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中学二年生の季秋、遊園地のドタバタ その1

「遊びに行こうぜ、レイ」

 瀬良太一にそう声をかけられたのは、秋も深まりを極めようとしてきた十一月中旬の候だった。

 怜は部室で本を読んでいたところである。放課後。

 部室、と言っても視聴覚教室を使わせてもらっているだけのもので、というのも、怜の所属する「文化研究部」は、怜を含めて部員数三人の超マイナー部であり、

「そんな部にまともな部室を与える必要などない!」

 と校長だか学年主任だかが言ったかどうかは定かではないが、おそらくはそういうことなのではなかろうか、と怜は推測していた。

 秋のかすむような薄い光が、室内を満たしている。

 他二人の部員――正確には部長と部員は、まだ来ていなかった。部長の方は毎日来ているようであるので何か別の用があって遅れているのだろう。もう一人の部員の方は、サボリ上等の子なので、自主的にお休みを取っている公算も高かった。どちらも女の子である。男子は怜一人。現在、怜は二年生であって、部長は同学年、平部員は一年生だった。一人いた三年生の先輩は既に高校受験に備えるために引退済みである。

 怜は視線を上げて、目前にある顔立ちを見た。

 瀬良太一とは去年からの付き合いである。

 彼のことを一言で表現すれば、女好き、という言葉が最も合うだろう。なかなかに整った顔立ちで、女子にはモテているようである。それを利用して、付き合う女の子をとっかえひっかえしているようであった。

「な、行こうぜ、レイ」

 怜は、誘いを丁重に断った。

「なんでだよ!?」

 太一が、机越しに顔を寄せてくる。

「なんでってこともないけど」

 なんとなく嫌なのである。そうして、この「なんとなく」に怜はそれなりの自信があった。人間にはもともと危険を察知する能力が備わっているそうで、大自然の中から都市生活へと移行したときに鈍くなったその感覚が、太一相手だとにわかに働き出すのだった。そう言うと、

「オレは猛獣かよ! あ……でも、確かにそうかもなあ、オレ、レイを襲いたくてうずうずしてるからさあ」

 太一が恐ろしく気色の悪いことを言った。

 怜はもう一度はっきりと断りを入れた。そうして、今は部活動中であるのでさっさとこの部室から出て行くようにと、続けた。

「部活って……本読むのが部活か?」

「サボっているヤツに言われたくないもんだ」

「今日は休みなんだよ」

「自主的な、だろ?」

「分かってるな。さすが、オレのレイ」

「お前のじゃない」

「じゃあ、誰の?」

「誰のものでもないな」

「なるほど。まあ、話はそのことなんだよ、レイ」

「はあ?」

「誰かが誰かのものになる。その件で、お前に頼みたいことがあるんだよ」

 どうやら単なる遊びの誘いですら無いらしい。怜は、これはどうしても断らなければいけない、と思った。脳内の危険察知レーダーが、うるさいほどピコンピコンと危険の存在を告げていた。しかし、怜が断りを入れる前に、

「この通りだ」

 太一は綺麗に頭を下げた。

 先手を打たれた怜はため息をついた。

 頭を下げればどうにかなると思っている彼の見識の低さと、しかし、下げられた頭に話くらいは聞いてやろうと思ってしまった自分のお人よしぶりに、うんざりしたのである。

 怜は、話すように促した。

 太一の顔がパッと輝く。

「実はさ、ちょっとお前に協力してもらいたいことがあるんだよ、レイ」

「協力?」

「ああ」

「なんのことだよ」

「ここに一人の男の子がいるとする」

 太一は大上段に構えた。

「その子は恋をしているんだ。なぜかって言えば男は恋をする生き物だからな。そうして、その好きな女の子に告白したいとする。お前ならどうする? レイ」

「そういう状態になったことないから分からないな」

「仮定の話だよ」

「……すればいいんじゃないか?」

「そう簡単にはいかないんだよ。なにせ相手とはそんなに親しく話をしているわけでもないし、いきなり『好きです』もないだろう」

 怜はめんどくさくなってきた。もしもこれが太一でなかったとしたら、礼儀正しくその気持ちを押し隠したことだろうが、太一であったので、気持ちをストレートに表した。

「帰る」

「帰るなって!」

 立ち上がった怜の袖を太一は取った。

 子どもが母親のそれを取るような強い勢いである。

 怜は、立ったまま太一と正対した。「続けろよ」

「愛してるぜ、レイ」

「オレは愛してない」

「照れちゃって。そんでさ、その男子は困って、最も信頼のおける友人に相談したわけだよ」

 太一は怜の袖から手を放すと襟を正すようにした。

「つまり、このオレに」

「じゃあ、信頼に応えてやれよ」

「だからここに来たのさ」

「結論を言ってくれないか」

「おう」

 太一はコホンと一つ咳をすると言った。

 受けた相談に対してなした太一の答えは、その男子のために片肌を脱いで、集団デートをセッティングしてあげようというものだった。セッティングしてあげて、その女の子へアピールするチャンスを作り、あわよくば告白の機会まで作ってやろうじゃないかというものである。

「それで?」

 怜はその件と自分との関係を訊いた。その流れで何を頼もうとしているのか、全く理解できない。

「この件については、誰にも知らせてないんだ」と太一。

「個人情報だもんな。なんでオレに知らせたんだよ」

「助けて欲しい」

「はあ?」

「オレひとりじゃ色々と行き届かないところがあるかもしれないからさあ。だからオレのサポートをしてもらいたいわけだよ」

「断る」

 怜は太一の要求を言下に退けた。

 面倒だということを除いたとしても、そういう細やかなことができる性質ではない。

「できると思ってるから頼んでるんだよ」

 太一がしつこい。怜の袖をもう一度ギュッと握るようにすると、受けてくれるまでは放さないぞ、と脅迫した。

 外で烏が鳴いたようである。

「……具体的には何をすればいいんだよ」

「それはまあ臨機応変にやってくれればいいよ、レイの感性で」

「はあ?」

 まるで意味が分からない。

 臨機応変に何をやると言うのか。

「とにかく頼むよ。一緒に来てくれ」

 そう言ってから、太一は再び頭を下げた。袖を握ったまま。

「分かったよ」

 怜は了承した。そうして、了承したことに対して、何かもっともらしい理由を付けたいと思ったが、どうやらそういうものはなさそうであったので、諦めることにした。そもそもが、昨年の入学して間もない頃に瀬良太一の手を握ってしまったのが運の尽きである。

「持つべきものは友達だなあ」

 太一は感動したような声を出した。

「次の土曜日に駅前広場に九時集合な、レイ」

「分かった」

 怜は、話は終わったということで太一の手から袖を切ると、部室を出ることにした。

「一緒に帰ろうぜい、レイ」

 という申し出を、怜は丁重に断った。

 がっかりと肩を落とした太一と別れて、廊下を歩くと、夕日の光が斜めである。

 生徒用玄関まで来たときに、

「加藤くん」

 後ろから声がかけられた。

 振り返った怜は、目を細めた。

 女の子が一人、歩いてくる。

 薄暗い玄関の雰囲気を明るく染め返すような光輝をまとった少女だった。 

 川名(タマキ)

 クラスメートであり、また小学校のときから付き合いのある子だった。

 学年で一番モテる男子はおそらく太一だろうが、その女子バージョンが環だった。とはいえ、太一と違って、男子をとっかえひっかえしたりはしていない。しかし、彼女を慕う男子は数多いことだろう。怜は恋愛には疎かったが、そのくらいのことは理解できた。

「今帰り?」

 環は涼やかな声で言って下靴に履き替えると、既に履き替えていた怜の隣に来た。

 怜が、ああ、と答えて歩き出すと、環はまるでそれが自然なことででもあるかのように、その隣を歩き始めた。

 怜は手を差し出した。

 その手に環のほっそりとした手が重ねられる。

 怜は、ふう、と息をついた。

「荷物だよ。毎回同じことやらないと気が済まないのか?」

「あら」

 環は微笑すると、怜の手を放してから、肩掛けカバンの他にもう一方の手に持っていた手提げを出した。

 怜は、それを手に持って道を歩いた。

 二人は下校時に会えば一緒に帰る仲である。付き合っているわけではない。

 行く道は秋の光に優しく照らされている。

「瀬良くんに何か頼まれたでしょう?」

 環がいきなり言った。

 怜は無言で彼女を見た。

「そんな顔をしているよ」

 怜は、どうやらこの件に環も噛んでいるということに気がついた。とすれば、太一は、「これを話すのはお前だけだ」なんていうことを言っておきながら、環にも話していたということになる。どうやら浮気性は女性関係に限られないようだ。

「わたしも行くんだ」

「……ん?」

「そのグループデートに。瀬良くんにお呼ばれしたの」

 怜はピンときたものがあって、

「その告白される女子っていうのは、川名か」

 言ってみた。それなら環が知っているのも納得である。もしもそういう風にあらかじめ、告白される女子に話を通しておいたというのであれば、その根回しの良さに太一のことを見直すべきかと思った怜だったが、

「違います」

 きっぱりとした環の声に、そんなことをする必要は無いということが分かった。

「わたしにもサポートして欲しいって頼んで来たのよ」

「川名にも?」

「うん」

「川名がいるならオレに頼む必要なんてよっぽど無いと思うけどな」

「わたしでもレイくんに頼むと思う」

「過大評価だな」

「過大評価される人はステキだと思います」

「川名にステキだと思われるなら、過大評価のされ甲斐があるかもな」

 怜が言うと、環は少しの間口を閉ざしていた。

 見ると、少女の頬に夕日が差している。

 怜は言った。

「でも、サポートって具体的に何をすればいいんだ?」

「レイくんも聞いてないの?」

 ああ、と怜はうなずいた。

「瀬良くんは、わたしにも『ただ、いてくれればいいんだ』とかそんなことを言っていただけなんだよ。自分で考えろってことでしょうか?」

「どんな依頼だよ」

「だよね」

「それにしても、直接告白しないのが、今の流行りなのか?」

「なんにでも儀式は必要です」

「なるほど」

 それから、別れ道に来るまで二人は無言だった。

 二人で帰るといっても、その間ずっと会話をしているというわけでもなく、沈黙の帳が降りることもしばしばある。不思議なことに、その沈黙から重苦しさを感じることはなかった。環といると不思議に心地よいものを感じる怜は、その心地の良さが彼女といるときにしか感じないということに気がついていた。いつから気づいていたのか、その記憶は遥か彼方にある。

「イチョウが綺麗だね」

 街路樹を見ながら環が言った。

 そうしてちょっと立ち止まって、金色に燃えるようになっている公孫樹をじっと見つめた。

 怜も立ち止まると、木よりも、木を見つめる少女の方を見た。

 黄金の木に勝るとも劣らない美しさが環にはあって、それがどこから生まれるのかと考えれば、おそらくは、環が自分の美を意識しながらもそれに価値を置いていないところから、なのではないだろうかと怜はふと思った。環には、他のクラスメートなどと違って、自分自身が備えるものの上に留まろうとするような自意識の重さがない。

 ひらりと、蝶のように舞い降りて来たイチョウの葉を、環は手の中に収めようとして、しかし、それはするりとすり抜けて地面へと落ちた。

 環は悔しそうな顔をすると、それを微笑に変えて怜を見て、手を差し出した。

「じゃあ、また明日ね。レイくん」

 その手に怜は手提げを返すと、環と別れた。

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