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第四章 最初の亀裂(春夏、慶長4)

二人のトップ陰謀家による戦い

I. 高台寺の読経と沈黙の審判

京都府東山の高台寺の朝の鐘が薄い霧を切り裂き、軒下のカラスを驚かせた。低い、長く続く読経は静寂な寺に響き渡り、すべてを浄化しようとする虚しい厳粛さを帯びていた。


寧々(北のまんどかろ)は本堂の奥深くで跪き、竹の子のように背筋を伸ばしていた。彼女の前には、眉をひそめた仏像が鎮座し、その慈悲深い眼差しは、この世のあらゆる幻影を見抜くかのようだった。彼女はこうして一時間も座り続け、手に持った数珠は、凍りついた表情のように微動だにしなかった。



侍女の静香は音もなく近づき、三歩後ろにひれ伏すと、両手で未開封の秘密の手紙を差し出した。「奥様、伏見城の茶茶様から…昔ながらの方法で送られてきました。」


寧々のまつげがかすかに震えた。彼女は振り返らず、細くも確かな手を上げた。阿静は這って進み、手紙を彼女の手のひらにそっと乗せると、すぐに後ずさりした。


手紙は、茶菜がいつも使っている越前鳥子紙で、ほのかに梅の香りがした。しかし、広げてみると、筆跡は乱雑で、乱雑で、力強く、ところどころに涙か汗か分からない水染みが滲んでいた。挨拶も署名もなく、ただ断片的で、切羽詰まった文章が並んでいるだけだった。


彼は秀頼じゃない!違う!目!私の目を見つめている!まるで物を見るように!秀吉が女を見るように!彼は寝言を言うの!「光秀は死ぬべきだ!」なんて言うのよ!そんなことを言うのは秀吉しかいないわ!甘いものも食べるの!金平糖だけ!秀吉そっくり!私のことを「チャチャ」って呼ぶの!秀頼は絶対にそんなこと言わないわ!昨夜、私の手を掴んだの!すごく強く!骨が折れそうだった!笑って、「チャチャの手はまだ冷たい!」って言ったの!あれは秀吉の言葉よ!賈ヶ岳の戦いの前夜に彼が言った言葉!私しか知らない!おばさん!彼は一体何なの?!秀頼に何をしたの?中身は何なの?!一体何なの?!


一文字一文字が血で書かれ、一文一文が狂気に満ちていた。しかし、その狂気の奥底には、チャナイの最後の必死の助けと確認の叫びがあった。


ネネの指は、手紙を強く握りしめ、少し白くなっていた。彼女は目を閉じ、深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。仏壇から立ち昇る香煙が渦巻いていたが、行間から滲み出る冷たく血なまぐさい狂気を払いのけることはできなかった。


彼女は驚かなかった。去年の秋、伏見城で「太閤の病状が不思議なほど回復した」「秀頼の若様が急に早熟ぶりを見せた」という噂が流れた時から、手に持った数珠が不可解にもパキッと音を立てた時から、そして後に茶奈から届いた曖昧ながらも恐ろしい手紙から、彼女は予感していた。しかし、この「予感」が現実となったことで、安堵どころか、より深く、身も凍るような冷たさが彼女を襲った。


秀吉。彼女の夫。尾張の田舎から苦労して成り上がり、かつて燃えるような目で彼女を見つめ、「安寧、俺が成功するまで待っていてくれ」と言った男。そして、ついに天下を取った男でありながら、次第に狂気じみて、疑心暗鬼で、傲慢になっていった男――豊臣秀吉。


彼は「去った」のではなかった。


最も不道徳で不当な方法で、彼は「留まった」。彼らの息子の体の中に留まったのだ。


「ひよし…」彼女は静かに唇を動かし、世間から忘れ去られた幼い頃の名を口にした。そこには悲しみも、憧れもなく、ただ真空のような冷たさだけがあった。そしてその冷たさの中に、抑えきれない本能的な吐き気と嘔吐が湧き上がってきた。


彼女はゆっくりと手紙を仏像の前にある灯明に近づけた。炎は紙の端を舐めるように燃え上がり、梅の花の香りと共に、激しい非難と絶望を灰に変え、冷たい石板の上に舞い散らせた。


それから彼女はペンを手に取り、雪のように白い新しい紙を広げた。墨は挽きたてで、松の煤特有の苦みを帯びていた。ためらうことなくペンが落ちた。整然とした細い字には、すべての繋がりを断ち切るという固い決意が込められていた。


甥のチャチャへ


仏陀は言われた。「すべての形は幻である。形を無形と見なすことこそ、如来を見ることである。」


「あなたが見たり感じたりすることは、内なる悪魔の産物、執着と迷妄の顕現かもしれない。心を静め、法華経を熱心に読誦して、業の障害を清めなさい。」


「私は老いて弱っている。残りの人生を、古の仏陀と揺らめく灯火と共に過ごすことだけが私の願いだ。世の事は、世の人々が担うべきものである。」


「もう手紙を書かないでくれ。お元気で。」


「点点」への宛名も、特定の人物や出来事への言及もなかった。静かで、遠く、冷たい。これは明確な一線を引く宣言であり、茶茶だけが理解できる暗黙の了解と決別だった――私は知っているが、それを認めるつもりも、加担するつもりもない。今日から豊臣秀吉は私にとって死んだも同然だ。秀頼の体に宿るものが何であろうと、私にはもう関係ない。


「あ、静香」と彼女は呼んだ。


「はい」


「この手紙をいつものルートで伏見城に送り、茶茶様に届けなさい。あくまでも軽い挨拶でいいわよ」寧々の声は抑揚がなかった。「それから、寺の門を封鎖しなさい。私の許可なくしては誰も出入りさせてはならない。寺の僧侶と女官の身元と経歴を改めて確認しなさい。伏見や駿府、あるいは諸大名と繋がりのある者は、状況に応じて解雇するか、外郭へ異動させなさい」


「はい」あしずかはきっぱりと答え、両手で手紙を受け取ったが、寧々のまっすぐながらもどこか弱々しい背中を心配そうに見上げずにはいられなかった。「奥様、あなたは…」


「行きなさい」寧々は振り返りもせずに彼女の言葉を遮った。


あしずかはそれ以上何も言えず、頭を下げて後ずさりした。


本堂は読経の音以外は静寂に包まれた。寧々は再び顔を上げ、仏像を見つめた。あの哀れみの眼差しは、今となっては無言の嘲笑のように思えた。


彼女は、ただ縁を切って身を守るだけでは不十分だと分かっていた。あの物(彼女はもう秀吉とは呼ばなかった)は秀頼の体を乗っ取り、豊臣家の命綱を事実上断ち切ってしまったのだ。茶斎は半ば狂気じみており、石田三成とその一味はそれを感じ取っていたかもしれないが、彼らの忠誠は「豊臣」の象徴に向けられたものなのか、それとも秀吉の「魂」に向けられたものなのか?もしあの怪物、秀頼が豊臣氏の権力を操り続けたら、世界は一体どこへ向かうのだろうか?


さらに重要なのは……駿府。徳川家康。あの狡猾で忍耐強い男。彼もまた……?


寧々の指先は、冷たい数珠を無意識のうちになぞっていた。恐ろしい考えが彼女の心に浮かんだ。もし二重日食が偶然ではなかったとしたら……もしあの怪物とあの老狸が、この世界でこのような形で「再会」したとしたら……


彼女はゆっくりと立ち上がった。長い間座っていたせいで、少しふらついていた。しかし、その瞬間、彼女の目は、抜刀した短剣のように鋭かった。


既に起こってしまった罪を止めることはできない。だが、せめて最後の証人、真実を記録する者、そして……いつかこの歪んだ均衡が崩壊する時、真実の種を守り抜く者になれるかもしれない。



彼女は瞑想室に戻り、最も奥まった戸棚の奥底から白檀の箱を取り出した。中には宝石ではなく、丈夫な唐紙の束と、彼女が最も大切にしている筆記用具が入っていた。


彼女はあぐらをかいて座り、筆を手に取ると、巻物の表題ページに力強い三文字を書き記した。


「双魔記」


そして、書き始めた。慶長三年八月十八日の夜、心臓が激しく鼓動し、数珠がパキッと音を立てたあの夜から。客観的に、冷静に、感情を交えずに、まるで歴史家の記録のように。噂を記録し、疑念を記録し、茶茶の妄言を記録し、そして彼女自身の観察と推論を記録した。


これは告白でも告発でもない。これは時を待つ記録、すなわち「異常」と「崩壊」の記録だった。


ペン先が紙の上をかすかに擦れる音は、蚕が桑の葉をかじるような、あるいは時の流れそのもののように、静かに響いた。


II. 沢山城の夜と江戸の秘密の部屋


京都の喧騒から遠く離れた場所で、二人の男がそれぞれの孤独の中で、徐々に明らかになっていく、身の毛もよだつような真実に直面していた。


沢山城、石田三成の困惑


石田三成は、読みかけの書類を置き、ズキズキと痛むこめかみを揉んだ。蝋燭の光が、彼の痩せた真剣な顔を壁に揺らめかせていた。


彼の目の前には、伏見城から「秀頼若様」の名で発せられた、最近の命令書の写しが数枚開かれていた。その内容は近江地方の軍需物資の配分と防衛体制の微調整に関するもので、正確かつ的確で、まさに核心を突いており、彼がまだ報告していないいくつかの潜在的な脅威まで予見していた。筆跡は子供っぽいが、筆遣いの力強さ、習慣的な筆跡、そしていくつかの珍しい略語まで……三成の眉間の皺はさらに深くなった。彼は立ち上がり、壁際の桐箱に鍵をかけ、錦の袋に丁寧に保管されていた古い文書を取り出した。それは、晩年の秀吉による朝鮮戦争後の大名領の再編に関する勅令だった。彼は二つの文書をテーブルの上に並べ、ろうそくの光に近づけ、注意深く比較した。


見れば見るほど、彼の心は冷え込んでいった。


単に「似ている」というだけではなかった。それは、同じ精神だった。筆を少し急いで上向きに動かす癖、重要な箇所で無意識に長めに間を置く仕草、「御判」の署名の最後の線をわずかに長く伸ばす独特の癖……。さらに、新しい指示書では、兵站物資に関する注釈の横に、ほとんど目立たない小さな墨の点が記されていた。秀吉が一人で考え事をしている時に、無意識に筆先で机を軽く叩く癖だ。秀吉の傍らで、彼は幾度となくこの癖を目撃してきた。


五歳の子供が、どうしてこんな無意識の細部を完璧に真似できるのだろうか?


まさか……真似ではないのかもしれない。


どうしても信じたくない、しかし無視することもできない考えが、まるで地面から生える毒の蔓のように、彼の心を絡め取った。彼は去年の冬、伏見城へ赴き、「秀頼若君」に謁見し、国事報告をするよう命じられた時のことを思い出した。瞻の後ろに座った子供は、幼い声ながらも鋭く鋭い質問を投げかけ、関ヶ原の戦い後の西日本大名の微妙な心理状態と潜在的な弱点を的確に指摘した。彼が慎重に宥和策を提案すると、瞻の向こうに一瞬の沈黙が流れ、その後、背筋が凍るような、かすかな、しかしぞっとするような笑い声が聞こえた。


「左近(三成の幼名)、相変わらず物事を複雑にするのが好きだな。賽ヶ岳で、あの悪党柴田勝家を相手にした時、俺が使った方法はこんなに複雑じゃなかったぞ。」


「俺」。5歳の子供が口にしたこの自称は、それだけでも奇妙だった。「賽ヶ岳」「柴田勝家」……これらは秀吉の初期の重要な戦いであり、彼の覇権の礎を築いた戦いだった。内宮にいる幼い子供が理解できるはずもない戦いの詳細は、ましてや当事者の口調で、傲慢さと血生臭さを帯びた口調で語られるなど、到底あり得ないことだった。


三成は恐怖に震え、ほとんど平静を保てなかった。秀頼の若君は、生まれながらの知恵を持つ天才だったのだろうか?それとも……子供の口調で、何か言い表せない秘密があったのだろうか?


今、同じ筆跡と思われる二つの文字が、時を超えて記されているのを見て、抑え込んでいた恐ろしい疑念が、かつてないほど鮮明に、そして避けようもなく、再び湧き上がってきた。


彼は拳を固く握りしめ、爪が手のひらに食い込み、鋭い痛みが走る。かろうじて平静を保とうと必死だった。


もし…もしそれが本当なら…彼は本当に亡き太鼓に、若き豊臣秀頼に忠誠を誓っていたのだろうか?それとも…若き秀頼の体を乗っ取った、この世に存在してはならない何かに忠誠を誓っていたのだろうか?


太鼓への忠誠は疑いようのないものだった。それは彼の庇護に対する恩義であり、生涯にわたる信念だった。しかし、もしこの「忠誠」が、近親者さえも食い尽くし、あらゆる人間倫理に反する残虐な手段で自らを増殖させる怪物に向けられていたとしたら、その忠誠とは一体何だったのだろうか?


三成はゆっくりと机に腰を下ろした。蝋燭の光に照らされた彼の顔は、紙のように青ざめていた。証拠が必要だ。もっと多くの証拠が。そして、最悪の疑いが確信に変わった場合、石田三成である自分はどうなるのか、考えなければならなかった。


江戸城、本田忠信の洞察と本田正純の震え


三成の混乱と苦悩とは異なり、江戸城西の丸の奥深くにある極秘の地下室で、本田忠信はより深く、より無力な恐怖に襲われた。


そこにはろうそくはなく、壁に埋め込まれた数個の光る玉だけが、冷たく不気味な光を放っていた。部屋には古文書や薬草の香りが漂い、保存のために使われた樟脳の微かな匂いも感じられた。この場所には、徳川家の最も秘匿された記録、歴代当主の日記や健康記録、そして部外者には決して知られてはならない私的なメモなどが保管されていた。


薄暗い光の中で、忠信の白髪はまるで薄い霜に覆われているかのようだった。彼の手には、浜松城の古文書庫から最近発見された記録が握られていた。それは、極めて信頼できる家系忍者たちが多大な危険を冒して書き写したもので、家康の晩年の3ヶ月間の食事、薬、さらには寝言まで詳細に記録されていた(家康の側近と春日坪によって密かに記録されたもの)。


もう一方の手には、将軍「家光」(まだ正式には成人していなかったが、既にこの名を名乗っていた)の晩年の6ヶ月間の記録が同様に記されていた。これもまた、春日坪の傍らに潜伏させていた傀儡によって、同じように記録され、伝えられたものだった。


彼はそれらを一字一句照らし合わせた。味覚の微妙な変化(晩年、痛風のために特定の生魚を嫌うようになった家康、そして同様に生魚を嫌うようになった家光)から、特定の薬に対する反応の詳細(古い矢傷やリウマチを治療するための秘伝の処方)、深夜の睡眠中に無意識のうちに口にする断片的な独り言まで……共通点がますます増えていく。もはや「祖父と孫の血縁関係や似た習慣」では説明できないほどだ。それはむしろ、魂の習慣的な惰性、深く根付いた記憶と生理的反応であり、老いと若さの間の溝を超えて頑固に現れている。


特に、知恵と経験に長けた老家臣、忠信の背筋を凍らせる記録が一つあった。


(慶長三年七月の夜、家康の記録)彼は何度も呟いた。「……三河……泥だらけ……不快……竹千代(家康の幼名)……思い出す……」


(慶長四年二月の夜、家光の記録)彼は何度も呟いた。「……泥だらけ……寒い……父上(松平広忠のことだろうか?)……見えない……」


家光の夢は、家康の幼少期の悪夢だった。父松平広忠の凄惨な死、家康自身の流浪、そして三河の泥沼での苦闘の悪夢。家康はこの過去について語ることは滅多になく、ましてや四歳の孫に詳しく話すことなどなかった。


まさか……夢を見た者たちは皆、同じ「意識」の持ち主だったのだろうか。


忠信は書類を置き、長い間目を閉じた。石田三成のように筆跡鑑定の証拠を探す必要も、茶奈のように狂気に満ちた視線を感じる必要もなかった。冷徹な記録、論理的な連鎖、それだけで、最も不条理で恐ろしい真実を解き明かすには十分だった。


大上卿は「去った」のではない。彼は理解不能な方法で、竹千代の若君の体に入り込んだのだ。


そして、突如「早熟」となった伏見城の若君、秀頼も……おそらく同じような状況だったのだろう。


同じ空に二つの太陽。いや、二人の悪魔がこの世に降り立ったのだ。


この結論は衝撃ではなく、深い、ほとんど絶望的な倦怠感をもたらした。自分が仕え、忠誠を誓い、その支配の礎を築いた主君が、結局このような道を選んだのだ。そして、この道の先に何が待ち受けているのか?徳川家の永遠の支配か?それとも、血縁を貪り食い、人間関係を歪める、より歪んだ、より危険な怪物王朝か?


「父上」。秘密の部屋の入り口から低い声が響いた。息子の本多正純だった。普段は鋭敏で聡明な表情を浮かべる息子の顔には、今は抑えきれない恐怖が浮かんでいた。彼は薄い秘密の報告書を手に持っていた。


「話せ」。


「京都に派遣された者たちが……知らせを持ってきた」。正純の声は、どこか乾いていた。 「伏見城から『追い出された』老女に賄賂を渡したところ、彼女はこう言った……茶茶殿(淀殿)のこの半年ほどの様子がますますおかしくなっていると。秀頼の部屋の前でよく泣いたり笑ったり、時には突然『お前は私の息子ではない』と叫ぶこともあるそうです……。それに、昨年の秋から北万所殿下は高台寺を完全に閉ざし、ほとんど参拝者もおらず、茶茶殿からの手紙にもほとんど返事をくださらないそうです。」忠信はゆっくりと目を開け、驚きも見せなかった。「他に何か?」


「西方府次官(三成)の石田地部が、最近、太閤殿の初期の直筆命令書を頻繁に閲覧しています。その行動は目立たないものでしたが、我々の部下は気づいていました。」正純は言葉を止め、声をさらに低くした。 「さらに…西丸(秀忠の住居)を監視している我々の者から、秀忠(秀忠のこと)が最近、比叡山の延暦寺の周辺にいる、陰陽道や物語についてある程度の知識を持っているとされる数人の裸僧と密かに接触しているとの報告があった。」

長崎から潜入してきた怪しいキリタン(カトリック)の医師もいる。秀忠も捜査している。しかも彼の捜査はより直接的で、より危険だ。


忠信の指は無意識のうちに冷たいテーブルをトントンと叩いていた。トントン、トントン、トントン。その音は、崩れゆくこの世界に鳴り響く弔いの鐘のようだった。


「父上、どうしたらいいんですか?」ついに正純が最も重要な質問を口にした。幼い瞳には混乱と恐怖が宿っていた。「将軍様…いや、大将軍様…一体…」


「彼は我々の主君であり、そうでない。」忠信の声はかすれていたが、まるで自分とは無関係な事実を述べるかのように、静かだった。 「今から覚えておけ。我々の忠誠は『徳川』の名に、そしてこの東の地の秩序と平和にこそある。その地位に誰が就こうとも……彼がこの秩序を維持できる限り、徳川を破滅の淵に引きずり込まない限り、我々は忠誠を尽くし、そして……この秘密を守らなければならない。」彼は息子を見つめ、その視線は深く、底知れぬものだった。「正純、今日から西丸の監視を引き継ぐのだ。より慎重に、より秘密裏に。宗主(秀忠)のあらゆる動き、特にあの『異形の存在』との接触のあらゆる詳細を知る必要がある。だが、彼に気づかれてはならない。ましてや……西丸のあの『王子』には絶対に気づかれてはならない。」


「では……我々は……何も行動を起こさないのですか?ただ見守るだけ……」正純は思わず尋ねた。


「行動?」忠信は苦笑いを浮かべた。それは、果てしない疲労と絶望に満ちた笑みだった。「誰を相手に?何を暴露する?どうやって暴露する?正純、我々が直面しているのは、ありふれた陰謀や反乱ではない。人間の理解を超えた、存在の根幹を揺るがす何か……『異変』だ。この『異変』を理解し、対処する方法を見つける前に、軽率な行動をとれば、我々、そして徳川家は滅びるだけだ。」彼は立ち上がり、壁際まで歩み寄り、光り輝く真珠の薄明かりに映るぼやけた自分の姿を見つめた。


「我々にできることは、ただ待つこと、見守ることだけだ。」まるで、暗闇に潜み、決して現れることのない致命的な弱点を待ち続ける、最も忍耐強い狩人のように。あるいは、罪と秘密で築かれたこの『玉座』が、内側から崩壊するのを待つように。秘密の部屋には、死のような静寂が戻った。光り輝く真珠の冷たい光だけが、父と子の険しい表情を照らしていた。彼らは、火薬もないまま戦争に巻き込まれたことを悟っていた。それは、いかなる戦場よりも危険で絶望的な戦争だった。そして、敵は、彼らが忠誠を誓ったまさにその人物かもしれないのだ。


III. 国境の火と二鬼の暗黙の了解 慶長四年初夏、近江と美濃の国境を接する山岳地帯で、静かな湖に投げ込まれた石のように、突如として小規模な争いが起こり、その波紋は水面をはるかに超えて広がった。


争いの原因は単純だった。美濃出身と思われる一団が……徳川の勢力圏内にある能から来た、荒くれ侍(おそらく現状に不満を抱いた浪人)が、豊臣の勢力圏の中心である近江にある石田三成の鉱山前哨基地を襲撃し、物資を略奪し、数人を殺害した後、山中に逃げ込んだ。



この事件は戦国時代全体から見れば些細な、取るに足らない出来事だった。しかし、時代と場所を考えると、極めて重大な事態となった。関ヶ原の戦い後の東西勢力争いの境界線が曖昧になる中で、この事件は、清廉潔白で時に厳しさも厭わないことで知られる豊臣家の摂政、石田三成の神経を逆撫でした。


この知らせが届くとほぼ同時に、沢山城にも別の緊急の秘密報告が江戸城に届いた。


沢山城において、石田三成は直ちに家臣を召集し、近隣の兵を動員して、国境を越えて敵を追撃殲滅する準備を整えた。また、美濃の防衛を担う徳川大名に対し、厳しい尋問を行った。彼の迅速かつ断固とした行動は、自身の利益を守るためだけでなく、おそらくそれ以上に重要なこととして、東方の諸侯、特に隠遁生活を送る徳川秀忠と、ますます謎めいた「若様」家光らの反応を探るためでもあった。


江戸城では、本多忠信は美濃大名からほぼ同時に緊急報告を受けた。同時に、兵力の30%の配置に関する情報も入手した。彼は事態の深刻さを即座に悟った。これは単なる国境紛争ではなく、些細なミスが東西間の新たな対立の火種となりかねない。両勢力が覇権を争い、情勢が予測不可能で不確実な状況下では、偶発的な衝突が予期せぬ結果を招く恐れがあった。


彼はためらうことなく、直ちに西丸へ向かい秀忠に謁見した。


秀忠は本丸で彼を迎えた。その表情は穏やかで、感情をほとんど表に出さなかった。忠信の報告を聞いた後、彼は少し考え込み、「春日坪根と…竹千代(家光)は知っているのか?」と尋ねた。


「おそらくまだ知らないでしょう。しかし、これほど重大な事柄を長く秘密にしておくことはできません」と忠信は静かに答えた。


秀忠は頷き、肘掛けを指で軽く叩きながら、一定のリズムで言った。「政信、どう思う?」


「この件は重大な場合もあれば、軽微な場合もあります。石田渋は短気な性格ですし、直轄の財産が被害を受けたのですから、強い反応を示すのは当然でしょう。」「美濃での防衛に不備があったかもしれませんが、あの『暴徒』たちは出自が不明瞭で、本当に我々の命令で行動しているとは限らないのです」と忠信は分析した。 「最優先課題は事態の悪化を防ぐことです。美濃軍司令官に直ちに部隊を制圧させ、西軍との衝突を未然に防ぐよう命じるべきです。同時に、有能な人物を佐和山城に派遣し、事態を悪化させる意図がないことを示し、真犯人の捜査に協力し、損害を賠償することを約束して交渉にあたらせるべきです。」


「態度は謙虚であるべきですが、譲れない一線は明確に示さなければなりません」と秀忠は付け加えた。普段の穏やかな物腰とはやや異なり、鋭い眼差しを向けた。「賠償については協議の余地がありますが、命令に従ったとは決して認めてはなりませんし、西軍が勝手に国境を越えることを許してはなりません。交渉に派遣する人物は…冷静沈着で、江戸の誠意を代弁できる人物でなければなりません。」


「はい。井伊直隆様はこの任務に適任だと存じます。必要な地位を備え、冷静沈着で、石田地部に対して過去の恨みもございません」と忠信は提案した。


「了解」秀忠は頷いた。「すぐに手配を済ませろ」「念のため申し上げておきますが、交渉においては現状維持を最優先に考えてください。それから…」忠信は言葉を止め、声を潜めて言った。「この件は今のところ西丸に詳細を報告する必要はありません。もし尋ねられたら、適切に処理されているとだけ伝えてください」


「承知いたしました」忠信は理解した。これは、少なくともこの件が収まるまで、「家光」の若様を一時的に意思決定から遠ざけるための措置だった。忠信は一礼して退席し、すぐに手配に取り掛かった。


秀忠は本堂に一人残され、中庭の青々と茂る夏の木々をじっと見つめていた。その瞳は深く沈んでいた。彼は、この摩擦が偶発的なものかもしれないが、東西間の緊張を意図的に探っている者、あるいは……この脆い均衡が「異質な」支配者の下で維持できるかどうかを試そうとしている者もいるかもしれないと分かっていた。


彼は、西方の石田であろうと西丸にいる父であろうと、誰にもこの状況を利用させる機会を与えず、迅速かつ断固とした対応を取らなければならなかった。


しかし、秀忠も忠信も、「西丸にいるあの人物」の情報統制力を過小評価しており、また、もう一人の「子供」の感受性も過小評価していた。


井伊直孝が近江へ出発したほぼ同時刻に……その時、極秘ルートで届けられた短い手紙が伏見城から送られた。その文面は簡潔ながらも、どこか謎めいていた。幾度かの迂回を経て、それはひっそりと江戸城西丸の春日坪に届いた。手紙には署名がなく、たった一行だけ書かれていた。「近江で火事が起きた。あっという間に燃え広がるだろうか?あの子たちは一体何をしたというのだ?薪を大切にすべきなのに。」


春日坪は、書道を練習していた竹千代(家康)に、開封もせずに手紙を差し出した。


家康(竹千代)はペンを置き、小さくも深遠な瞳で手紙の行をじっと見つめた。手紙を手に取り、鼻に近づけた。かすかでほとんど感じ取れない墨の香りを吸い込むように、あるいは、遥か遠く離れた場所で、書き手の複雑で言葉にならない感情を味わっているかのように。


一瞬、口元がほんのわずかに、冷たい笑みのように引きつった。


「燃やせ。」家康は手紙を春日坪に突き返した。まるで価値のない紙切れを渡すかのように、淡々とした無感情な口調だった。春日坪根は黙ってそれを受け取り、近くのろうそくの灯りで火をつけ、炎の中で手紙が丸まり、焦げ、灰になっていくのをじっと見つめた。


「近江の件は…」彼女は静かに尋ねた。


「秀忠が何とかする」家康(武千代)は再びペンを手に取り、墨をつけて、雪のように白い紙に「忍」と書いた。筆跡にはまだ子供っぽい未熟さが残っていたが、その構造の中に秘められた安定感と抑えられた力が、すでにその強さを現し始めていた。「彼なら何とかできる」「こんな些細なことすらできないのか…」彼は言葉を最後まで言い切らず、書き続けた。春日坪根は何も言わず、うつむいた。彼女はこれが信頼の証(というより、冷淡な無関心)であると同時に、試練でもあることを悟っていた。秀忠の力量を試すとともに、東西を結ぶ繊細な糸が、わずかに弾かれた時にどのような音を奏でるかを試す試練でもあった。


数日後、井伊直孝は沢山城で石田三成と難航する交渉を行った。最終的に、徳川側が賠償金の支払い、徹底的な自己反省、そして身代わりだったと思われる浪人二人の引き渡しなど、相当な譲歩を行った結果、三成は渋々事態のエスカレーションを避けることに同意したが、徳川側に同様の事件の再発防止のため国境管理の強化を要求した。


この衝突は一時的に沈静化したが、この事件によって東西間の緊張はさらに高まり、より一層緊迫した状況となった。石田三成……徳川の敵意と警戒心は一層深まった。徳川家臣たちの間では、秀忠の断固たる行動によって一時的に事態は安定したものの、同時に彼は、両端が底なしの崖に挟まれた、まさに綱渡りをしているような状況を痛切に感じていた。片側には、ますます疑心暗鬼になり、「非人間的」と化していく父(息子の体を乗っ取った父)が、もう片側には、常に警戒を怠らず、内情が不安定な西域が待ち構えていた。


この緊迫した状況下で、一見消えかけた小さな炎に、より深い意味を見抜くことができたのは、ごく少数の者だけだった。


伏見城の秀頼は、紛争が「交渉による解決」で終結したことを知ると、西の江戸に向かって静かに微笑み、冷酷な嘲笑を湛えた子供のような表情を浮かべた。


「よく耐えたな、老狐め」と、秀頼は自分にしか聞こえない声で呟いた。「だが、種は蒔かれた。次はそう簡単には消せないぞ」春日による最終結果の報告を聞いた江戸西丸の家康(竹千代)は、ただうめき声をあげ、囲碁盤に向かって独り言を言い続けた。黒と白の石は、東西の勢力のように、そして彼の中にますますはっきりと響く二つの声のように、交錯する。一つは老いて冷徹に世界を計算する声、もう一つは弱々しくも、しつこく泣き、抵抗する声。


彼は黒石を置き、小さな白石の集団を完全に囲んだ。


「盤はまだ広い」彼は誰にともなく呟いた。「急ぐ必要はない」。伏見城と江戸城の庭では、夏の蝉が必死に鳴き叫び、無数の秘密の囁き、狂乱の咆哮、そして檻に閉じ込められた魂の静かな闘いを覆い隠していた。二つの月が空に浮かび、その光は次第に強くなっていった。そして、それらが照らす一見平和な世界の表面の下では、夏の蔓のように、ひび割れが静かに広がり、予測不可能な方向に無秩序に広がっていった。

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