5 邂逅
猿の群れが森に逃げ、ジムニーのエンジンが低く唸る中、田崎はスコップを握ったまま荒い息を吐いた。
数時間前まで国道沿いの大型ショッピングモールで買い物をしていたはずなのに、こんな血生臭い世界にいるなんて。
「どこだよ、ここ?」その言葉は、頼りなげに森の闇に吸い込まれて消えた。
血と泥で汚れたスコップを立てかけ、ようやく周囲を見渡した。
馬車は倒れ、荷台の一部は壊れていた。
あたりには血を流した猿の死骸がいくつも転がり、その中心に奇妙な集団が立ち尽くしていた。
荒れた森の中、長剣を握る背の高い女戦士と、子どもほどの背丈の男戦士が呆然と立ち、倒れた戦士は深い傷を負い呻いていた。
女戦士が一瞬そちらに目をやり唇を噛んだが、すぐに田崎に視線を戻した。
「俺は……敵じゃない。分かるか?」
田崎の言葉に、女戦士がわずかに目を細めた。
彼女の長剣は下がったが、鋭い視線は田崎を捉えたまま。
かすかな安堵と警戒がその顔に混じっていた。
田崎は両手を広げ、ゆっくりと肩をすくめてみせた。
笑みまでは作れなかったが、敵意がないことだけは伝えたい。
「日本語、わかんないか……そりゃそうだよな」
ルーが駆け寄ってくる。
ゴールデンレトリバーは先程までの猛々しい様子をひそめ、鼻を鳴らしながら女戦士の匂いを嗅いでいた。
彼女はやや戸惑いながらも、その犬に剣を向けることなく様子をうかがっていた。
その時、荷台の隅から小さなおじさんがひょっこり現れた。
三十センチくらいの体、しわくちゃの顔。
「お前……何だよ……」田崎は眉をひそめた。
その姿は、どこかで見た都市伝説の妖精に似ていた。
もう一人荷車の脇から、ゆったりと歩み出てくる人影が現れた。
安全を確かめるように見渡した後、服についた埃を払った。
小太りの中年の男で灰色の旅装を着て黒い箱を抱えてこちらを見上げていた。
先ほどの狼狽した姿などなかったかのように、田崎を見てにやりと笑った。
あからさまな「値踏み」の視線だった。
その時、うめき声が再び耳に届いた。
田崎が視線を向けると地面に倒れたままの戦士が、口元から泡混じりの血をこぼしていた。首筋には深く抉れた噛み傷。
出血は多く、皮膚はすでに青白くなりつつあった。
傷ついた戦士の呼吸は浅く、苦しげだった。
血で染まった首元に布を当て、小柄な戦士が何かを叫んでいた。
その手は震えていた。
女戦士も膝をつき、剣を地面に置いて声を掛けながら手当てを手伝っていた。
その言葉の響きは、田崎の知るどの言語にも似ていなかった。
知らない言葉、知らない世界の人々と向き合う現実に、田崎は背筋を凍らせた。
「ほっほっほ……」
その緊張を解きほぐすように小人が笑った。
「オムカ、ほっほ、オムカ」
どこか歌うような抑揚で自分を指差した。田崎は瞬時にそれが「名前」だと理解した。
「……オムカ? お前の名前か?」
おじさんは嬉しそうにうなずき、今度は田崎に杖の先を向けた。
「タサキ。おれは、タサキ」
田崎は自分の胸を指で指しながら、はっきりと名乗った。
オムカ、おそらくそう名乗った小さなおじさんは、それを聞いてにこりと笑った。
言葉は通じないが、確かに何かが伝わった気がした。
その瞬間、ほんのわずかに、空気が和らいだ。
だが、
バサァァッ!!
耳を裂くような羽音が、森の上空を切り裂いた。
田崎が反射的に見上げると、夕暮れの空を横切って一体の影が急降下してきた。
それは、猿だった。
凶悪な猿の顔を持った鳥が黒い羽を広げ、鋭く光る眼で地面を見据えていた。
それは猿たちより二回り大きく、戦士と同じほどの背丈で、牙はルーのものを凌ぐ太さだった。
地面に衝撃が走るほどの重量感で着地した瞬間、その獣は猿の死骸へと飛びかかり、牙を骨ごと突き刺して引き裂いた。
肉片が宙を舞い、湿った音が森に響く。
女戦士が顔をしかめて立ち上がり、剣に手をかけた。
その背後で、小柄な戦士が懸命に仲間の傷口に布を押し当てていた。
バサッ。バサッ。
さらに二体、三体と、上空から同じような羽根を持つ魔物が降下してきた。
気づくと木の枝に同じ影が集まってきているのが見て取れた。
どれも黒く光る羽を持ち、同じように死体へ群がった。
猿たちが、互いに争い始め、死体を奪い合い、牙で羽を裂き、肉をむさぼった。
血飛沫が舞い、悲鳴のような鳴き声が飛び交う。
獣の本能で食らい、殺し合っている。
だが、食事の争いの輪が、徐々に確実に田崎たちのほうへと近づいてきていた。
女戦士の肩が、わずかに震える。
田崎は、すがるようにスコップを握り直した。
オムカが、さっきまでの笑顔を引っ込め、低く何かをつぶやいた。
小柄な商人風の男が、額に汗を浮かべて後ずさりした。
手当てをしていた小柄な戦士も、異様な雰囲気に短剣を構え直した。
夕暮れの冷たい風の中で、再び森に緊張が走った。




