7 盲目の僧侶
聖戒寺院の背後にそびえる白亜の聖宮が、夕日を受けて赤く染まっていた。
高塔を抜ける風が、香の匂いを室内へと運んでいた。
宮殿奥の法王の私室。厚い絹のカーテンに光は柔らかく遮り、外の喧噪は遠い。
法王は窓際の椅子に腰掛け、胸元で手を組んでいた。
その傍らには、わずかに体を傾けた盲目の僧侶が立っている。
「……おぬしは、後悔しているか」
法王の静かな問いが、室内に落ちた。 盲目の僧侶は答えず、ただ闇に閉ざされた瞼の裏で、自らが歩んできた茨の道を振り返っていた。
……後悔、と仰せか。
私が最初に捨てたのは、闇に沈む故郷。だが光の下でも、私は決して救われなかった。
脳裏に蘇るのは、十五年前の夜。闇に生きる同胞たちに「光との共存」を説き、異端者として追われた日。死を覚悟で光の下へ逃れた旅の果てに得たのは、焼け爛れた皮膚と失われた両の眼だった。
聖者と崇められようと、この身は光からも闇からも拒絶された抜け殻に過ぎぬ。
……聖都の光は、あまりにも眩しく、そして腐っておりました。
高僧たちは自らの力に驕り、聖戒の名を盾に私服を肥やした。
その腐敗を前に、信念は焦りへと変わっていった。
十二年前の夜、法王猊下、あなた様にだけ出自を明かし、共に封印の綻びを繕った。
砦の寺院での十二年に一度の儀式……
だが、侵食は止まらなかった。
……そして五年前、愚かな我が一族は自滅の道を選んだ。
新月の夜に闇の獣を放ち、闇の力に呑まれて暴走した同胞たち。
もし自分が森にいれば止められたのか。いや、何もかわらなかっただろう。
巌窟寺院の長老たちも、我が一族も、見ている闇は同じ。
ただ、破滅へ向かうだけの、盲いた闇を。
法王は、彼の沈黙の中に渦巻く悔恨を感じ取っていた。
「おぬしは、すべてを一人で背負いすぎた」
「……他に道はなかったのです」
十日前、この同じ場所で法王に決意を告げた時の言葉が、再び口をついて出た。
「法王猊下の御心労、衰えゆく聖戒の力、そして腐りきった評議会……もはや押し返すだけでは間に合わぬと」
もし高僧たちに知られれば、異端のものとして処刑台に送られる。
法王でさえ封印を持ち出すことは不可能だった。
だからこそ、賭けに出た。
娘の病に苦しむ商人ホーガイを利用し、厳重な結界の奥から封印を持ち出させた。
そして、闇の森で自らの手で影を祓い、すべてを元に戻す。
同時にもし持ち出しに失敗しても、仕方がないとも思っていた。
しかし、ホーガイは有能だった。寺院の奥にまで手を回し、闇の森まで封印を運んだ。
覚悟を決めた。
ホーガイの名誉を回復し、汚名は一人で着る。
それしか、道はなかった。
……だが、森は私ですら拒絶した。
計画は、猿の群れの暴走によって砕かれた。
あの五年前の惨劇の再来。
そして、轟音と共に現れた「鉄の箱車」。
あの異邦人がいなければ、すべてはその場で終わっていただろう。
同胞の影に見つかり、捕えられ、裏切り者として糾弾された時、彼が感じたのは絶望ではなかった。むしろ奇妙な安堵だった。
「……よく生きて戻った」
長老の言葉が、彼を再び間者として聖都へ送り返した。
光と闇、その両方を知る自分にしかできぬことがある。
長い沈黙の果て、盲目の僧侶は法王の問いに、ようやく答えた。
「後悔は、ありませぬ。ただ……道はさらに険しくなった。それだけです」
その言葉が室内に溶けかけた、その時だった。
窓の外の空間が揺らぎ、羽ばたきと共に影が落ちた。
法王が目を上げた時、小人の王はもうそこにいた。
「久しいね、法王ちゃん。……顔色が悪いじゃないか」
法王は小さく笑ったが、その胸の奥は冷えたままだった。
彼ひとりに、重荷を背負わせてしまった……
あの十日足らず前のあの決断が、どれほど盲目の僧侶を追い詰めたか。
光を掲げる者でありながら、私は闇に怯えていたのだ。
「あの十二年前の儀式の借り、まだ返してないだろ?お前さんたちのおかげで、今回もなんとかなるかも知れないよ?」
チョーローは田崎の父の軽トラを思い出しながら、暗い顔をした二人を見て、いたずらっぽく笑った。




