第七話 神様と心算
「ねえ」
「……何でしょうか」
「そんな逃げるように帰ろうとしないでよ。傷つくなあ」
そうケラケラと笑いながら言う諏訪子様。説得力がございません。
「……あの」
「ん?」
「私、帰っても」
「あ、神奈子ー。今日、白泊まってくって」
「ちょおお!?」
言ってない! そんな事一言も言ってないですよ!?
そしてなんで『了解』って返してくるんですか神奈子様!
「ま、こんな時間に帰らせるのも体裁悪いし。ね?」
「思い出して下さい。私は妖怪なので深夜だろうと活動時間です」
実際は人間と同じように生活していたりするので、現在はとても眠かったりする。けれど悟られるわけにはいかない。神社にお泊りとか、私の胃に穴が空くことは必至だ。
……いや、そもそも諏訪子様が冗談を言っている可能性もある。あんまり深刻に考えなくてもいいか――
「いや、聞きたいこともあるし、逃さないよ?」
「……」
いつもの柔和な笑顔と違って、何か含ませた笑顔はとても怖かった。
* * *
そもそもの発端は博麗神社を共に飛び立ったあと、なぜか私が守矢神社についてきてしまったことだった。今考えてみれば去ろうとする度に諏訪子様が話しかけてきていたので、そういう意図があったという事なのだろう。
結局そのまま境内まで来てしまい、どうしようかと内心焦っていたところ、完全に酔い潰れた早苗さんを神奈子様が部屋に連れて行ってしまわれた。そこでこの二人きりの状況になったのである。
「さて、そうと決まれば準備しないとね」
「あの、お手を煩わせるわけにいきませんので、やっぱり今日は」
「うん? 大丈夫だよ、いざとなったら私と一緒の布団で寝ればいいんだし」
「すみません。私地べたに直寝派なので」
ど、同衾とかそんなことはいけないと思うんだ。
……というか畏れ多いにも程がある。忘れてはいけない、相手は神様だ。
「駄目だよ。春とはいえ、風邪引くよ?」
風邪くらいで済むなら安いものです。だからご勘弁を。
そんな必死の訴えが通じたのか、諏訪子様は息を吐きながら一つ頷いた。
「……そこまで嫌がられると、なんだかなぁ」
「え、ち、ちがっ……嫌なわけではなくて」
普通に考えて問題あるじゃないですか。神様だし、畏れ多いし、バレたら文さんにすっぱ抜かれるし。いい事ないですよ?
「私は構わないんだけど。むしろそういう風評で信仰増えない?」
「えー……どうでしょう」
あれ、諏訪子様って信仰集めにこんなに熱心だったっけ? いつも早苗さんと神奈子様が表舞台に立ってた気がするけど。
「だって山でモテモテなんだろう?」
「それ本気にしないでください……」
「はは、今日で何となくあんたの人となりも分かったし。噂の真偽くらいついてるよ」
「一応念のため確認しておきます。それ嘘ですから」
「はいはい。じゃあ寝ようね」
「あ、はい……ず、狡いですよ!? そんな急に普通に言われたら返事しちゃうじゃないですか!」
すごく楽しそうに笑っていらっしゃる。私をからかうのはそんなに楽しいですか。
「うん、楽しい」
今までで一番の笑みを浮かべる諏訪子様を見ていたら、なぜだか目から塩水が出てきた。しょっぱいなあ、アハハハ……。
「諏訪子、そこで騒いでないで早く部屋に――こらっ」
「あだっ」
しゃがんでのの字を書きつつ人生を憂いていたら、早苗さんを運び終えたらしい神奈子様が戻ってきたようだ。いつまでも外で喋っているので部屋に入れと催促しに来たらしいが、私の様子を見たのか、言葉を止めて諏訪子様を叩かれていた。思い切り。あれは痛い。
「な、何すんのさぁ……」
「こっちの台詞だ。泣いてるじゃないか」
「私も今痛みで泣きたいんだけど」
今の衝撃で吹っ飛んだ帽子を拾いながら諏訪子様が言う。なんか一瞬帽子と目が合ったような気がするけど、きっと気のせいだろう。
そんな諏訪子様を華麗に無視して、神奈子様が近づいてくる。その顔は妙に心配げだった。
「すまないね、白。諏訪子が何かしてしまったようで」
「いえ、とんでもありません。ではお邪魔しました」
「ああ、またね――とは言わないよ」
「なにー? そんなに私たちと居たくないの?」
自然に別れの挨拶を済まして帰ろうと背を向けたら、二柱にしっかりと肩を掴まれた。痛くはないが、なんだか振り向くのがとても怖い。
「な、なん……なんでこんな執拗に……」
「留めおくのかって?」
諏訪子様の言葉に、振り返らないまま頷く。声の調子も怒っているようなそれではなく、むしろかなり楽しげである。
「だって危ないでしょう? こんな時間だし、貴女弱そうだし」
神奈子様がそう口を挟む。
うん、心配してくださっていることは分かるんだ。強さに関しても、そりゃあ当然神様から見たら私なんて路傍の草木と変わらないだろう。
……で、でも言い方とか、ここに住んでる期間は私のほうが長いんだから、その辺を考慮してくれても……いいんじゃないかな……。
「あの烏天狗から聞いたわよ? 早苗とそう変わらない年だって言うし、悪いようにはしないわ」
「文さんめっ……!」
確かに私は人間とそう変わらない年齢である。もしかしたら早苗さんより年下かもしれない。
軍神というから怖いかもと思っていたが、どっこい、とてもお優しい神様なのだ。身内には特に。それは今までの関係で知っている。だから、これも素直に私を案じたからなのだろう。もしかしたら早苗さんとダブらせているのかもしれない。何にせよ、断りにくい事この上ない。
なんでそんなどうでもいい情報を漏らすんだ、と文さんに心の中で毒づいていると、今度は諏訪子様が声を上げた。
「実は私、お前が妖獣だってこと知ってたんだよね」
「え!?」
「諏訪子、それ私も初耳よ?」
「言ってないもん。白が言い出すまでは私も黙ってようかなって」
本当に? なんで? 普通は分からない筈だ。どうやって……まさか天狗や河童の誰かが?
「別に誰に聞いたわけでもないけど、まあ、何となくね。……あ、疑ってるでしょ?」
「……ちょっとだけ」
「明確な答えを聞かれても困るけど、強いていうなら勘」
「勘……」
本当にそうだとするなら、今までの私の苦労(嘘)は一体何だったのだろう。これではあまりに道化じゃないか。
「さめざめと泣かない。折角会話できる姿になったんだ、今夜くらいもう少し付き合ってくれてもいいだろう?」
「う……」
「山の妖怪たちと互助関係にあるとはいえ、あくまで表向きだし。こちらとしても天狗の寵児たる貴方と関係を築けるのは喜ばしいことなのよね」
「うう……」
たしかに天狗と守矢神社は現在微妙な関係にある。相互協力といえば聞こえはいいが、実際はそれぞれどんな心算があるのか想像できない。したくない。
まあ寵児というのは些か言いすぎだろうが、私が天狗と仲がいいのは事実なので、焼け石に水以上の効果はあるかもしれない。……というか文さん私の情報バラしすぎ。いずれ大天狗様に言いつけますよ。
「だから、ね? 私たちのためだと思って」
神奈子様が優しく頭を撫でながら言う。
「だいじょぶだいじょぶ、祟ったりしないから。それは来なかったらだから」
諏訪子様が少し脅すような笑顔で言う。
「……一晩、宜しくお願いしましゅっ……」
役所が信仰集めのときと逆な気がするけど、わりとはまり役な気がしてならない。
格上で、しかも山の安寧秩序を引き合いに出されたらもう断ることなど出来るはずもない。私は半泣きで、覚悟を決めた。