戦艦大和 In 1990
*航空戦艦は飽きたので、別の話(短編)を書きました。
*参考文献は、「平成COMPLEX」です。
*時系列は、湾岸戦争開戦直前になります。
*満州事変⇒2・26事件で軍国主義コンボ。さらに日独伊三国同盟フラグまで立てたのに、WW2に参戦しなかった大日本帝国のお話です。
戦艦大和 in 1990
旭日旗をペルシャ湾の熱い風が撫でていた。
日本の軍艦としては、最長不倒の艦暦を誇る戦艦大和も、心なしか暑さに萎れて見える。
少なくとも、摂氏50度という日本人にとってあまり馴染みの薄い気温は、就役から半世紀を経た老朽艦に、有形無形の悪影響を及ぼしていることは間違いなかった。
ただし、それが戦艦大和の戦闘中枢に至ることは殆ど考えられない。
ペルシャ湾派遣決定後に増設された大型冷却装置がフル稼働して、高度戦域統合管制用コンピュータが置かれた艦の中枢を摂氏20度以下に保っているからである。
結果として、灼熱のペルシャ湾にあって、CICに詰めている管制要員は、リューマチに悩まされることになっていた。
「羨ましいぁ・・・」
草色の防暑衣のネクタイを緩めながら、屋良清太海軍予備中尉は言った。
屋良は暴力的な光熱波を放つ太陽を見上げる。そして、絶望的な顔をした。屋良の生まれは、場合によっては夏でも毛布が欲しくなる南樺太の豊原だった。
火災発生時の被害極限を優先した結果、絶望的に通風が悪い艦内から、甲板まで逃げてきた屋良は今にも死にそうな顔をして言った。
「あぁ、早く日本に帰りたい」
おそらく戦艦大和の全乗員がそう考えていたが、大和のペルシャ湾ツアーは、まだ始まったばかりだった。
フィナーレーどころか、真打さえまだだった。
しかし、前座はもう済ませてある。
この場合の前座とは、1990年8月2日のイラク軍によるクウェート侵攻だ。
8年に渡るイラン・イラク戦争によって、経済破綻に瀕したイラクがアラビア半島小国クウェートに武力侵攻。これを僅か6時間の戦闘で全面占領した。
戦闘時間がやや短すぎるが、これはクウェートの国土面積と彼我戦力差を考えれば、至極常識的な結果だった。さらにクウェートが、交渉で危機回避を楽観視して、戦争準備を怠っていたことも災いした。
戦争準備が整っていないという点では、イラクも同様だったが、奇襲効果において準備不足というのは不利益ばかりとは言えなかった。
なぜなら、イラクの準備不足を偵察衛星によって察知したアメリカ合衆国は、それを根拠にイラク軍の集結を虚仮脅しに過ぎないと誤解してしまったからである。
事実、クウェートに侵攻した共和国防衛隊の戦車は、車載した分を使い切れば、砲弾の補給は全く受けられなかった。
砲弾の備蓄が全くなかったからである。
軍事的常識から判断すれば、砲弾の備蓄のない侵攻作戦など、悪夢以外の何者でもない。
ゆえに、もしもクウェートにもう少しまともな戦争準備と軍備があれば、撃退さえ不可能ではなかった。しかし、そのどちらも1990年8月2日のクウェートは持ち合わせていなかった。中東の小国に、雪中の奇跡は起きなかった。
これが4ヶ月ほど前の話だ。
イラクはクウェート併合を宣言。サッダーム・フセイン・アブドゥル=マジード・アッ=ティクリーティー・イラク共和国大統領の賭けは全く成功したかのように思われた。
「ところがどっこい、そうはいかないんだよな」
「一体、誰と喋っているんですか?」
屋良が振り返るとタイトスカートの際立ったラインが目に入った。
帝国海軍はXX染色体の持ち主には、未だ門戸を閉ざしているから、自動的に彼女は部外者ということが分かる。
腕には報道関係者に配られた黄色の腕章があった。
同じ色で少し意匠の違うものが屋良の右腕にもある。大本営陸海軍部報道局所属を示す腕章だ。屋良は、大本営が大和に送り込んだ軍事報道官の一人だった。
任務は、大和に乗り込んだ各国報道機関への対応と情報提供。
「満州日日新聞社の大石です。少し、お話してよろしいですか?」
「どうぞ、どうぞ。退屈で死にそうだったところです」
「いいご身分ですね」
「ほんの冗談ですってば」
屋良の態度に大石は気を悪くしたらしかった。
分かりやすい奴だ。屋良はそう思った。
ジャーナリストというのは、分かりにくいものでなければならないと信じている屋良にとって、それは意外なことだった。屋良は常日頃から、報道関係者という人種は、精神分裂病を患っていなければ勤まらない職業ではないかと考えていた。
言っていることと、やっていることがあまりにも乖離しているからだ。
彼女はただ単に経験が足りないだけかもしれない。屋良はそう思うことにした。
事実、大石の顔立ちはまだ幼さを残していた。童顔なだけかもしれないが。
「それで聞きたいことというのは?記者会見の発表で何か分からないことでも?」
「何故、日本の戦艦がこんなところにいるんでしょうね?海軍の一人として、それをどう思われますか?」
屋良はしばし考えこむ。どんな回答をしたものか、分かりかねたためだ。
ただ単に、政府から命令があったので来ました。では、おそらく通用しないだろう。もっと根本的な問題だ。
「理由は幾つか考えられる」
「例えば?」
「経済的な事由かな、まずは」
1990年12月末現在において、大日本帝国が消費する石油の6割が中近東から輸入されている。
残りは東南アジアや満州国からの輸入だ。ただし、満州国の大慶油田は近年、採掘量が減少傾向にあり、大日本帝国が必要とする量を賄うのは不可能になっている。
東南アジアからの輸入は、原油の質が低いため、精製に係る高コストが問題だ。
結果、大日本帝国は高品質の中東産原油への依存を深めてきた。
ただし、主な取引先はイラン・イスラム共和国だ。
クウェートに侵攻したイラクではない。
そういう意味では、この戦争は日本にとってあまり係りのない戦争だった。
むしろ、イスラム革命後に孤立を深めたイランにとって、イラクが勝手に悪役を買って出てくれたことは喜ばしいことだ。その分、自分のところに向かう風あたりが弱くなるからである。
そして、そこから原油を買うことで、欧米列強の経済制裁を無効化している大日本帝国にとっても、この戦争は結構な話だった。
「イ・イ戦争の頃にように、イラクが日本向けのタンカーを攻撃しないとは限らない。西側諸国にとって、石油はアキレス腱だ。フランスなんか、石油くれるなら、サダム・フセインに核燃料だって売っちゃうくらいだし」
「バビロン作戦ですね」
「へぇ、詳しいね」
「一応、です」
屋良はこの歳若いジャーナリストの評価を少し改めた。
同時に、少し気になることが生じた。
「君、暑くない?」
黒のタイトスカートは、彼女の適度に張りのある足によく似合うので問題としない。しかし、無闇にぴちぴちのブラウスや上着はどう見ても絶望的だ。
見ているだけで熱射病になりそうになる。
「暑いですか?」
一体何が疑問なのか分からない。そんな顔をして大石は言った。
「暑さ。暑いよ。君は暑いところの生まれか?九州、鹿児島?」
「いいえ。アラカベサンって知ってますか?」
「それはどこにあるんだ?地の果てか?」
「失礼な。パラオですよ」
パラオなら知っている。
大日本帝国が国連から預かっている信託統治領だ。もっとも、現在では日本の一地方という性格が強い。日本語は完全に通用するし、通貨も円だ。日本の諸制度が完全に適用され、移動にもパスポートは必要ない。
「父方の実家が満州の大連にあるから、就職はそっちなんですけどね」
「両親は国際結婚?」
「いえ。両方とも日本人ですけど?」
つまり、これが21世紀まであと10年という時節に大日本帝国が保持している勢力圏と言えた。
「話を戻すけどね。日本にとって、中東産の原油輸入は生命線なんだ。イラクは、今のところ沈黙しているけど、いざとなったときペルシャ湾のタンカーに何をするか分からない。今でもせっせと機雷を撒いているしね」
「多国籍軍が機雷の掃海に力を入れているのは、その為ですか?」
「どうかな?米軍なら、ノルマンディーの再現を狙っているという噂もあるから、上陸作戦をやるかもしれないね」
大石は慌ててノートバッドを取り出して、メモをとりだした。
「ただ、俺は、それはないと思っているけど」
「だったら最初からそう言ってください!」
大石は喚いた。
そういうところは、見た目相応に若く見える。
「ただ、米海軍が掃海に力を入れているのは、本当だよ。一体何を考えているんだろうね?」
「何か情報はないんですか?」
「特に何も。うちは多国籍軍にも入ってないし。それどころか、こんなところに、こんなものまで持ち込んで、アメリカ人の神経逆撫でしているくらいだから」
屋良はこんなもの、つまり巨大な大和の前檣楼を見上げた。
度重なる改装でアンテナと空中線のお化になった大和の前檣楼の奇怪なデザインは、実に屋良の好みだった。特に適当に並べたようにしか見えない対空ミサイル誘導用イルミネーター群は一見の価値がある。
もちろん、それらは電波の相互干渉を防ぐための高度な科学的計算によるものだが、その結果が、全く出鱈目にしか見えないところが屋良には堪らなく美しく思えた。
それはまるで水墨の幽谷のような、戦争という全くの人為的行為のために建造されたそれが、人為を超越している美の所産なのだ。
大和が戦艦たる所以である46サンチ砲など、その芸術性に比べれば、児戯に等しい。
「アメリカって、昔から日本人が嫌いですよね」
「そんなことないさ。共産主義者の次ぐらいだから、そんなに嫌いってわけじゃない」
「それって、最初から数えて2番目に嫌いってことじゃありませんか?」
そのとおりだよ、と屋良は笑った。
日本が共産主義国でなくて、心の底からよかったと思う。
「太平洋がもう少し広ければ、仲良くできたかもしれない。或いは、どちらかが滅びるような徹底した戦争でもやってケリをつけるか、どっちかしかないよ。たぶん」
実際、過去に大日本帝国とアメリカ合衆国はその寸前まで及んだ実績がある。
1940年代の話だ。
ナチス・ドイツのポーランド侵攻に始まる第二次世界大戦において、大日本帝国は枢軸国の1つとして認知されていた。
特に日独伊三国同盟の締結は、満州国問題で悪化した日米関係を極度に緊張させた。
合衆国の経済制裁と米太平洋艦隊の増強は、日本の世論を沸騰させたが、満州国の開発成功により、ある程度の自給自足体制を日本が備えていたことで、戦争の危機は土壇場で回避されている。
それでも、日本経済の落ち込みは激しく、資源確保のために東南アジアへの武力侵攻を叫ぶ声が広がった。それが唐突に覆るのが、1942年の半ばのことだ。
アメリカ合衆国の参戦が避けられないと判断したヒトラーは、Uボートによる大規模先制奇襲攻撃を実施し、自らアメリカ合衆国に宣戦を布告した。
ちなみに、三国同盟は防衛条約であり、この場合、日本に参戦義務は生じない。
以後、合衆国は、日本への関心を殆どなくし、ヒトラーとの戦争にのめり込んでいくことになる。
経済制裁はそれからまもなく解除された。それはつまり、日本は、ドイツと戦争をするための必要条件ではなくなったと合衆国が認識していたことを意味する。合衆国にとって、日本はヒトラーと戦争をするための出汁に過ぎなかった。
そして、第二次世界大戦は米第1海兵師団の伝説的なベルリン突入とヒトラーの自殺によって、連合国の勝利に終る。
「まぁ、反共国家でも、ナチの親友と仲良くしましょうってことにはならないさ。日本はNATOの準加盟国だけど、日米間には何の同盟関係もないしね。未だ、日ソ中立条約は自動更新され続けているし、西側諸国の盲腸っていうのは、本当のことなんだ。冷戦がなかったら、日米戦争がおきていたかもしれないね」
「敵の敵は味方ってことですか?」
「どうだろう?この場合は、敵同士の内ゲバ争いが近いんじゃないかな?元々、ソ連もアメリカも連合国だったわけだし、日本は枢軸国だ。両方とも敵なんだよ。ナチスが負けて、今度は連合国同士が内紛を始めて、敵同士が勝手に潰しあいをしている。結局、ゴルバチョフが白旗を揚げて、ソ連の負けが決まったわけだけど、勝ったアメリカだって、無傷じゃない。未だに、アメリカはベトナムの亡霊にとりつかれている」
散々な結果に終った合衆国によるインドシナへの介入戦争は、未だに合衆国の政治経済に対するトラウマになっている。
もちろん、西側の盲腸と思われていた大日本帝国は、最初からこの戦争には参戦していないし、合衆国も日本に参戦要求したこともなかった。
合衆国がベトナム戦争に本格介入した時期に大統領をしていたJFKは、プレスからアジア最大の共産主義国を問われ、「日本」と答えるほどだったから、大日本帝国がベトナム戦争に参戦する理由など、どこにもなかった。
「本当に、アメリカはどうするつもりなんですか?」
「どう、とは?」
「だから、戦争になるんでしょうか?」
「たぶん・・・そうなるだろうね。少なくとも、アメリカは本気だと思うよ」
公式発表されている部隊の動きを見るだけで、合衆国は完全に本気であることが分かる。
彼らは地球の反対側まで来て、石油と聖地がある以外には何もない砂漠のど真ん中で、本気で本物の戦争をやろうとしていた。
「イラクがクウェートから撤退する可能性は?フセイン大統領が戦争を回避するかもしれませんよ?」
「そのうち犬が空を飛ぶようになる可能性はあるが、サダムが戦争回避を選択する可能性は全くない」
「何故ですか?」
「それが独裁国家というものだからだよ。独裁者ってのは、人気商売だ。勝ち続けて、人気を維持しつづけなければ、権力を維持できない。ヒトラーがそうだった。スターリンは勝ったから、天寿を全うできた。イ・イ戦争の失敗で、いい加減落ち目なところに、アメリカ相手に戦わずして屈服したら、クーデターが起きるよ。歴史がそれを証明している。ハル・ノートに屈服した東条英機は暗殺されているだろう?」
「東条元帥の判断は間違っていなかったと思いますよ」
「それは、今だから言えることだよ」
今では、救国の英雄とされる東条英機元帥(死後、昇進)も、当時は売国奴だった。
「サダムが、救国の英雄になるつもりなら、戦争は回避されるだろう。でも、きっと彼はヒトラーになりたがるんじゃないかな?戦争に負けたとしても、穴倉に隠れてでも生き残ろうとするだろうよ」
「イラクが勝つ可能性は?」
「それこそ、まさかだな」
イラクは中東最大の軍事大国だ。
中東最大であって、世界最大ではない。そして、イラクの相手は、当の世界最大の軍事大国、アメリカ合衆国だった。
イスラム革命とその後の混乱で弱体化したイランさえ打倒できないイラクが、ソビエト相手に絶滅戦争を想定して軍備をそろえてきた合衆国と戦って勝てる道理はない。
まだ1941年の大日本帝国の方が、幾らか勝機があるように思える。
「ま、すぐに分かるさ」
その時、遠雷のような爆音を響いた。
空は晴れている。よって、落雷は考えられない。
ジェットエンジンの爆音だ。かなり近くを飛んでいるように聞こえた。敵か、味方か、それは分からない。
屋良は機影を探した。しかし、どこにも見つからない。
ただ、漠然と不安な色の空が広がるばかりだった。