1 戦議と巌窟
聖都の中心、聖戒寺院の西側にそびえる騎士団本部。
その「戦議の間」で、騎士団総団長グリファスは報告を受けていた。
長身で銀の鎧を纏う老将は、口を堅く結んだまま、微動だにしない。
「報告。鉄の箱車と異邦人らは、小人の里の結界内へ。追跡は不能です」
副官の報告に、居並ぶ騎士長たちの間に緊張が走った。
「ですが封印は無事。闇の民による奪取は阻止されました」
安堵とも不安ともつかぬ吐息が、戦議の間に満ちた。
続いて、闇の軍勢との戦闘報告が告げられた。
「森の警戒班は交戦は避けられず、先行部隊は壊滅。しかし後続の到着により撃退に成功。全体の損害はおよそ一割。重傷者も同程度に留まっています」
重い沈黙が広がる。
だが、グリファスの表情は微動だにしなかった。
損害は決して軽くはない。感情を捨てたものだけが、この戦場に立ち続けられる。
そう、とうに知っていた。
誰よりも厚く光の加護を信仰した自分が、いまや信仰を盾に命を秤にかけている。
その事実が、胸の奥で鈍く疼いた。
「竜猿の目撃情報は?」
「ございません。封印の周囲にも、戦場にも、あの獣の姿は確認されておりません」
報告が終わると同時に、グリファスは椅子から立ち上がり、部屋に響く声で命じた。
「部隊を再編する。主力は北上し、封印の確保に備えよ。副官、そなたは闇の森警戒部隊を率い、ただちに周辺村落の避難を誘導にあたれ」
「はっ!」
それからほどなく、グリファスは聖戒寺院の最上階へと足を向けた。
そこは厚い石壁と祈りの文様に囲まれた「評議の間」。
中央に光の印を刻んだ白金の卓を囲み、老僧たちが不安な面持ちで討議を続けていた。
「封印の力が……かつてないほど弱まっておる」
「異界の鉄箱の影響か、それとも闇の術か……」
「いや、封印そのものが老朽しておるのでは……」
憶測と混乱が渦巻く中、若い僧が慌ただしく駆け込んできた。
「法王猊下、ご来臨にございます!」
場が水を打ったように静まり返る。
やがて、白き僧衣に身を包み、長い白髭を湛えた法王が厳かに現れた。
その歩みは穏やかだが、その瞳はすべてを見透かすような光を湛えていた。
「小人の王に、会わねばなるまい」
その一言に、一同が息をのむ。
「……案ずるな。彼らは均衡が崩れた時に必ず姿を見せる。
向こうから……そのうち来るじゃろうて」
光は何も語らぬ。だからこそ、異種族の知恵も借りねばならぬ。
法王は己に言い聞かせるように胸の奥で呟いた。
……だが本音を言えば、もう少しだけ光に導いて欲しかった。
祈りは届いているのか。沈黙の光の下で、老僧はひとりの人間に戻っていた。
高僧たちは思わず顔を見合わせ、張り詰めた空気が少しだけ和らいだ。
法王は穏やかに微笑み、目を閉じて祈るような仕草を見せた。
一方その頃、闇の森、最深部。
巌窟、闇の聖域。
赤い焔に照らされた漆黒のドーム。
中央に据えられた石の祭壇には、奇怪な紋様が刻まれている。
紋様は脈打つように波打ち、闇の力を吸い込んでいた。
「……またしても、封印を取り逃がしたか」
低く響く声が、場を凍らせた。
影使いの長が、黒い外套を纏った弟子たちを無言で見下ろす。
その隣には、猿使いの長が黙して立ち、その背後には猿使いたちがひれ伏していた。
「言い訳は無用」
長老の声は、静かでありながら容赦がなかった。
「封印はすでに脆い。いずれ影の波に呑まれる。その時こそ、我らが闇を掌握する刻だ」
ひざまずいた森の民たちが、低く呻くような声を上げ、一斉に額を地へと伏せる。
痩せこけた顔、青白い肌と光なき目が黒衣の隙間からのぞく。
闇の力は彼らの命そのものだが、同時に体を内側から蝕み続ける呪いでもあった。
だからこそ、封印を砕き、制御できぬ闇を御しやすい影へと変えねばならなかった。
もはや、猶予はない。
長老は、ただ祭壇の先を見据えていた。
その瞳に宿るのは、狂気ではなかった。
かつて光に追われ、捨てられた民の、静かな怨嗟だった。
「騎士団も異邦人も許すな。封印は……この手で打ち砕く」
巌窟の奥で重い扉が、静かに閉じた。
残響だけが、闇の祭壇に沈んでいった。
すべては、闇の祭壇の上で決着を迎えるだろう。




