4 影の咆哮
祭壇上で、長老は自ら影を操り、闇に潜む無数の眼を通して戦況を見ていた。
僧侶たちの詠唱が砦を光で包み、森を切り拓く騎士団の列が火のように延びる。
だが、猿どもの制御が効かぬ。光の干渉が影を裂いていた。
「はあっ……」
新月、操る影は薄く、細くなっている。
長老は鋭く息を吐く。
「……まだ日は高い。だが、竜猿を叩き起こせ!」
長老の目が狂気を帯びる。
「まずは、あのいまいましい砦を血祭りにしてやらねばならん!」
命令を受けた猿使いの肩がびくりと震え、黙って姿を消す。
一方、影使いの長は額から汗を滴らせながら、必死に影を操っていた。
呼吸は荒く、見開かれた白目は充血し、赤い瞳との区別がつかない。
「……見つけた」
影使いの口が歪む。
その瞬間、影は一瞬だけ、巌窟寺院の西側の森に佇む盲目の僧侶をとらえた。
「長老!西の森に彼奴の姿が……」
「見つけたか!集結させた全軍を西の森へ向かわせよ!」
怒声と共に長老の杖が地を叩く。猿使いの一団が長を残し、次々と姿を消した。
やがて、豹猿の群れが鬼猿と猿使いを背に乗せ、一目散に飛び出していった。
羽猿の編隊が空から続き、その後ろには血に飢えた猿や熊猿が無数に押し寄せる。
天幕の前で法王一行は、ぼろぼろの車を前にして息を呑んだ。
見たことのない鉄の車。
傷と凹みに覆われたその姿は、報告にあった「鉄の魔獣」ではなかった。
戦い抜き、生き残ってきた苦難の後を忍ばせた。
法王はその車を見つめ、命を託すこの車に深い敬意を抱かずにはいられなかった。
リアシート中央に法王が座り、左右を騎士団の騎士長が固める。
グランは荷台から後方を警戒し、リューシャは助手席で小弓を握り、前方左右を見張っている。
田崎は、吹き飛ばされないようチョーローとオムカの腰に縄を巻き、それをウィンカーの根本に結びつけた。
助手席の足元では、ルーが二人を見上げ、不安そうにくうんと鳴く。
「もう少しで帰れるぞ、ルー」
つとめて明るくルーに声をかけてやる。
言葉とは裏腹に不安と恐怖で胸が押し潰されそうになる。
「動きます」
通じないな、と思いながらも、田崎は後ろに声をかけて、アクセルを踏む。
エンジンが静かな唸りを上げて前進を始める。
バックミラー越しに「法王」が泰然自若としているのが見える。
両隣の騎士たちのほうが動揺を隠せない様子だった。
チョーローが後席に何か声をかける。
「鉄の馬の音は勇ましいの。心強い」
法王が静かにバックミラーを覗き込み、田崎に声をかけた。
その声に同乗の仲間たちの緊張が和らぐのを感じた。
チョーローの翻訳で、意味を知ると田崎は力強く頷いた。
道は整地されていないが、走りやすい森の小道。田崎は慎重にアクセルを踏む。
時速十五キロほどで徐行しながらエンジン音やタイヤの音に注意を向ける。
タイヤの軋む音とエンジンからの異音がやけに響く。
ジムニーには水温計はない。
メーターに灯る赤い警告ランプだけが、限界を告げる唯一の兆しだった。
オーバーヒートした瞬間、この相棒とも別れなければならない。
サスペンションはほとんど効いていない。
軽いハンドルがなんとも心許ない。
左後輪だけがノーマルタイヤという事実も、田崎の頭を離れなかった。
草地やぬかるみでタイヤが取られ、ひやりとする場面が何度かあった。
エンジンルームから不穏な音が聞こえる度に、胸がぎゅっと締め付けられるような気がした。
どこかで音が途切れると、心臓が一瞬止まりそうになる。
前後では、グリファス率いる精鋭騎士団が馬を並べ行軍している。
馬の足並みは遅く、時々停車をしなければならなかった。
狭い急造の森の道、騎士団の歩みに合わせてのろのろと走らせて行く。
森のあちこちに戦闘の痕跡が残っている。
その時、前方から早馬が駆け込み、馬上の伝令が叫んだ。
「報告!闇の軍勢主力、――豹猿、鬼猿、羽猿、熊猿の一団が襲撃!」
「副団長指揮下の部隊が応戦中!」
「盲目の僧侶は後方に護送中!まもなく合流予定!」
次々と伝令が駆け寄ってきては報告を残していく。
慌ただしく鮮血がついたマントを翻しまた戦場に戻っていく騎士の姿を見ては、緊張が走る。
田崎の心臓は早鐘を打ち、リューシャも顔を強張らせていた。
だが「行くしかない!」
田崎はアクセルをゆっくりと踏み、ジムニーは森の奥深くへと突き進む。
モニターには、各種警告ランプが赤く点滅している。
森の奥で吠えるのは獣か、影か。
エンジンチェックランプ、給油ランプ、バッテリー警告灯が田崎の不安をいっそう掻き立てた。




