「あなたを愛することはない」と前世の元同級生に言われました
初投稿です、よろしくお願いいたします。
お陰様でランクインいたしました!応援ありがとうございます!
誤字報告もたいへんありがとうございます!
一つ下の伯爵家の次男坊は、どこかおずおずとした声で「私があなたを愛することはない、どうか期待しないでほしい」と言いながら、ベッドわきのナイトテーブルに卵を一つ置いた。
立ち聞きしたことのあるメイドたちの噂話から、卵白と血で初夜をごまかす作法があるのは知っている。ということは表向きは白い結婚にするつもりはないらしい。
てことは、けっこういいやつなんか、コイツ。
この状況で屋敷中の使用人から冷遇される妻認定で見下されるとか、人生ほぼほぼ詰むもんなー……。
と、かつて二十一世紀の日本という国で鈴木めぐみという名だったことを思い出し済みのメアリー・グレース・ドリンコットは、本日から夫となったエドワード・ダドリー・ドリンコットを見上げた。
濃い金褐色の髪に同じ色の瞳、整ってはいるが貴族としては地味な容貌の若い男である。下町であればボンボンすぎて悪目立ちするくらいしか衆目を集めることは生涯ないだろう、ある意味安心感のあるタイプだ。
彼のおかげで、ものごころついたときからじわじわと思い出してきた前世の記憶にある転生ものと呼ばれる創作ジャンルをいくらか浴びた身として、彼女は一つの確信を得た。
我々はいわゆる乙女ゲー的に見るならば、明らかにモブである、と。
しかしモブの割にはいたぶられて育ったもんではあるが、と彼女は内心でため息をつく。
確かに自分は前妻の娘である。現状は継母および、実父に顔が似すぎて継母の連れ子という触れ込みはおそらく嘘だろうなと思われる義妹らによるお家の乗っ取りと言えば言えなくもない。
だがこの国、そもそも女子に爵位の継承権はないから婿はどっちが取っても一緒だろうし、かといって自分に魔王並みの魔力があるかと言えば魔力じたいが無いっぽい世界のようだし、聖女がいる世界観かといえばうちの国じゃ聞いたこともない。
一体全体どこなんだここは、と悩みつつも実母が身まかり継母がやってきた幼児の折からひたすらにこき使われ、嘲られた。
であるにも関わらず、政略結婚の駒には使われたのである。意味が分からない。実家の連中がアホすぎる。いちおう転生特典なのか文字と計算には強かったし、カーテシーを一発クリアできるくらいには人の動きを見覚えるのも早かった気はするが、義妹の出来が悪いのか貴族がおおむねフィジカルエリートの遺伝形質だからなのかもわからない。
しかもセオリー通りの借金持ちの年寄りの後妻ではなく、初婚の若手である。さらに見る限り、相手はいたって普通に親切そうでもある。
この立場のお貴族様の常識なら規模が小さすぎると継母や義妹にコソコソ言われた結婚式でも、実家の家族以外はみな親切だったし、特にさらしものにされてもいない。
そもそもこっちだって初対面の相手といきなりセンシティブかつ生殖に関わりかねない内臓同士のふれあいとかいくら立場上の義務とはいえ避けられるんなら避けたいんである。偽装するならなんぼでも手伝うぜ同志よ。卵白と一緒に新婚のシーツになすりつける血ならまかせろ、ナイフで切るまでもない。こちとら貴族令嬢にはあるまじきことに体中傷だらけ、なんなら癒えていない生傷さえあるのだ。この世界にルミノール反応があるかどうかは知らないが、本人の血液でバッチリいける。
むしろこの体見てもオッケーだったんか、いくら貴族の義務でもアイツすげえな色んな意味で、って扱いになるんじゃね?と逆に心配になるくらいだった。侍女もメイドも下働きの面々も、お貴族様がいくらマナー上は家具として扱おうと当然家具ではない。
しかし白身使用後の卵の始末が気になる。黄身は飲めば済むにしろ殻の始末はどうしたもんか。暖炉で燃やすと臭いでバレるし、いうてそもそも卵白使用時だって伝わるのは「完遂したことにしときたいです」って意思くらいではないのか。
しかもあの卵が彼の夜食の可能性もゼロではない。ゆで卵だったり精力剤としてが用途だったりなのか。そもそも生食でも安全なのか、この世界の卵。謎は深まるばかりである。
ちなみにこの男、いわゆる乙女ゲー的学園というものに通っており、そこでは王族と高位貴族の嫡男たちが一人の男爵令嬢を取り合うことで起きた大規模な婚約破棄騒ぎがあったという。
そしてこの男も、くだんの令嬢の取り巻きと化していた生徒会の一員であった、らしい。
硬いブラシで台所の隅を磨く腹違いの姉をチラチラ見ながら義理の妹が継母に「かわいそうにねえ」と聞こえよがしに話していたから、この男もたぶらかされた男どもの一人だったのだろう。
ゆえにまともな令嬢は嫁いで来ず、しかし次男という嫡男のスペア兼補佐という微妙な立ち位置ともなると、いつまでも独身のまま放ってはおけぬゆえ、見た目からもわかるようなワケありの行き遅れを押し付けられた、ということのようだった。
しかしあいつらわざわざ台所まで来るなよ、しかもちょうど邪魔な位置に立ってるからバケツで一気に水が流せなくて作業が進まなかったっつーの。それはともかく。
おおかた、かの男爵令嬢が忘れられないのだろうな、とめぐみの意識が勝っているメアリーは見た目だけは殊勝そうにうつむいた。忘れられない相手がいるのはお互い様だ。ただしこちらは前世の話、今生で探られても痛くも痒くもない。
そもそもどこぞの男との出会いどころか貴族の令嬢・子息が集う学園へ通う権利も社交界でのデビュタントも、歴史ある伯爵家であった実家の相続権も、まともな家庭教師による教育も実母の形見も何もかも取り上げられたのだ。まごうことなきドアマットヒロイン、踏んだり蹴ったりである。
いっそ下男の誰かと密室に押し込めるくらいはしてきそうだとげんなりしていたら、たとえ金を出されようと甘い言葉を囁かれようとそんなことはほんの一時のこと、お貴族様のおふざけに巻き込まれたら一族郎党で死活問題だ全力で回避せよ、という注意が回っていたようで、向こうの方が思いっきり警戒してくれていて難を逃れた。具体的には庭師の若い男がこちらも見ずに、物置の板の隙間から手を突っ込んでバッキバキに外していた。
ありがとう、どなたか知らないが使用人の間に黒い噂を流しておいてくれた人!たしかに下働きの平民という理由で捨て石にされていいわけないからな!そのおかげでうちの家は人手が足りなさ過ぎて、たいがいの用事ができるようになったけどな!と彼女は壊れた物置の壁を一人で修繕させられてマメのつぶれた手のひらをこっそり握りしめる。
地獄の釜のふちで誰かの人徳に救われたのは前世でもだ。汚職で逮捕された父の名字を捨て何度も転校した先、新しい名字をもじったあだ名を照れくさそうに呼んでくれた相手がいてくれたおかげで、少し早めだったとはいえ、自分を恥じることなく生をまっとう出来た。
変なものを飲み込んだような声で、また会えたらいいな、と言った自分にそっけなく「そうだな」と答えた彼のかすれ気味の声が思っていたより男の人っぽくて、そんな場合じゃなかったのにドキドキしてしまった。きっと今生もそれだけあれば、寿命の尽きるまで前を向いて生きていける。……がんばったんだと、伝えることは叶うまいけれど。
少しだけ熱くなった目をまばたきでごまかしていたら、こちらをちらりと見やった男は慌てたように手のひらをこちらに向けた。
「あ、いや、あなたが悪いのではなく、全面的に悪いのは俺、じゃなくて私なんだ。……その、せめてですまないが、初夜の証拠は、こちらで用意させてもらった」
……んだ、けれども、と口ごもる彼は彼女を置き去りにするでもなく、想う相手ではないことを嘆くでもなく、おろおろとナイトガウンの襟を合わせている。
傷だらけの肌にやせっぽちの、薄布一枚着せられただけの花嫁が初夜の褥で夫に拒まれて泣くのをこらえている、と取られたのだろうなと鈴木めぐみことメアリーは、フッと口元をゆるませる。
高位貴族らしくない彼のしぐさが記憶のかなたの誰かにかぶって、こっそり生卵を用意してくれたことに報いてやりたくなった。
「お気づかいありがとうございます」
「…あ、……うん」
座りますか、と彼女がベッドのとなりを示すと、数本の蝋燭のみの照明の中で髪と瞳の金褐色を濃くした彼は、人ひとり分は離れた位置におそるおそる腰を下ろす。
かの男爵令嬢との騒ぎのあったのは数年前、一時期は王子妃にと進みかけた話も、婚約破棄ののちそれでもと求められて隣国の王族に連なる侯爵家に嫁いだ元王子妃候補にやらなくていい無礼をかましたのをきっかけにして、王族を外されて僻地に夫ともども封じられたようなことを古新聞で見かけた記憶がある。
その関係で巻き込まれて今回の婚姻に至った、となると、この夫となった男は現状、どういう立場にいるのだろうか。王宮内で文官だとは聞いているが、男爵令嬢側なら降格なり懲罰人事なりあったのだろうか。
「……こちらの勝手で、ひどい話で、……すまない、とは思って、いる」
ちら、と隣の部屋に通じるドアと廊下に続くドアを見た彼は、ふーっと息を吐いた。実母と政略結婚だった実父は酒をあおってへべれけになった上ですっぽかすのに失敗して大変な初夜だったと古参のメイドが爆笑していたので、しみじみとまともな相手だと彼女は少し笑った。
「想うお方が、他におありでらっしゃる?」
「……あ、あ」
「お噂は伺っております」
「え」
高位貴族の筈がどうもいろいろと脇の甘い態度だなと思いながら、こちらを向いた彼を見る。
この国では数の少ない黒髪も、この暗さの部屋なら黒に見えるだろう濃い紫紺の瞳も、ずいぶんと文句を言われたものだが引かれた様子はないから、きちんと話し合いができるかもしれない、と思う。
「その、学園のほうで慕わしい方がおられた、と」
「は?そっち!?」
そっちてどっちよ。などとこの立場で率直に突っ込んでいいものかどうか。てーかさあ、えらく砕けすぎてないか君。
と、めぐみは強引に肉体関係を結ぶ必要がないのなら共犯者になるだろう同年代の男性を見やる。やあ細マッチョの兄ちゃんこんにちはってかこんばんは。あんたちょっとリアクションが、昔知ってたヤツに似てんですけども。
「いやもう全然違うから。マジか、あーもう最悪!そっちの家までその噂信じてんなら、どこまで回ってんだこの話」
「詳しい範囲までは存じませんが、お茶会などでもたいへん有名な話だと継母と義妹が申しておりました。お相手が決まった後も当時の学園で彼女の虜ではない男性はいらっしゃらなかったと」
「うっわキッモ信じらんねえあの承認欲求モンスター!自分になびかねえ男は全員自分に片思い設定でネタ撒きやがったんかよ……乙女ゲーじゃねんだから逆ハーとかねえっつうの封建社会の常識考えろよバカか……いやバカだったわ……」
承認欲求モンスター。乙女ゲー。逆ハー。封建社会。
一瞬、自分の言語能力が実は転生特典で自動翻訳機能付きだったかを疑った。
「……あっ、ごめん、……えっと、……それ知ってて来てくれたのに、……あの」
ちら、とまた廊下に続くドアを見る。かの令嬢ではない本命は、もしかして屋敷内にいるのだろうか。
実はあれは卵白と血でごまかしただけで潔白である、が通じるなら確かに外部に今から忍んで行くよりも誤解は解きやすいように思う。
「……ちょっとごめん」
小さな声で言った彼が、そろそろとベッドに伏し、一度床にずり落ちて匍匐前進で壁際に寄ると、すうっと立ち上がった。足音を殺してドアの脇まで来るとドアノブをつかんで捻り、押し開ける。
途端に、バタバタバタバタ、と遠ざかる足音が左右に散っていき、遠くから「坊ちゃんがんばってー!」と聞こえてきた。
このお方、愛されておられる。そう思った。
「覗いてんじゃねえええええ!」
「……ふっ、くくくくくく」
耐えきれずにベッドに突っ伏して笑っていると、ばっさ、とナイトガウンをかぶせられる。彼の体温であったかい。そしてデカい。
「着といて、それ」
ありがとうございます、と袖を通すと、長袖長ズボンのパジャマ姿の彼が、どすんとベッドに腰かけた。
「ごめん、俺が、黒髪で黒い目の子ならって、無理難題のつもりで言ったの。……それで、君が、連れてこられたんだと思う」
あー、と頷いた後にカマをかけてみた。黒髪ほぼ黒目の人間は、実家の肖像画に残っている遠方から嫁いできた数代前の当主夫人以外、国内や近隣国にはいないんである。借金持ち老人の後妻ではなかった理由はそこか。
「ほかに平民の愛人とか」
「いません」
「妻より優先したい同居の従妹?」
「いやそいつと結婚しろよ」
ごもっともである。
「てことは、前世の推しに操捧げて妖精さんになろうとして失敗した、で合ってます?」
「……は?」
「ヘーイアイムジャパニーズ、前世だけどもー」
「はああああああ!?」
よう、と片手を上げてニッコリしてやると、整った顔が思いっきり崩れた。
「ていうか承認欲求モンスターだの逆ハーだの言うなし。気ィゆるみすぎっしょ」
大丈夫なんかメイドさんとか、と尋ねると顔面を手でおおってうつむいた彼がハイ、とうめいた。
「まあ、幼児のころは」
黒髪黒目に油断したっすわ、とボソボソ言っている。
「あーね。そら、この形式で初夜言われてもムリ寄りのムリやん」
「……おわかりいただけただろうか」
この封建社会ディストピアが、と漏れ聞こえる先に水差しから水を注いで渡してやる。
「アリガトウゴザイマス……」
「どーいたましてー」
「しが抜けてますよ、しが」
「しまった板を渡すべきだった」
「どんなシチュよ」
水を一気してこちらを見上げた彼が、困ったような、どこか泣きそうな顔をした。
「なあ、あんた、……実家、帰れないんだろ」
躾と称して鞭でぶたれた傷も、偶然を装って台所仕事中に負わされた火傷の痕も、数も少なく薄く小さくはあるが顔にまで及んでいる。普段ならば服に隠れて見えない範囲に至ってはお察しだ。短い鞭でも打ちやすいのは手のひらと指と手の甲と手首、ダメージが入ると見て狙われたのはわき腹と作業でかがんだ時の足のすね、目と耳と下腹はさすがにできるだけ回避した。
その分が腕に来たのは仕方がないだろう。姿勢が良くても悪くても腿の前面と背中は打たれるから、できるだけ姿勢よくふるまってやった。コルセットなんて持ってないのを承知で胸をやられたときは歯を食いしばって切り抜けた。脂肪の塊なんて言うが神経ちゃんと通ってんでやんの。
まあ幸い、父は見て見ぬふり、母も妹も非力で、使用人は巻き込まれを恐れて全力で逃げ倒してくれたため、ちょっと傷多めかもなヤブ住まいの平民レベルで済んでいる。伯爵令嬢としては終わっているが。
「お陰様で助かっておりますが。社交は経験ないんで病弱設定で行くか領地に引っ込むか、そういう触れ込みで別邸に隔離か、いい感じの偽装でシクヨロですわー」
口を開けかけて閉じた彼が、また口を開く。
その仕草に鈴木めぐみことメアリー・グレース・ドリンコットは、色の白くて背の高い、詰襟の似合う人を思い出す。
自分の事情には巻き込めないから二度と会えないとわかっていて、それでもいざ別れの時には再会を望んでしまった。向こうから見たら一瞬同級生だっただけだろう、できるだけ元気で長生きしてほしいと願っていた彼のことを。
「……俺、あの。……推し、じゃ、なくて」
でも、とまた口ごもる今はエドワード・ダドリー・ドリンコットという前世の感覚では派手派手しいが、この世界のこの国ではありがちで無難な名前の彼にダメ元で聞いてやる。あきらめるなら早いうちがいい。立ち直るのも早くできるから。
「えーと、もしかして、ささっくん?」
じゃないよね。
と、言おうとしたら、信じられないと言わんばかりの顔をされた。
「…………すず、っ、さん?」
かつて佐々木海斗と鈴木めぐみは同じ高校の同級生だった。地方都市のぎりぎり進学校と言える高校で、二年の新学期あたまに大病をして入院した彼と中途半端に編入した鈴木めぐみは、名前ゆえに席も近く、男女の人数の関係もあってまとめて係を振られることが多かった。
用事と授業の合間にとりとめのないやりとりをして数か月、特に私的にそろって出かけることもなかったが、インドア気味の趣味が合ったこと、それぞれどちらも一人行動が多かったことから、その年のそのころ、お互いに一番話した仲だった。
めぐみが佐々木君と言いづらくて、それっぽく「ささっくん」と呼んでいたら「なんだねすずっさん」と呼び返されて以来、互いをささっくん、すずっさんと呼んでいた。
「えっと、ささっくんはトラ転、とかなん?」
佐々木海斗だった彼は、んー、と言葉を濁す。めぐみが彼は長生きして寿命で、とは思っていないことを察したゆえで、それは実際当たっていた。
ただ、直接の原因は病そのものではなかったけれど。
「んー、トラックではなかった、っぽい」
「ちょっとー、気を付けなー?いまさらだけどー」
ぶう、と口を尖らせる彼女に「……すずっさんは」と促すと、一転してテヘペロ顔のめぐみが「階段?で将棋倒しでさー、参った参った」と笑う。
「……なんか、赤ちゃんとお母さん、助けてなかった、か」
「…………え」
高校を卒業後、専門学校へ通い、どうにか就職して数年、おそらくそうなるだろうと思っていた通り病の再発を告げられた。
仕事を辞めて実家から通っていた病院の待合室で見たニュースの事故当時の防犯カメラの映像に、直感で彼女だと思った。
ネットで漁りまくったどの動画にも小さく遠目で映るそれは、将棋倒しが起こる直前、前にいた母子を引きずり出すように押しのけ、直後に雪崩れる人波に飲まれた小柄な女性の姿で。
しばらくして発表された犠牲者の名前にボーっとしたまま交差点で信号待ちをしていたら、ふざけた誰かに寄りかかられた学生が弾き飛ばされたスマホを泣きそうな顔で拾おうとしていたから。車道に駆け込んで、その子の方へスライドさせたスマホは間に合ったのだけども。
「……たぶんあの子のスマホ、傷だらけだったと思うわ」
「………アチャー」
「いやね、再発と同時に余命宣告だったんですよ言い訳ですけど!あと医療費バカ高でね!?」
「うわちゃー」
私が親と運転手さんならしばいとるわとか言うからチョップしてやった。
「ささっくんにカッコつけようとしたんだけどさー」
ちょっと失敗したっぽい、と言いかける彼女の腰にすがりつく。細くて細くて折れそうで、ごまかしたはずの涙があふれて止まらなくなった。
「すずっさんの馬鹿野郎」
死んでどうすんだ、と、どうにか絞り出したら「いや、まあ、それささっくんもでしょ」と言い返された。
余命宣告はそれが初めてじゃなかった。ことあるごとにいくつまでは生きられない、と何度も何度も言われて狭い田舎町でみんな知ってるから無理をさせられないという優しさも込みで、いつもなんとなく遠巻きにされている自分に、知らないからなのか当たり前の顔で話しかけてくる、都会から来たワケありで、前髪とダサい眼鏡ごしで人に話しかけられないように気を配っていた、どことなく品のあるきれいな子。
噂に疎い自分でさえ、父親の汚職がらみで転校してきたことを知ってはいたその人は、できるだけひっそりと過ごしていたけれど、話すとけっこうノリが良くて明るくて、こんなことでもなければきっと知り合うことも話すこともない人気者なのだろうと思っていた。
親しく話したきっかけは一時間に二本しかない列車を待つ間、読もうとしたラノベの新刊を見ている視線に、これはもしやお仲間かと期待を込めて読み終えたら貸すと言ってしまったことだった。見た目が地味で大人しそうだから油断していたのもある。
出過ぎた真似を後悔するよりも早く「前の前の刊から読みそびれている」と言われて、さっそく次の日に貸したら大喜びしていた。
これだけ好きなものを家のごたごたで読めなかったのだろうことが、体調の悪い日はどれだけ楽しみにしていても何もできなかった自分とかぶって、おすすめのもろもろをガンガン押し付けた。そんなに熱心に同い年の異性に推しを布教したのなんか初めてだった。
推しのカッコよさもかっこよさへのこだわりも語っただけわかってもらえたことが嬉しくて眠れなくて熱を出して、転校してきたばかりなのに家まで配布物を嫌な顔もせず届けに来られて、それも嬉しくてたまらなかった。
ダサい眼鏡が実は伊達だとこっそり明かされたのも、さらさらした髪をなびかせて振りあおいでくるのへも、この顔は自分しか知らないと、独占欲と優越感を覚えていた。
いつかが来る前に自分が彼女をどう思っているか伝えたくて勇気を振り絞ろうとした矢先、しつこく追われる身の上に親しい人が巻き込まれることを慮ったのだろう彼女から、行先は伏せたまま、その日のうちにどこか遠くへ越すことを告げられた。
―また会えたらいいな。
忘れられないのに薄れる記憶に、声の一つも録音しておけばよかったと何度悔やんだかしれない。
次の日の昼近く、破瓜の偽装に使うつもりで持ち込まれた卵はナイトテーブルの上でそのままだったが、新妻の腰回りに抱き着いて離れない泣きはらした寝顔の主を見たメイドたちも、その話を聞いた屋敷の誰も、どこもかしこも傷まみれで破瓜のしるしもない彼女をお飾りとは思わなかった。
伯爵家の次男坊に、小さいころからずっと好きでいる誰かがいたのは邸内では知られた話だったからだ。
結局、メアリーの実母が生きていたころ、王子たちに学友と婚約者候補の選定を目的とした王宮主催の園遊会には双方が出ていたため、そこで出会ったことになった。
そうして初恋であった悲劇の伯爵令嬢と瞳と髪の色を手掛かりに再会し本懐を遂げた幸運な伯爵令息のロマンスが令息側の親族からひそやかに流れ出し、すでにいろんな方面から悪評の立ち始めていた令嬢側の実家が社交界とか地元商工会から激しくハブられた、らしい。
「夫婦なんだから手出せばいいのに、つかむしろ義務っしょ」
やったんだろ閨教育とやらを、とナイトウェアの夫を肘でつつくと、初夜ほどには薄手ではないがそれなりの格好の妻に抱き着いたまま、あーとかうーとかのたくっている。直視は出来ないが離れたくないらしい。
「それともあたしじゃその気になんないってか?」
「違う!」
「じゃあなんでよ」
「お、折れる。背骨とか肋骨が細すぎる。あ、あと」
「あと何」
「……さ、裂ける」
真っ赤で息も絶え絶えな彼は「嫌だああああ」と抱え込んだ妻の体のあちこちを壊れ物のようにさすった。
「こちとらチーズじゃねんだよ!んなもん局部に油でも軟膏でも塗っとけば済むっしょ」
つうか今度作って売るかね、あの裂けるやつ。と彼女は枕元から小さな紙束を取り出して鉛筆もどきでメモを取った。
国内外でめちゃくちゃ売れたこの鉛筆もどきのおかげで、領内では女神のような扱いを受けている。やっと見てわかる結果の出た異世界チートさまさまであった。
「局部言うなあああ…ていうか、もうちょい、丈夫になってからだな、そのっ」
「太ったわむしろ」
「こんなん太ってねえわ平均以下だわ」
「んじゃキスしようキス。唇はそこそこいい感じよ」
「きっ」
またも悶絶している夫の髪を撫でてやる。そういえばかつての彼は色素が薄かったから、今の髪と目を暗いところで見れば前世と近い色味に見えるのだ。髪を撫でてやる機会はさすがになかったのを、今になって惜しいと思う。
「俺がこんなに我慢してるのに悩殺しにくんな」
「いや要らんでしょその我慢」
「こじらせ童貞舐めんなあああ」
「なんでこじれてんだよ。あとめぐでもめぐめぐでもメアリーでもメーでもなんでも呼んでいいわよ、ささっくん」
「…エドでもエディでも海斗でも好きに呼んでいい、すずっさんてかめぐめぐ。あとメーってなんだヤギか」
息を吸い込んで止めた彼がもう一度息を吐いて、頬に唇を当てる。くすぐったくてたまらなくて、ふふ、と笑うと懐深くに抱きしめられた。
「……好きだ、愛してる。一生一緒にいてください。だから初夜のアレは忘れてくださいマジでごめんなさいいいいい」
「やだー忘れてやんねー」
「うわあああああ」
「いつからよー、ねーねー」
半泣きで睨んでくる整った顔は赤すぎるけれど、けっこう男前だと思ってしまうのは惚れた欲目だろう。
「うるせえわ前世でも今生でもほぼ一目惚れなんだよ、そんな簡単にいくか!だいたい操立てようとしたらまさか当人だとか何の罠なんだよマジで腹立つ」
「ってか誓いのキスしたじゃーん、なんか教会で」
「したけどもおおおおお…」
もうなんで俺もっと早く気が付かないの知ってたらだいじにしたっつうの、と身もだえている夫の隙をついてキスしてやろうとすると、手でふさがれた。
「お、俺からする、するから待って」
「わかった。んー」
キス待ち顔でも品のある美少女のぷるぷるの唇に、ちょん、とふれて離れた彼が、彼女を至近距離で見つめながら限界まで息を止めたのち、枕へダイブした。
「なんでここベッドなんだよおおおお」
「夫婦の寝室だからだろ」
よいしょと身を寄せたら腕が絡んできて、ぎゅ、と抱き込まれて大きな手で包むようにすねの古い傷跡を撫でられる。
「はいはい気にしない。…だいぶ薄くなったしさ」
「俺が助けたかった」
俺なんかのんきに学生とかしてたのに、と彼は言うが、逆ハー狙いの男爵令嬢の色香に惑って職務放棄するボンクラ上司どもと同僚らの分も、生き残った数少ない同志と共に回復薬の空き瓶転がる現場をブン回した辣腕ぷりは今も伝説らしいと執事や彼の兄に聞かされている。
ただ地味すぎて書類を扱う立場の人間にしか凄さが伝わらないのが、それもまた彼らしいと思う。
「しょうがないって。だいたいささっくんだって古傷あんじゃん」
「そんなん、授業でやった剣の稽古とか遠征の演習とかのだし」
鞭とかじゃねえもんと、呟く彼の傷跡に唇で触れてやる。
「……なにそれ誘ってんの」
「ずっと誘ってるっしょ」
「……夫婦、だっけか」
「…………だね」
そっと彼女を両腕で囲い込んで、髪の生え際、頬、首筋、胸元と唇で上書きするように辿りだす彼が、ちくしょう、とうめく。
「めぐみ、めぐ、……めぐは綺麗だからな」
こんな傷だらけにしやがって、とかすれた声が言ってくれたから、もう大丈夫だった。
「メアリーでもいいよエディ」
「………メアリーって言い慣れねえわ」
じゃあいっぱい呼んでよ、と真上でぼろぼろ泣きながら何度もうなずく男の頬を撫でる。
あんたに呼ばれて自分の名前が好きになったから、今度もまた上書きしてよ、と沈む前に言えただろうか。
「ごめーんやっぱちょっと裂けたんで軟膏塗るわ、これよく効くよね、ありがとね」
チーズって呼んでもいいぜーと、朝日の差し込む中、彼からプレゼントされて気の利くメイドが寝室に用意してくれたかわいい陶器の入れ物に手を伸ばすと、先に取られた。やっぱ意外に筋肉のついてる腕してんだよな、と昨夜と同じ感想になる。
「俺の責任だから俺が塗る」
「いや自分で塗るし」
「……俺の責任だから」
「子供出来たらこれどころじゃないって」
「こっ」
「できててもおかしくないしーお貴族様の義務だしー」
「そ、そう、だけど」
やることやっといてというかやりすぎといて、真っ赤になっておろおろしている彼から軟膏を奪い返して背を向ける。
「あ」
「何、塗りたかったの」
「……こじらせ童貞なめんな」
「もう卒業したじゃんよー」
事後にそういうことされんのかなり恥ずかしいんですけどー、と赤い顔でむくれる妻の手ごと軟膏のケースをつかんだ彼は、お願い、と薄く傷痕の残る細い指先にキスをした。
ありがとうございます、楽しんでいただけましたら幸いです。
誤字報告ありがとうございます!
古語っぽい用法については語呂・語感重視で書いてるんで該当部分を変更しました!ついでに増量しました(なんでやねん)
漢字に変換してないところは書き手の感覚のものなので、気になる方は脳内で変換よろしくお願いいたします。ちなみに理由は字面が細かくて何回も見てるとツライからです(オイ)




