8 会談
法王の私室。
窓越しに差し込む光が白い机の上に柔らかく広がっていた。
向かい合うのは法王と小人の王チョーロー、そして盲目の僧侶。
三者の間に、張り詰めた沈黙が落ちていた。
沈黙を破ったのは、椅子の背にもたれ、脚をぶらぶらさせていたチョーローだった。
「封印はね、いま小人の里にある。あそこなら、聖戒の結界で守られとるし、ちょっとやそっとじゃ誰も手は出せんよ」
にやりと笑ってみせるが、その瞳は笑っていない。
「しかし、影はすでに深く、もはや場所を選びませぬ」
盲目の僧侶が冷静に反論した。
「影使いはどこにでもその影を伸ばす。たとえ聖域の中であろうと、影さえあれば……少しずつ確実に」
「封印は蝕まれた…重く、濃く……。この影を完全に異界へと還すには、巌窟に、最も力の強いあの祭壇でなければ」
チョーローは肩をすくめて、手遊びをやめた。
「ふーん。やはり、あの里はただの隠れ里で、解決の場所にはならんか」
今こそ、十二年前の借りを返す時だと覚悟を決める。
「機会は、次の新月」
僧侶の声は、淡々としていながら、決定的な響きを持っていた。
法王は眉をひそめ、視線を落とす。
「月の力が最も弱まるその時、祭壇まで辿り着き、聖戒の力で影を異界に返す。さもなくば、竜猿の封印が次々と解け、この世は地獄になる」
「地獄か……やだやだ」
チョーローは口笛を吹き、法王を横目で見た。
「異界の、鉄の箱車の人間の力、役に立つかもしれないよ?」
短い沈黙。
三人の間に、余計な言葉はいらなかった。
危機の本質と己がなすべきことは、すでに一致している。
法王は一度、深く息を吐いた。
そして低く、しかし確かに言った。
「行かねばなるまい」
……たとえこの身がどうなろうとも。
その日の午後、聖宮の謁見の間。
高僧、騎士団幹部、大臣たちが並び立つ中、法王の傍らには盲目の僧侶とチョーローの姿があった。
高僧の列に、盲目の僧侶の姿を見てざわめきが走る。
「静まれ」
法王の一声が広間を包む。
「封印は今、安全な地にある。しかし、聖戒の言霊は力を失いつつある。もはや一刻の猶予もない。我らは、異界の者の協力を得て影を祓い、封印を再び施す儀式を執り行う」
広間の空気が、ぴんと張り詰めた。
法王は立て続けに勅令を下す。
高僧たちには、詠唱班を編成し砦の寺院で影の力を削ぐよう命じる。
騎士団には、巌窟の祭壇までの道を切り開くこと、僧侶と民の安全を守ること。
大臣には、物資の調達と運搬、兵站を万全に整えること。
大臣たちは顔を見合わせ、騎士団幹部は唇を固く結んだ。
誰もが、この異例の勅令が、国の存亡を賭けた戦い始まりを意味することを理解していた。
そして法王は、チョーローと僧侶を見やり、声を高らかに宣言した。
「この儀式、我が身を持って執り行う。盲目の聖者、小人の王とともに、異界の鉄の車に乗りて、祭壇へと向かう」
「ま、悪くない作戦だね」
チョーローは謁見の間を去り際に、ふと足を止めて振り返った。
「でもね、法王。この盤上で誰かが、余計な駒を動かせば、全部ひっくり帰るかもしれないよ」
そう言って、いつもの飄々とした笑みを浮かべた。
その夜、聖宮の回廊は沈黙に包まれていた。
燭台の炎が、吹き抜ける風にゆらめく。
その奥、人気のないテラスに一つの影が立っていた。
盲目の僧侶である。
白い法衣の懐から、禍々しい紋様の刻まれた鈴を取り出すと、微かに鳴らした。
しばらくして、上空から重い羽ばたきが響いた。
一匹の羽猿が夜を裂き、彼の背丈を超える影を落とす。
羽猿は翼で包み込むように僧侶を抱え、背に乗せる。
「行け、森の西へ」
羽猿は翼を広げ、夜空へ舞い上がった。
夜空の高みに、欠けた下弦の月が浮かんでいた。
新月まで、あと六日だった。




