第二話 守矢神社
守矢神社に辿り着いたものの、予定よりもかなり時間がかかってしまったようだ。
今回の目的は食糧のお裾分け。故に境内にでも置いて帰ってしまえばいいのだが、少し疲れてしまったので休憩したい。
「……あれ? また来てたの?」
適当な場所に猪肉(食べやすいように加工済み)を置き、少し離れた所に座り込む。
欠伸までかますくらいに休んでいたら、前方からここ最近で見知った神様が声をかけてきた。洩矢諏訪子様だ。
特徴的な帽子を被った少女の姿であるが、守矢神社の立派な一柱である。この神社ではおそらく一番関わっていることが多い。初めて此処に来た時に会ったのも彼女だったように記憶している。
勝手知ったるという体でゴロゴロしている私を咎めもせず、肉の塊を一瞥してから歩み寄って来る。その表情は不思議の感で満ちていた。
「お前も変な奴だよね。肉食のはずなのにそれを私たちにくれるなんて。しかもご丁寧にいい部位を持って来るし……」
猪を零から捌ける人なんて、幻想郷でもその筋の人たちだけだ。
外の世界から来たのなら尚更難しいだろうと思っての行動だったけど、余計なお世話だったのだろうか。
「ああいや、有り難いんだよ? 流石に丸々一頭持って来られても困るし。ただ、どうしてそこまでしてくれるのかなって思ってるだけ」
お裾分けと、……信心から?
前者の理由のほうが割合的に強いな、などと考えていたら、これまた見知った影が二つ現れた。
「諏訪子様、何をなさっているのですか?」
「またあの狼が着てるから、その相手をね。今回は肉持ってきてる」
「また来てるの? どうしてなんだろうねぇ、諏訪子」
「あーうー。私がそんなの分かるわけないじゃん。神奈子はどう思う?」
「検討もつかないわ」
その正体は、この神社の風祝である東風谷早苗さんと、もう一柱である八坂神奈子様だ。お二方とも私たちに歩み寄ってきている。
……全く関係ないのですが、諏訪子様。背中に乗ったり尻尾を弄るのはやめて下さい。擽ったいです。
「誰か動物の心が分かるとかいう奴がいないのかしら」
「幻想郷ならいそうなもんだけどね」
二柱の言葉を聞きながら、そう言えば心を読める妖怪がいたという話を聞いたことがあったな、と思い出す。
今は地底に移ってしまったらしいが、地底の入り口が山にあるので行けないこともない。
「今日の宴会に連れてってみる? 神奈子が背負って」
「あんた私をなんだと思ってるのよ」
あ、何だか雲行きが怪しい。
渋ってはいるものの、神様なのでその気になれば私を連れていくことくらい簡単にできるだろう。
だがしかし、私は騒がしいのは苦手なのだ。気の置けない仲の人とならともかく、知らない人とは御免被りたい。
「(……よし、逃げよう)」
タイミングを測り、脱兎のごとく走りだす。我ながらいいスタートをきれた。
背後でお三方が「あっ」とか言っているようだが気にしない。「私まだ撫でてないのに……」なんて聞こえないんだ。
* * *
日もだいぶ傾き、仄かに暗くなりつつある空を見上げながら目的もなく山道を歩く。
守矢神社がこの山に来てから約半年が経った。季節も巡り、春となった今は散歩をするにもいい時期だ。
そうやって春の息吹を感じながら数十分歩いた頃、ふと前方に見覚えのある人影を見つけた。思わずその姿に声をかける。
「こんばんは。忙しい時期はもう過ぎたんですね」
「あら、こんばんは。忙しいも何も、私が忙しくない時期なんてありはしないのだけれどね」
「まあそうですけど。でも一ヶ月くらい前が一番忙しかったのでは?」
「そうね。あの時に比べれば今は、ってとこかしら」
「何にせよ、お疲れ様です――雛さん」
近寄ると不安げな表情になってしまったが、いつものことなので気にしない。
彼女は厄神様――人の災厄を集めて神々に渡している。その役目柄、人間はおろか妖怪にさえいい顔をされない。というのも、彼女の周囲に渦巻く厄は無秩序に不幸を撒き散らすからだ。
しかし、そんな彼女は明確に人間の味方であり、そして私をも大切に扱ってくれる心優しい神様だ。今だって近寄ったことで私が不幸になるのではと心配してくれている。
「いつも言ってるでしょう? 不用意に近づかないほうがいいわ」
「大丈夫ですよ」
「どこからその根拠の無い自信が出てくるんだか……」
「雛さんが私を心配してくれる限り、私は平気なんです」
呆れた表情を向けてくるが、それを全て無視して目の前に立つ。その表情の中に微かな喜色が混じっているのは間違いないだろう。
たしかに長時間一緒にいると私には不幸が及ぶ。しかしそうならないように、その中で最大限の時間を雛さんは与えてくれる。要するに、可能な限り共にいる時間を作ってくれるのだ。
「……貴女くらいよ。私と一緒にいたがる奇特な奴は」
「私だけの特権ですもん」
「そう捉える? お目出度い子ね、本当」
苦笑しながらも愛おしむように頭を撫でられ、私の三本の尻尾が意思とは関係なく左右に揺れる。
もっと近づこうと一歩踏み出すと、それと同じくらいの歩幅で後ろへと遠ざかられた。有り体に言うと、避けられた。
寂しくないわけでは勿論ないけど、私よりも悲しそうに、そして申し訳なさそうにしている雛さんを見ると我侭を言う気にはなれない。
「……ごめんね」
「……いえ、大丈夫です」
「神々に厄を渡せば少しは良くなるから。その時にまた、ね」
“神々”というのが誰を指しているのかを、私は知らない。知る必要もない。
私にとって重要なのは、雛さんが無理をしていないかどうかだけだ。
「それじゃ――いえ、ちょっと待って」
「?」
背を向けて雛さんから離れようとすると、出し抜けに呼び止められた。そのまま手を出すように指示される。
それに従うと、何かを握らされた。――これは、髪留め?
「それ、守矢神社の風祝さんのものなの」
「どうして雛さんが持ってるんですか?」
「さっきすれ違ったときに落としていったみたい。急いでたようで、拾っている間にいなくなってたわ」
「ああ、今日は宴会がどうとからしいですからね。二柱に置いて行かれでもしたんでしょうか」
「宴会?」
「ええ、何でも博麗神社であるとか」
「……ふぅん」
顎に手を置き、思案顔になった雛さんは一度二度納得したかのように頷くと、再び私に視線を合わせた。
「ねえ白、それを風祝さんに返しといてくれない?」
「え? ええまあ、構いませんけど……」
動物の姿で咥えていけば、きっと匂いで分かったんだと解釈してくれるだろう。
そう思って了承したが、雛さんの要求は私の予想通りとはいかなかった。
「悪いわね。じゃあ、今すぐにお願いね」
「……え゛?」
頬が引き攣り、平素では出ないような声まで出てしまった。そんな私とは対照的に雛さんは笑みを浮かべている。この方は腹にも厄があるのだろうか。
「や、別に今すぐじゃなくても……」
「駄目よ。大事なものかもしれないでしょう?」
「いやでも……」
正直面倒くさい。
「大切なものだったら、すぐにでも届けてあげないと」
「……明日、守矢神社に届けに行きます」
「駄目よ。今すぐに博霊神社に行って届けて来なさい。そのままの姿で」
「せ、せめて姿だけは……!」
実は私、生まれてこのかた山に住んでいる人妖以外と言葉を交わしたことがない。文さんはそれを揶揄して“引きこもり”なんて呼んでいるが、はたてさんは同調してくれたりする。
麓まで降りると人間に会うこともあるが、そういう所に行くときは狼の姿なので向こうは妖獣だということを知らないだろう。たぶん。
「駄目だって言ってるでしょう? 諦めてささっと行ってきちゃいなさい」
「なんでこの姿で行かなくちゃいけないんですか……」
「そろそろ山の外にも意識を向けてみてもいいんじゃない?」
「でもー……」
雛さんの言いたいことは分かる。山のみで、しかもその中ですら特定の相手としか交友関係を持たない私を心配してくれているのだろう。
しかし、私は人見知りかと問われたら否と答えられる。別に他人と話すのが嫌いなわけでも苦手なわけでもない。単に面倒なだけだ。だから守矢神社にも喋らなくて済む姿で行っている。
そんな渋る私を見て雛さんは苦笑しながら、しかし毅然とした口調を崩さないで続けた。
「少しだけでいいから、山以外の人妖とも話してみなさい。きっといい経験になるわ」
「むぅ……」
「特に貴女の場合はね。人間と関わって損は無い筈よ」
「むむぅ……」
半人半妖――私は父が人間で母が妖獣である。幻想郷でも珍しいであろう種族だ。しかも私の場合、父親が外来人なので更に特異な存在となっている。
そんな私だが、確かに人間とは接点がない。この姿に限定すると皆無である。
「見聞を広め、視野を開く。それも大切なことよ」
「……分かりました。でも、せめて姿だけは本当に……!」
最終的に狼の姿で行くことと、バレなければその姿のままでいることを許してもらうことができた。文さんが暴走しないことを祈りつつ、蛙の髪留めを恨めしげに見ながら博霊神社へと向かった。
白が帰ったあとの神様たちの会話
「ほら、神奈子が怖いから逃げちゃったじゃん」
「なんで私のせいなのよ。……それにしてもあの狼、私たちの会話が分かってるかのように行動してない?」
「まあ、そりゃそうだろうけどね」
「? 諏訪子、何か知って――」
「幻想郷では外の常識に囚われてはいけないのです! そうですよね、神奈子様、諏訪子様!」
「早苗は極端だよね」
「先祖に似たんじゃないかしら」
「おいそれどういう意味だよ」
「……? 何の話をされているんですか?」
「いやいや別に。まあ、あの狼に関して今日の宴会で訊いてみましょうか」
「そうだねー」




