5 竜猿、目覚める
巌窟の後方。
鬱蒼とした原生林が陽の光を遮り、昼であるにもかかわらず、地面は薄闇に沈んでいた。
その奥、湿った土と腐葉土の匂いが立ちこめる窪地に、巨体の竜猿が横たわっていた。
竜猿は岩のような肩を上下させ、荒い鼻息を立てて眠っている。
長く伸びた腕とこけむした背中。
竜と猿の中間のようなその姿は、ただそこにあるだけで異様な圧力を放っていた。
その窪地の入り口に、鬼猿たちが立っている。
筋骨隆々とした腕には棍棒が握られ、獲物を逃す気配は微塵もない。
鬼猿の背後には、三名の人間、鎧を剥ぎ取られ、綿の下着一枚になった騎士たちが、震えながら立たされていた。
青ざめた顔で膝は小刻みに揺れ、今にも崩れ落ちそうだった。
猿使いが一歩前に出る。
その手には小さな鈴。
首をわずかに傾け、耳を澄ますようにして、その鈴をチリンと鳴らした。
しかし竜猿は眠り続けている。猿使いの口元が歪む。
「起きぬか……では、目覚ましだ」
鬼猿が騎士の背後に回り、巨大な棍棒を振りかぶった。
「ひいっ!」
悲鳴が上がると同時に、骨を砕く鈍い音と、肉を裂く衝撃が窪地に響き渡った。
「ッあッッ――!」
声をあげまいとする騎士の背中に容赦なく棍棒が叩きつけられる。
鮮血が弧を描き、竜猿の顔にかかった。
その瞬間、竜猿の鼻孔がひくつき、荒い呼吸がさらに深くなる。
なおも棍棒が振り下ろされる。
二撃、三撃。
血飛沫が舞い、白く光る骨片が湿った地面に転がった。
倒れた騎士は二度と動くことはなかった。
「た、助けて……」
もう一人の騎士が息も絶え絶えに懇願する。
涙で潤んだ視界の向こう、竜猿の巨大な顔が影のように迫ってきた。
猿使いが再び鈴を鳴らす。チリン…
鈴の音が、腐葉土の奥に染み込むように響いた。
一瞬、世界の音が消える。
そして、重い呼吸が土を押し上げた。
竜猿が、目を開く。
竜猿はのそりと起き上がり腕を伸ばすと、その騎士を大きな手で掴むと果物をかじるように頭から喰いちぎった。
肉と骨の砕ける音が窪地に響いた。
たちまちのうちに三人の騎士が、竜猿の胃袋に収まる。
足りぬ、というように猿使いを見下ろす。
再び鈴の音。チリン…
竜猿は巨体を揺らし、翼のような皮膜を広げると、地を蹴って空へ舞い上がった。
傾きかけた陽の光が目に入り、苦しげな怒号を上げる。
しかし眠りを妨げられ、血の匂いで覚醒したその怒りは、もう収まらなかった。
再び森の木々を、震わす咆哮を上げた。
矛先は、森の外にいる人間たちへと向かう。
その頃、ジムニーは馬の進軍に合わせ、じわじわと森の道を進んでいた。
竜猿の咆哮が届いたのは、盲目の僧侶と合流した直後のことだった。
車を止め、リューシャと騎士長の一人が助手席をスライドさせ、僧侶を後部座席に誘導する。
騎士長は二人を守るように再び配置についた。
その瞬間、衝撃波が森を駆け抜け、ジムニーのフレームがギシギシと軋み、震えた。
車内の空気が押し潰されるような圧迫感に満たされた。
田崎の手がハンドルを握りしめ、汗がじわりとにじむ。
馬がいななき、騎士たちを振り落とそうとする。
「リューシャ、今の……?」
田崎の脳裏に、あの恐怖の夜がよみがえる。
「あの時は夜明け前だったから助かった。でも……」
リューシャは険しい顔で頷いた。
「もうすぐ日没。これからが竜猿の時間」
言葉の意味は分からない。
だが、その緊張は、田崎にも痛いほど伝わった。
盲目の僧侶は、法王への報告を続けていた。
田崎は、その不気味な姿をバックミラーで確認せずにはいられなかった。
……これが、闇の民。盲目の僧侶……
白い法衣から覗く青白い肌は人間離れし、宇宙人を乗せているような感覚に襲われた。
不吉な予感が胸を締め付け、背筋が震える。
「猊下、道はまだ開かれてはおりませぬ……しかし、巌窟は視界に入っております」
「突っ切るしかないかのう」法王は低く呟く。
その声音は揺るがず、泰然自若としていた。
前方ではチョーローが杖を振り回しながら陽気に叫んでいる。「進路取りは、まかせなっせ!」
一方そのころ、グリファスは前線からの急報を受け取っていた。
「獣の軍勢が押してきております!」
彼は即座に判断を下す。
「隊を半分に分けろ。副官、後詰へ向かえ!」
号令とともに、鎧を打ち鳴らしながら騎士たちが駆けていく。
ジムニーの前方、闇の森の最奥。
戦の匂いが濃くなる。
「頼むぞ!相棒」
背後の不気味な盲目の僧侶、竜猿、未知の戦場……
震え上がる心臓を抑えて田崎はジムニーに声をかけた。
この相棒が動く限り、なんとかなる、ハンドルを握りしめる手に力がこもる。
「……来る」
田崎の呟きに応えるように、再び竜猿の怒号が響いた。




