5 影と狼煙
陽が昇り切った頃、グランが偵察から戻ってきた。
額に汗を浮かべながら、しかし抑えた声で報告する。
「騎士団はいなかった。向こうの斜面を下りた谷筋が死角になってる。木も岩も多いが、鉄の車ならなんとか通れるかもしれん」
グランがオムカとホーガイ、リューシャたちに伝える。
田崎たちは羊皮紙の地図を広げ、おおよその現在地を確認する。
すると、傍らでオムカが杖を持ち上げ、じっと北西を指した。
その方向と、グランの示した谷筋は一致していた。
全員が無言で頷き合う。
だがその先に待ち受けるものは敵の包囲か、それともまだ見ぬ小人の里か。
誰にもわからなかった。
木の実を炊き込みこんだ飯をかき込んだ一行は、再びジムニーに乗り込む。
田崎はメーターに目をやる。この山に入ってからの走行は八十キロ近い。
地図で見る限り、小人の里まではさらに半日以上かかりそうだった。
燃料ゲージは四分の一に減っていた。
何回か、水温計警告が赤く光り、車を停めざるを得なかった。
左側のライトの光量も減っている。バッテリーもいつまで持つか。
「頼むぞ、相棒…」
田崎はタフな愛車に声をかけた。
その声に応えるようにエンジンが唸り、ブレーキランプを何度も瞬かせながら慎重に山を下りていった。
やがて木々がまばらになり、ゴツゴツとした岩と土の大地に出た。
陽はすでに高く昇っていた。
上から見下ろすだけではわからない。
実際に進んでみると、その距離は想像以上に遠かった。
一行は谷筋の緩やかな傾斜を、慎重に進んでいく。
両側には岩と土が続き、ところどころにまばらな草と低木が生えていた。
視界が大きく開け、遠くの山影が陽炎の向こうに揺れていた。
陽が傾き始めた頃、彼らは岩が転がる見晴らしの良い高地に差し掛かった。
タイヤが乾いた地面を滑るたび、砂埃が長く尾を引いた。
そのとき、丘陵の西端に潜んでいたひとつの影が、すっと身を起こした。
騎士団の斥候だった。
彼はすぐに背負っていた木箱を開け、火鉢の熾火に素早く炭を投げ入れる。
小さな爆ぜる音とともに、箱から真っ青な煙が立ち上がった。
…青い狼煙。
続いてもう一人、西の尾根にいた別の斥候も反応した。
火薬の匂いとともに、もう一本の青煙が空へと昇っていく。
その知らせはすぐさま、南の谷に布陣していた騎士団・封印奪回部隊の駐屯地に伝わった。
幕舎の外に飛び出した部隊長デルグラは、火急の報せに駆け寄った副官を振り返る。
「青い狼煙……鉄の箱車が現れたか」
地図を広げ、赤い線で囲った高地へと指を這わせる。
そこは谷を抜けた先、騎士団がまだ完全には抑えていない地帯だった。
「位置確認。第五班、前進の準備を。全軍、即応体制に入れ!」
デルグラは短く息を吐いた。噂は本当だった。
そのころ、闇の森の奥深く、岩を削って築かれた漆黒のドーム。
中央に据えられた祭壇に、ひとりの影使いが両膝をついていた。
彼の背後、階段の上に立つ長老の衣が揺れる。影使いが、唇を歪めて低く呟く。
「……見つけた」
次の瞬間、漆黒の影が祭壇を起点に四方へと広がっていく。
まるで意志を持った煙のように、山腹を這い、地を滑り、音もなく闇の森の南端に集う異形の軍勢の前に姿を現した。
傍に控える猿使いの長が、腰の鈴を持ち上げ、チリーン……と鳴らす。
影の奔流がざわめき、凶暴な猿たちが一斉に唸り声を上げた。
獣とも鬼ともつかぬその吠え声が、森全体に響く。
やがて、その怒号の群れは地面を蹴り、ジムニーと騎士団がいる方角へと走り出す。
それを見届けた影使いの目が紅く光った。
「騎士団もろとも、焼き尽くせ……」
そして火急を知らせる斥候の赤い狼煙が空にいくつも上がる。
騎士団警戒部隊はその変化を感知し、陣を組み直して集結を始めた。
田崎は青い煙が空に昇るのを見て、反射的に運転席で身を固めた。
「見つかった……」直感が脳裏を走る。
夕空に、赤と青の狼煙が入り乱れる。
田崎たちのジムニーはその渦中に飲み込まれていこうとしていた。




