8 休息
森には先ほどまでの得体の知れない気配が消え、追ってきた何かも森深くへと消えたようだった。
オムカは軽やかな足取りでフロントガラスを覗き込み、外へ出たがってそわそわしていた。
田崎がドアを開けてやるとオムカは飛び降り、ぴたりと地面に着地した。
女戦士の膝の上にいたルーが、ひょいと身を翻し運転席を越えて飛び降り、鼻を鳴らして周囲の匂いを嗅ぎ始めた。
田崎も足を下ろし、冷たい空気を感じながら外に出た。
車内では、女戦士がじっとこちらを見ていた。
出たそうな気配を漂わせていたが、ドアの開け方が分からないようだった。
助手席のドアを引くと、彼女の顔がぽつんとルームライトに照らされた。
思わず見とれてしまう。
長いまつげに縁取られた瞳、月光のない闇の中でも発光するようなその髪と肌に、田崎は言葉を失った。
女戦士は目をそらし、静かに足を地面に着けた。
後部座席でぐったりしている屈強な戦士と、ふてぶてしい顔つきの商人も助手席をスライドさせると、順に車外へ降りた。
二人は不機嫌そうに唸りながら、体をほぐすように腕や肩を回した。
田崎はジムニーの荷台を開き、積んだ荷物を確認し始めた。
冷蔵が必要な生ものは早めに食べてしまわないといけない。
古いキャンプ用の道具箱には、折りたたみのバーナーとカートリッジ、大小のクッカー、十徳ナイフなどが入っている。
紙皿や紙コップは、九月に大学の同期としたバーベキューの余り。
ドッグフードを取り出すと、ルーが駆け寄ってきて嬉しそうに尻尾を振った。
「はいはい、お前が先だよ」
紙皿にフードを盛ると、ルーは夢中で食べ始めた。
その間に田崎は、クーラーボックスからソーセージ、買い物袋から食パンとコーンスープを取り出し、固形燃料に火をつけて湯を沸かして調理した。
黙々と作業していると、女戦士、戦士、商人、オムカが興味深そうに見守っていた。
五キロのコメもある。クッカーで炊飯もできるが、今は使わない。
人数分の紙皿に食パンを載せソーセージを添え、紙コップにスープを注ぎ入れた。
田崎は皆に身振り手振りで「食べていいよ」と伝えると、皆は無言でうなずき少しずつ手を伸ばした。
皆が食べはじめるのを見届けてから、田崎は黒のダウンジャケットを脱いで腰に巻いた。火にあたるには少し暑い。
スープを一口すすると、冷えきっていた胃のあたりがじんわりと温かくなる。
横を見れば、ルーがくるりと丸くなって尻尾を足元に巻き、静かに寝息を立てていた。
異世界の一行も、最初は警戒しながら口に運んでいたが、今では食事に集中していた。
中でも女戦士、田崎が勝手にそう呼んでいる彼女は、スープを慎重にすすりながらも、田崎の動きを時折ちらりと見ていた。
落ち着いたころを見計らって、ポケットからスマートフォンを取り出す。
画面の明るさがまぶしい、圏外の文字が虚しく浮かんだ。
電池の残量は三十四パーセント。
食事がひと段落すると田崎は立ち上がり、彼らの正面に回り込み胸に手を当てて自分の名前をはっきりと発音した。
「タサキ」
女戦士が首をかしげつぶやく。
「……タ、スキ……?」
田崎は笑ってゆっくり繰り返す。「タ・サ・キ」
彼女も真似しようとするが「サ」がうまく出せない。
「……タシャキ……?」
苦笑しつつ田崎はうなずき、彼女を指差し問いかける。
「……リューシャ」
澄んだ音だった。田崎はまっすぐ彼女を見て、繰り返す。
「リューシャ」彼女はうっすらと微笑んだ。
次に戦士が、もそっと立ち上がり胸を拳で叩く。
「グラン」
「グラン」と田崎が繰り返すと、戦士は力強くうなずく。
商人風の男が、芝居がかった口調で名乗った。
「ワシはホーガイじゃ」
妙に耳に残る響きに、田崎は笑って繰り返す。
最後に、小さなおじさんがちょこんと立ち上がった。
「……オムカ、だったよな」
それを聞くと小さなおじさんは満足そうにうなずいて杖を振り回した。
ルーがぱちりと目を覚まし、一同のやりとりを不思議そうに見つめた。
そして再び田崎の膝にあごを乗せるようにして、安心したように丸くなる。
言葉は通じない。だが、名を呼び合い表情を読み取り、声を交わせば少しずつ距離が縮まる気がした。
静かな夜の中で、わずかな温もりが広がっていった。
しかし、商人の持つ黒い箱に影が、忍び寄っていることに誰も気づかなかった。




