけ強まって、例え見つけ出したのが石ころでも宝石だと主張するような愚を犯すことになりかねない。

 賢はそこまではっきりと考えたわけではなかったが、しかし、状況はまさにそのようになった。

 みんなで目撃情報を出し合ったのだが、結論は誰も目撃していない、という証拠ゼロの状態。それで時間の半分くらいを使ったあと、唐突にどこからか、

「笹原じゃないか」

 という声が聞こえて来たのだった。

 さっきの男子とは別の男子の声だった。

 ざわめき出す教室。

「は、発言は、挙手をしてからお願いします」

 クラス委員長が一応注意をしたが、ざわめきは止まらなかった。

 当の薫は、我関せずといった感で、窓外の景色を眺めている。その横顔からは何を考えているか、分からなかった。しかし、自分の気持ちはよく分かる賢は、今度は幼なじみに先を越される前に、さっと手を挙げて、席を立つと、

「根拠の無いことを言うのはやめろよ」

 強い声を出した。

「根拠無くなんかないね」

 その男子は立ちあがると、

「おれは笹原だと思うから、笹原だって言ってるんだよ。立派な根拠だろ。違うっていうなら証明してみせろよ」

 言った。

 無茶苦茶である。

「あの……主張責任と言って、あることがそうだっていう人がそのことを証明しなければいけないんですが」

 委員長がおそるおそる口を差し挟んだ。

「何だよ、ここは裁判所じゃないだろ。とにかくおれは笹原が怪しいと思うね」

 ひどい話だった。

 賢は憤慨した。もう一度手を挙げると、

「オレは、南だと思う」

 その男子の名を挙げた。

 南くんは目を丸くした。「はあ? なんでおれなんだよ?」

「理由なんか無い。オレがそう思うからそう言っただけだ」

「ばかじゃねーの」

「じゃあ、お前がばかだろう。今、お前が言ったことをオレも言ってみただけだって、気付かないのか?」

 さすがに気がついたのか、南くんは唇を噛みしめるようにした。

 彼が沈黙したあと、賢は、

「もう犯人探しなんかやめにしようぜ」

 提案した。やめにして代案があるわけではない。しかし、犯人探しがフェアではない行いだということは分かる。

 教室中からブーイングが起こった。

 委員長は、静かにしてください、と教室に声をかけてから、

「やめるかどうか、多数決を取ります」

 なだめるように言った。

 決を取ってみると、やめたくない方が過半数であった。

 なんてやつらだろう、と賢は愕然とした。この犯人探しをまるでゲームのように楽しんでいる。犯人なんか見つかりようがないのに。結局、彼らは、事件を解決することが目的なのではなく、この一時間を授業以外のことに消費するのが目的なのだ。楽しければなんでもいいのである。

「はい、加藤くん」

 委員長が指す声で、賢は自分の想いから醒めた。

 そうして、机から立ち上がる一人の男子を見た。

「オレがやった」

 立ち上がった怜が、静かに言った。

 教室中が、しん、となった。

 怜の声の響きに威厳のようなものが含まれており、まるで教室中がその威に打たれたかのように、物音一つ聞こえなかった。

 しばらくして、委員長がこほんと咳をしたあと、

「加藤くんが、花瓶を割ったというんですか?」

 自分の職務を果たした。

「ああ」

「そ、そうですか」

 怜は全く悪びれた様子でもなく、委員長をひるませた。

 賢は目を見開いた。

――加藤が?

 とてもそんな風には思えない。

 しかし、だとすると、この行為の意味が分からない。

 もしか誰かをかばおうとしているのか、と思った賢は、そうに違いないと思った瞬間に、周囲から非難の声が上がるのを聞いた。

「なんで花瓶割ったりしたんだよ」

「てか、もっと早く言えよ」

「クラスの備品を壊すなんてサイテー」

「暗っ、きもっ」

 などなど。

 ざわざわが大きくなる教室内でひとり立った怜の立ち姿は端然としている。

 その姿を見て、彼が花瓶を割ったなんてことを信じているクラスメートたちの目はよほどの節穴かと賢には思われた。それに、本人がそう言っているというそのことだけで、もう犯人だと決めつけるなんて、どうかしてる。

 委員長は時計を確認したようだった。

 事件が一応の解決を得たことでもって、担任にこの件を預けようと、彼女が、この間まったく発言をしていない教師に目を向けようとしたところ、教室内で綺麗な手がすっと伸びた。

「何ですか、川名さん?」

 委員長が首を傾げるようにする。

 立ちあがった環は、

「わたしもやりました」

 言ったものだから、え、と委員長が虚をつかれたような顔をして、その顔はクラスメート全員のそれと同じである。

「……どういうことですか?」

「どうもこうもありません。わたしもやったんです」

 環は、清爽な声を出した。これも罪を認めるにはいかにも不似合いなものである。

 再び、教室が沸き始めた。

 犯人が一人ではなく、もう一人いたこと。そのもう一人が、クラス一はもちろん、学校一の麗人であったということは大したセンセーショナルをもたらした。

「そ、そうですか」

 としか言いようがない委員長は、

「じゃあ、加藤くんと川名さんの二人で花瓶を割ったんですね」

 彼らの言ったことを復唱することしかできない。

 賢は、怜がちらりと環の方を見るのを見た。環はまっすぐ前だけ見ている。

 どういうことだろうか。

 さっぱり訳が分からない賢だったが、その間隙をつくようにして、さらに訳の分からないことが起こった。

「はい、オレもやりました」

 三つ目の手が挙がったのである。

 すると、さらに四つ目。

「わたしもやりました」

 教室はパニックに陥った。

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