第三章 それぞれの顔
「秘書の相沢真理について、もう少し詳しく」
田所は椅子に沈んだまま言った。
山岸は資料をめくる。
「八年前に入社。当初は一般事務だったが、二年目で専属秘書に抜擢。仕事の評価は高い。社内では“影の実務責任者”と言われていた」
「影、か」
「被害者のスケジュール、契約、交渉先、ほぼ全てを把握していたらしい」
「関係は」
山岸が一瞬だけ言葉を選ぶ。
「親密だった時期がある。だがここ一年は距離があった」
「捨てられた、と」
「そう見ている社員は多い」
夏野が静かに言う。
「長年尽くして切られたなら、感情は残ります」
「残るどころじゃないかもしれない」
山岸が続ける。
「当日は十八時三十八分入室。十八時五十七分退室。その間に口論の可能性あり」
「退室時の様子は」
「防犯カメラでは表情は読めない」
田所は小さく頷いた。
「息子はどうだ」
「三條悠真。工学部卒。会社には入っていない。父とは経営方針で対立。環境配慮型の再開発を提案していたらしい」
「理想家か」
「父からは“甘い”と一蹴されていた」
「借金は」
「なし。生活は自立」
「父に依存しているわけではない?」
「経済的にはな」
山岸は続ける。
「だが社内では、後継者問題が噂になっていた。父は息子を信用していなかったらしい」
「動機は十分だな」
「口論は事実。隣人が怒鳴り声を聞いている」
「退室は十八時四十四分」
「四分だ」
田所は指先で机を軽く叩いた。
短い。だが短さは潔白を意味しない。
「管理会社の島田は」
「点検責任者。十九時から三十分、エレベーター停止」
「被害者との関係は」
「管理費値上げで揉めていた」
「恨みはある」
「あるが、直接的な接触はない」
「鍵は」
「マスターキーは所持。ただし使用記録なし」
田所は視線を落とす。
“記録がない”は、無実とは限らない。
「隣人、西原健」
「投資家。被害者とは騒音トラブル。数ヶ月前に警察沙汰」
「物音証言は」
「十九時二十分頃」
「頃、か」
「正確な時刻は分からない。テレビを見ていたらしい」
「音は?」
「何かが倒れるような音、と」
田所は目を細める。
倒れる音。
それはいつでも鳴らせる。
「最後に弁護士、田辺博」
「株式整理の相談を受けていた。会社の持株比率に変動があった可能性がある」
「被害者が死ぬと」
「契約の効力が変わる可能性がある」
「利益は」
「出る可能性はあるが、証拠はない」
田所は資料を閉じた。
五人。
感情。
承認。
金。
不満。
契約。
どれも殺す理由になり得る。
「先生」
夏野が言う。
「現段階では、誰に一番可能性がありますか」
田所は少し考え、首を横に振った。
「可能性は平等だ」
山岸が鼻を鳴らす。
「優等生みたいな答えだな」
「違う」
田所の目が細くなる。
「五人とも、まだ嘘をついていない」
静寂。
「どういう意味だ」
「今ある情報は、全員が言っても困らない情報だ」
夏野が小さく息を呑む。
「つまり」
「本当に困ることは、まだ出ていない」
山岸は腕を組んだ。
「じゃあ何を掘る」
田所はカップを持ち上げる。
「順番と、温度だ」
山岸が顔をしかめる。
「また抽象的だな」
「具体的に言うと、君が嫌がる」
「言え」
田所は微かに笑った。
「まだだ」
五人の顔は、どれも崩れていない。
だが、どれか一つが
ほんの少しだけ
合っていない。




